《E・D内部/クリム=鈴夜 湊:視点》④ ”再戦”
断罪裂剣vs悪夢、再び!
《E・D内部/クリム=鈴夜 湊:視点》
漆黒の触手が警戒するように本体の周囲を旋回していた。悪夢の奇怪な武器は二本から四本に増えている。成長したというのだろうか。
上部二本が速度を上げた。風切り音が俺へと走ってくる。
「ァァアアア!」
細い剣先は俺の後ろにあった壁に突き刺さった。一歩だけ半身をずらした俺の隣で黒い触手が伸びている。発射の瞬間さえ見極めれば避けるのは難しくない。ましてやレイピアのように細い武器だ。横から斬りつけられても微々たるダメージしか負わないだろう。
俺は大剣を振り上げた。
狙いは細い剣の中心部。可能な限り狭い空間を駆使し、虚空にゆったりと幅広い黒色の帯を作った。
「……っ!」
両腕の力みが頂点に達したのと同時に、悪夢から息を詰めた気配が漂った。相手の戦力を削ごうと言う企みを察したのだろう。
全身の筋肉が唸りをあげ、大剣を輪郭が掠める程の速度で打ち出した。
小さく、金属音と火花が散った。
俺が貫いた場所に黒い触手は残っていなかった。剣が交差しあう寸前、あの細い剣がゴムのように持主の背中へと縮んでいったのだ。
「伸縮できるのか……!」
流石にその機能は想定外だった。伸ばす方にばかり気を取られていた。これでは厄介な能力を秘めた武器を破壊できない。
新たな情報を脳内に入力しつつ、俺は悪夢の正面へと一気に走り出す。
「なら、直接本体を叩く」
床を砕かんばかりに蹴った足が鎧を含めた俺を加速させる。普通の走法なので前回の速力には至らなかったが、周囲の状況は冷静に見て取れた。
戦いに応じて回転数を上げる頭がこの上なく冴えわたった。揺らめく触手の様子が緩慢に感じられる。悪夢の前面へと集まって十字の形を作ろうとしていた。四本の細い剣で俺の攻撃を受け止めようとしているのだ。
少し消極的だ、と俺は疑問に思った。以前の戦いを得て、お互いの手の内はある程度判明している。自慢ではないが、この相棒をまともに食らって無傷ではいられない。触手の鋭い先端を利用して回避行動に及ぶのが賢い選択ではなかろうか。
疑いを用心に変換し、誘い通りに十字の交差点へと大剣を叩き込んだ。
衝撃が俺達を中心に波紋の如く広がる。鼓膜は揺さぶられ、風圧に吹かれた俺の前髪が乱れていった。
「ァァァアアアアアアア!」
「ふ……っ!」
一際高い摩擦が悲鳴を上げる。拮抗していた力場を支配したのは俺の大剣だった。
短い絶叫を挟み、床から足を離した悪夢の体が後方へと吹き飛んだ。
放物線を描き、小柄な肉体が床の上へと墜落する。殺しきれなかった余剰な力が更に悪夢を跳ね返らせた。
二度の打ち身が相当効いたようだ。痛みはないだろうが、激突が平衡感覚を盛大に揺さぶったのだろう。暫くは立ち上がる気配がなかった。
「……ァ……ア」
うつぶせに転がった悪夢が両腕を地面につける。左右の肘が伸び切ろうと震えていた。
欠損率はまだ百になっていない。パーセントが百を超えるまでこの大剣は黒いアバターを切り裂くはず――だった。
「逃すか!」
感情を張り付け、大声で叫ぶ。
悪夢が飛んでいったのは一階廊下の奥だった。ここで追撃の機会を外すことは、逃亡の可能性を助長することとなる。
初動にどうしても時間がかかる大剣を構えた。立ち上がろうとする相手に向かって突撃の体勢を取った。脳内では捨身の体当たりが通過する軌道まで描く。
ここで悪夢との距離を維持することこそが過ちだ。俺の剣が誇る重量なら、上に跨っても奴は身を覆すことが出来ない。大剣を消して、素手で悪夢の身体を取り押さえる。触れ合うぐらいの近距離から武器を再度呼び出せば万事解決だった。
それを、わざとしない。
「そこを、動くなっ」
言い換えれば、身を逃す程の空間が悪夢の周囲にはあるのだ。
「ァ」
