《E・D内部/ユリア=三原 茜:視点》③ ”不一致”
物語が段々佳境に入ってゆきます。
《E・D内部/ユリア=三原 茜:視点》
「疲れたーっ」
私は高そうな革張りのソファに深く腰を下ろした。ぼふっ、と衝撃が見事に吸収される。相当な代物なのだろう。
「お疲れ、お嬢ちゃん。ほら、コーヒー」
湯気が立ったコーヒーが目前に差し出された。その飲み物を手にしているのは銀髪の背丈が高い青年だった。断罪裂剣と称されるクリム君の相棒であるマーディ。彼が自らをそう紹介していた。
「ありがとうございます」
お言葉に甘え、両の掌で温かいカップを手にする。芳ばしい香りが忽ち私の嗅覚を刺激した。覚えのある香気だった。
それも当然か。E・Dは本人の記憶を再生してるんだから。
「…………お疲れ」
マーディさんと数十秒の差をつけ、クリム君が私に声をかけた。ソファと反対側の壁にもたれかかっている彼は何処か不機嫌そうに見える。悪夢の証人として発言を終えた以来、ずっとあの態度だ。近寄りがたい空気を身に纏っている。
――まあ、どちらにせよ彼から歩み寄ることもないのだが。
「なあなあなあ」
苦みがある飲料を口に含んだ私を余所に、マーディさんは颯爽と移動していった。重い空気を物ともせずに少年との距離を詰める。最強と噂される騎士の傍で、銀髪の青年が厳かに尋ねかけた。
「お前とユリアちゃんは付き合っているのか!?」
「ぶふっ?」
口からコーヒーが盛大に飛び出した。黒い液体は点々と床に散らばり、オブジェクト還元の光となって消失する。むせた私はそんな現象を視野に収めつつ、反対側の壁へと反論を張り上げた。
「ちょ、ちょっと! 何言ってるんですか!?」
私は内外共に焦っていた。
「…………戯言を……」
そう言うクリム君の顔は桃色に染まりつつあった。相棒の異変に気づかないマーディさんではなかろう。案の定、彼は束の間も与えずにからかい始めた。
「お? お? 図星か、クリム! ……俺は羨ましいぜ。年若きお前にもようやく恋人が出来たんだな
っ?」
美青年の誇らしげに立てた親指が疎ましかった。恋人という概念を当てるならば断然マーディさんの方を私は望む。しかし、それは外見のみに基づいた持論だ。
中身だけ言えば……どちらもお断りを入れるだろう。
「もう! 顔を真っ赤になんかしないでよーっ!」
こんな所は現実での鈴夜湊にそっくりだ。良く聞く赤面症とでも言うのだろうか。高校二年生でありながら友達がいない彼に恋話の耐性があるはずもなかった。
「……マーディ」
偽情報の流布を止ようとする私を余所に、最強の騎士が声色だけを変えずに口を開く。
「……お前、独身だろ」
「――ぐはぁっ!」
わざわざ擬音を口走りながらマーディさんは床へ倒れ込んだ。通常ならば打撲痕が残る転倒の仕方である。派手すぎるリアクションに私は反応をどうすれば良いか困ってしまった。
「ちくしょー! その通りだよっ。ここで銀髪サラサラのイケメンアバター引き当ててもよぉ……リアルじゃあ……結婚できねえんだ……っ!!」
――三十代のおじさんじゃあ、やっぱり難しいよね。
内心では同情しつつ、彼の今後には一切期待が持てなかった。こちらの世界で恋人を作ったりはしないのだろうか。ここ最近ではE・D内だけで付き合うカップルも多くなってきている。
「クリムよぉ……。お前はこうなっちゃ駄目だぜぇ……。その生真面目な性格のままじゃ、いつか一人ぼっちになっちまう……。出会いまで無くなっちまうんだ……」
「余計なお世話だ」
彼はもう友達もいないんですよ、マーディさん?
