プロローグ・登校
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と言うわけで、翌日、当然のごとく通学中の俺の隣には姉さんが並んで歩いていた。
別に不満があるわけではない。姉さんは従者として最高ランクの従者に当たる‘始祖の悪魔’に格付けのされるほど実力者である。
それに比べて俺ときたら、魔術を学ぶ身でありながら体術ばかり上達しているという現状である。おおよそ人間の到達することのできる最高のランクまで体術だけは昇華させた。だけど、それじゃダメなんだ。
別に武道の達人になりたい訳ではなかった。本当は魔道を極めたかった。
しかし、俺は魔道師に至ることはできずに魔術師止まり。他の人間より優れている事と言ったら体術だけと来た。
魔術師は決して魔道師に勝つことはない。この世の中に広がる常識のような言葉。
だからこそ俺は、一人の魔術師としてその常識を覆したい。
「だからこそ、俺は正当な評価を与えなかった奴らを見返してやるんだ……」
「確かにその決意は立派だと思うけど、社会の窓が全開よ……洸ちゃん」
けど、それよりも先にこの恥ずかしい出来事を現実から消し去りたい。
「べ、べべ、別に知ってたからな!」
俺は急いで全開になっているズボンのチャックを閉める。
「はいはい、分かってるわよ……。それにしても長い坂道ねぇ」
姉さんはそんな俺の言葉を華麗にスルーしながら、通学路である、通称‘魔術師殺しの坂’を見据える。
「なんたって、通称が‘魔術師殺しの坂’だからね」
何故この通称で呼ばれているのかといえば、答えは単純なことである。魔道師には出来て、魔術師には出来ないことがあるからだ。
それは飛行魔術である。
魔道師の第一歩として試されることが、この通学路にある坂道を飛行魔術で楽々通学することである。
入学式の時には既に優劣がはっきり分かるという鬼畜な通学路であると言うことはつい最近知ったことだった。
「そういえば洸ちゃんって飛行魔術が苦手だったねー……」
「俺は姉さんみたいに何でも出来る人とは違うんだよ」
昔のことを思い出しながらと言った風に呟く姉さんに対して、俺は八つ当たり気味に言葉を返す。
「あら、ワタシだって‘始祖の悪魔’に数えられる前は洸ちゃん位にしか魔術は使えなかったし、もしかしたら洸ちゃんよりも弱かったのよ」
それに対して姉さんは空に流れる雲のように、自由気ままな感じで答えた。
正直、俺には一生かかっても出来ない生き方だと思う。それに、稀に羨ましいとも思っていた。
「嫌味にしか聞こえないよ……姉さんがそれを言うのはさ」
だから俺は少し拗ねた様に言葉を返すことしか出来なかった。
「ま、洸ちゃんはワタシを召喚して従者にしたんだから自身を持ちなさいな。そうじゃないと従者として一生、洸ちゃんのことを主だと思う日が来なくなっちゃうから」
そんなこんなで俺と姉さんは約三十分後に校舎に到着した。
ちなみに本当に余談ではあるが、この学園には学年に五つのクラスが存在する。
A組、魔法使いに属する生徒が集まるクラスである。
B~D組、主に魔道師に属する生徒が集まったクラスである。
E組、魔道師にすら至ることのできなかった生徒の集まったクラスである。
つまり、何が言いたいのかと言うと……、俺はE組の住人であるということだ。
そんなクラスの一番後ろにある窓際の席が俺の席である。
「お、今日はお前が二番か洸……。 って、お前の隣にいる綺麗なお姉さんは誰だよ?」
そして、たった今声をかけてきた陽気な男は笹宮凪である。
クラス内での呼び名はナギだ。
「よ、おはようナギ。この人は昔、俺の専属の教育悪魔だった天音姉さん。で、今は何の因果か俺の従者になった」
「は? 天音って、あの‘六大始祖’の一角の天音か?」
ナギの冗談だろというような驚きの口調に、俺が答えるよりも先に姉さんは口を開いていた。
正直な話、これが俺と姉さんの学園記録の始まりだったのかもしれない。
「ふふ、よく知っているわね。お姉さん嬉しいなぁ」
姉さんの言葉に、ナギはわなわなと身体を震わせながら小さく呟く。
「…これで……」
その声は聞こえるか聞こえないか微妙な大きさの声だったが、次第に大声に変わっていた。
「魔術師が魔道師劣るっていう理屈は覆せるぜ!」
その声は教室だけではなく、学園中に聞こえるほどに大きな声だった……のだと思う。
だから集まってくるのだ。格下のものを馬鹿にする嫌味な連中が。
「へぇ、落ち零れのE組の生徒が何を騒いでいるかと思えば……」
「魔術師が魔道師に勝つ? とんだ笑い話に過ぎないよ」
そんなことを好き勝手に言いながらE組までわざわざ来た人物は、魔道師学級の中でも上位魔道師に位置するB組の中でも有名なウザさを誇る鳴神兄弟だった。
もちろん、そんな安い挑発にナギが食って掛からないわけはない訳で……
「はん、お前らみたいな魔道師なんて血統に物を言わせた親の権威を振りかざしてる哀れな人間じゃねーか」
その言葉を待っていたといわんばかりに鳴神兄弟の目がいつもの如くきらりと光るのだ。
「じゃあ、校則に則って決闘でけりをつけようじゃないか。魔術師」
「やってやるよ、俺の代わりにこいつがよ!」
その瞬間、俺の背中にナギの掌が打ち付けられた。
………打ち付けられた?
