新生活の朝
いつの間にか寝ていた。
カーテンの隙間からの光に目が覚めた。
広い天井。
一瞬、自分がどこにいるのか分からなくて、ドキリとした。
(そうだ、俺⋯⋯昨日から律と暮らし始めたんだ)
何気に手を動かそうとして気付く。
視線をやると、繋いだ手の先に律がいた。
まだ眠ってる。
閉じた目蓋のお陰か、恐怖は少なく感じた。
閉じられた目蓋を縁取る睫毛の長さ、高い鼻梁に、整った顔立ち。
“前世の僕”が、密かに憧れていた顔。
繋いだ手とは、反対の指でちょん、と触れてみた。
(起きない⋯⋯)
昨日、律がしてくれたように髪を梳くように撫でてみた。
サラサラとした髪の毛が、冷たくて気持ちが良い。
(意外⋯⋯。眠り、深いんだ)
それとも、俺が泣いていたのを慰めていたから?
律が何時に寝たのか、分からなかった。
何回か、律の髪を梳くように撫でた後、そのまま指を顔に移動させた。
こめかみ、頬骨、頬、高い鼻梁に、唇。
「ん⋯⋯」
律が声を出し身動ぎして、繋いだ手を離された。反転して俺に背を向ける。
突然の自由。
俺はベッドから下りると、寝室から出ることにした。
小用を済まして、歯を磨いていると、律が起きたのか、ドアを開閉する音が聞こえた。
律は、トイレからこもったまましばらく出てこなかった。
(意外に籠るタイプなんだ。良かった。先に使ってて)
ソファーに身体を預けてぼーっと手持ちのスマホでネットニュースをチェックする。
相変わらず、少子化の事ばかり。見る気もなくて、スマホを放った。
(あ、洗濯⋯⋯は、昨日の内に律がしてた)
ならば、朝食⋯⋯、とキッチンに立つが、まずは何がどこにあるのか場所の把握をしている間に、朝の身支度をある程度整えた律がやってきた。
「おはよう」
「お、おはよう⋯⋯」
「朝食、俺が作るよ?て、言ってもパンしか提供できないけど」
「それくらいなら、俺でも出来るよ」
と、昨日スーパーで買った食パンを袋から出すと、トースターにつっこんだ。
律は、きゅうりにトマトを切って、卵を焼いて「すご。コーヒーメーカーまで備えてる。しかも結構良いやつ」と、コーヒーの支度をしていた。
「⋯⋯ホントに料理の経験そんなに無いの?⋯⋯なんか、手際が良すぎない?」
聞くと、
「だって、この組み合わせが好きでしょっちゅう食べてるもん。慣れてるから早いだけ」
と、律は笑った。
「ねぇ、澪、パントリー見た?行政が準備してくれてたんだけどさ、米とか。非常食なのか、カップ麺とレトルトカレーとパック飯があった。しかもパックの赤飯も。結婚祝いかな?」
先程、コーヒーメーカーがあるなら、とコーヒー豆を探しに入った食品庫の様子を、律が明るく話す内容に興味本位でそばの食品庫を覗くと、たしかに保存の効きそうな物が置いてあった。
食卓に律が調味料やお皿を並べていく。
「あ、そういえば、ハムも買ったんだ。ハムも出そう」
机に並ぶ具材を見ながら、焼いた食パンを乗せた皿を置きながら、
「⋯⋯俺、一人の時はもっとテキトーに朝ごはん食べてた。食べない日もしょっちゅうだったし」
独り言を言っていたら律がやって来た。
「バター、すぐ乗せたら良かったね?溶けにくいかも。ごめんね」
ハムを乗せた皿と片手にバターの容器を持った律に謝られた。
「良いよ、全然。気にしないで」
「新生活初日の朝だから、少し、豪華にしてみた、て言ってもハムが増えただけだけど」
二人分のコーヒーを置いて、――いただきます。
「ハムも乗っけて豪華にしなよ。たくさん乗せると落っこちて食べにくいけど、満足感は半端ないよ」
そう言いながら律は、バターを塗ったパンにハムやきゅうりやトマト、「スクランブルエッグじゃなくて、炒り卵」と言いながら、塩と胡椒の効いた卵を乗せて、上からマヨネーズをかけて、ガブリっと食らいついた。
思わず律を眺めた。
大きく膨らんだ頬。
咀嚼して嚥下すると、コーヒーを一口。
「ハムがない時は、きゅうりに塩振ると塩味でトマトが甘く感じるんだ」
唇についたマヨネーズを舐め取りながら言う。
律を真似てパンに具沢山に乗っける。
マヨネーズをかけて、皿から手に取ると、がぶりと、かぶりついた。
マヨネーズの香り、卵の素朴さ、トマトのみずみずしさ、きゅうりの歯応え。そして、ハムの塩味。香ばしいパンを、と音と立てて噛みちぎる。
ザクリ
咀嚼する。コーヒーを一口。
「俺の好きなもの、澪が気に入ってくれて、嬉しい」
⋯⋯また表情に出ていたのだろうか。
律の嬉しそうな声。
まだ、怖い。夢を見た後だ。
でも、嫌ではなかった。
「澪、ゆっくりしてて。片付けも俺がするからさ。ねぇ、食後になにか食べる?そういえば、乳製品摂ってなかったし」
