国家管理の婚姻
唐突に、十四歳で途切れた前世の記憶が蘇ってきた。
それと同時に、今この目の前の男が、前世の俺が十四年で人生を終わらせた原因となった奴と、外見がそっくりだったことを知る。
カフェでの初対面――今の時代に珍しい、クリアファイルの中からA4サイズの一枚の紙を手に取ると、男は指先で文字を撫でつつ、
「名前⋯なんていうの?教えてよ」
と、俺に向かって言った。
「⋯⋯そこに、書いてあるけど」
男が手に持っているのは、俺の名前や顔写真が載った国から送られてきた資料。
資料の内容は、日常で何気なく利用するAIとの対話により、性格や趣味、嗜好などが記されている。
そして、俺の手にも律の資料が。お互い自分の資料を手に持ち、相手と互いに交換することで、相手を知ろうというのが、国家によるお見合いシステムだ。
しかし、本人たちの意思とは関係なく婚姻することはほぼ決まっている。
マッチングしたその日には、もう決定づけられるのだ。
そこに記されている互いのQRコードを読み込むことは、マッチング相手と会ったという証明でもある。
QRコードを読み込み、自分のデータと相違がなければただちに婚姻手続き完了、登録先の口座へと補助金振り込み、となる。
その直後、俺は前世の記憶が蘇った。
もし、反故にしようものなら手続きに次ぐ手続きが待っている。
個人認証の義務付けにより、遺伝子に至るまで俺達は国に管理されている。
国が定めたシステムに抗い離婚はほぼ、ありえないとされている。
男が資料から目を離し、俺に目線を合わせてきた。
咄嗟に、視線をずらす。
「おれは、黒河律。ねぇ、名前教えたんだからさ、そっちの名前も教えてよ。アンタの声で知りたいんだよ」
律と名乗った男は、そう言った。
俺は、律の顔を視界に入れぬよう鎖骨に視線を合わせると、
「⋯⋯さくら、みお⋯」
と、乾いた口内のせいか、たどたどしくそう名乗った。
相手に恐怖を悟らせたくない。
俺は、グラスの水をひと口、口に含むとゆっくりと嚥下した。
「みお、澪か⋯⋯。うん、良いね」
そう男は、俺の名前を繰り返すと嬉しそうにふふ、と笑う。
「澪が俺の伴侶で良かった⋯⋯」
言いながら、テーブルに組んだ肘を乗せると、俺の顔を覗き込むようにして見てくる。
口元には笑み。怖い。人好きする笑みのはずなのに、どうしようもなく恐怖を感じた。
(なんで、俺、こんなこと思い出すんだよ⋯⋯。なにも知らなかったら、俺はきっとこいつと仲良くやっていけた⋯⋯!)
「⋯⋯おれ⋯は、その⋯」
良くない、と咄嗟に言葉が出そうになって口を噤む。
(どうしよう。どうしたら良い⋯⋯?資料を返してもらって、なかったことにしたい)
泣きたくなる。ダメだ。心が前世の弱々しい十四歳の俺になったようで、情緒が危うい。
「⋯⋯⋯⋯すこし、歩こうか?」
店を出て目的もなく、二人並んで歩き出す。
(良かった⋯⋯。これなら顔を見ずにすむ)
背も律のが高い。俺は、前世の自分に戻ったかのように猫背気味で歩いていた。
「ねぇ、⋯⋯緊張してるの?」
律がそんなことを聞いて来た。
俺は、身構える。前世の時もそうやってなにかとかまってきた。
俺は、人見知りが激しくて、律の優しさが嬉しくて⋯⋯。
(違う。律じゃない。前世の記憶だ。コイツは関係ない)
そう自分に言い聞かせた。
「⋯⋯顔色も悪い。大丈夫?」
律の手の甲が俺の頬にそっと触れた。
ビクリッ、と反射的に震える。
「だ、大丈夫!⋯⋯すこし、緊張しているだけ⋯⋯」
律と距離を取り、俺は見ずに答える。
(こ、このまま変なやつだって思われてなかったことにしたい⋯⋯)
ぐっ、と歯を食いしばって勇気を出す。
(一気に喋って変なやつだって思われて終わらせよう!)
