逃げた先には――
どこかに行こう。
当初計画していたとおり、電車に乗る。
スマホのGPSは、無駄と思いつつオフにする。
途中で、降りて、コンビニで必要な物を購入する。
特急に乗る。目指すなら監視カメラの台数が少ない辺鄙な場所が良い。
とりあえず、南の方面で山を目指そう。
軽装で、北は怖い。夜に耐えられる自信がなかった。
道なき道を歩けば、さすがの律だって、探しに来ない。
特急が目指す駅は、比較的大きいはず。
運が良ければ新幹線に乗って、ここから遠く離れたい。
特急の中でスマホを開いた。
行政から初夜を迎えていないことでの督促が、昨日まで徐々に文面を変えて届いていた。
(律は、これに過剰に反応したんだ⋯⋯)
最後の文面には、特定の生体反応に兆しがない場合は、ペア再審査、再マッチングも大いにあり得る、というような脅し文句が書かれていた。
最後に届いていたのは、無事遂行したことへのお祝いメッセージと婚姻期間延長の報せだった。
「⋯⋯だったら、話し合えば良かったんだ⋯⋯。夫婦なのに⋯⋯」
一方的で⋯⋯。怖かった。
(逃げ出そうとした自分も悪いけど⋯⋯)
(俺が逃げ出そうとしたから、余計に過剰になっちゃったのかな⋯⋯)
ふいに、律の声が聞こえてくる。
『俺、毎日、澪のために料理作るよ。澪にそういう顔してもらいたいからさ』
『新生活初日の朝だから、少し、豪華にしてみた、て言ってもハムが増えただけだけど』
『なんで?良いじゃん。それで貯まったら、二人で美味しいもの食べに行こう?』
『へへっ、背徳の味』
『俺、澪の食べてる顔好き。可愛い』
『照れてる顔も、可愛い』
『澪が俺の伴侶で良かった⋯⋯』
お腹が鳴った。
朝食をコンビニで買ったまま、食べていなかったことに気付いた。
日持ちしそう、という理由だけで買ったパンを、袋から一つ取り出して、ひと口噛んだ。
独身の時、コンビニパンなんて慣れ親しんだ味なのに、何故だが味気がなかった。
「お腹すいた⋯⋯」
涙が頬を伝う。なんで涙が出るのか分からなかった。
『俺、澪とずっと一緒にいたい⋯⋯。ずっと、俺の伴侶でいて欲しい⋯⋯』
返事を返してやれなかった、律の声が、言葉が、俺の心に虚しく響いた。
特急に揺られて、単調な景色に眠気に襲われ目を瞑る。
夢の中、“十四歳の僕”がいた。
『は?金が無い?知らねーよ、そんなん。お前が俺等に小遣いくれるって約束したんだろ?』
『馬鹿、違うだろ。小遣いくれるのは俺だけ。なぁ、“――”、俺ら友達だもんな。コイツらの事は言うこと聞かなくて良いぜ?』
律の顔そっくりの少年が、そう他の子に牽制をする。
僕の肩に腕が回される。
嬉しい。庇ってくれた。
『でも、“金の切れ目が縁の切れ目”って言うからさ、この先どうなるか、ちょっと分かんねぇかな?』
『⋯⋯僕、なんとかするよ』
『さっすが“――”!頼むぜ!俺、今月ピンチだからさ!』
破顔する律そっくりの少年は、そう言って僕に回した腕を引き寄せた。
子どもの頃から大事にしている、ゲームを売った。
他の欲しいものを我慢して、お小遣いを貯めて買ったゲーム。
クリスマスプレゼントのゲームも売った。
サンタさん、良い子じゃなくてごめんなさい。
