やさしくしないで
「ところでさ、澪は、今月生理始まった?俺まだなんだよね」
「⋯⋯始まったし、終わった」
「ふぅん、じゃあ、澪は月初なんだね。俺は、この感じだと半ばあたりかな?」
律はアプリを開きながら、「もちろん共有するよね?」と言ってきた。
「⋯⋯え?」
「生理周期カレンダーだよ。お互いの排卵日も分かるし。父親役が決まったらピル飲んで卵温存だけどさ。最初の母親役、まだ決めてないでしょ?」
「早く種付けしないとさ、休暇の間に。ちょうど澪、排卵の時期じゃん。やっとく?」
軽く言わないでほしい⋯⋯。
(ちがう、軽く言わないと真面目に言ってたら俺が身構えるからだ。初対面の日に言われた。『早く繋がりたい』って、律は最初からそのつもりなんだ⋯⋯)
(律は、どこまで俺の情報を知ってるんだろう⋯⋯)
伴侶だから、AIに聞けばなんでも教えてくれる。
特に子作りに関しては。
義務とさえ思っていた子作りが、今は俺の心の負担になっていた。
「今月は⋯⋯ちょっと、まだ、その⋯⋯」
モゴモゴと口にする俺に、律はくすり、と笑うと
「嘘、冗談。からかっただけだよ」
と、言った。
ホッとしたのと同時に不安。“十四歳の前世の僕”が頭をもたげる。
(こういうところが、だんだん相手を苛つかせたんだろうか⋯⋯)
笑った顔、からかいが、どんどん変わっていった前世――。
誰も助けてなんてくれなかった。教師でさえも――。
クラスの中心のアイツをみんなが味方した。
「御飯どうしよっか?子供が生まれる前に作れるようになっとかないとだし。スーパー行く?この近くにあるけど」
別に行きたくなかった。一人で行ってほしかった。
なのに、結局押し切られる形で、俺は律と共にスーパーに訪れていた。
「澪、なに食べたい?俺、料理はそんなだけど、味付けはレシピどおり作るからまずくはないと思うよ」
そう律が話しかけてくる。
特に食べたいものは無かった。
「あ、でも血を作らないといけないから、赤身肉が良いのか」
食卓には牛丼が出来上がっていた。
味噌汁に、浅漬。いたってシンプル。
「結局俺の食べたいものになっちゃった」と、言いながら律はアハハ、と笑った。
「⋯⋯ありがとう。作ってもらえただけ有難いよ。洗い物、俺がするからゆっくりしてて」
いただきます、とひと口、口に含んだ。
⋯⋯レシピどおりに作ったと言ってただけあって美味しい。
「口合ったんだ⋯⋯」
ぽつり、と律の声が漏れた。
俺は、律の方を向く。まだ顔は直視できない。相変わらずの鎖骨どまり。
「そういう顔してる。コンビニ飯食べてた時と違う。俺、毎日、澪のために料理作るよ。澪にそういう顔でしてもらいたいからさ」
律の言葉――。
出会って、初めて律の表情が見たいと思った。
ちらり、と上目遣いで見る。
嬉しそうに笑ってた。頬が少し紅潮して赤みがあった。
すぐ目線を牛丼へ。
(変だ、俺⋯⋯心臓がバクバクしてる⋯⋯怖いから⋯⋯?それとも⋯⋯)
『お前の笑った顔ってなんか気持ちわりーな』
ふいに、声がした。
心が抉られる。十四歳で死んだ“僕”の。
『オドオドしててさ、なんか見てるとムカついてくんだよな』
『やめろよ、そういう本当のこと言うの、カワイソーだろ』
『あ、そうだな、ごめんごめん!』
『アハハ!ひでぇ〜』
声が。前世の声が。律そっくり少年が。俺を見てわらってる。
みんなで俺をわらう。笑い声が心を抉っていく。
(⋯⋯そうだ、ダメだ。心を寄せちゃ、いつ言葉が刃になるか分からない)
囚われる。“前世の僕”に。
「澪?どうしたの?箸が進んでないけど⋯⋯あ、スプーンが食べやすいよね」
律はそう言うと、席を立った。
(やさしい⋯⋯でも、信じるのが怖い⋯⋯)
律が差し出してきたスプーンをもらう。
俺は、“前世の僕”に囚われないように、無心で牛丼を頬張った。
「そんなに、急いで食べると喉につっかえるよ?」
優しい律の声。水をそっ、と置かれた。
食器を洗ってる間、律はお風呂の準備を済ましてくれていた。
「先に入って。疲れてるだろ?」
下着も部屋着も寝巻きすら全て準備されていた。サイズは適当に頼んだそうだ。
身一つあれば、生活を送ることが出来る、行政の待遇に少なからず驚く。
(子供⋯⋯出来なかったらどんな仕打ちをされるんだろう⋯⋯)
養育の義務が課せられて、条例違反の多産の子を引き取って育てる、とかは聞くけども。
ベッドは一つだった。気まずい。
大きめのベッドの端に身体を寄せて横たわる。
「澪、なんでそんなに端にいるの?こっち来なよ」
と、律に言われたけども頑なに断って寝たふりをした。
どれくらい経っただろうか、緊張と湯船に浸かって身体が温まったせいか、眠りに落ちようとした時だった。
ぎしり⋯⋯、とスプリングがたわむ音にふと、目が覚めた。
暗闇。背中に感じる気配に、緊張が走る。
ぎしり⋯⋯、徐々に気配が近付いてくる。
寝返りを打って遠のくなんて出来ない。だって、ベッドの端で寝ているのだ。
「澪⋯⋯」
囁くような律の声が闇夜に溶ける。
どう反応して良いものか、考えあぐねている内に、静かに後ろから腕を回され、抱え込むように抱きしめられた。
「ごめん、澪が落ちちゃいそうでさ。心配で⋯⋯、なにもしないから。俺が安心するからこうやって、寝させて?」
(こんな状態で眠れるわけないじゃん!)
