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ロールキャベツの夜



 結局、少しの散歩が、律に手を引かれるまま歩いていたら昼になったので、歩き回っていた時に見かけたカフェで、ランチを食べた。

 終始楽しそうな律の声が、そんな律を内心怖がる俺との温度差が、ただただ申し訳なかった。


 食材を買いにスーパーに寄って⋯⋯、

 帰り着いたのは、夕方近くになっていた。


「良い運動になったね、シャワー浴びてきなよ」


 律に言われて、シャワーを浴びる。


 浴室から出る頃には、買ったものは全て整頓されていた。


 律が交代で浴室に行く。


(⋯⋯今のうちに)


 律がシャワーを浴びている間、初対面の日、律に渡したままの行政から送られてきた俺の資料を探した。


(あれを取り返さなくちゃ、ペアの証明にもなる⋯⋯。役所に提出したら居場所を教えられちゃう)


 置いている鞄をそっ、と開く。


 ⋯⋯ない。


 キャビネット、引き出しの中、クリアファイルに挟まれたA4の紙を探す。


 ⋯⋯ない。



 クローゼットを開ける。


 その奥に、隠すようにいくつにも分かれた引き出し状の収納ケースがあった。


 そっと、開ける。


 なんで今の時代にこんなに書類が。


 中をパラパラと見る。


 ⋯⋯ない。


 どんどん開けていく。

 中を見る。

 無い。


 無い。


 見落としてしまいそうな中、指に触れる、つるりとした独特なプラスチックの感触。


 真っ白の紙、引き出して裏返すと、俺の顔写真が載っていた。


「⋯⋯あった」


 浴室と脱衣所を隔てる引き戸が開く、微かな音。


 俺は慌てて、でも、慎重に元の位置に戻す。

 書類の角を揃えて、そっと、引き出しを閉めた。


 脱衣所から廊下へと続くドアの開閉の音に、心臓が鳴る。


 震えそうな手でクローゼットを閉めて、慌ててソファーに座るとスマホを開く。



 部屋のドアが開いた。


 心臓がドキドキする。悟られないように、スマホに集中しているふりをした。


 

「お待たせ、御飯作ろっか?」


 チラリ、と見るとタオルを被った濡れ髪だった。

 スマホに視線を戻しつつ


「髪、乾かさないの?」


と、聞いてみた。


「⋯⋯澪が待ってると思って」


「別に、待ってないし⋯⋯」


「じゃあさ、澪が乾かしてくれる?」


「え?」


(なんで?)


 ――ブォオオオ。


(なんだかんだと言いくるめられて、結局乾かしてる)


 洗面台に椅子を持ってきて座る律の髪を手櫛てぐしでほぐしながら、風を当てる。


「良いな、これ。毎日澪に髪、乾かしてもらっちゃおうかな」


「千円」


「え?」


「あ、嘘。ごめん」


(最低。⋯⋯前世で言われたこと、咄嗟に口にしてしまった)


「千円払ったら毎日、髪、乾かしてくれるの?」


 律が、振り向いて俺に聞く。


「え?いや、そう言うわけじゃ⋯⋯」


「じゃあ、毎日千円?」


「ちが、冗談だよ⋯⋯」


「なんで?払うよ。だって、それで律が髪乾かしてくれるんでしょ?俺払うよ」


「いや、良いよ。払わなくて」


「なんで?良いじゃん。それで貯まったら、二人で美味しいもの食べに行こう?」


 笑顔で、律はそう言った。



 “十四歳の僕”が渡したお金を、財布に入れていた律そっくりの少年と重なる。


 決して、“僕”のためにお金を使うことはなかった。


 搾取して、搾取して⋯⋯。


 それだけ。


 不意に、涙がこぼれた。


「え?澪⋯⋯!どうしたの?」


 片手にだらりと下げたドライヤーを、優しく取りあげた律が電源を切って洗面台に置くと、心配そうに覗いてくる。


「ごめん、他に欲しいものあった?ごめんね。勝手に使い道、決めて」


「ち、ちがう、そうじゃない⋯⋯」


 片手で涙を拭う俺の手を制して、タオルで涙を拭ってくれた。


「指で擦ると赤くなるよ?」


「ん⋯⋯」 


「髪、ありがとう。充分乾いたから部屋行こう?」


「ん⋯⋯」


「俺、下ごしらえしておくからさ、ソファーに座ってゆっくりしときなよ」

 

 律の気遣い。だけど俺は、


「いや、いい。俺も一緒にする」


 俺は、律の後を追うようにキッチンへと向かった。



「そう?じゃあ、キャベツを破らないように一枚一枚剥がしてくれる?」


「うん」


「あ、俺、玉ねぎ切るから目痛くなるかも。あっちのテーブルでしたほうが良いよ」


「分かった」


 バリッ。


「あ」


 キャベツを豪快に破いてしまった。


(⋯⋯こんなに隙間なく重なってるのに、どうやって破けずに剥がせるの⋯⋯?)