本当は、お父さんとお母さんが置いてくれたプレゼント。
でも、僕は友達を助けたいんだ。
なんて、建前だけど⋯⋯。
お金、渡したら仲良くしてくれるかな⋯⋯。
『なにこの額、クソシケ』
お金を初めて渡した頃、喜んでくれたのと同じ金額だったのに。
『俺、この間ピンチだって言ったじゃん。マジショボ金。なぁ!おい!お前この間、新しい格闘技覚えたって言ってたじゃん?コイツ練習台にしてやったら?』
律の顔そっくりの少年が僕を指さして、同級生にそう声を掛けた。
『え?良いのかよ』
『良いぜ、俺もコイツにムカついたしよ。ボコれよ』
『やめてよ⋯⋯』
『やめてよぉ〜、へ!女みてぇ。カマホモは俺がボコボコに鍛えてやるからな!オラ、来いよ!』
『や⋯⋯!助け⋯っ』
僕は律の顔をした少年に手を伸ばした。
『千円』
『え⋯⋯』
『助けてほしかったらまず、謝礼用意しとけっての』
ガタン!と突然の揺れに目が覚めた。
(そうか、あの“千円”ってこの時言われたことだったのか⋯⋯)
前世で言われた感覚はあった。
でも、明確な場面は知らなかった。
律の顔した少年の言葉に、胸が痛くなる。
(前世を思い出してから、眠る度に“僕”の夢を見る⋯⋯)
ギュ、と自分で自分を抱きしめた。
眠るのが怖くて、終点の大きな駅に着く前に、電車を降りてしまった。
ここはどこだろう。駅名は知らない場所だった。
駅を出る。
目指す“辺鄙な場所”だった。カラスが鳴いていた。
とりあえず、唯一停まっていた有人タクシーを捕まえて、
「昔、人が住んでいた足跡を辿って、当時の暮らしを学んでるんです」
と嘘を言って、山の過疎地へと連れて行ってもらった。
「え〜? 変わってるねぇ。なにかの研究でも学校でやってるの?」
ニコニコした運転手は、知っている廃村なども教えてくれながら、俺が一人で向かうのをずっと心配していた。
山に入る手前で、タクシーを降りようとすると、迎えの連絡はここに、と紙を渡された。
お礼を言いながら、まだ見たい場所もあるから、適当に歩いて駅を目指す、とまた嘘をついた。
山に舗装された道路から歩いていく。
ずいぶん誰も通っていないのか、落ち葉が大量に散らばり、アスファルトが割れている。
朽ちた落ち葉で滑らないように気をつけて歩いていく。
誰もいないのにどこまでも続くアスファルトの道。
(ここにも昔は、人が住んでたんだよね⋯⋯)
土地も⋯⋯人のものかもしれない。
勝手に侵入して、罰を与えられるかも⋯⋯。
それでも、足は止められない。
もう飛び出してきたのだから。
手を繋いで歩いた律を思い出す。
記憶は指の先と、顔を見る勇気が無かったから鎖骨まで。
優しい声。
しかし、同時に昨日の名残を、脚の間に感じる。
(もう、何時間も経つのに⋯⋯)
俺は、その違和感を振り払うように歩き続けた。
「今さら⋯⋯、後悔するなよ⋯⋯」
そう、自分に言い聞かせて。
「はあ⋯⋯、はあ⋯⋯」
どこまでも続く上り坂。
身体中に汗をかいて歩く。
どこまで行ったら良いのか分からない。
ボロボロの空き家を横目に、ただ歩いた。
ふと、何故だか目につく横道が気になった。
進んでいく。
歩いて歩いて歩いて、歩いた先に――人がいた。
(こんなところに⋯⋯住人?)
