《E・D視点/???=?? ??:視点》⑥ ”犯罪”
今回の話を一言で言うと、ぼっちパワー炸裂! です。
最初の台詞は前回の最後と重なっています。ご注意ください。
「お前、人をいじめて、楽しいか?」
「………………」
リューゼは沈黙したまま騎士を見つめ返していた。抜け目がない彼女は頭の隅で状況を好転させる策でも練っているのだろうか。私にはその寂寥が冷徹なものに感じられた。
彼女は長い不安をかけさせ、静かに答えを告げる。
「……ええ。楽しいわよ」
彼女は笑った。
崖の縁に立たされた上で開き直っている。触れれば切られてしまいそうに鋭い笑みだった。見ている私の背筋に寒気が走る。無害だと分かっているのに、彼女という存在に私は震え上がらずにはいられなかった。
「――ぅ」
吐き気が込み上げ、背中が蹲ってしまう。あの笑顔が私の苦痛から幾度も浮かんでいたと思うと気味が悪かった。
捺祇沙耶子は正気なのだろうか。窮地に陥った事で気が触れてしまったのではないだろうか。
数々の疑いが吐瀉物となって私の体内から出たがった。しかし、仮想の肉体は食物を蓄えてはいない。吐き出す心配は不要だ。私は口元を軽く押さえながらリューゼの様子をしばし観察しようと決意した。
だが、彼女は私の心情など知る由もなく、勢いよく語り出す。
「だって、結那ちゃん面白いんだもん。いつも他人に怯えてさあ。そんなに怖がっていたら、如何にも虐めて下さいって言っているようなもんじゃんっ。クラスの皆もそう思ってるよ?」
屈辱とでも呼ぶべき感情が一気に渦巻いた。発言の意味を理解する以前に感じ取ったのは悪意の塊だった。怖い、と心が竦む。聞きたくない、と感覚が閉ざされようとする。
「随分と余裕だな。今、別の騎士が倉庫に向かって来ているんだ。そんな状況で同じことを言ってみろ。……お前の立場が危うくなるのは分かっているだろ?」
騎士が彼女の暴言を見かねたのか、戒めの如く提言する。
「別にいいもん。私、間違ったこと言ってないしぃ? それに、まだまだ遺言は残ってるよ、結那ちゃん」
「ちっ」
舌を短く叩き、彼は押し黙った。
私も気を強く持ちながらリューゼの話に耳を傾ける。彼女の声は私を穴だらけにする酷い内容だ。白状すると立ち続けるだけで辛い。現実であったなら、即刻保健室へと訪れる心境である。
許されれば目を背けたかった。
その反対で、許せないから目を向けていたかった。
捺祇沙耶子が友人と言う隠れ蓑に見ていた武器。それの詳細を見極めなければ、私は永遠の悪夢と区別が出来ないと思えるのだ。
「対人恐怖症とでも呼ぶのかな? とにかく結那ちゃんは虐めたくなるオーラ全開だったんだよ。……でもね、そんな結那ちゃんのこと、クラスの皆は大好きだったんだよ」
私は自分の目を白黒させた。リューゼが善意を持って私を擁護した回数は少な過ぎる。これも巧みな罵倒だろうと疑えた。けれども、その裏に隠された意味は理解の範疇を超えている。何を、言いたいのか。
「結那ちゃんが居ると皆が明るくなるんだよ。あいつは馬鹿だ。あいつは臆病だ。あいつは妙だ。あいつは、私達より価値がない。だから、私達はお前よりましなんだ。……そんな勇気を結那ちゃんから貰ってきたんだよ。……ありがとっ」
感謝。最早耳障りとも言える声音は私に礼を述べていた。
……私が、おかしいの?