 全ての葉を、破く自信しかなかった。


「律⋯⋯、キャベツが破ける⋯⋯」


 玉ねぎをみじん切りにしている律に声を掛けた。


「え?そうなの?えー⋯⋯と」


 ロールキャベツのキャベツの剥ぎ方をAIに教えてもらう。


「ごめん。澪。芯くり抜いてなかった!」


「くり抜いた芯は一緒にタネにすると良いんだって」


「⋯⋯種」(なんの?キャベツの?)首を傾げる。


 “種”と思っていたら、キャベツで包むお肉のことだった。


 芯をくり抜いたキャベツは、面白いほど簡単に剥けた。


「終わっちゃった」


「早い、ありがとう。お湯もちょうど沸いたよ」


 キャベツを入れて柔らかくなるまで湯に晒す。


(どのくらい?)首を傾げる。


「お肉が巻けるぐらいだって」


 首を傾げてボコボコ沸騰する鍋の中で、揺れるキャベツを見ていた俺に律が言ってきた。


「火傷しないようにね」


 律にザルが入ったボウルを渡されその中に、鍋から取り出したキャベツを入れていく。


「冷めたら一緒にお肉を巻こうね」


 律は、まだ玉ねぎのみじん切りをしていた。


「朝食の準備は早かったのに⋯⋯」


 つい、ポロっと言葉が出てしまった。


「慣れてるやつは速いの。それにしても目そんなに痛くならないや。包丁の切れ味のせいかな」

 

 後半の言葉は、律の独り言。


 律の指示に従って、薄力粉を準備して、冷蔵庫から合い挽き肉と卵を取り出す。

 パン粉を牛乳に浸した。



「ひき肉全部入れちゃって良いよ。キャベツの葉っぱが足りなかったら、そのままミートボールにしちゃおう。量が多かったら、明日の朝食!」


 律が弾んだ声でそう言った。


 合挽き肉をボウルに移して、やっと切り終わった玉ねぎのみじん切りを入れ、キャベツの芯のみじん切り。


 それが終わったらしんなりとしたキャベツの葉っぱから硬い部分を切りはずしてこれもみじん切り。


「料理って工程が多いんだね」


 俺の言葉に律は、


「うん、だから二人ですると早いよね」


と、返してきた。


「俺、胡椒をきかせたほうが好き」と律は言いながら、調味料を加えて、卵と牛乳に浸したパン粉を加えてこねていく。


「澪はとろみが付いてるのが良いんだっけ?」


「うん」


 広げたキャベツに薄力粉をまぶしていく。


「はい、どうぞ」


 律が、その上に丸めたひき肉を乗せる。


 キャベツでひき肉を包む。


 その繰り返し。


 余ったひき肉は、ミートボールになった。


 鍋に包んだ部分を下にして。


 俺のリクエストでコンソメ味。


 切ったベーコンと、ローリエを入れる。


「副菜どうする?」


 聞かれたけど、なにも思いつかなかった。

 律は冷蔵庫にあるもので作れる物をAIに聞いていた。


 

 食卓に、ロールキャベツと副菜にジャーマンポテトが並んでる。

 


「ベーコンと玉ねぎで聞いたら、じゃがいもがあればジャーマンポテトが作れるって。だから作ってみた。AIの好物なんだって。変なAI」


 そう律が言いながら取り皿を置いていた。


 何故か朝と違って律は俺の隣に座った。


 でも、これだと向き合わなくて良いから気持ち的に楽かも。


 いただきます。


 ぱくり、と食べたコンソメ味のロールキャベツ。


(美味しいけど、ん?実家で食べてた味ってこんな味だったっけ?⋯⋯なんか初めて食べる味のような⋯⋯)


 スーパーでの買い物で、味付けもリクエストしたのに、と首を傾げる。


 その様子に、律が不安そうに聞いて来た。


「⋯⋯食べたくない味だった?」


「え!?あ、ううん。美味しいよ。ありがとう」


(気にせず食べることにしよう、うん)