「あ、こ、⋯⋯こんにちは」
会釈をする。気まずい。
「だれ?だれかに聞いてここに来たの?」
「え⋯⋯」
なんのことか分からず、聞き返すと、舌打ちされ
「⋯⋯なんだ、違うなら出て行きな。ここは、戸籍がない者が住んでるとこだよ。都会人が物見遊山で来ないでもらいたいね」
(戸籍⋯⋯がない)
「どういうこと⋯⋯?」
「言葉のままさ。別に不思議なことなんてないよ。国のやり方に気に入らなかったもん達が集まって暮らしてるだけ。アンタは何?観光?それとも――」
「子作りシステムに疑問を抱いて逃げてきたの?」
ニヤリと住人は笑った。
ドキリ、としてマジマジと住人を見る。
身体つきは、女性だった。肌が日に焼けている。
(珍しい⋯⋯)
日焼けは大敵だった。肌を焼き、老いを加速させる。
骨を作るのは、適度な日光浴だけで良いと今の人たちの常識だ。
「違うなら、出て行きな。ここは、国にも見捨てられた者たちの場所だからね。坊っちゃんだか嬢ちゃんだか分かんないけど、伴侶が待ってる管理の行き届いた家に帰んな」
「帰らない!」
女性の言葉に咄嗟に声を荒げて、反論してしまった。
「うっさ。なに?ケンカでもして出てきたの?そういうのは、行政に相談しな」
女性はなにかと、親切に助言してきた。
無視するわけでもない。
良い人なのかも⋯⋯、俺はそう判断する。
「あの、戸籍がないってどういうことか、教えてもらっても良いですか?俺⋯⋯逃げ出して⋯⋯きて」
俺の言葉に、上から下へと値踏みをするように、ジロジロと俺を見て、女性は軽くため息を吐くと、
「⋯⋯知りたいなら、ついて来な」
女性は、背を向けると歩き出した。
女性についていくと、人が生活している雰囲気を感じてくる。
先程まで寂れた、荒れ果てた雰囲気だったのに。
風に揺れる干した洗濯物。
手入れの行き届いた庭先。
人々が生きているという空気が伝わる。
一軒の家に女性が入っていく。
「ちょぉろぉ〜!」
(チョーロー?変な名前)
出てきたのは、おじさんだった。
「こんにちは。おじゃまします⋯⋯」
「この子、システムから逃げてきたんだって。どうします?」
女性が、チョーローという人に聞く。
おじさんは、俺を一瞥すると、
「じゃあ、迎えが来るまで保護してやれ」
と言うと、のそのそと部屋へと戻っていった。
「だってさ。ついてきな」
よく分からないまま、女性についていく。
「あのさっきのは⋯⋯」
「ああ、ここの家長みたいなもんだよ。上がいないとさ。ばらけちゃうから。長老ってみんな呼んでる。歳はよんじゅう〜いくつだったかな?」
「よんじゅう!?」
(おじさんだった⋯⋯。四十代ってもっと若いんじゃないの?子供だってまだ産まないといけない歳だ)
「ここではあの見た目が普通だよ。病院もないから、五十代とかでも死ぬし」
「死ぬの⋯⋯?」
「死ぬよ?都会では死すらも管理されてるけど」
“自然死”があることに驚かされる。
子供が作れない。卵子が提供できない。精子が提供できない。子育てが出来なくなると、労働力に駆り出され、それすら出来なくなると、安楽死させられるのだ。
義務を終えた人たちの財産は子供に渡していない場合は、回収され国庫の一部となり、未来の子供たちへと使われる仕組みだ。
(それがないの?)
「あんた、その感じだと⋯⋯“男”、見たことないんじゃない?若い奴」
「え?」
「見せてあげる。女は都会でもいるけどねぇ〜。卵子は貴重だし」
ついて来な、という女性について行くと、似たような作りの家に入っていく。
(お、覚えられる自信がない⋯⋯)
「レン、いる〜!?」
女性が大声で家の中を覗き込むように声を掛けた。
部屋の中から現れると思っていた俺は、自分の横に影が出来ていることに違和感を覚え、そちらに目をやった。
律より背が高くて、筋肉質な人物に“熊”が出たのかと驚いた。
驚きで固まる俺に
「だれ⋯⋯?」と、低い声が囁いた。
(喉仏が異様に張り出てる⋯⋯、ひ、髭がある⋯⋯!)
“男”を初めて目の当たりにした。




