第捌記録
非常にややこしい事態になってしまったとだけ言っておこう。
「だからそれをお願いしに来たって言ってるでしょ!? 頭だって下げてんのよ? 少しくらい取り合いなさいよ!」
そう怒鳴っているのは姉さん、色欲の始祖だ。
「頭ってのは偉い人が下げてこそ価値があるのよ? それを分かっているのかな色欲の始祖さん?」
それに対して全く取り合う気が無いというのが丸見えな【災厄の言葉】、別名・パンドラワードと呼ばれる爺と同じ六賢者時代の魔法使い、来瀬瑠璃だ。
「そもそも、貴方は誰の許しを得てこの場に立っているんですか? 此処は幾数の多重結界で外界から遮断された世界ですよ?」
「それは……憤怒の始祖がアンタを尋ねろって言ってたから」
「答えになっていませんね、色欲の始祖。 貴方は誰かの言葉で何かを決定するしかない小さな存在でしかないのですか? そこに自分の意思は無いのでしょう? だったら私は貴方と話す言葉は持ち合わせていませんよ」
「くっ……、意思ならあるわよ、他の誰でもない、自分の為に」
論破されかけていた姉さんがそう答えると、言葉の魔女は鼻で笑ってその目を見つめる。
「な、何よ?」
「その言葉、嘘ではないようね」
「だから何だって言うのよ!」
「あらあら、逆ギレとはそれでも一女性ですかぁ? 椿がいたら粛清されちゃいますね」
「椿って誰よ!?」
どこか遠い場所を見るように言葉の魔女は姉さんの顔を見ている。というよりも、さっきよりも口調が人を小馬鹿にしたように聞こえた。
「それと、そこの……(ぷちっ)」(ええい、さっきから五月蝿いですね、私はあいつを「【隔絶】」する)
言葉の魔女は何かを言っているであろう姉さんの声をまるで聞こえていないかのように、俺のほうを向いて言葉を紡ぐ。
「確か今神の爺の孫だったはずですよねぇ?」
そのあとに小さく言葉の魔女は、確かに【】を言葉にした。
「あ、そうだけど……それがどうか―――したぁ!?」
「ふむふむ、なるほど……貴方、なかなか面白い技能を持ってるじゃないの」
おそらく災厄の言葉が【】のなかに当てはめた言葉は「解析」の二文字。
たったそれだけでSF映画のように何もなかった空間にモニターらしきものが表示される。
「へぇ、小さいころにそんなこともあったのね」
彼女が読んでいると思われる一文に目を向けると、そこには自分の記憶の中から薄れ去ってしまっていた、それでいてとても大切なことが書かれている。
『幼少期に原因不明の病気を患い、天音姉さんが旧色欲の始祖を引き継ぎ、人間から悪魔になった』
絶対に忘れてはいけないはずなのにどうして忘れていたんだ……記憶の封印術なんてうちの爺でもやろうとしない高度な術だ。
もしそんなことができるとすれば六代始祖か六賢者の災厄の言葉かシグ・フレイマー………。
「アレ……?」
どうしてシグが思い浮かぶ?
アイツは俺と同じ魔術師だ、魔術師レベルの人間じゃ記憶の封印なんてできない。じゃあなんであいつの名前が出てきた?
「―――が、なって、―――になっているのね。 なかなか興味深いわね」
「へっ!?」
「いいえ、こっちの話だから気にしないで頂戴。うん、そろそろあの騒がしい色欲の始祖が私の『言霊』を破ってくる―――」
瞬間、何もなかった空間からガラスが砕け散るような音がしたかと思うと、やけに静かだった空間が騒々しいものに変わった。
「アンタ……いったい何したのよ? 魔術的要素も、魔力を練った様子もなしに空間を隔離するなんて」
「私はただ呟いただけですよ、色欲の始祖さん?」
「呟いただけで始祖である私を、一時的にでも切り離すなんてありえな―――」
姉さんがそこまで言った辺りで、災厄の言葉は人が変わったかのように姉さんの言葉をさえぎってこう言った。
「在りえないなんてことは有りえないわ。 そんなことは貴方が一番わかっていなければならないことよ」
「なっ」
姉さんはその言葉に気圧されたのか、その口を紡ぐ。
「大体ね、私たちは常識の外にある存在。それは貴方も例外ではない、人間がその身を悪魔に変えてでも始祖になるように、もしかしたら別の世界から、いわゆるパラレルワールドからこの世界に偶然来たってこともあるの。それを自分が知らないというだけで有り得ないといっているなら片腹痛いわ」
「貴方何をいって」
「そもそもの話、ヴィシャスはどうしてこんなめんどくさいことを私に押し付けてくれたのかしら……確かにアイツは(ぶつぶつ」
ん?
「ヴィシャス? 随分親しげに憤怒の始祖のことを呼んでいるけど……」
「とりあえずアイツに純粋に勝負しかけても負けちゃうし……アレンに頼んでみるかな」
あれ? 聞こえていない?