捺祇沙耶子の意見が一般的だと刷り込まれた気分になる。自分の犠牲でクラスの皆が幸せを手に入れた。その事実を素直に喜べない事が、私を急速に不安がらせた。
「酷い言い草だな。少数の犠牲で多数の利益を入手している。そう、言いたいのか?」
「はい。さすが先輩、話が早くて助かりますっ」
朗らかにリューゼは会話を続行した。
「先輩も同じ側の人間ですもんね? 分かっていて当然ですか。……ふふふっ。笑っちゃいますよぉ。学校では根暗で友達いなさそうな眼鏡野郎が、E・Dではとっても強い騎士さんなんて。まさに夢の世界ですね。楽しいですか、ぼっち先輩?」
騎士の腕が若干落ちた。リューゼの喉へと向いていた大剣がずっ、と微かに刺さる。
「……早起きの習慣でもあるのか? 手伝ってやるよ」
顔を目にするまでもなく、彼は怒っているのだろう。背中から発せられる空気が燃える様に熱く、私の黒衣にまで温度が飛び交ってきた。
リューゼが挑発しているのは私ではなく騎士の方だ。
またも狙いが不明瞭である。退場する予定しか残っていなくても、わざわざ時期を早めるのは何故だろうか。
もしかしたら開き直ってさえいのいのでは。そんな発想が頭をよぎった所で、騎士は低い声を響かせた。
「あんたはもうちょっと臆病になった方がいいぞ」
「えー。先輩達みたいになるのは嫌ですよ~」
仮説が間違っていないと裏付けられた言葉だった。結那ではなく先輩を主体に置いた表現が引っかかってしまう。私さえも標的に含めながら、その中心は騎士へと定められていた。
「…………もう、いい。そろそろ消えろ」
大剣の表面が光を反射し、周囲へと振り撒かれる。リューゼの身体から高く持ち上げ、最後の一撃を放とうと彼はゆっくりと構えた。
――駄目。
私は彼女がまだ折れていない事に気づいた。捺祇沙耶子は騎士を言いくるめる手段を持っている。六本の楔によって身動きは封じられ、逃走は出来ない。現場にはいじめの実態を把握している者しかいない。そうした逆境の中でリューゼは抜け道を発見したのだ。
かちゃ、と騎士の鎧が擦れ合った。
斬撃の用意を終えた彼は足元のリューゼを睨み付ける。両腕で握られた大剣がアバターを裂こうと太刀筋を立てる。両断する、といった意志が巨大な剣から光沢となって瞬いた。
必殺の寸前。
リューゼはそれを汲み取ったかの様に言の矢を撃つ。
「いいんですかぁ? 名誉ある騎士さんが、無実の人を消しちゃっても」
「何だと?」
「私、リューゼは誰も傷つけていないことを、神さまに誓いまーす」
嘘だ、と叫びたくなる。
しかし、主語に注意をすると口を閉鎖しなければならなかった。リューゼとはE・Dにおける捺祇沙耶子の名称だ。彼女の発言は、夢の世界にのみ限定されている。
「……犯罪、証明書のことか」
ルールに用いられている専門用語を胸の内で繰り返す。出てきた単語はこの世界における罪の有無を設定するシステムだ。行った犯罪の度合いによって点灯する三つのランプを示している。罪が軽い程に明かりの数は少なく、重ければ三つが灯って騎士団の処刑対象となってしまう。
彼女は騎士に必須な既定を突いていた。残念ながら捺祇沙耶子ではなくリューゼは誰にも害を及ぼしていない。私が受けた狩猟ごっこは申請を通してあるので、犯罪には該当されなかったのだ。
そして、現実での罪は夢にまでは持ち込めない。
「そうですよ、騎士さん。私は決して誰の事も傷つけていない。言い換えれば、私は真っ白なんですぅ」
現実では有罪でも、E・Dでは彼女を裁けないのだ。リューゼはきっと一つのランプを灯させてはいないだろう。その事実が騎士の大剣を妨げてしまっていた。
「その剣で無実の私を退場させれば、私は絶対に世間に訴えてやります。人々を守る筈の騎士が、罪のない一般人を傷付けた! ……現実だと、警察が何もしていない市民をぶん殴ったことと同じですかね。それは問題でしょう? ……今でさえも問題なんですよっ」
これは脅迫だった。騎士が無実のない人間を退場させようとしている。この不祥事は長年築いてきた彼等の信頼を根元から壊してしまう。実行犯は有名な断罪裂剣と呼ばれるアバターであり、情報の伝染範囲が広大になる事は容易に予想できた。
……なんて、人、なんだろう……。
私はリューゼの狡猾さを改めて思い知った。彼女の内面は歪み、尖っている。針の様に先端が細く、その中は混沌が詰まっているのだ。私が理解できないのも当たり前だった。
「ねえねえ、ぼっち先輩。この黒い剣、抜いてくれません? いい加減窮屈なんですよ」
「お前の命令なんて――」
「従わなきゃ駄目でしょう? 騎士団を壊滅させたいってなら、別だけど」