床に膝をつく青年へ現実を突き付けるかどうか躊躇われた。相棒同士といえど個人のプライバシーは守られねばならない。偶然場に居合わせて目撃者となっただけの私が、クリム君の内情を容易に広めてはいけない筈だ。
代わりに私はあることを思い出す。
「マーディさん。そんなに気を落とさないで下さい。貴方のファンだっていう女の子はたくさんいるんですよ」
目尻に淡い涙を身に着け、彼は面を持ち上げた。
「はい。私の友達にもマーディさんのファンがいるんです。……もし良かったら、サインをいただけませんか?」
絶望で凍えていた瞳に活気が戻ってくる。マーディさんは極端な程に雰囲気を一変させて叫んだ。
「よっしゃー! この俺もまだまだイケるってことかぁ!」
近くで大声を一身に受けたクリム君が呟く。騒がしさに追いやられてか、耳の穴を手で塞いでいた。
「余計なことを……」
「クリム! お前、何か書くモン持ってんだろ! 貸してくれっ」
既視感のある疎ましさが少年の顔に現れる。だが、彼は素直にコマンドウインドウを呼び出してペンと紙を実体化させた。
「ん」
ずい、とマーディさんに文具を押し付けるクリム君。
「サンキュー! ちょちょいのちょーい、と。ほらよ、お嬢ちゃん」
歴史を感じさせる執筆の終わりにサインが渡されてきた。感謝と共に受け取って、私は目を字面に落としてみる。図形という言葉が良く似合うサインだった。まあ、普通はこんなものか。
「明日、早速渡してきます。友達も喜ぶと思いますっ」
「そっか。急に来てくれたんだもんな。……何の恩返しも出来ないのは悪いと思ってたところだ。役に立てて良かったよ」
意外な本心に私は目を見開いた。
「い、いえ。別に今日は何の予定もないですから。私もクリム君と同じ一貫型の授業ですし……」
ね? と、壁際の騎士に同意を求める。彼は必要最低限に首を縦に下ろしていた。
――あ、でも。明日はこのサインを渡す為にE・Dの学校に行かなきゃいけないのか……。
そんな思考が過りつつ、私の夢は過ぎていった。
「――で、どうして俺が送らなきゃいけないんだよ……」
「私に訊かないでよ」
騎士団本部の基地ミッテ・フォルト。それがついさっきまで私達の居た建物の名称らしい。
悪夢に関与があると思われる人物について私はそこで証言を残してきたばかりだ。珍しいグラデーションの髪色をした少女。該当するアバターを探すことから騎士達の対策が始まるのだろう。
そして、基地からの帰路――私はクリム君と共に街を歩くこととなった。騎士団は大陸の中心部に本部を立て構えている。私達が探索しているのはそうした都会を代表する街並みだ。滅多に近づかない場所である為か、色々な光景に関心がそそられてしまう。
――うわ、あのアクセサリー高い! 流石に都会は物価が桁違いだよ……。
露天商が並べている品物の値段に目を奪われる。食指も多少は湧き上がっていた。けれども、自分のメイド服には似合わないだろうと自我が悟る。
「あ、ちょっと!」
仕方なく視線を前に戻すと、クリム君が私を置いて遥か前へと遠ざかっていた。
慌てて走り出し、その肩をがっしりと掴む。
「……遅い」
「何で私が責められるのよ。ここ、初めて来るんだもん。土地勘ある人がいなきゃ、迷子になっちゃう」
「……その時はウインドウを呼び出してマイルームに戻ればいい」
理詰めが私の立場を危うくする。クリム君が言っていることは最もだった。そもそも、その方法を使えば彼は私を送らなくて済むのである。
「マーディめ……」
現況の発端は銀髪の美青年に会った。私が騎士団本部から退散することになった途端、マーディさんがいきなり提案したのだ。
『クリム。送って行けよ』
『は?』
『いーから、さっさと行け! それとも俺とここで好みの女について延々と語るか!? 二つに一つだっ! 選べっ』
――まあ、君がそんな話を好む訳はないよね。
私は苦笑を漏らしながら彼の隣に並んだ。すると、近くにあった騎士の肩がそそくさと離れていった。