「ああ、それと色欲の始祖。貴方の願いを私の言霊、いえ、呪詛ではどうにもできないわよ? 私のは現実を捻じ曲げてるだけだから、本質的には何も変わらないわ」
そして、何を思ったのかあっさりと姉さんの願いは叶えられないと告げた。
「なっ、でも、それなら現実を捻じ曲げて少しの間は叶うってことでしょ?」
「それはできないとは言わないけど、どうして私が貴方にそんなことをしなければいけないの?」
漸くかみ合った会話だが、帰ってきて欲しい言葉は返ってこない。
「けど、一つくらい貴方に、いえ。今神の息子に有意義な情報を差し上げましょうか」
「え、俺に?」
「ええ」
そんな言葉に姉さんは少しむすっとした表情をするが、これ以上は無駄だと悟ったのか口を閉ざす。
「それで、有意義な情報ってなんなんですか?」
「それはね、貴方の加速装置。いえ、その事象観測具の本当の意味での完成をさせてくれる人物を教えるってことかしら」
「加速装置の本当の意味での完成……?」
「ええ、貴方のそれは完全に近いけど完成はしていないでしょ? だから本来の偽りの奇跡を発動できずにいる」
言葉の魔女の言葉に俺は耳を疑った。
「な、なんでアンタが俺の偽りの奇跡を知ってるんだよ!?」
「まあ、落ち着きなさい。そんな些細なことはどうでもいいの、大切なのは貴方が早く本質に気づくことだから」
「些細なことって、偽りの奇跡は俺たち魔術師にとっての―――むぐっ!?」
瞬間、姉さんに口をふさがれた。
「おや、どうやら頭は冷えたようですね」
「ええ、やっぱり自分のことは自分で何とかしなきゃいけないって気づけたから」
「当てつけのつもりですか? まあ、良いでしょう」
そう言って言葉の魔女はさらさらと紙の上にペンを走らせると、書き終えたそれを俺に渡す。
「そこに現代最高峰のデバイスマスター、椿麗華という女性がいます。麗華宛てにもう一つ手紙を持たせるので、それを貴方が渡せば何事も問題なくすすむので、とりあえず近いうちに行ってください」
言い終わると興味をなくしたかのように言葉の魔女は座ってた椅子に深く腰を沈めると、一言呟き、本を手に取った。
「ああ、それと、運よくここにまた入れると思わないでくださいね。今度は私のほうから招待しましょう、お客様として。それでは【家に戻って】ください」
瞬間、俺と姉さんは慣れ親しんだソファーの上に座っていた。
「なんて出鱈目な……たったの一言で空間まで捻じ曲げるなんて」
「これが爺と同じ魔法使い……」
だけど、次の目的地は明確になった。
シグに不完全といわれ、魔女には完全に近いが未完成といわれた俺の偽りの奇跡の本質を知るために。
「とりあえず洸ちゃん。おかえりなさい」
「うん、姉さんもおかえり」
そんな言葉を持って、今日という一日は終わった。
☆
「で、いつまで隠れてるつもりなんですかー?」
先ほどまでの口調とは打って変わり、優しい雰囲気になったものの周りからはどす黒いオーラがこぼれているように見える。
「いえいえ、隠れてるなんてとんでもないですよ。ほら、ヴィシャスさんも出てきてくださいよ」
「相変わらずだなオメェもよ」
そんな二人が出てきてもなお、瑠璃はニコニコしながらある一点を見つめている。
「ほら、二人が出てきてくれたんですからもう二人も出てきたらどうかなー?」
「え、今回は僕たち二人しか来ていな―――」
その言葉にアレンは否定の言葉を述べようとしたが
「ちぇー、ばれてたか……」
「あうぅ、どうして気づかれたんでしょうか」
最後まで言うことはできなかった。
「流石ここは私の世界ですからねー。久しぶり、シグ君、蒼香ちゃん」
「前回は最下位だったのに随分と今は制約がないんだね。うん、ひさしぶりだね瑠璃ちゃん」
「んー、この世界の法則は純粋な能力ですから。シグ君の概念武装、ヴィシャス君の炎の身体、ここにはいないけどヒナちゃんの千里眼、そのいずれも共通して最強といわれる能力だよ。だから私の【言葉】はいっそうこの世界で真価を放ってるんだよ」
瑠璃は懐かしむように目を細めながらに世界を、能力について語る。そこにヴィシャスは思い出したかのように呟く。
「てか、過去のナンバーズが五人もここに来るんだったら麗華とサツキとヒナも呼べばよかったんじゃねぇか?」
その言葉に瑠璃は少し残念そうに答えた。
「六賢者の私含め怠惰と憤怒の始祖、それに一応魔術サイドのシグ君に蒼香ちゃん後自由が利くのは嫉妬の始祖をやってるヒナちゃんだけだからね。科学サイドの二人は悪く言えば国に軟禁されてるようなものだから」
「あいつらなら別に問題ないだろう、国を滅ぼせるくらいには力があるじゃねーか」
そこでアレンはヴィシャスに言う。
「それをしたらこの世界の均衡が保てなくなるんですよ」
「はぁ、俺たち部外者が国とか世界とか言われてもって感じだけどな」
それを言うのかと言うようにシグは言う。
「始祖は1人で国を滅ぼせるし、魔女も同じく一人で国を滅ぼせる。だからその抑止力って名目で僕と蒼香ちゃんが魔術サイドの監視を、さつきちゃんと麗華ちゃんが科学サイドにいるの忘れてるよね? 均衡を守るためとはいえ軟禁状態はいただけないけどさ」
「それを言ったら元ナンバーズ8人いたらこの世界なんて本当に制圧どころか滅ぼせるからな」
ヴィシャスの言葉に蒼香が笑う。
「ふふ、別に魔術サイドの私たちだけでも世界なんて簡単に滅ぼせますよ。それはみんな一緒じゃないですか」
「でも、僕たちにはそれをしない理由がある」
蒼香の言葉に続けシグは言う。
「この世界にあるべきはずの人を、そして僕たちが本当に望んだはずの世界を取り戻すために」
その言葉に残りの四人は緩んだ顔を引き締めた。
「ああ、アイツがいなきゃ俺たちの始まりも終わりもねぇからな」
と、ヴィシャスが。
「そうですね、やっぱりあの人がいなきゃ始まりませんから」
続くようにアレンが。
「なにより、こんな世界を望んだ彼がいないなんて皮肉だからね」
と瑠璃は言う。
「全ては【 】君のためだから」
そして最後に、蒼香は遠い場所を見据えて呟くのだった。