「澪、このジャーマンポテトも美味しいよ。AIがオススメした謎の味付け」


「なにそれ」


 取り皿に盛って、ひと口食べる。


 黒胡椒が効いてて、ベーコンがフワリと薫って、美味しかった。


「冗談。美味いよな」ハハッ、と笑う律。


と、笑っていたらトースターの鳴る音がした。


「出来た出来た」と、持ってきたのは、ピザトーストだった。


「カロリー摂りすぎるから半分ずつな」


 律が、手でトーストをちぎると、チーズがとろりと流れ出る。


「チーズ、多めにしちゃった」


 そう言うと、半分を取り皿の上に置くと、「はい」と渡してきた。


「熱い内に食べなよ」


 律のその言葉に従って、ふうふう、と冷ましてかぶりつく。


 バジルと少しのニンニクを混ぜたケチャップに、玉ねぎとピーマンとベーコンと、たっぷりのチーズの香りと旨味が口いっぱいに広がる。


「へへっ、背徳の味」


 律は、そう言うとピザトーストをがぶり、と頬張った。


 チーズが冷めぬ内に、とあっという間に食べ終わったピザトースト。


「澪、口の端にソース付いてる」


「え?」


 舌で探ろうとしたら、そのまま律に舐め取られてキスされた。


「ちょ⋯⋯、」


 深くなる口付けに慌てる。


「まだ、食事中⋯⋯ッ」


 下唇を甘噛し、もう一度口づけをしてきた律。


「じゃあ、食事が終わったら続き、良いんだ?」


 律の問いかけに、「そういう意味じゃ⋯⋯」と、モゴモゴと答えると、「かわいい」と、頬に口づけされる。


 本気なのか冗談なのか分からない。

 顔の熱だけが上がった。


 結局、せっかく美味しかった夕食の味も分からないまま、食べ終えてしまった。


 片付けの洗い物。

 キッチンに二人並ぶ。


「あの、片付け⋯⋯俺やっとくからさ。律は、ソファーでゆっくりしてなよ⋯⋯お風呂でも良いし」


 律を遠ざけようと、そう提案してみたが。


「二人のやったほうが早いじゃん。終わらせて二人でゆっくりしよう」


と、言われた。


『じゃあ、食事が終わったら続き、良いんだ?』


 先程の律の言葉が、幻聴となって聞こえてくる。


 ちらり、と横にいる律を盗み見る。平然としていた。


(じょ、冗談だったのかも⋯⋯うん、きっとそうだ。本気にしてバカみたい)


 俺は気にしないことにした。


 片付けが終わって、シンクを拭き上げていたら、律から声を掛けられた。


「澪、定期検診の結果見せてよ」


「え?」


「精液検査、してるでしょ?」


 律に言われて、心臓が跳ねる。


 お互いにスマホの画面を開いて、今年受けた健康診断の結果を出した。


 律がじっ、とお互いの結果を見比べる。


「澪、分かるよね。濃度も運動率も、俺のほうが上だ。澪、今回は君が身籠る役目だ。


「⋯⋯」


「行政から督促が来てるでしょ?来てるはずだ。俺のところには来てる。俺達の新婚生活なんて全て国の管理下だ。お膳立てはしてもらってる。だから、結果を出さないと」


「澪、俺は君を離すつもりはない。ペアの再審査なんて死んでも御免だ」


(ペアの再審査⋯⋯?離婚、出来るの⋯⋯?)


 腕をつかまれる。俺は軽く息を呑む。


「律、りつ⋯ッ!む、無理矢理は嫌だ⋯⋯!」


「無理矢理なんてしない」


 寝室のドアを開けられる。


(なんで、どうして⋯⋯?さっきまでの律は⋯⋯!?)


 律の豹変が怖い。

 督促状にはなんて書いてたの?


 頭の中、ぐるぐると思考が巡る。


 寝室のベッドサイドに座らされたと思ったら、そのまま押し倒された。


「りつ⋯⋯!」


 抗議しようとした唇が、律の唇によって塞がれる。


 押し留めようとした腕は、律によって縫い留められる。


「律⋯⋯!あぅ⋯⋯ッ!」


 痛みで声が漏れた。


 ふ、と緩まる腕の力。


「律、お、お願い⋯⋯やめて⋯⋯」


(やっぱり、律もそうなの⋯⋯?)


 夢の少年が重なる。


「おれ、せめて⋯⋯お風呂に入りたい⋯⋯初めてだから⋯⋯。気持ちの整理ぐらいさせてよ⋯⋯」


 気付いたら涙が溢れてた。


「⋯⋯ごめん。澪、俺、動転してた。風呂、準備してくる」


 律はそう言うと、寝室から出ていった。


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