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沙州関異聞  作者: いろは
第四章
30/42

二十九

 暗闇の中、春明は目を開けた。


 荒い息のまま身を起こし、膝の間に頭をうずめる。例のごとく夢を見ていたはずだが、今夜に限ってひどく記憶がぼやけていた。


 いつにもまして寝覚めが悪い。胃に鉛の塊でもつっこまれたような気分だ。吐き気をまぎらわせるために手の甲に強く爪を立て、そこに確かな痛みを感じてほっとする。


 大丈夫、ここは現実だと。


 胸の動悸はおさまりつつある。かわりにひどく頭が痛んだ。こめかみを揉みほぐし、薄れていく夢の記憶をたぐるも、それは指のすき間からこぼれる砂のように失われていく。


 ひときわ強く頭が痛み、思わずうめき声をもらしたとき、部屋の外からあわただしい足音が聞こえてきた。

 

 春明は寝台から飛び降り、扉に駆けよった。勢いよく開けた扉のむこう、暗い廊下を一団の兵が走り去っていった。


「は……」


 目の前の光景が信じられなかった。自分はまだ、あの夢に囚われているのだろうか。


 膝から崩れそうになった春明の腕を、誰かがつかんだ。


「春明」

「……子怜さま」


 いつになく厳しい顔をした子怜がそこに立っていた。夜更けだというのにきちんと身支度を整えている。


「子怜さま……これ……」

「大丈夫。現実だよ」


 残念ながらね、と子怜はつけくわえる。


「暴動が起こった」

「暴動!?」

「ついさっき、数名の兵が武器庫に侵入し、武器を奪って奎厦の──」


 その名を聞いて、春明の胸がずんと重く沈む。


「奎厦の部屋を襲った。例の、刀児とかいう兵が皆を扇動したらしい。奎厦が、この夢の元凶だと」

「そんな……奎厦さまは……」

「安心おし。どういうわけか奎厦の部屋はもぬけの空だった。あてがはずれた兵たちは、武器を手にしたまま奎厦の部屋にたてこもっている。まあ、そっちは阮之どのが説得にあたってくれているから大丈夫だろう。問題は奎厦だ。勘のいい男だから、一足先に危険を察して姿をくらましたのか、ぼくの命にそむいて城内をうろついているだけか……」


 だとしたらただじゃおかないから、と子怜は不愉快そうにつぶやいた。


「どっちにしろ、このまま放っておくわけにもいかないからね。だから春明にも手伝ってほしいんだ。奎厦を捕まえる。できれば兵より先に」

「もちろんです」


 手早く分担を決めて、ふたりはそれぞれの方向へ駆けだした。


 子怜と別れた後、春明は城壁の上へ続く階段を駆けあがった。なぜそうしたのか自分でもよくわからない。ただ、どうしようもない嫌な胸騒ぎが春明の足を駆り立ててやまなかった。


 急な階段をのぼりきると、ざっと強い風が髪をなぶった。見あげた空には糸のように細い弦月が浮かんでいる。わずかな月あかりをたよりに、春明は城壁上をそろそろと歩いた。


 西面の城壁にさしかかり、壁にもたれるようにたたずんでいる長身の人影を認めたときは、驚きよりも、ああやはり、という思いのほうが強かった。


「奎厦さま……」


 春明が声をかけるより先に気づいていたのだろう。奎厦はゆっくりと春明に顔を向けた。

 

 しなやかな狼のような体躯、淡い色の頭髪、削いだような頬。そして、闇の中で金色の光を帯びる緑の眼。


「おまえか」


 感情を欠いたその声に、春明はぞくりと背筋が冷えるのを感じた。


「さっきも会ったな」

「……なんのことですか」

「とぼけるな」


 嘲笑する気配が小波さざなみのように伝わってくる。


「おまえとは何度も顔を合わせていたじゃないか。おまえだけじゃない。阮之も、城主も、ほかのやつらも……」


 おぼえているだろう、と歌うような口調で奎厦はつぶやく。


 ──あの方が夜ごと戦っている相手は、


 暗い目をした阮之がもらした言葉が、春明の頭にこだまする。


 ──誰なのでしょうか。


「おれが殺した」


 奎厦はひっそりと笑った。


「夢を見るんだ。敵と戦って、殺す夢を……倒しても、倒しても、やつらは向かってくるのをやめない。だからおれも戦い続ける。らなければ、おれが殺られるからな。何人、何十人殺したかな……気がつくと、足もとに血が河のように流れて、そのなかにおれが斬りおとした首がいくつも転がっているんだ。その顔が……恨めしそうにおれを見ているその顔は、沙州関の……」

「やめてください」


 春明は激しくかぶりをふった。


 もうたくさんだ。これ以上は聞きたくない。見たくない。奎厦が、自分自身を傷つけるさまなど。


「奎厦さませいではありません」


 雲が月を隠したのか、あたりの闇が一段濃さを増した。


「奎厦さまがわたしたちを、この城を呪うなどあり得ません。だって奎厦さまは、誰よりもこの城の再建を願っておられるのですから」


 必死で訴えながら、春明の頭の中にはいつか地下書庫で見た奎厦の顔が浮かんでいた。かつての楼西ろうせいの都の様子を語っていた、あのおだやかで、あたたかな。


「夢は夢です。現実とは違います」


 春明が夜ごと見る夢とは違う。あそこから感じられるのは、重くこごった恨み、暗い情熱だけだ。


「奎厦さまは利用されているだけですよ。楼西の王の血を引いているからといって、それがなんだっていうんです。奎厦さまには関係ありません」


 三百年だ。楼西が滅びて三百年。もう解放してやってくれと、春明はこの場にはいない楼西の王に訴えた。


「奎厦さま」


 春明は奎厦に手をさしだした。


「帰りましょう。子怜さまと阮之どのが待っています。おふたりなら、きっとこの呪いを解く方法を見つけてくださいます」


 奎厦は春明の手をながめていたが、ふいと眼をそらした。


「解決策なら、もうある」


 嫌な予感が春明の背中を駆けあがる。奎厦は城壁に手をかけ、はるか下をのぞきこんだ。


「楼西の王は」


 敵に囲まれ、追いつめられた楼西の最後の王は──


「こうやって終わらせた」


 次の瞬間、奎厦はひらりと跳躍した。城壁の、むこう側へ。


 春明の口から声なき絶叫がもれた。



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