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エクステンデッド・ドリーム 《-Ⅲ- Loading Nightmare》  作者: 華野宮緋来
《EN編》第四章「終わりのない夢」
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《現実世界》⑤ ”友達”

メリークリスマス。サンタさんからのプレゼント気分で投稿します。

《現実世界》

 鈴夜湊は揺り籠の中で目を覚ました。

 長い吐息が彼の口から流れる。掛かっていた布団を押しのけて、彼は上半身を淡々と起こした。揺り籠の天井が湊の額に近づく。だが、E・Dの揺り籠は構造上で二メートル越えの大男でも扱えるようになっている。彼が不用意に体をぶつける心配はなかった。

 カシュッ。外界を隔てていた蓋が開く。湊が横に設置されていた開閉のスイッチを押したのだ。

 素足で部屋の床に着地する。湊の足元まで低い陽光が伸びていた。低い隙間から漏れ出しているようだった。


「まだ時間はあるな」


 左右へと押し広げたカーテンの向こう側では早朝の景色が確認できた。呟いた湊は寝間着姿のまま隅の机へと着席する。

 湊は茜に教示された宿題を開始した。握ったシャープペンが留まる事を知らずに紙の上を駆けてゆく。ノートは瞬く間に文字で埋め尽くされた。


「これで良かった……のか?」


 懸念を除き終えた筈の湊が尋ねた。家族は別の部屋で夢を見ているので、返事をする者は当然いない。

 彼は掌で片腹を弱く擦った。残った手が湊の視界を覆う。


「まだ決まった訳じゃないんだ。……だから大丈夫だ。……きっと……」


 充分に稼いだ睡眠時間を嘲笑い、重苦しい不安が湊のこめかみを襲っていた。



 出御高校では区分(以後、区別ではなく区分と表示)型の生徒にとって放課後は掃除終了後となっている。部活に入っている生徒は活動に勤しみ、用がない生徒は校舎から早々といなくなるのだ。

 その反面、一貫型の生徒は続けて授業を受ける。ただし、フルダイブ技術の確立以前と同様なスケジュールでは過酷だと言う意見が多い。それ故に掃除後には昼休みに次いで長い休憩時間が与えられた。


「どこ……っ」


 三原茜が一年の教室を渡り歩いていたのは、そんな頃合いの大詰めであった。

 彼女が探しているのは小さなお下げを括った一年生の少女である。昨夜から今朝にかけての夢。茜は少女が悪夢と関連があるのではないか、と疑いを持った。


「保健室にもいないし……。どこに居るの、結那ちゃん!」


 茜は駆け足で廊下を通り過ぎる。次の授業までの時間は少なくなかった。今を逃せば、本日中に少女と接触することは難しい。


「どうして、クリ、湊君は、放っておくんだろ……?」


 恐るべき真相に辿り着いたクリムこと湊は不干渉の意を茜へと伝えた。茜も当初は両諾し、何事もなく目覚めの時を待っていた。

 しかし、学校での湊は動く気配を一向に見せなかった。日頃と変わりなく自分の席に落ち着いたままである。茜は昼休みまでは耐えたが、掃除の時間になってついに痺れを切らして走り出した。


「意気地なし!」


 掃除当番をこなしているだろう彼に文句をつける。茜達のコースは日に二回の清掃を義務付けられていた。使用後でも最小限のエチケットを守る為だ。湊はそのような面倒という声が上がる制度に不満は持たなかった。

 現にして、お互いのアバターが判明した日も湊は黙々と箒を振っていたのだ。


「どうせ、掃除してるんでしょ!」


 茜は大声で唸った。

 ――やがて一年生の教室を全て探し終える。結那を発見することは叶わなかった。肩を大仰に落とした茜が階段を上ってゆく。


「もう……帰っちゃったかな……」


 段差が続く道のりはもぬけの殻だ。人の息遣いは勉学の箱庭に押し込められているのだろう。彼らの邪魔となるので不必要な居残りは禁止されているのだ。

 踊り場に茜の上靴が鳴らす足音が響く。重い足取りが動かなくなった。茜が顔を上げる。

 けれども静寂はいつになっても訪れなかった。誰かの会話が延々と鼓膜を叩いているのだ。彼女は膝にかかる力の配分を調節する。


「……誰……?」


 不審な階へと足を踏み入れた。茜が気配を出来る限り殺し、場所を探索し始める。一番目に空っぽの教室が目に入ったところで背を丸めた。教室の扉には大きく透明なガラスが設置されている。伸長したままでは内側からも見られてしまうからだ。