「お、おれ、変な奴だよな。よく周りからも言われるんだ。だから、だから、⋯⋯その、この話は⋯⋯なかったことに⋯⋯しても、いい」
たどたどしかったが、なんとか言えた。
(言えた!言えた言えた⋯⋯!これでコイツも不快になって俺の前から去ってくれるはずだ⋯⋯!)
俺は、この時どうかしていた。
思考が、心が、十四歳の前世へと引っ張られていた。
「⋯⋯なんで?そんなことないよ。澪、俺はそんな君が可愛く見えるんだけど」
“アンタ”から“君”への変化。俺を安心させるような声音。
だけど、俺は全く気付かなかった。律の気遣いなんて。
「ねえ、顔色も悪いままだし、どこかで休んだほうが良い」
変な奴だと思われ、この場でお別れをする予定のはずが、俺は律に肩を抱かれ、誘導されるように歩かされた。
(なんで⋯⋯なんで)
連れて行かれた場所は、時間制の休憩も宿泊も出来る場所。
それがなにかなんて俺すら知ってる。
部屋の中は防音仕様。
ベッドの上で二人がどんな動きをしようが快適な大きさ。
「い、いや、おれ、今日そう言うつもりで来たわけじゃなくて⋯⋯」
俺は足を踏みとどめて、なんとか抵抗した。
「なんで?澪。初対面だし。国の定めでマッチングと同時に婚姻しただろ俺達。どちらが母親になるのを決めるのに、ちょうど良いじゃないか」
なおも抵抗する俺の耳元で、律が囁く。
「それに、俺、はやく澪とつながりたい⋯⋯」
律の言葉に全身の産毛が総毛立つ。
「む、むむむ⋯⋯むり⋯⋯」
恐怖で歯が鳴ることを、俺はこの時初めて知った。
「りつ⋯⋯?」
ブルブルと震える俺に、律は「ごめん⋯⋯」と言うと、そっと抱き寄せた。
でも、全然慰めになんてなってない。
(最初は優しかったのにどんどん変貌していったんだ。やめて、て言ったのに、誰も止めなかった⋯⋯)
すぐに十四歳の前世が出てくる。
ボロボロと涙が溢れていた。
「⋯⋯!ごめん、ごめん澪。君こういう事初めてなの?てっきり可愛いから、既に⋯⋯うん、澪。ごめんね。急かしすぎたね」
そういうと、律は抱きしめたまま何度も頭を撫で、“僕”を慰めた。
(ちがう、“僕”じゃない。俺は十四歳の前世の俺じゃない)
混乱する。
動転する俺を導くように、律はベッドに俺を誘うと、掛け布団をめくると俺を横たえさせた。
「なにもしないよ。ごめんね、怖がらせた」
掛け布団を肩までかけると、母親がするようにぎゅっと、肩口が埋まるように布団で包む。
「少し休もう。ごめんね、寝てて良いよ。時間になったら起こすから」
こんな状況で眠れるわけがない、と思っていた俺だったが、布団に包まれた温かさのせいか、なにもしないという言葉に安心したからか、次第にまぶたが重くなるのを感じた時には、眠りへとついていた。
そんな俺の頭を、ベッドサイドに腰を掛けていた律が、優しく撫でていたなんて、俺は知る由もなかった。
目を覚ますと、同じ布団の中、隣に律がいて驚きで声を上げそうになった。
だって、怖い。ずっと、俺のことを見ていた。
「もう起きたんだ、もう少し寝てても良かったのに⋯⋯澪の寝顔、可愛いね」
前世の記憶のあいつと目の前の律の笑顔が重なる。
そっくり⋯⋯、なにもかも。アイツが成長したらこんな感じだったんだろうな、て思わせる。
俺は十四で人生を終わらせたのに、コイツは俺の歩むことのない未来を生きたんだ⋯⋯。
