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沙州関異聞  作者: いろは
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 沙州関は堅固な二重の城壁に囲まれた都市である。外側の城壁に囲まれた部分を外城がいじょう、その内側の壁で囲まれた部分を内城ないじょういう。


 子怜と春明が通された部屋は外城壁の上にそびえる楼閣の最上階にあり、窓からは城内の様子が一望できた。そこから見おろす風景に題をつけるなら、春明は迷わず「荒廃」と名づけるだろう。


 石と煉瓦、それに黄土をつき固めて造られた家屋は、そのほぼすべてが倒壊し、できそこないの粘土細工のようにひしゃげている。あふれた瓦礫が東西南北をつらぬく大路をふさいでいるが、それで困る者もいなかろう。日暮れどきだというのに、城内にはひとつの灯もともらず、煮炊きの煙の一筋もたちのぼっていなかった。


「ひどいものですね」


 薄暮のなか、かつてはたしかに街だったものは、ただ沈黙のうちにうずくまっていた。


「人は住んでいないのですか」

「住民はいない。いまここにいるのは、再建のために集められた兵が、ええと、五百くらいだったかなあ。見てのとおり城内は住めたものじゃないから、とりあえず、この城壁の下層したにあった兵舎を修繕して寝泊りさせているそうだよ」

「五百……」


 妙だな、と春明は思った。


 五百もの人間が暮らしているわりに、この城は活気というものがまるで感じられないのだ。たまたま兵が出払っているというわけではあるまい。実際、春明はこの部屋に案内されるまでに、幾人もの兵とすれちがった。

 しかし思いかえしてみれば、彼らの顔にはおよそ生気というものがなく、うつむき加減で足をひきずって歩くさまは、まるで死にかけの病人のようだった。


 なんだか気味が悪いと、春明は腕をさすった。城門をくぐったときから、どうにも落ち着かないのだ。この身にまとわりつく、ひそやかで重苦しい空気にはおぼえがある。そう、まるでここは、


「まるで墓地だね」


 春明の考えを読んだかのように子怜が言った。茜色の夕陽に照らされたその横顔は、ぞっとするほど美しかった。


「さて、そろそろ幽鬼がさまよいはじめる頃合かな」

「……はい?」


 なんだろう。なにか、とんでもないことを聞いた気がする。幽鬼、とかなんとか。


 幽鬼。死者の魂。この世のものならざるもの。


「子怜さま、いま、なんと」

「ん? いや、そろそろ出るかなって」

「なにが」

「なにって、だから幽鬼だよ。ああいう手合いが出るのは暗くなってからと相場が決まっているだろう」

「……」


 短い沈黙の後、春明はゆっくりと子怜の肩に両手をのばした。逃がさないぞ、という気迫をこめて、薄い肩をしっかりとつかむ。


「子怜さま」

「うん?」


 小首をかしげるさまが男のくせにたいそう愛らしかったが、この顔にだまされてはいけないと春明は気をひきしめた。


「この城、幽鬼が出るんですか」

「そうだよ」


 気が抜けるほどあっさりと子怜は首肯する。


「けっこう有名な話だよ。沙州関には幽鬼がぞろぞろ出るって。ここは昔わりと大きな戦場だったらしくてさ、夜になるとその亡者がわんさか湧いて出るんだって。おかげで沙州関の兵は夜も眠れずやせ細り……」

「ちょっと待ってください。初耳ですが」

「だろうね」


 子怜は邪気のかけらもない笑みを浮かべる。


「宜京ではそこそこ噂になっていたんだけど、春明が知らないのも無理ないよねえ。そもそもこの城の存在自体知らなかったんだし」

「あなたってひとは……」


 ちょうど手もとにあった紙の束をとりあげて、すぱあん! と子怜の横っ面を張ってやりたい衝動をなんとか押さえこみ、春明はつとめて冷静な声でたずねた。


「子怜さま、あなた、わざと黙っていましたね? 言えば、わたしが随従の話を断ると思って」

「察しがいいね。そのとおりだよ。幽鬼の噂のせいで、いくら周旋屋を回っても誰も紹介してくれなくてさあ。しかたないから州令府にかけあってみようと行ったところで春明を見かけて、ちょうどいいやと……」