 二つ目、三つ目、と空箱の教室を後にしてゆく。


「っ」


 階段から離れた四つ目の教室。茜は日除けのカーテンを閉ざした空間に複数の人影を発見した。彼女の全身が唐突にかがむ。これで自他共に互いの容姿を視認できない。


『……、……』


 だが、扉越しにでも話し声は確認できた。校則に違反している生徒が複数人いるのは明らかだ。茜は密かに聞き耳を立てた。


『ねえ、聴こえてるの?』

『何で黙ってるのよ』

『……』

『返事してよ。喋れるんでしょ? それともー、出来ない?』

『……』


 確かめる語尾が何故だか甲高くなっている。声音からして全員が女生徒である。人数も四、五人のやりとりであった。

 話の流れからして全く喋っていない生徒がいる。茜は片耳をぴったりと扉に密着させた。


『……』


 やはり一度も口を開いていない。


『じゃあ、罰ゲーム!』


 誰かが快活な口振りで言い放った。くすくす、と笑い声が重複する。密閉された部屋で反響したのは嘲笑だった。


『はい、いっかーい』


 茜が密かに顔を上げる。


「……何を、しているの……」


 彼女の呼吸は荒くなっていた。窓の下辺が瞼と境を共にする。

 密室でざらついた震えが空気を叩いた。


『痛い? 結那ちゃん(、、、、、)


