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沙州関異聞  作者: いろは
第五章
39/42

三十八

 はげしい戦闘の勝敗は、あっという間についた。

 

 救援に駆けつけた斉の騎馬兵は、敵陣をぼろ布のように引き裂き、翻弄した。あれほど苛烈に城壁を攻めたてていた梁の皇子の軍も、いちど乱されるとあとは弱かった。ほぼ半数が地に倒れ、のこりは武器を捨てて投降した。


 歓喜にわく沙州関に入城した騎馬軍の先頭に、指揮官と思しき老年の武将が馬を立てていた。出迎えた子怜の姿を見るや、老将は年に似合わぬ身軽さで鞍から降りた。


「久しぶりじゃな、この悪たれが小僧が!」


 ばしりと強く肩をたたかれて、子怜は迷惑そうに顔をしかめた。


「なんであなたが来るかな」

「おぬし、自分で呼んでおいてそれはなかろう」


 老将は不本意そうに、しかしどこか嬉しそうに応じる。


「いやさ、たしかに州令どのには派兵を要請したけど、なにも慶州総兵がじきじきにお出ましになることはないじゃない。少嘉しょうかとか栄茜えいせんとか、いるでしょ、ほかにも」

「久しぶりの戦、しかも梁の残党狩りと聞いては、他の者に譲る気にはなれんよ」

「あいかわらず血の気が多いねえ」


 子怜は感心半分、あきれ半分の目で老将を見あげる。


「もういい年なんだから、こういう機会は後進にゆずりなよ。老人にいつまでも居座っていられると、あとがつかえて迷惑なんだよね」

「なんの。手柄が欲しくば実力でもぎとっていけばよい。そこの若いののようにな」


 老将があごをしゃくった先で、長身の青年がむっつりと不機嫌そうな顔で立っていた。


「ああ奎厦、ご苦労さま」


 子怜が気さくに声をかけたが、奎厦は押し黙ったまま子怜をにらんでいる。


 二人の間に流れる不穏な空気を察したのか、老将は見事な白髭はくぜんをしごきながら「おぬし」と子怜にあきれた目を向けた。


「変わっとらんの。年をとって少しは丸くなったと思っておったが、またやらかしおったか」

「やらかしたって……なんでぼくが悪いって決めてかかるのさ」

「そうに決まっておるからじゃ。わしの知るかぎり、おぬしほど性悪な輩はおらんからの。のう、そこの若いの、この悪たれに職を奪われたのであったな。よければうちに来んか。おぬしならばすぐに百騎、いや千騎を指揮できようぞ」

「へえ、すごいじゃない」


 奎厦が答える前に、子怜が無邪気な声をあげる。


「慶州総兵、こう宗仁そうじんどのにここまで言わせるひとはそうはいないよ。どうする、奎厦? ぼくとしては、きみにはまた城輔にもどってほしいけど、慶州軍千騎長の方が魅力的だというなら無理には引きとめないよ?」


 剣呑な眼つきで子怜を見おろしていた奎厦は、低い声で問うた。


「返事をする前に、あんたにいくつか訊きたいことがある」

「なに?」

「阮之……梁の皇子のこと、知っていたなら、なぜすぐに捕らえなかった」


 当然すぎるほど当然な奎厦の質問に、「だってさ」と子怜は肩をすくめる。


「なにを企んでいるのか、どこまで事を進めているのか、はっきりしないうちに捕らえたって仕方ないじゃない」

「捕らえてからゆっくりただせばよかろう」

「拷問すればよかったって? やだよ、そんな手間のかかること。それに、ああいうひとって責めても簡単に口を割ってくれないし、しゃべってくれたとしても、どこまで本当かわかんないもの」


 子怜は嫌そうな顔をしてひらひらと手をふった。


「おまけに沙州関は楼西の呪いだかなんだか妙な問題もかかえていたし。おおかたあのひとが裏で糸を引いているんだろうと思っていたけど、さすがにすぐに事の全容はわからなくてさ。だったら、わかるまで好きなように泳がせてみようと思ってね」

「そのせいで沙州関が攻められたんだぞ」

「それでいい。ばらばら散らばっている軍を探しまわって討つなんて面倒なこと、誰がやるってのさ。一箇所に集めて殲滅した方が断然効率がいいだろう」

「あんた……」


 もう我慢できないというように、奎厦は声を荒げた。


「沙州関をおとりにしたのか! そのせいで何人死んだと思う。あんたがさっさとあいつを捕らえていれば……」

「そしたら、頭を失った梁軍の残党は、どこか他の城市を襲っただろう。結果的にもっとたくさん死んだだろうね。兵だけじゃなく、罪のない民も大勢」


 子怜の冷静な指摘に奎厦はぐっと言葉につまったが、「せめて」と、食いしばった歯の間から声をしぼりだした。


「……せめて、おれに事を明かしてくれてもよかっただろう。身におぼえのない嫌疑をかけられて、おれがどんな気持ちでいたか、あんたに想像できるのか!?」

「きみの気持ちなんて知ったことかい。ああ、ところできみ、どうやって逃げたの? てっきり梁軍に捕まったのかと思っていたけど、その前に宗仁どのに拾われた?」

「城を出てすぐに妙な連中に襲われた」


 御者は殺され、奎厦自身も捕らえられかけたが、隙をついて逃げ出したところを慶州軍に行き会ったという。それを聞いた子怜は、やるねと口笛を吹いたが、奎厦は表情をゆるめなかった。


「おれたちが来る前にこの城がおちていたら、あんた、どうするつもりだった」

「そう簡単にはおちないよ。なんのためにいままで訓練させたと思っているのさ」

「あんた、まさか……」


 奎厦の顔に驚きと賞賛の色がよぎる。


「練兵をしたのは、この日が来ることを予想してのことだったのか」

「まあね」

 

 奎厦が声を失ったのも束の間、すぐに子怜は「あ、でもね」とつづける。


「きみに伏せておいたいちばんの理由は、きみが信用できなかったからなんだよねえ。きみが梁の皇子と結託している疑いは最後まで捨てきれなかったわけで……」

「貴様……!」


 子怜の胸倉をつかもうとした奎厦を、横から老将がとりなす。


「若いの、それくらいにしてやってくれ。そもそもこやつは希代の不精者でな、策を立てても味方にろくな説明もしないありさまで、わしらもずいぶんと苦労したものじゃて。だが、これでもましになったほうじゃぞ。斉軍に加わった当初はわしらとろくに口もきかんかったからの。こんな礼儀知らずの若僧が王家軍おうかぐんの総大将などと聞いて、悪い夢でも見ているような心持ちじゃったわ」

「王家軍、だと……」


 呵呵かかと笑う老将と、ふてくされた顔をしている子怜とを見くらべた奎厦の口から、かわいた声がもれた。



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