第弐記録
◆◇◆◇◆
『なあ、姉さんは何か叶えたい願いってあるのか?』
『今は先生でしょ洸ちゃん。でも、いきなりどうしたの?』
白昼の夢、白昼夢。別名をデイドリームと呼ぶ。フラッシュバックとしばしば勘違いされる言葉であるが、実際に意味は異なる。
『いいから教えてよ』
白昼夢は目覚めている状態で見る現実味を帯びた非現実的な体験や、現実から離れて何かを考えている状態に対して、フラッシュバックは過去に体験した出来事を思い出している状態なのだ。
つまり、似て非なる存在。
だから、俺が今見ている映像は過去の記憶の一部と分かっているために記憶のフラッシュバックと言えるのだろう。
『そうね、私は――――になりたいかな』
◆◇◆◇◆
☆
「おーい、起きろよ。起きないと顔にラクガキしちまうぞー」
頬つつかれる感触。眠い、まだ眠っていたい。何だよ、もう少しで忘れてしまった何かを思い出せそうなんだ。まだ授業開始のチャイムは鳴っていないんだから眠っていてもかまわないだろう。
両手で耳を塞いでささやかな抵抗をする。
「寝てるのか起きてるのか微妙な反応だな……ま、いっか」
声が遠ざかる。夢の続きを見ようと試みたが、どうやら完全に脳は覚醒に近づいてしまっているようなので断念し、ぼんやりとした意識のままに身体を起こす。
視界がおぼつかない。分かることと言えばやわらかいものが頭の下にあるということだけ。
えっと、俺は何をしていたんだっけ? 呆けているうちに、思考が追いつく。
昼食を急いで食べて、いつものように昼寝をするために中庭の一角にあるベストプレイスに来た。
そこまで思い出したところで完全に目が覚める。だが、身体は跳ね起こせなかった。
「わわ、洸ちゃんったら大胆ね……別にお姉さんはかまわないけどね」
状況を把握するために声と記憶を一致させる。この声は間違いなく姉さんのもので、昼寝に入る前の俺はぽかぽか陽気に当てられてうとうとと眠ってしまった。
結論、どうやら俺は姉さんに膝枕をされているらしい。
「どうして姉さんが膝枕なんてしてるんだよ……?」
「洸ちゃんが寄りかかってきたから久しぶりに膝枕しちゃいたくなってね」
木々の間から木漏れ日が覚醒寸前の脳の覚醒を妨げる。
「俺が……姉さんに?」
「うん。それに、洸ちゃんの寝言も聞いてみたかったしね」
「俺……何か呟いてた?」
いまいち思い出しきることの出来なかった夢の内容を補完させるために、恥を忍んでまで姉さんに尋ねる。
「教えてとか、何とかって呟いてたけど……どんな夢見てたのかなー?」
だが、返ってきた言葉は期待していたものとは全く違うものだった。しかも、その表情は何を勘違いしているのかニヤニヤしている。
「いや、なんでもないよ……」
「うん、知ってる」
「はぁ……姉さん、知ってるなら茶化さないでくれよ」
「それも分かってるわ。けどね、こうして膝枕をするのも本当に何年ぶりかしらね………」
姉さんの膝の上から見える双丘、そして線の細い顔が木漏れ日の逆行によって眩しく照らされている。
「なあ、姉さん……そろそろ解放してくれないかな?」
そして、両手で頭を固定されているために起き上がることすら出来ない。
「あ、ゴメンゴメン。懐かしくってついね……」
「……別に、いいよ。姉さんの膝枕、嫌いじゃないし」
「ふふ、お姉ちゃんに気を使うなんて洸ちゃんも本当に大きくなったんだなぁ」
思い出すように呟かれた姉さんの言葉とともに、俺の頭は姉さんの手から解放される。
俺は自分の手で木漏れ日を受け止めながら身体を起こす。
「姉さんが思ってるほどに俺は大人じゃないよ。まだまだ子供だ」
「えー、でもぉ……洸ちゃんのナニは十分大人な反応をしているみたいよ♪」
シリアスをぶち壊すこと数秒。姉さんは俺の股間の辺りをまじまじと見つめながら再びニヤケ始める。
「……怒るよ」
「怒っちゃだーめ。うん、お姉ちゃんも悪かったから機嫌直すの。分かった?」
姉さんの指先が俺の額に触れる。
その手はひんやりと冷たく気持ちよかった。
「……分かった」
「それじゃ、教室に戻る?」
姉さんはぐっと背伸びをすると、教室を指差して俺に微笑みかける。
「そう……するかな。そういえばさ、ナギは?」
「ナギ君なら洸ちゃんの顔にラクガキ使用としていたけどね、従者のエリーナちゃんに連れて行かれちゃったわよ」
「……従者って何なんだろう」