 茜の大きな瞠目が、教室の内部をより定かに反映させる。


「…………ぇ」


 四人の女生徒が一人の少女を囲んでいた。中心で俯く生徒は後頭部に小さなお下げを括っている。芳野結那。茜が探していた少女だった。

 結那の片腕が正面に向かって伸びている。袖が捲られており、細い腕の肌が外気に晒されていた。茜が記憶している通りに青い内出血の痕が顕著だ。


『……っ』


 少女の枠となっている四人は蔑んだ表情で笑う。中央の結那だけが落差を激しくして苦渋の剣幕を漂わせていた。

 皮膚に隠された出血の斑模様。四人の少女がその箇所を指でつねっていたのだ。


『うわ、もうこんなんなっちゃった』

『すごっ、青っ』

『何この子。オモシロ~』


 結那の身を全く案じていない言葉が飛び交う。茜は暫く固まることしか出来なかった。一枚の隔壁を超えた先の出来事に目が釘付けとなっている。


『ねえねえ、沙耶子~。この子何も喋んないんだけど』


 結那の腕を摘まんでいた一人が奥側の少女に呼びかける。茜も声の方角に視線を追随させる。そして表情をまたもや引き攣らせた。


『ゆーいーなーちゃーん。どーして、自分がー、こんな目に合ってるか―、分かってるよねー?』


 ウェーブがかかった癖のある毛先に、部屋中に良く通る声音。支持を仰がれた女生徒の姿は捺祇と呼ばれた少女に相違なかった。

 結那の親友、と自ら名乗った後輩である。


「……何……で」


 茜が見つめる先で捺祇は結那へと歩み寄った。


『どうして昨日は来てくれなかったの? 私、ずっと待ってたんだよ』


 捺祇の詰るような口調に周囲が共鳴した。


『そうだよー。約束破るなんてサイテー! こーれはー』

『もう一回罰ゲーム、だね~』

『ね~』


 笑いながら捺祇が結那の腕を強く抓る。

 ぎゅ。

 彼女の行動を合図に他の三人も一斉についばんだ。

 ぎゅ。ぎゅ。ぎゅ。


『…………っ……!!』


 罰を受ける少女は強く歯噛みした。結那が上げている呻きは扉に隔たれて聴こえない。苦悶の表情だけが隠しようもなく浮かび上がっている。


「!」


 扉へと手が伸びる。激昂に駆られた面持ちで茜は入り込もうとしていたのだ。


「――先生っ」


 少年の声が廊下に響く。茜の指はぴたりと制止した。

 同時に茜の身体も左方へ引き寄せられる。彼女の左腕を誰かが掴んでいた。


「みな……っ」


 茜の言葉が目前に差し出された携帯端末のディスプレイで遮られる。眼鏡をかけた小柄な男子生徒による指示が画面には打たれていた。句読点が略された簡潔な文章だ。


〔喋るな 階段まで戻れ〕


「探したんですよ。授業はもう始まっています」


 黒色のフレーム内部に記された文は続く。事前に考え抜いた少年は口だけがでたらめを垂れ流していた。呆然としている茜もまなこだけは文字の羅列を追っている。


「え、プリントを取りに戻っていたんですか?」


〔上階へ登れ 鉢合わせするな 行け〕


 少年が自分の後ろを指さした。茜は教室の内部からは見られない位置へと引っ張られている。結那を虐げていた四人にとっては近くに教師がいると誤認しているはずだ。彼の誘導はその誤解を日の元に晒さない為の作戦だった。


「教室に誰かが居る? じゃあ、僕が確認しますよ。先生は早くプリントを取りに行ってきてください」


 今だ、と言わんばかりに携帯端末が下げられた。茜も機会の到来に合わせて急ぎ足で階段を目指す。彼女の靴音が早々と廊下に鳴り渡った。


『ちょ、行くわよっ』


 がさごそ、と少女達の声と動作が乱雑に混じり合う。怒鳴りに近い命令が少年の鼓膜まではっきりと伝わっていた。それに反して内部の混乱は収まりそうにない。意表を突いた見回りに焦っているのだろう。

 少年は手前の扉を水平に押した。

 陽光の密度が不足している教室だった。外界からの眩さが遮断されているせいで帰ろうとしている少女達の全容は把握しきれない。

 鞄を持って先頭に立つ少女が頭を下げてくる。


「すいませーん。ちょっと友達と喋っていたら遅くなっちゃいましたー」

「…………」


 先頭を歩む捺祇は少年に笑顔を向けた。対する男子生徒は無言を貫いている。


「じゃ、結那ちゃんも、また明日ね~」


 最後尾に並んでいた女生徒が教室の隅へ手を振った。後頭部でお下げを小さく結んだ少女が椅子に座っている。不自然にも制服に包まれた一本の腕だけが机の上にあった。


「私達ー、もう帰るからー」

「うん! ……また後でね(、、、、、)結那ちゃん(、、、、、)