そう思いながら、律を見ていた。
律の顔がどんどん近付いているなんて意識もせずに。
気付いた時には、キスされていた。
唇が離れる。
「ごめんね、思わず。でも良いよね、俺たち、ペアになったんだし」
そう、照れるように申し訳なさそうに律は言った。
「ねぇ、澪、このまま泊まろう。澪の顔、真っ白だ」
そう言うと、俺の頬に触れた。
(い⋯⋯やだ。いやだ、帰りたい)
なのに、言葉が出ない。
鼓動だけが早い。
身がすくむ。律の優しさが怖い。
「冷たい⋯⋯」
頬に触れる律はそう言うと、頬から離れた腕が俺を抱きしめようとした。
思わず、身体を反転させ、俺は律に背を向けた。
そのまま、ぎゅ、と抱きしめられる。
「おやすみ、澪。お腹が空いたら言ってね、なんでも食べさせてあげるから」
そう言うと、俺のうなじに湿った感触が生まれた。
その後にリップ音。
律が俺のうなじに唇を落としたことを知る。
(どうしよう⋯⋯)
背中越しに伝わる体温。
顔さえ見なければ、律は、多分良い人。
そして、俺を気に入っている。
(なにも知らなければ、俺はこれから始まる新生活に緊張するだけだったのかもしれない)
今日だって、ペアの相手と初対面。
どちらが母親という苗床の役になるかを決める日だった。
決めたらその日の内でも後日でも、役所に届ける。
役所からは、二人で住む予定の住まいの最寄り産婦人科の案内。
簡易の妊娠検査薬、その他の補助金の案内などを配布される。
(もう俺の口座には“新生活応援金”という国からの補助金が振り込まれてる)
ペアの相手を国任せにした俺は、(なんで結婚相手ぐらい自分で見つけなかったんだろう⋯⋯)と、激しく後悔した。
その時だった。俺のお腹が鳴った。
「⋯⋯澪、お腹空いたの?何か食べる?」
律は、身体を起こすと俺を見下ろしながら声をかけてきた。
恥ずかしい。俺の顔は一瞬で熱を持つ。
「ここで食べる?それとも外で食べる?なにか買ってこようか?」
俺は律の言葉に、疑問が湧いた。
「外、出れるの?」
「うん、出れるよ。先に会計を済ませれば問題ないよ。外で食べる?」
俺はその時、閃いた。こいつを外に追い出せば、そしてその間に帰ってしまおうと。
「⋯⋯まだ、気分が悪い。あの、悪いんだけどなにか買ってきてもらえるかな⋯⋯?」
「良いよ、何が食べたい?」
律は出会って数時間しか経っていない俺の我儘さえ嬉しそうにそう聞いてきた。
俺は、行きすがらに目にしなかったコンビニ名を告げた。
そこでのこの商品が好きなのだと適当なことを述べた。
律は嬉しそうに、「じゃあ、買ってくるから待っててね」と言い、出て行った。
「あ⋯⋯」(会計、律が済ませちゃった⋯⋯)
キャッシュレスでかんたん決済。
俺は部屋に備えられてた料金表を確認して、現金を机の上に置くと、律がしていたようにフロントに連絡して鍵を開けてもらった。
(いけない!資料!)
だが、鞄ごと持ち歩いていた律は、俺のデータが記載されている資料ごと持ったまま買い出しへと行ってしまっていた。
(もういい、諦めよう。住所は黒く塗りつぶされていた。大丈夫だ)
建物から外に一歩出る。
安堵の溜息が同時に出た。
(こうしちゃいられない。早く逃げないと⋯⋯)
俺は雑踏に紛れるように、家路へと急ぐのだった。