「……は? 何で俺が決闘なんてしないといけないんだよ!?」
しばしの思考停止の後、俺はナギに怒鳴るように言い返す。
「えー、お姉さんも洸ちゃんの成長振りを少し見たいなぁ」
「何を人事みたいに言ってるんだよ姉さん!?」
だが、それに対して言葉を返したのは姉さんで、あまつさえとんでもない事を言ってくれた。
「だって、そこの二人って私から見れば洸ちゃんより実力は下よ?」
「なっ、何言って――――」
―――そんなこと言ったら本気で俺が魔道師二人と戦うことに……
「へぇ、君の従者は随分と面白いことを言うね……。決めたよ、君には僕たち二人から正式に決闘を申し込むよ。それで思い知ると良いさ、自分の従者がどれだけ無知なことを言ってしまったのだとね」
二人の声が重なって聞こえた。
「なっ、待ってくれよ。気を悪くしたなら謝るからさ、な?」
「いいや、常々思っていたんだ。この学園に魔術師なんて存在を教育させるような金を使わせるのは勿体無いってさ」
俺の言葉は結局、鳴神兄弟に聞き入れては貰えなかった。
時既に遅し。いや、この場合は覆水盆に返らずの意味のほうがどちらかと言えば合っている気がする。
そもそも、とばっちりもいいところだ。本人の意思に関係なく、勝手に決闘を申し込まれるなんて……。
「そんなに落ち込むことないでしょ、洸ちゃん」
そんな極度に落ち込んだ俺の背中を、姉さんはバシッと一回強く叩く。
だけど、返す言葉が何一つ思い浮かんでこなかった。
「ま、洸。俺はお前が勝つって信じてるからよ」
いい笑顔で親指を立てているナギの指を見て、俺は力なく呟く。
「なんだ、その指をへし折ればいいのか?」
そもそも、絶対に姉さんは決闘の意味を分かっていない。
この学園における決闘では、勝者は敗者への強制執行権利を契約書によって奪い取ることが出来る。
酷い場合は即刻自害を要求されたりと様々合ったらしいが、今は契約書規定によって最低限の人権と生命活動を守られているが、それでも従者に対する強制執行とは異なって、対象者に対する拒否権は与えられない。
つまり、契約書が存在する限り脅えながら生活をしなければならないということになるのだ。
それをよりにもよって、あの鳴神兄弟二人に決闘を申し込まれるなんて……
「たぶん、あの学園長は笑いながら許可を出すんだろうな……激しく鬱だ」
再び小さく呟くと、姉さんが俺の肩に手をポンと乗せるように何回か叩いた。
「大丈夫、いざとなったらお姉さんが助けてあげるから」
「つまり、それまでは自力で死ぬ気で戦えと?」
否定して欲しかった。
けど、姉さんはサディスティックな笑みを浮かべて頷いた。
「そ、いざとなったらね」
「強制執行を使って無理矢理戦ってもら―――」
そこまで言いかけたところで姉さんは妖艶な笑みで答えた。
「洸ちゃんの魔力じゃそこまでは無理よぉ。ふふ、とりあえず頑張ってみれば良いじゃないの」
俺は返す言葉を完全に失い、茫然自失のまま姉さんの言葉に頷くことしかできなかった。
「ま、俺も応援には行くから安心しろって」
その時の俺はまだ、本当の意味で姉さんの主にはなれてなんかいなかったんだ。
今だからこそ言える。
姉さんは俺のことをいつでも一番大事に思ってくれていたんだって。
◆◇◆◇以下の単語が記録書に追記されました◆◇◆◇
社会の窓
Gパンや制服のズボンの股間のあたりについているチャックのついた窓。閉め忘れたりすると非常に恥ずかしい。
魔術師殺しの坂
洸の通う学園の通学路にあるとても長い坂道。魔術師は飛行魔術を使えないために、歩いて学園に登校するしかない。鬼畜だと思われる。
始祖の悪魔
魔界の悪魔の中でも最高峰の悪魔。とにかく強い。
六大始祖
魔界において、魔王制が廃止された時に決められた魔族の頂点に位置する者たちの総称。七大罪から傲慢を外した六つの大罪に当てはめられる。天音は現、色欲の始祖
笹宮凪
洸のクラスメイト。あだ名はカタカナでナギ。ブレーキの壊れたレーシングカー
鳴神兄弟
学園の魔道師の頂点に君臨している魔道師。性格が捻じ曲がっているために魔術師、魔道師ともに評判はよくない。
◆◇◆◇記録中◆◇◆◇