ようやく肘を屹立させた悪夢が俺を睨み付けた。
大剣を突き出し、風を裂いて疾走する。前方から吹き付ける烈風が身体を掠めていった。この程度の抵抗は障害にならない。黒い巨剣は躊躇なく影色のアバターへと吸い込まれた。
悪夢の真上から四つの柱が降る。手応えを感じるか否かの間際。小さな仮想の肉体が床から浮き上がった。
足を強く踏み込み、手前で立ち止る。俺は威力を倍増する為の重心移動を行おうとしていた。標的の浮遊も左程気には留めなかった。
槍を彷彿する動作で剣を突く。放たれた力が放射線上に飛び散り、校舎の壁装に一瞬の衝動を与えた。
ぎりぎりの所で悪夢には命中していなかった。悪夢が横たわっていた場所には入れ替わる様にして俺の脚が根付いている。
「……ァァア」
深く腱を張った俺に対し、悪夢が更に距離を離した。
下手に接近すれば反撃を食らうと学んだのだろう。変幻自在に曲がる触手が競うように後退していった。
――そうだ、それでいい。
「ちっ」
念の為に忌々しげな表情を顔に張り付けておく。誰かが俺の内心を悟ったとしたら一大事となるからだ。
前面へと押し出していた大剣を身体に引き寄せ、相手の動向を用心深く探る。
四本の剣を用いたあの逃げ方をされれば、誰だって追いつくことはできない。床に触手の先端が刺さっていた痕跡が並んでいる。この小さな穴を壁にまで作れるというなら、正にお手上げとなるのだ。
「…………?」
急に触手の掘削作業が停止した。悪夢は俺の顔を凝視して、逃げることを止めている。
「ぁアああァアアアアアアアアあああっ!」
下面と平行に寝そべっていた姿勢を整え、悪夢の影に包まれた片足が床を踏んだ。
一本の足に四本の触手を足して、黒いアバターが駆ける。
「なっ!」
――何だ? どうして逃げない!?
前のめりになった体から純黒の腕が伸びる。憎々しげに折り曲げられた掌の指が、俺の喉元を切り裂こうとしていた。
速い。先程とは段違いだ。
大きく開けた眦が得た理屈は、悪夢が四つの触手を連動させて床を叩いているというものだった。駆動させている足の数が増えた。二足歩行時よりも速度が上がるのも頷ける。
「アアアアア!」
闇が目と鼻の先に迫ってくる。俺に吹き付ける怒号と気迫はとても凄まじかった。悪夢の指が首の付け根に触れるのも遅くはない出来事だ。
だが、それよりも早く大剣の先端が身体を切り裂いてしまう。しかも悪夢には防ぐ手段もなければ、俺を倒す牙もない。正面に据えた大剣に飛び込む、という自殺行為にしか考えられなかった。
主力の武器を足に回し、普通の人間と変わりない丸みのある指先だけで挑んできた。無謀で片付けていいのだろうか。
「ぁあああアああああ!!」
迷う隙を見せてはならない。身体を駆け巡るものは、殺伐とした斬撃の指示であるべきだ。
俺の大剣が定位置から下へとずれる。垂直に落下した黒の両刃は金属光沢を根元から切っ先へと走らせた。飾り気のない刀身を走る輝き。その照射箇所を逸らす形で、俺は左手を利き手である右手の前へ置いた。
多少の角度が付いた大剣の柄から、右手を引き摺らせる。少しの空白を置き、利き手が柄の末端近くへと落ち着いた。
「アアア!」
外さなかった視野の中央に、吠える悪夢の姿が飛び込んだ。
――馬鹿、野郎……。
左手に託してあった大剣の重心を、利き手へと返還した。
悪夢の腕が、俺の頬を触れる。
上部の鋭刃が急速に跳ね上がり、小柄な肉体と重なった。防御もしないで入り込んだ斬撃に巻き込まれ、悪夢の全身がまたもや浮き上がる。
鈍い音が俺の耳にしがみ付いた。人を切った際の感触も重なり、心がざわついてくる。
――何で、彼女は逃げなかったんだ?
人の形をした影は断ち切られ、呻き声もなく倒れ込んだ。
今回は少し短めでした。最近忙しいので次回は遅くなると思います。どうぞ、これからもよろしくお願いします。