パーソナルスペースを意識しているのだろう。やはりクリム君は他者との関わり合いを不得手としていた。
「……でも、意外だったよ。君が歳の離れた男性と仲良く会話できるなんて」
「別に仲が良いわけじゃない。必要最低限に話しているだけだ」
「最低限……ね」
教室での鈴夜湊はかなりの寡黙である。私が彼のアバターを知るまでは殆ど喋ったことすらなかった。実際に自ら喋らなければならない瞬間も、学校という閉鎖空間内では中々訪れない。友達がいなければ尚更だ。
「ねえ。クリム君はいつから騎士団に入っていたの? クリム君の他にも強い人っている? こう……お金とかは……?」
好奇心が尽きない限り私は疑問を持ちかけていた。所持金が少ないという事情と退場まで暇を持て余してしまうのが勿体なく思える。世界が切り替わることに人格の変化する少年は丁度良い話し相手だった。
クリム君は相変わらず空間を詰めないままだ。
「……クリム。クリムでいいよ。君付けは……何か煩わしい」
彼が親密さに気を使った。私はその事実に改めて性格の変異を感じ取る。
「クリム君……じゃ言いにくいだろ?」
「あ、そういうこと」
「何だと思ったんだよ?」
別にー、と底意での驚きを誤魔化した口調を混ぜる。
言われてみれば、アバター名に君を付すのは確かに妙だ。それにクリムという名は何だか女の子向けだと思われた。漢字にすれば“来”に“夢”だろうか。“来夢”。如何にもE・D用に拵えた名前だ。
急にとある疑念が私を図らずも捉えた。呼び合うことにおいて私よりもクリムの方に問題点あるではないか。
「ねえねえ。そういうクリム……は、私の名前、いい加減に覚えたよね?」
「……」
閉じていた口元に力が籠るのを私は見逃さなかった。瞳も私から離れるように片方へと寄っている。かろうじて拾える音声が私の名前に通じていることは幸いだった。
「……リ……」
「お」
「……リ……ア……」
「お、お!」
後もうちょっとだ。私のアバター名はユリア。頭の一文字さえ思い出せば完璧だ。
「リア充」
綺麗に落ち着いた発言に私は絶句する。
「――何でっ!? そんな名前をつけてる人なんていないよ! どれだけナルシストなの、私!? そこまで図々しくないもん!」
「外れか……」
隣の騎士が口惜しげに舌打ちをした。
「当たりだと考える方が不思議だーっ!」
「だって俺より友達多いし……」
「君はそもそもゼロ人でしょうが! ぼっち視点で考えないでよっ!」
するとクリムの眼が刃のように細くなった。
「ぼっちで悪かったな」
彼の声に凄みが宿る。昨日のように何らかしらの琴線に触れてしまったのかもしれない。
私は思わず身構えていた。多少の距離が今だけ幸いだった。
「確かに俺はぼっちだよ……。でもな」
固唾を飲み込む感触が喉を通過する。
凄まじい威圧感が携えた鎧も擦り抜けて露わになっていた。胸中で見せかけの謝罪が浮かんでは弾けてゆく。最強の騎士を前にしてはどんな言い訳も通用しそうになかった。
重圧までも顕在化させたような空気の中。クリムはゆっくりと口を動かす。
「最近のラノベは……ぼっちが主流なんだよ」
「ああ。そういえば、昨日君が帰った後で宿題が出たんだ。範囲知ってる? ここで教えてあげようか? 順番からして……次は君に当たると思うんだ」
「……お願いします」
腰が低くなった彼に教科書のページを口伝した。数ページなので優等生の彼ならばすぐに終えられるだろう。ちなみに私は夕食前に済ませておいた。
「分かった、ありがとう。とても助かる」
率直に礼を言う彼が大げさに思えた。保健室で休んでいたなら知らなくて当然だ。
「……そういえば、今日は大丈夫?」
脈絡もない話題にクリムが首を傾げた。私もさり気ない話のつもりだった。だが、この案件が重要な機密であるとも認識する。
「お腹。……あの、悪夢にやられたトコ……」
「ああ、あれか。別にもうなんともないよ。昨日は少し辛かったけど、すぐに帰って寝ていたら大分良くなった」
――え? すぐに帰った?