姉さんに聞こえないような声でぼそりと呟く。
「え、何か言った洸ちゃん?」
そんな言葉を背に受けながら、俺は中庭から教室に戻っていった。
☆
「今日の午後の授業は実習だってさ。今日もうじゃうじゃ来るんじゃないのか……決闘相手がさ」
そういって、ナギの手が俺の肩に乗せられる。
「随分嬉しそうだな、ナギ……」
「だってよ、お前の決闘相手が女子生徒だったら貴重なパンチラが拝めるじゃんかよ」
ナギのぐっと立てられた親指を俺は無言で握ると、本来曲がってはいけない方向に少しずつ押していく。
「こ、洸。親指がいけない方向に曲がっていくんだけど……いで、いでででで!!」
「友人を売ってまで女子生徒のパンチラを拝みたいのかよ?」
「見たい! だって、エリーナのパンチラ見てもお父さんの気分になるんだぜ?」
ナギの言葉にエリーナは派手なリアクションをとっていじけ始める。
その姿は雨の日にダンボールの中に捨てられた子猫を見つけたときの可愛さを彷彿させる。
「取り合えずだ……俺がお前に決闘を挑んでやろうか?」
「あー、無理無理。俺じゃどう考えてもお前に勝てねぇもん」
ナギは大げさに手を振って意味の無さを伝えてくる。
「その心は?」
「従者、主ともに劣っているでしょう。そもそも、俺とお前の関係は当の昔に決まってんだろ」
「……でもな、姉さんの力に頼って決闘に勝つ俺の姿って滑稽だぜ? せめて相応の実力をつけてだな―――」
その瞬間だった。
「だったら、僕とだったら決闘してくれるって訳だよね」
九代目玉藻を隣に、シグが俺の肩に手を乗せる。
「はぁ、どうして突然お前が洸に決闘を挑むんだよ?」
「魔術師たるもの、互いに高みを目指せって言う校訓があるから……で、いいんじゃないかな」
「嫌だ、却下。俺は戦いたくないね」
「だったら、言い方を変えるとしよう。僕、シグ・フレイマーは、今神洸及びその従者天音に決闘を申し込む」
それは、この学園における学園長が考えた正式な決闘の申し込み方法だ。それも、同ランクの相手に対する最高の礼儀に当たる。
「それは本気なのか?」
「そうなるよ」
「従者も……って聞くまでも無いか。分かった、ルールはどうする?」
シグの淀みない視線に俺は了承の意を示す。
魔術師として魔術師に決闘を挑むのならば、従者の介入は極力控えるべきだと俺は思っている。魔術師の中でも召喚術師のような者は別として、魔術師同士の決闘はお互いに隠し続けた秘術を存分に発揮して死力を尽くし、戦い抜くことが礼儀だからだ。
「洸。君の言いたいことは分かっているつもりだよ。勿論、従者の介入は無し」
「了解。場所は校庭で……いや、第二演習場でいいか?」
第二演習場とは、この学園に存在する数ある闘技場の別名である。ここを含めて六部屋の演習場が存在しているのも別の話だ。
「良いのかい、あんな障害物の少ないステージで?」
「公平な条件でこその決闘だからな」
俺がそこまで言った所で、姉さんが口を挟むように言葉を放つ。
「悪いけど……玉藻、蒼香ちゃんが手を出してきたら私も遠慮はしないわよ」
少し棘のある声で、姉さんはシグを威嚇するように睨み付ける。
「流石に‘六大始祖’に蒼香ちゃんが敵うかどうか……」
それに対してシグは流れる雲の如くの対応で軽く受け流す。
けど、姉さんがこんなことを言うなんて珍しいな。
「‘六大始祖’の番外位の一人を引き連れてよく言うわね……」
「安心してください。私は貴方が手を出さない限りは力沿いなどしませんから」
姉さんの視線を一身に受けていた九代目玉藻・蒼香は微笑みながら言葉を返す。
その瞬間、俺は疑問に思っていたことを姉さんに尋ねた。
「なあ姉さん、番外位ってどういう意味だよ?」
「言葉の通り、始祖の一角には数えられていないけど‘六大始祖’に最も近い位の者のことよ」
「なっ!」
「気をつけなさいよ洸ちゃん。ワタシが言うのもおかしな話だけどね……」
俺が姉さんのこんな顔を見るのはいつ以来だろうか?
記憶を遡って探してみても、こんな顔をしているのは数えるほどにしかない。
その記憶のどれもが、俺の命に危険があったときだけだ。
―――もしかして俺……結構ピンチ?
「じゃ、僕は学園長を呼んでくるから先に待っててくれるかな」
「あ、ああ」
こうして、あの決闘から初めての正式な決闘が決まった。
俺は思う。この戦いは決闘に勝つという意味に気がつく為に、シグが与えた試練ではなかったのかと……