現実世界④ ”登校”
久しぶりに投稿します。なろうコン大賞に向けてどんどん更新する予定です。どうぞ、よろしくお願いします。
《現実世界/出御高等学校通学路》
鈴夜湊が茶髪の少女を発見したのは通学路の道中だった。
ユリアこと三原茜を証人として呼び出すことが決まり、彼は夢から目を覚ました。昨日の腹痛も幾らか和らいでいたので、いつも通り学校へと出かけていた。
最優先すべき事項は茜を騎士団本部へ誘い出すこと。その為には現実で直接話しかけなければならないのである。
「……なんで、今日に限って……」
湊より少し手前を歩く少女を見つめる。肩甲骨の辺りまで流れる茶髪が周囲から浮き彫りになっていた。滅多に見かけない色合いである故に本人である可能性は高い。
彼女と湊の距離が少し遠のいた。迫りつつある苦行に足の歩幅が擦り減ってしまったのだ。彼の視野も自ずと地面に寄りかかってゆく。少女の背中から多くの靴へと湊の視野は傾いた。
「おはよー」
ふと、茜の声が彼を激しく打ち震わせた。
「っ」
彼の顔が慌てて正面を向く。朝の挨拶を口にした茜の隣には二人と全く同じ制服を着た少女の姿があった。彼女たちは互いに顔を合わせ、笑っている。
湊が安堵の息を吐いた。他者の存在を気にする通学は彼にとって初めてのことだ。予測できない干渉が湊の感情を揺さぶっている。
「…………何やってるんだろ」
ぼそり、と独り言が飛び出る。
「じゃあねー、茜」
「うん。また後でねー」
隣を歩いていた女子生徒が彼女から離れていった。
今だ、という小声を皮切りに湊は歩を速める。彼と彼女の間には人溜まりがあった。だが、湊は自分の速度を緩めずに集まった障害物をすり抜けてゆく。
ついには茜の真後ろへと到着した。
「ぁ……」
彼女の背後で湊が声を詰まらせた。
昨日よりも曇りがかかった陽光が少年の横顔を照らす。それに応じて茜と湊の影が強く浮かび上がった。
林檎を連想させる色合いに染まる頬。鈴夜湊の顔が発する熱は太陽の影響のみを受けてはいなかった。
「ん?」
彼の全身に緊張が走った。目の前で茜が何かに気づいたように首を動かしたのだ。
「あ、あの……っ」
震える語勢の呼びかけが響く。
小柄な女生徒が茜の正面で立ち尽くしていた。待ち伏せていた人物を捉えた茜は立ち止り、湊も後を追って歩みを停める。
全生徒が通過する電柱の傍に少女は居た。人通りが多い校門近くということもあり、肩がぶつからないよう身を潜めている。
「これを……返しに……来ました」
背を丸めつつ、少女は手に持った布を茜へと突き出した。
「昨日の……。別に返さなくて良かったのに。どうせ安物だし」
「い、いえ……。とても、助かりました……。ありがとう、ございます……」
深々と少女はお辞儀した。ありがとう、の一言と共に茜が黄色いハンカチを受け取る。
――湊の視野に少女の小さなお下げが飛び込んだ。目を瞬かせ、彼は改めて小さな女生徒を凝視する。
二年生より下の学年。湊と茜の後輩と思しき雰囲気の少女である。下げた頭を戻した後も少女の態度は何処か初々しかった。
「あ」
湊の顔を認識した少女が口を開く。
「せ、先輩も……昨日は、ありがとう……ございました……」
お下げを括った頭が再度降ろされた。繰り返されたお辞儀に茜は首を傾げたが、すぐさま己の後ろに立っている湊へと顔を向ける。
「あ、湊君? おはよう」
「お、お……は」
彼のしどろもどろな挨拶を遮って、茜は尋ねる。
「……君の知り合い?」
彼の首筋に数滴の汗が流れ始めた。火照った頬も相まって、ワイシャツの襟がじんわりと重みを増す。
湊が咄嗟に取ったのは首を横に振る動作だった。
「それもそうか。……じゃあ、どういった関係なの?」
あっさりと納得した彼女の様子に湊は顔を少し歪めた。しかし、彼は続けて反論を口にしようとはしなかった。ただ、気まずげな目線が少女に対して表れている。
「えと……、その……。昨日、保健室で会ったんです……」
女生徒はおずおずと手振りを加えながら事情を説明した。
「ああ、そっか。あの後、保健室に行ったんだね」
こくり、と少女が頷く。
「それで、どう? 腕の怪我は良くなった?」
「っ」
少女の全身が急に強張った。
制服に覆われた片腕の肘を引き寄せるように掌で覆う。上半身に沿って密着した少女の腕が微かに震えているのが湊と茜にも見て取れた。