「なにがいいんですか! 全然よくないです!」

「なに春明、幽鬼とか苦手なの?」


 普通に考えて、あの手のものを得意だとか好きだとかいう者は少なかろう。


「大丈夫だって。ただの噂だよ。まだ本当に出るって決まったわけじゃないし」

「いや、出るでしょう。まちがいなく出ますでしょう。ここの人たちの様子を見れば一目瞭然ですよね。なにより、あの脱走兵もおびえていたじゃないですか。殺されるって!」

「それもそうか」

「そこはもっとがんばって否定してください!」

「うわ、春明めんどくさい」


 顔をしかめてそっぽを向こうとする子怜の頬を、両手ではさんでおしとどめる。


「それより子怜さま、まず、わたしに言うべきことがありますよね」

「ん……じつは隠し子が三人……」

「えっ、うそ」

「いや、さすがに冗談」

「ふざけないでください! 謝罪です、謝罪! なにも知らない純真な若者をだまくらかして、ここまで連れてきたことに対して、まずは誠心誠意わびたらどうなんです!」

「だましてない。ぼくはただの一言だって嘘はついてない」

「そのかわり肝心なことも言ってないでしょうが!」


 らちのあかないやりとりをしているところに、「あの……」とひかえめな声がした。


「失礼いたします」


 扉のかげから遠慮がちに顔をのぞかせたのは、背の高い、なで肩の男だった。年は三十をいくつか出たあたりか、細面にやや目尻の下がったおっとりとした容貌は、駆けだしの学者か文官といった風情だ。書物や筆が似合いそうな骨ばった手に、湯気の立つ茶碗をのせた盆を持っている。


 男は部屋に入ってくると盆を卓におき、子怜の前で一礼した。


「ご城主にはお初にお目にかかります。わたくし、沙州関の食客、よう阮之げんしと申します。どうぞお見知りおきを」


 城主にしてはあまりに若い子怜を前にしても戸惑う気配すら見せず、じつにそつなく礼をほどこす。


「食客と申しましても、実際は居候のようなものでございます。こちらの城輔の私的な秘書、とでも申しましょうか。ようは雑用係でございますね。まもなく城輔が参りますので、もうしばらくお待ちください」


 雑用係よろしく、ふたりのために茶を持ってきてくれたらしい。


 阮之のすすめにしたがって、子怜と春明は席についた。はじめ春明は主人と同席するなどもってのほかと固辞したのだが、子怜の「立っていられるのも落ち着かない」との一言で共に卓を囲むことになったのだ。


 同席を促されたのは阮之も同じだったが、こちらはためらいなく席につき、さらには「こんなことならわたしの分も持ってくればよかったですね」とのたまったあたり、なかなかにいい性格をしているようだ。


 きれいな薄緑色の茶は、このあたりで採れる茶葉で淹れたという。


「香りは多少くせがありますが、味は悪くありませんよ」


 阮之の言葉どおり、喉をとおるときにつんとした匂いが鼻についたが、飲み口は爽やかで、喉が渇いていた春明はひと息で飲みほした。


「おいしいです」

「ありがとうございます」


 阮之は愛想よく微笑む。あたたかい茶と、阮之のおだやかな笑みが、旅の疲れを溶かしてくれるようだった。


「それで、阮之どの」


 手のなかで茶碗をもてあそびながら子怜が口を開く。


「……と、お呼びしていいかな。城輔とやらが来るまでに教えてほしいことがあるんだけど」

「なんなりと。ご城主」


 子怜はずばりと問うた。


「この城、幽鬼が出るの?」


 阮之はとらえどころのない笑みで子怜の問いを受けとめる。


「幽鬼は出ません」

「幽鬼は、か」


 子怜は意味ありげにその言葉をくりかえした。


「じゃあ、なにが出る?」


 阮之は開け放った窓の外にちらと眼をやった。四角く切りとられた茜色の空に、金色の雲が細くたなびいている。


「城輔は、遅うございますね」


 つぶやくように言って、阮之は子怜に向きなおった。


「お待ちいただく間、昔話でもいかがでしょうか」


 そう前置きして、阮之は語りはじめた。


 ありし日の沙州関の姿を。その繁栄と、滅亡を。




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