髪の子
私の長い髪の毛が勝手に動き出した。命が宿ったみたい。 子供のころからずっと大切に伸ばしてきたからかな。
甘えてきたり、手の届かないところにあるものを器用に持ってきてくれたり、言葉も理解する。自慢の黒髪、クロちゃんだ。
周りにバレないようにしながら何年も楽しく過ごしてたんだけど、ついにバレてしまった。婚約者のヒロキに。
「その床まで伸びたキモい髪を切らなきゃ、結婚はなしだ」
「そんな」
クロちゃんはその怒りのにじんだ彼の声にピクリと反応し、少しだけ毛先を尖らせた。最近、貫禄が出てきたね……。
「切ったらクロちゃんが」
「オレと髪、どっちが大事なんだ!? だいたいおかしいだろ! 生きてる髪なんて……あり得なさすぎる。なんで今まで言ってくれなかったんだ?」
「言ったら怒られると思ったんだもん」
「だもん。じゃない! 婚約前に言うもんだろ! いいから切れ!」
「……」
切りたくない。 私は黙った。無言の抵抗ってやつだ。「……決められないならオレがやる」
彼は立ち上がると、私の後ろ髪をグイッと掴んだ。
「いたいっ」
「根元からいけばすぐに……うっ」
ざわざわと髪の毛が蠢き、立ち昇った。
毛先が束になって、いくつもの鋭い剣先のようになったクロちゃんが私たちを取り囲んで敵意を向ける。
そうだよね。怖いよね。私は怯えるクロちゃんを撫でた。
睨み合いが続いたけど、彼は根負けして手を放した。
「あ……明日までだ。それまでに決めろ」
どうしよう。ヒロキのことも好きだし、クロちゃんも好き。でも、現実的に考えて結婚しないでクロちゃんとだけ生きる人生って、やばいよね。髪の毛だって結局、いつか切らないと社会的に生きていくのが厳しくなると思う。
だから、やっぱり……。
髪の毛を束ね、ナイフを当てた。
クロちゃんがこっちを見て、必死にうねる。泣いてる。やめて、やめてって言ってる。ごめん――
ナイフに力を込めた。ところが、その手はクロちゃんに絡めとられてしまった。
髪は全身に巻き付き、あっという間に私を覆い尽くした。髪の毛にくるまれたミイラみたいになった私の視界に、うにょうにょと触手のような毛髪が伸び、目や耳の穴に入っていく。
私は意識を失った。
気がつくと、私は真っ黒な部屋の中にいた。腕に管……点滴につながれてる。それに壁一面が黒くて、動いてた。
よく見ると、髪の毛で一部の隙間もなく覆い尽くされてる。
蠢く髪の毛でいっぱいの部屋……。
――怖い。って、普段なら思う。
でも不思議と怖くない。変だな。私は怖がりな方なんだけど。
そこへ、ヒロキが髪で覆われた黒いドアを開けて入ってきた。
「おはよう。食事を持ってきた」
彼が持つトレーには、おいしそうなお肉。カラフルなサラダがいっぱい載せられてた。見るからに栄養満点のメニューだ。鉄分、タンパク質、ビタミン。どれもこれも、髪の毛の成長や健康を保つには欠かせない、クロちゃんの大好物。
ヒロキはにっこりと笑っている。でも、見開いた眼が真っ黒だ。髪でいっぱいになってた。よく見ると綺麗な白い歯の隙間からも髪の毛が伸び、自由に動いてる。
そっか。さすがクロちゃん。これでずっと一緒にいられるね!