ぎりっ、と歯ぎしりが聞こえた。研ぎ澄まされていた不動の構えが少しずつ震えていく。彼は所属する組織の行方を重んじているのだ。
リューゼは騎士の葛藤を満足した様に頷く。すかさず、新しい要求が私達に向けて放たれた。彼女の邪悪な思惑が耳に絡まりついてくる。
「はーやーくー。私の気が変わらない内にやった方がいいですよ。こうして一般人を剣で刺したってだけで本当はヤバイでしょ?」
「お前……っ」
「ぼっち先輩ぃ。騎士って恰好いいですよねぇ。悪くもない人……だけを、颯爽と退場させてくれる正義の味方ですからねぇ」
彼でさえも、捺祇沙耶子を落城させる事は出来なかった。にたにたとした笑みが騎士の心に伸し掛かり、刃を鈍らせていくのだろう。
私は現実における彼の姿を知っていた。失礼ながら、私と似て人付き合いの苦手な人種だと一目で分かってしまった。そんな先輩が捺祇沙耶子に勝てると言う保証は今更ながら不鮮明である。
「リューゼ……お前はっ!」
「他の騎士が駆けつけて来てるんですよね? 急いだ方が良くないですかぁ? ……ふふふ。…………あははははははっ」
甲高い哄笑が仄暗い倉庫に反響する。高らかな勝利の宣言だ。
私の願いであった細い剣による仕返しは済んでいた。しかし、リューゼには反省の色が一切見られない。その上、私を助けてくれた騎士の弱点まで握っている。逃してしまえば追々脅されるのは充分に慮れた未来だった。
――このまま、終わってしまうの?
世界がリューゼの卑屈な声で埋め尽くされる。五感が自分達の負けだと責め立ててくる様だった。こんなのは、駄目だ。そう否定する気力が次々と蒸発してゆく。
…………先、輩。ごめんなさい。私なんかの、せいで……。
謝りたかった。発声が止められているとしても、私は精一杯に謝罪を口にしようとする。
「――――ぁ?」
白い鎧の背面へと首を上げた途端、私はそれを目の当たりにした。
騎士は大剣の構えを解いておらず、むしろより気丈に姿勢を正していたのだ。リューゼも彼が両腕を降ろしていない事に訝しげな視線を向ける。二つの視線が騎士へと集中するも、大剣はたじろぐ様子もなく振り下ろされる時を待っていた。
「ちょ、ちょっと。何やってるんですかぁ? ぼっち先輩、騎士なんでしょ? いいの、私を斬っちゃっても!?」
彼の応答が、リューゼの策略を一刀の元に断つ。
「捺祇沙耶子。……お前は、やっぱり馬鹿だ」
私を苦しめて来た彼女が貶された、初めての光景だった。私が覚えている限り捺祇沙耶子を褒める人間はとても多い。だが、その逆は友人の関係になってから見た記憶はなかった。
彼女も慣れない罵倒が身に染みていなかったのだろう。彼への反撃を始めたのは少しの呆然を挟んでからだった。口を開いてからも同様がその語勢に隠れていた。
「は、はぁ!? 訳わかんないっ。まさか騎士団の中でもぼっちだから、どうなってもいいって言ってるんじゃないんでしょ?」
「そんな訳あるか。…………お前、そこに気づくのが遅すぎるんだ。もう少し芳野結那を見習った方がいいぞ」
私は突然の指名に肩を震わせる。彼の思考に全く追いついていない自分が恥ずかしかった。もっと深く事態を観察すれば騎士の言いたい事が理解できるのだろうか。私は後ろめたさから懸命に記憶を引っ張り出した。
数々のやり取りが文章となって再生される。最も読み取りやすい大きな書体は侮蔑の言葉ばかりだ。悔しい事に捺祇沙耶子は私の存在を大まかには言い当てていた。自分から見ても悲観的になってしまう私に、参考になる所などあるのだろうか。
「相手を格下に見るのはやめろ。……どうしてお前が犯罪証明書について気づいたのか。それは、俺が遠回しに挑発してやったからだよ」
騎士が淡々と説明した。
そこには今し方観測していた感情の揺らめきはない。人格が急変したのかと狼狽えるが、それこそ彼なりの自然体だと腑に落ちる。これまでの熱心な怒りこそが騎士の演技だったのだ。
「ちょ、挑発したって……。何で」
「これは復讐だ。お前のやって来た悪行を、お前にやり返してやるよ。……完膚なきまで、その期待を壊す」
最後に付いた宣言にリューゼの顔が青くなった。
彼女は本当の罠に嵌ったのだ。無自覚に、自ら進んで騎士の甘言に乗っかってしまっている。彼は誇り高い職業の名を餌に捺祇沙耶子を誘き出した。その行為が彼女にとっては不用心に落としただけだと映ったのだろう。
だが、実のところは違っていた。設置された根拠は思いつかないが、騎士の作戦が全くぶれていない事だけは私にも理解できる。
――私だったら騙されない? 彼女と私の差から導き出せる答えは何なの?