そう食器を手に持ち言うと、律はキッチンへ向かう。
「お腹に余裕があるなら。はい、どーぞ」
出してきたのはヨーグルトを和えた果物だった。
「俺、澪の食べてる顔好き。可愛い」
口に入れたスプーンを思わず噛んだ。
「照れてる顔も、可愛い」
恥ずかしさと疑いと、夢での律そっくりの少年が混ざる。
なにが本当か、分からない。
律が机についた肘に視線が留まる。
そこから上にはいけなかった。
食後、歯磨きを終えて、少し休憩をして家の中を掃除する。
掃除が終わったら、周辺の散歩を提案された。
「運動がてら、ね?」
「澪は、色が白いからちゃんと塗ったほうが良い。もう朝日は十分浴びたんだし」
そう言って、俺をソファーに座らせると、日焼け止めを丁寧に塗ってくれた。
「このソファーもちゃんと防水で子育て仕様だよね。掃除がしやすい」
そう言って、僕のズボンをめくると脚に日焼け止めを塗り込む律。
「そこは、布で隠れるから塗らなくても良いんじゃない?」
俺の言葉に律は、「念のため」とふくらはぎをマッサージするように塗り込んでいく。
袖をまくるように言われ、むき出した腕に日焼け止めを追加した律に塗られる。
「なんだか⋯⋯マッサージ、受けてるみたい」
俺は、気持ちよさで目を瞑る。
「そ?澪が気に入ってくれて嬉しい」
機嫌が良い声。そのまま静かにマッサージを再開する。
俺の唇になにかが触れた。
律の唇だと自覚した時には、服の中に手を差し込まれ、腹を撫でられていた。
「律⋯⋯っ!?」
「ごめん、澪。無防備な澪が可愛くて⋯⋯」
口内に律の舌が割って入ってくる。
「だ⋯⋯、やめ⋯⋯ッ」
抵抗虚しく、ソファーの上に仰向けで倒される。
「散歩どうしよう?止めちゃう?」
そう言いながら無遠慮に身体を撫でる律の手を掴み、
「止めない⋯⋯!行く⋯⋯!散歩⋯⋯!」
と、俺は切れ切れに言った。
「そ?残念」
律は、あっさり身体を離してくれた。けれど――。
離れる寸前、律が主張するものが俺の身体に触れる。
自分との違いに俺は内心、驚くのだった。
自分で顔と首の日焼け止め塗る。
その間に律は、ソファーを拭き上げた。
「澪、塗り方、雑だね⋯⋯。斑になっちゃうよ?」
「え⋯⋯?」
「貸して?」
日焼け止めを取り上げられ、中身を出すと、顎を取られる。
ギクリ、と緊張する身体。
怖くて、目を瞑りたい。でも、瞑ったら、さっきの続きをされそうで⋯⋯。
俺は目線を彷徨わせながら、律のされるがまま。
丁寧に顔に、日焼け止め乗せられ、塗り込まれた。
「み、耳まで塗るんだ⋯⋯」
「そうだよ?」
耳たぶまでご丁寧に、揉むように塗られ、
目を開けてても、結局、キスされた。
「りつ⋯⋯」
「だって、赤らめてる澪が可愛いんだもん。仕方ないよ」
再度、唇を重ねられる。
重ねている間、日焼け止めのキャップの開閉の音がする。
(なんで、そんな、器用に⋯⋯)
翻弄される俺と違って、律は器用に、多分日焼け止めの中身を出してる。
そのまま首を触られて、ビクリとする。
震える。怖い。恐怖が。
俺の焦りなんて、律はキスで動揺してるとしか思ってない。
安心させるかのように、ただ優しく撫でるように、手のひらで塗り伸ばして温めたのか、冷たさを感じない日焼け止めをそっ、とうなじに塗られる。
両手を首に沿わされて、悟られないように、律の気分を害さないように、僕は硬直した。
外に出る。繋いだ手。まだ外に出たばかりだというのに、俺は疲労困憊だった。
「帰りはさ、スーパー寄ろうよ。今日はなに食べたい?」
「え⋯⋯なんでも⋯⋯」
と、言いかけて、ふいにロールキャベツの映像が出てきた。
(ん?)
「やっぱり⋯⋯ロール⋯⋯キャベツが食べたいかも」
「良いじゃん!俺も食べたい!二人で作ろう!」
「⋯⋯うん」
繋いだ手を振りながら、嬉しそうな律の声。
(なんだか⋯⋯初対面の時より律が子供っぽく見える)
聞いてみた。
「え、アハハ。俺人見知り激しくてさ」
そう言うと、律は続けて、
「でも、店の窓から見えた澪が可愛くてさ、伴侶があの子だったらなぁ〜⋯⋯て、思いながら店入ったら、待ち合わせの時間より早く来たのに、良いなぁ、って思ってた子が澪だった。嬉しくてさ。少しでも格好良いと思われたかったんだよね。なんか、怖がらせちゃったけど」
「ホテルに誘ったのもごめんね。澪の顔色が悪かったのも心配だったけど、ペアになったのが嬉しくて浮かれてた」
「早く、二人きりになりたかったんだ⋯⋯」
小さな声で、ポツリと律が言う。
「俺、澪とずっと一緒にいたい⋯⋯。ずっと、俺の伴侶でいて欲しい⋯⋯」
律の言葉。俺は聞こえないふりをして、保育園で遊ぶ子供たちを見ていた。




