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最果てのコーダ  作者: 濱野 十子
一章 糖蜜花と人造人間
7/8

6

 車椅子の前に跪いたサラバントは、フィーネの細い足をがっちりと包んだ編み上げブーツの紐を丁寧に外して行く。

「また、軽くなりましたね」

 ブーツを脱がすために持ち上げた足は、あまりに軽い。目に見える変化に、サラバントは苦い吐息を零した。

「じっとしていたところで、劣化は止められません。分かっているでしょう、サラ。どんなに足掻いたところで、無駄なことだってある。わたくしは、もうすぐ壊れるわ」

 サラバントは立ち上がって、フィーネの、柔らかい髪を掬い上げた。

 菓子人形にしては柔らかく滑らかなフィーネの巻き毛は、口に含んだところで他の菓子人形のように溶けてなくなったりはしない。

 正真正銘の毛髪を整えるよう、サラバントは優しく撫でる。

 細く、美しい髪。

 手に絡みついてくるようなしっとりとした質感は、サラバントにとても懐かしい感情を思い出させる。

 肌の色さえなければ、フィーネはもはや人間と変わりない存在と言えるのかもしれない。作りものとは思えない感情表現は、人間が楽園に残していった罪だろう。

「お願いです、マスター」

 サラバントはフィーネの頬をそっと掴み、上向かせた。作りものの瞳を、じっと見据える。

「俺を拒まないでください。人造人間は、主人に仕えてこその存在だ。貴女がいなければ、俺は存在の意味を失ってしまう」

 獣を模した耳も尾も、人間と混同しないようにと敢えてつけられたもの。従属する存在であることの、証明だった。

「ねえ、サラ。わたくしは、人間じゃないの」

「それでも、貴女は俺のマスターだ。主であるべきなのです」

 フィーネは小さな唇を噛み、程なく、肩の力を抜いた。

 そっと漏れる吐息は、落胆の色を滲ませているようだった。だが、サラバントは無視を決め込んで、足元に置いていた背負い袋から、女の脚を取り出した。

「上質な素材を、手に入れてきましたよ。これで、しばらくは、歩くのに不自由しなくて済みます」

 なかなか動こうとしないフィーネに肩を竦め、サラバントは丈のあるスカートの裾を捲り上げた。

「な、何をするの!」

「お許しを、マスター。貴女の劣化は、止められない。わかっています。けれど俺は、貴女を見殺しにすることなど、できない。絶対に、です」

 露わになった太股の、見ただけで分かるほどのざらりとした質感に、サラバントは苦々しく奥歯を噛みしめた。

 硬化症だ。

「脚だけでは足りないが、使えそうな欠片を採集してあります。加工すれば、代用品として付け替えることができるでしょう」

 サラバントは背負い袋から、ばらばらに砕けた菓子人形の残骸を取り出して行く。 不安げなフィーネに、心配はいらないと微笑み返す。

「ご安心ください、元通り、綺麗に形成してみせましょう。幸いにも、リトミック博士が残した菓子人形用の器具は、欠けるものなく揃っています。マスターも、よく知っているはず。心配するようなことは、一つもないんですよ」

 白い頬を撫で、サラバントは専用の器具を床の上に並べていった。

「ねえ、サラ。どうして、あんな嘘を言うの?」

 薬液の入った瓶を取り出し、注射器の針を差し込む。部分的に神経伝達を遮断する、いわば局部麻酔だ。

「嘘とは、どういうことですか?」

「人間のことを知らないと、あの子に言ったでしょう」

 震えを止めようというのか、たくし上げたスカートを掴む手が強ばっている。

 サラバントはその手をそっと撫で、薬液で満たされた注射器の針を太股にあてがった。

「知らないのではなく、記憶に残っていないのです。政府組織のデータベースにある資料の内容で良ければ伝えられますが、コーダ様が求めているのは、誰もが知っているような情報ではないはず」

「ねえ、サラ。本当に、忘れてしまったの? あなたの思い、あなたの本当の……」

「やめてください、マスター。人のように、俺に問いかけないでください。答の用意されていない質問は不愉快だ」

 フィーネの追及を退けるように、針を太股に埋め込んだ。

「〈エヴァジオン〉を維持するための道具であることが、俺の存在理由です。マスターが言う感情というものは、ただのプログラムであり、指定された反応でしかない。人間は俺たち道具の創造主、従うべき神であって、それ以上でも、それ以下でもない」

 一般化された情報以外のこと、主観を通した場合の人間の姿を思い出そうとすると、とたんに、思考に霧が掛かる。

 ぼんやりとした形はあっても、細部までは語れないのだ。そう、だから知らないのだと、忘れてしまったのだと、サラバントは結論付けていた。

 忘却の湖に凝りの全てを投げ込めば、腐って膿んだような痛みがとたんに軽くなるのを感じていた。

 楽になれる。

 だからそっとしておいて欲しい。触れないでおいていたかったのだ。

「何も感じないの? 本当に? なら、わたくしの姿は……この金色の髪には何の意味があるの? ねえ、サラ!」

 フィーネが、車椅子から身を乗り出した瞬間、車体が大きく軋んだ。

 警報が鳴るよりも早く、〈エヴァジオン〉のシステムと連動しているサラバントの感覚が、猛烈な熱源の爆発を感知した。

「地上に、長くいすぎてしまったようですね」

 オレンジ色になるまで焼けた鉄塊を孕んだ黒煙が、車窓に向こう側を朦々と流れて行く光景が見えた。


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