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沙州関異聞  作者: いろは
第三章
18/42

十七

 事の起こりは十日前、洪という名の兵の脱走劇から一夜明けた朝のことである。城主の子怜は沙州関の全兵をこの練兵場に集めてこう宣言した。


 しばらく工事は中断する、と。


 ざわめく兵たちに、子怜はにこやかに言葉をつづけた。


「そのかわり、今日から練兵をはじめるよ。やるとなったらとことんやるから、そのつもりでね」


 それだけ告げると子怜は退場した。「じゃ、あとはよろしく」と、苦虫を百匹くらいまとめて噛みつぶしたような顔の奎厦を残して。

 

 うろたえる兵を、奎厦は一喝して整列させた。続いて練兵場の掃除をすませ、訓練用の班を編成し、武器庫を開いて各人に武器をわたし……と、つまるところ子怜が放り投げたすべての仕事を片付けていった。


 奎厦が子怜の指示に納得していないことは、その表情から明らかだった。だが、さすがに上官の命に逆らうことはできないようで、奎厦は黙々と、かつ、誰もけちのつけようのないほど完璧に作業を進めていった。

 

 ああいうのを貧乏性っていうのかなあ、との子怜の放言が奎厦の耳に入らないことを切に願いつつ、春明は「よろしいんですか」と問うた。


「急に訓練なんてはじめて。そんなことしていたら、城の補修工事が進まないじゃないですか」

「いまだって進んでいないだろう」

「そりゃそうですけど……」

「いいんだよ」


 子怜はしゃらっと笑った。


「どうせ進みもしない工事をやらせるよりましだろう」

「まし、なんですかね」

「少なくとも怪我人は出ないさ」


 いや、出ているだろう。しかも大量に。


 訓練の様子を眺めながら、春明はため息をついた。今日はいったい何人が阮之のもとへ運びこまれるのだろうと。


 慣れない武器を扱っているせいで、ここ数日怪我人が続出しているのだ。そのほとんどは軽傷だが、数が多ければ処置もけっこう大変で、おかげで阮之は大忙しである。


 見かねた春明は、最近阮之の手伝いを買ってでている。手伝いといっても、水を汲んだり汚れものを洗濯したりといった下働き程度のことしかできないが、それでも阮之にはおおいに感謝され、気がつけばすっかり阮之の助手といった立場が定着している。


 おかげで郷里に帰る日がどんどん先に延びていく。まあ春明としても特に帰りたいわけではないので、それは別に構わないのだが。


 だが、忙しい日々の合間に、春明はふと我が身をふりかえって不思議な気持ちになる。自分がいつの間にか、すっかりこの城に腰をすえていることに対して。


 おかしなものだ。こんな城からは一日も早く出て行きたいと思っていたはずなのに。


「ご城主」


 春明が物思いにふけっているところに、阮之が練兵場に現れた。


「こちらにいらっしゃいましたか」

「どうしたの」

「それが、たったいま城門に多数の荷車が着きまして。門兵が用向きを尋ねても、ご城主のご指示としか……」

「ああ、着いたの」


 子怜はぱっと顔をかがやかせて樽から飛びおりた。


「早かったね。じゃあ阮之どの、悪いけど荷を内城の……そうだな、内城壁の東南角に運ぶように伝えてもらえるかな」

「承知いたしましたが、あれはいったい……」


 困惑する阮之に子怜はただ笑みを返し、「奎厦」と、指導中の城輔に声をかけた。


「よかったら一緒にどうだい」

「なにをだ」

「来ればわかるよ。春明もおいで」


 それだけ告げると、子怜はさっさと練兵場をあとにする。


 二人がついてくることをかけらも疑っていないその様子に、奎厦は派手な舌打ちをもらしつつ、春明は首をすくめつつ、その背中を追いかけた。




「……なあ」


 練兵場の一角で槍の手入れをしていた兵が、ぼそりと右隣の少年に話しかけた。


「こんなことやって、なんの意味があるんだ?」

「知るか」


 話しかけられた少年兵はそっけなく会話をうちきったが、かわりに左隣の兵が話に入ってくる。


「新しい城主の気まぐれだろ。こんな辺境にとばされてやることもねえから、おれたちをしごいて憂さ晴らしをしているんじゃねえの」

「そうだよなあ。まったくあの城主も、よけいなことはじめてくれたもんだぜ」

「これだから貴族のお坊ちゃんは……」


 愚痴をこぼしあっているところに、近くにいた別の兵がそろりと顔をあげた。


「……でも、おれさ、昨晩ひとり倒したんだよ。その、夢で」

「本当か」


 一斉に注目されて、いかにも純朴そうな顔をしたその男は、照れくさそうに頭をかく。


「最後はやられちまったけど……」

「でもすごいじゃないか。おまえ、いままで真っ先にやられてたもんなあ」

「……おれも」


 すこし離れたところで、また別の者がためらいがちに口を開く。


「二人やった。いままではせいぜい一人倒して終わりだったのに」

「へえ……」

「やればできるもんだな」

「この訓練が役に立ってるってことか?」

「気のせいじゃないのか」


 ひそひそ声の会話が続くうちに、誰かがぽつりとつぶいた。


「……勝てるかな」

「そんなわけないだろ」


 怒ったような声の主は、そばかすがいっぱいに散った負けん気の強そうな顔の少年兵だった。


「馬鹿なこと言ってんじゃねえよ。いくら訓練したところで、夢の中でやつらに勝てるわけないだろ。ひとりふたり倒したところで、それがいったいなんだってんだ」

「……だよなあ」


 皆の肩が落ちた。会話は再び愚痴めいたものになる。


「いつまで続くんだろうなあ、これ」

「城輔も城輔だぜ。すっかり城主のいいなりになっちまって」

「そりゃおまえ、あのお綺麗な顔でお願いされてみろよ。いくら堅物の城輔だってころっといっちまうに決まってらあ」


 下卑た笑いがはじけ、それを聞きとがめた監督役がじろりとにらみつける。まずい、と兵たちはそそくさと作業にもどった。


「……城輔といえば」


 ふと思い出したように、ひとりの兵がささやいた。


「知ってるか? あの噂……」



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