と、思っていたのに、包まれる温もりにいつの間にか眠りに落ちていた。
夢の中。自分は中学生だった。
誰に説明されたわけでもないけど、そう夢の中では理解した。
中学生の自分に笑顔で話しかけてくる少年がいた。
前世の律そっくりの少年。
中学の入学式、同じクラスで知り合った。
向こうから声をかけてきたんだ。
人見知りの僕にも優しかった。
学校に行くのが、楽しかった。
お互いの家に遊びに行って、ゲームなんてして。
夏休みも冬休みも一緒に遊んだ。
なのに⋯⋯
『なんで、あんなにひどいこと言うの?僕たち友達じゃなかったの?』
変わり始めたのは学年が上がって、二年生になってから。
『友達かぁ〜⋯⋯俺、今月金欠なんだよねぇ〜。友達ならさ、困ってる友人援助してくれね?』
『え⋯⋯』
『あ〜だめかぁ〜。なら他のやつに頼もっかな?アイツのほうが、俺と仲良いし』
『そんな⋯⋯』
『友達が困ってるのに助けてくんないなんて、もう友達でもなんでもねぇよな。今から話しかけないでね、じゃ』
そう言うと、僕に背を向けて歩き出そうとした。
『ま、まって⋯⋯!』
それから、僕はお小遣いを、貯金を切り崩してでも“友達”に縋りついた。
『なんだこれ?しけてんな、たったこんだけ?』
『も、もうお金無いんだ⋯⋯。今月のお小遣い分しかない⋯⋯』
『ふー⋯⋯ん』
気のない返事。不安になる。
『え?なにその大金?どうしたんだよ』
突然、外部から声に、僕は反射的に肩を揺らした。
『お〜、俺のお小遣い。こいつがくれんの。こいつんちクソでけぇからさ、いわゆるお金持ちってやつ?』
『え〜、すげぇ。じゃあ、俺達にも小遣いくれよ』
そう言いながら、僕らに近付いてくる。
『え⋯⋯、む、無理だよ。そんなの』
『なんだよ、口答えとか。ただでさえ気持ちわりぃくせによ』
そう言うと、僕の前にまわってきた同級生に頭を叩かれた。
『おい、小遣いほしいんだろ?だったら、優しくしとけよな。やるならもう少し見られない場所と見えない位置だろ』
そう言いながら、僕のお金を財布にしまっている。
『あ〜、そうだった。ワリィワリィ』
律の顔した少年の言葉を受けて同級生はそう言うと、僕の肩に腕を回し、『プロレスしようぜ!』と、言いながら腕で僕の首を絞めてきた。
『ぐぅ⋯⋯ッ、や、やめ⋯⋯』
息が出来ない。周りは止めない。喉が締まって苦しくて痛い。
世界が暗転した。
「⋯⋯お、⋯⋯みお、⋯⋯澪!」
ハッと、目が覚めた。
薄明かり。それでもベッドサイド明かりが眩しくて思わず、もう一度目をつぶる。
「ごめん⋯⋯、起こした。ひどくうなされてたから。大丈夫?怖い夢見たの?」
(今、目が開けられない。だって、律だ。見れない⋯⋯)
俺は、腕で目を隠しながら、
「⋯⋯そう、ひどい夢⋯⋯ッ。ごめん。⋯⋯うるさくて、起こした」
そう、謝った。
「大丈夫、俺のことは気にしないで。それより澪、呼吸ちゃんとしたほうが良い、ひどく息切れしてる」
背中をさする律の手。さっきまで僕のお金を数えてた。
違う。律じゃない。律はいま、僕の背を擦っている。
心臓が、走ってきたようにバクバクと鳴っていた。
空いた片方の手を首にやる。
拘束が解かれていることに思わず、安堵した。夢だというのに。
「澪、仰向けになろう。その方が呼吸しやすい」
背を向けている僕を優しく擦る律は、そう言いながら、肩をそっと押さえて僕を仰向けにする。
はぁ、と深く息を吐いた。
(記憶が蘇った時は、走馬灯のように一瞬だったのに、なんでこんな⋯⋯)
ハッキリと、まるで現実のように声まで再現されていた。
「う⋯⋯ッ」
腕で押さえている目尻から、熱いものが流れた。
それが涙だということを、流れた涙が耳を濡らした事で気付く。
嗚咽が漏れる。誤魔化せない。
律はなにも言わない、聞かない。
そ⋯⋯っと、僕の頭を撫でてくる。
(優しくしないで⋯⋯。その優しさが怖いんだ⋯⋯)
“僕”から“俺”を取り戻すまで、律は、僕の髪を梳くように撫でるのだった。