 少女の肩が上下に振動する。首と共に傾く前髪が描いたのはより深い影だった。

 後に女生徒達がもう片方の扉口から教室を後にしてゆく。少年はそんな少女らの背中を黙々と見つめていた。細く尖った眼差しが捺祇を含めた四人を突き通す。

 捺祇が彼の視線に気づき、後ろを短く睥睨した。

 そして彼女は最小限の音量で言い放つ。


「――きもっ」


 扉の閉塞音が重なり合い、捺祇の声は打ち消された。


「…………すいま……せん。すぐに……帰ります…………」


 暗闇の粘度が濃厚な中、結那は項垂れながら謝罪した。先程までの騒がしさが打って変わって静けさに満ちている。座る少女と佇む少年は互いに音を荒立てようとしない。

 生気のない声に湊は言葉を返した。


「別に急がなくていいよ。……先生っていうのは嘘だから」


 少女が顔を上げる。黒眼が一点に凝縮された。結那は彼の顔を此度になって認識したのだ。

 続けて彼の入ってきた扉が再度開け放たれる。

 がたっ、と結那が椅子ごと引き下がった。

 教室にどかどかと踏み込んできたのは捺祇達ではなかった。それでも少女は驚きの表情を絶やせない。茶色い髪に、三つ並んだ黒子が特徴的な女生徒の姿が接近してきたからだ。


「……湊君。……結那ちゃん」


 茜は二人を見比べた。結那は小動物のように全身を震え上がらせている。


「せ、……先……ぱ……い?」

「何よ、アレ! どこが友達だって言うのよ!?」


 憤慨に顔を高揚させた茜が叫ぶ。彼女は机に横たわっていた結那の腕を手に取った。

 掴まれた上肢はよじって拘束を解こうとする。抵抗が実を結ぶことなく、結那の袖は茜によって一気に捲られた。


「――っ」


 少女が目をつぶった。結那が見ることを拒否したのは斑模様に青く出血した腕の皮膚だった。手首から肘にかけてまで出血は広がっている。負傷の大小や軽重はまちまちだ。下手をすると抓られた痕が重なっている部分もある。


「酷い……。罰ゲーム……って……冗談じゃない。これはもう、いじ――」

「私が悪いんです。だから何もおかしいコトなんてありません。……イイエ。誰にもやられてさえいませんよ? 床で……床で転んだだけです。心配いりません」


 結那の口調が無機質なものへと変貌した。かつて詰まりながら喋っていた少女とはもはや別人の語り口である。

 茜は後輩の変わりように顔を青ざめつつ、反論を言い返した。


「転んだって、この痕は……!」


 ガァン!

 四足の机が大きな衝撃を受けて轟音を弾き鳴らす。地面から跳ね返る程の威力が上部からかかったのだ。

 結那は腕の内側を真下に向け、机へと叩き降ろしていた。


「床で転んだんです」


 ガン! 片腕がもう一度上下に往復した。

 青白い小円がばら撒かれた表面が赤くなる。数々の内出血を十分に覆い隠せる範囲が痛めつけられていた。

 ガン! 三度目の打撲が腕を襲った。


「…………」


 湊と茜の二人は揃って少女の凶行を眺めていた。違いは茜が愕然と目を開け広げているのに対し、湊は無表情から限りなく動いていないことだ。

 結那は懸命に誤魔化し続ける。

 声が掠れて眉間にかなりの皺が寄っていた。我慢の限界だ。


「転んでぶつけただけなんです!」


 絶叫が教室を支配した。結那が頭上を越えてまで腕を高く掲げる。その一撃が少女の細腕にどれだけの被害を加えるか想像に容易かった。


「だめっ」


 彼女の忠告は遅すぎた。言の葉で留まれる勢いではなかった。結那の手が長い弧を描いて机へと落下する。

 ばちんっ、と小さな掌は止められた。その凶行を止めた者は未だに無言を維持していた。

 少女の全身から力が抜ける。


「…………だから、いじめ、なんかじゃ……ありません……。私と、捺祇さんは」


 気力が抜け落ちた表情で少女は口を動かした。くぐもった宣言。暗い箱に閉じ込められた関係は抜け出せずにいたのだった。


「……ともだち……なんです……」


 すぐ傍で男子生徒がその背中に囁きかけた。捺祇達が消えていった扉の奥へと彼が正面を合わせる。


「保健室へ……行こう。床で転んだんだ。診て……もらわないと」


 湊が結那の腕を掴んでいた。彼の声は抑揚のなさに溢れている。


「…………はい」


 結那も彼を見習っていた。暴発していた感情の渦も治まりつつあった。

 握られた手を起点に結那を立ち上がらせる湊。黙して頭を下げる結那に頷きを返してから、彼は茜の方へ首を回す。


「悪いけど……保健室まで送っていくよ。……転んで足も痛いんだって」


 茜は一時表情を固まらせたが、彼と同じように首で黙諾を表現した。

 男子生徒に引導された少女が教室から出ていく。茜は少女の段々と小さくなる背中を見据え続けた。


「…………どうすれば……いいの?」


 彼女の耳元には結那が繰り返した言動がこびりついていた。捺祇の本性よりももっと忘れがたい事実。

 芳野結那――一年生のあの少女は、己へのいじめを自ら誤魔化しているのだ。


プレゼントと言いながら暗いお話になってしまいました。私も書くのが辛かったです。

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