「……保健室で、休んでたんじゃないの? あの一年生の女の子が来るまで」
クリム/鈴夜湊が保健室へ向かったのは昼休みの後だ。そこから保健室に掃除の時間帯まで留まっていなければ計算が合わなかった。
一年生の女の子、結那。私はあの子と掃除の最中に出会っている。彼女と湊君が会う機会はそれ以降しかありえなかった。湊君が昼休みの終わり次第に帰ったと言うならば、二人の面識という辻褄合わせが不可能になる。
私は混乱していた。何かが噛み合っていなかった。
「いや、保健室に行ったんだけど……。一人分しか空いてなくてさ。間もなくして今朝の……一年生が来たんだ。それで俺が譲った。向こうは何だか……本当に腕を痛めて板っぽいから」
「腕……」
「っと、俺はE・Dで感じた痛み……だから。厚かましいなって」
クリムの言葉は両耳に留まることなく素通りしていた。彼が嘘を吐く理由もない。きっと本当にあった出来事なのだ。
「でも、あの子……掃除の時間には、また腕を怪我していたんだよ?」
思考が駄々漏れとなっていた。ようやく事情の不一致に気づいたのだろうか。クリムが眉をひそめる。
「あの一年生が、二回も保健室に行ったって言うのか?」
――それも同じように腕を痛めて。続くクリムの言葉に私は不安を覚えた。
彼の指摘は正に的を射ている。同日に似た怪我を二回繰り返す。妙な頻度だ。偶然の一言がぴったりと輪に嵌らない気分である。
街中を通る人々の視線は私達に集中しているのだろう。しかし、彼も私も気づいた異変にしか思考を集められなかった。
意識的に私の腕を突き出す。昨日の結那が取っていた行動を再現しようと考えたのだ。
「私が会った時、こう、腕を水で冷やしてたんだ。この辺りが、点々と真っ青になってた」
脳裏に浮かんだ光景を頼りに、私は肘から手首の表面を指先で叩いた。
「床で転んだって。でも、うまく冷やせていなかったから私のハンカチを貸したの」
昼食が原因で汚れていたとまでは付け加えなかった。追及すべきは結那ちゃんの身に起こった怪我についてだ。
今朝の出来事が思い返される。彼女は私達に未練があるような顔をしていた。もしかしたら、青ざめた怪我と関係があるのかもしれない。
「……それは……へ……。……同じだ」
はっきりと表現された形容が私の心に引っ掛かった。同じ、と彼が口にしている。短絡的に聞き返すのは愚行だ。現に彼は視線を地面にぶら下げながら言葉を継ぎたそうとしている。クリムなりに思考回路を起動しているのだ。
「……俺の痛みも、同じなんだ。内出血。それと同じ痛覚だ」
彼の負傷が誰によるものか、忘れられるはずもない。黒い闇で暴れまわる悪夢。それが引き起こした現象が彼以外にも適用されているなんて。
――ま、さ、か。
最悪の予想が喉元まで湧き上がった。
E・Dの仕様上、マイルームから移動できる領域は現実での地域ごとに限られている。区別授業の生徒が通う学校もまた決まっているのだ。結那が悪夢から攻撃を受けたとするならば、タイミング的に夢での登校中が最適だろう。
クリムの黒い瞳が私の顔を見つめてきた。まじまじと凝視している為、黒の推奨には金髪を生やすユリアが映っている。
出来るだけ可愛くした顔が台無しだ。とても青ざめている。
「多分俺と同じこと考えてるだろ?」
頷く勇気は私にはなかった。犯罪プレイヤーと戦う勇ましい騎士のクリムにしか、導いた結論は語れない。
地域ごとに決定している領土に悪夢が出現した。そして、その地域は私と湊君の住む場所でもある。
「悪夢のアバターは、俺達の近くにいるかもしれない」
現実へ浸食してきた悪い夢が、私の喉元を締め付けているかのようだった。
次回をなるべく早く投稿したいと思います!