「…………せぅ、アい?」
――見つけてしまった、かもしれない。リューゼの脅しを物ともしない、夢の様な方法を。
ただし、払う犠牲は余りにも理不尽だった。私と関わった最後にふさわしい、悪夢としか呼べない結末を彼が迎えてしまう。
「……まだ、分からないのか? 芳野結那は気づいたようだぞ」
「ぐっ」
「お前は別に凄くなんかないんだよ。ましてや、現実でぼっちな俺に貶められるぐらいだ。馬鹿と言っても過言じゃあるまい?」
今の彼はかつての捺祇沙耶子を真似ていた。信じていた地盤を崩させ、絶望の奈落へと落下せていく。痛みだけではない、私が体験してきた全ての苦悩が彼女へと返されていたのだ。
彼女も先輩の趣向を悟り、屈辱からか青筋を立てる。私はそれを純粋に喜びはせず、嘆きで胸を痞えさせていた。捺祇沙耶子に同情を抱いているのではない。先輩の本音が分からぬまま、事が終わってしまうのが辛かったのだ。
「特別に教えてやる。…………俺に対しての前提が間違ってるんだ」
放たれた言葉が曖昧な予想を形ある推理に変えた。先輩はこれから大事な物を失おうとしている。止めるべきだと頭は喚いているが、もう手遅れだった。私は溜飲を喉奥に流し込み、彼の背中をじっと見つめ続ける。それ以外の行動は思いつかなかった。
「騎士が一般人を傷つけられないという認識は正しい。そんな不祥事で騎士団の名誉が落ちてしまう話も間違ってはいない」
でもな。
先輩は立て続けに言う。
「俺はもう騎士じゃないから、関係ないんだよ」
彼はこの倉庫に来る前から騎士団を抜けていたのだ。
「これからお前を退場させるのは、現実では鈴夜湊と言うぼっちな奴が操っている、犯罪プレイヤーだ」
「っ!!」
対話している彼の正体がリューゼの顔に緊張を走らせた。
彼女の視線が己の指先へと降り注ぐ。腕に細い剣が刺さっていたが、手首から先は易々と動く筈だ。それでコマンドウインドウを呼び出すジェスチャーを行い、SOSコールを使用するつもりである。
二秒もすれば救援に応じた騎士が倉庫に現れる。捺祇沙耶子へ報いる為に騎士の称号まで捨てた先輩が新手と戦うとは考えにくかった。真面目そうな先輩は両手を掲げて投降するのだろう。許容されていたのは、ごく僅かな時間だけだった。
――その一瞬で、犯罪者は誕生する。
「よい悪夢を」
呟きの声に重なって、大剣が振り下ろされた。
黒い軌跡が世界を刻む。半月状に塗りつぶされた剣戟から烈風が走り、床に張り付いたアバターの上を駆け抜けてゆく。瞬刻の断末魔が鼓膜を叩き、大剣の寸断する音が即座に書き換えていった。
やがて、天井へと昇っていく光の粒子が目に映る。言うまでもなく、それは退場の際に発されるアバターの残滓だった。
――終わりなき悪夢は、こうして幕を閉じた。
何だか自分でも辛い場面でした。ですが、無事に書ききれて良かったです。
しかし、まだ第一部は終わってはいません。どうか今しばらくはお付き合い下さい。