「…………ぅ、あ……」
何かを形にしようと、少女は逡巡の奥底に嵌ったような顔を作る。
「……」
湊は眉を小さく持ち上げる。
言葉にならない時間が彼らと後輩の間で流れる。戸惑いという氷塊にひび割れの兆しが芽生えようとした。周囲の光景と音響が優先されなくなる。
「ゆーいーなーちゃーん!」
がばっ。
何者かが少女の背中に抱き着いた。衝撃に抗いきれない体が前へ倒れようとする。寸でのところで、お下げの少女は一歩を踏み出して転倒を阻止した。
「おはよ、結那ちゃん」
良く通る声音だった。登校中である大多数の生徒を振り向かせる軽快と明るさが籠ってもいる。少人数を省き、微笑ましいやり取りだと皆の眼差しが和らいだ。
「……お、おはよ……う。捺祇さ……ん」
緊張が冷めやらぬ顔つきで少女は後ろを振り向いた。
少女を結那と呼んだ捺祇もまた一年生の女子だった。丁寧にウェーブがかかった後ろ髪が踊る様に跳ねている。結那の首筋に両腕を巻き付けて戯れているのだ。
「あーもう。もっと、テンション高くいこーよー」
「う、うん……。ごめん……なさい……」
結那は言葉とは裏腹に面を俯かせた。低空へと少女の覇気が落ちてゆく。
「ダメじゃん! もっと明るくしよーよ、ね?」
首元に垂れていた捺祇の片腕が結那の頬へと伸びた。日光に弱い白色の頬が整った指先に挟まれた。
捺祇は少女の柔肌を摘んだまま大声を上げる。
「やーん! 結那ちゃんのお肌はやっぱり柔らかーい!」
結那が困惑の声を漏らした。
「ぅ……」
明朗とした二人の後輩に茜は呆然としている。額に掌を当て、早朝からの高揚な和気藹々を受け止めようとした。
「二人は……随分と仲が良いんだね」
満面の笑みが即刻茜へと返された。
「はいっ! 結那ちゃんは私の最高の友達ですから! って、そちらは……?」
爛々と輝いた虹彩が茜と湊を比べ見た。若干、後続の湊が眺めに注視される。捺祇は特に変化を来たさなかったが、彼の発汗には発破がかかった。
「先輩達こそ……結那ちゃんとはどんな関係で? まさか結那ちゃんが……迷惑を?」
「ち、違うよ。私も湊君も、昨日少しだけ知り合った仲だよ。……結那……さんは何もしてないってば」
危うく曲解されかけた事実に茜は否定の意を表す。
「…………うん」
湊も力なく彼女を肯定した。
「おっと。そろそろ行かないとね、結那ちゃん。じゃあ、先輩方、私達はこれで失礼します!」
徐に右手の手刀を額に掲げ、捺祇は先輩である女生徒に敬礼の体勢を取った。
「あ――」
ウェーブがかかった毛先が舞い上がり、結那のお下げと一緒に背面を見せつけた。直後、二人は駆け足で昇降口へと走ってゆく。時折、愉快そうに捺祇が結那のほっぺたを摘まむ場面が繰り返された。そんな小さな動作に茜は笑みをこぼした。
「ああいうふざけ合える友達って何か良いよね。君にもああいう友達はいる?」
彼女の問いかけに湊が重い沈黙で返した。答えが音を持って模られたのは暫くした後のことであった。その間にも捺祇の笑い声が未だに反響している。
「い…………。…………いない」
「ごめん。変なこと訊いて」
後輩が去ったことで二人の会話は途切れた。湊は合間を見計らって元からの予定を果たそうと唇を開く。茜ことユリアを騎士団本部へと誘う話だ。
「み、三原さん」
「湊君。あの子のこと、覚えていないでしょ」
最大限の勇気を振り絞った言い出しが掻き消された。湊を振り返らない彼女の雰囲気は何処か諦めが漂っている。少年の絶句が更なる拍車もかけた。
「……見おぼえ……だけはあるよ」
「はあ」
茜の溜息に湊が顔色を暗くした。人の顔を全く覚えない少年。そのような人物の誘いが彼女に降りかかろうとしていたのだ。
「少しは直した方がいいよ、それ」
「…………はい」
通学路のコンクリートに浮かぶ影の片方が縮んだ。萎縮する彼は反省の気配を見せるだけで、それ以外の要求には気付けなかった。
茶色の髪を指で押しのけ、茜が視線だけを湊へ注ぐ。
「それで? 何か用があるんじゃないの?」
少年が何度も求めていたきっかけを、彼女は容易く口にした。
深紅色の夜想曲という作品も投稿しています。そちらもぜひ読んでみてください。そろそろお話が急展開になってゆきます。