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沙州関異聞  作者: いろは
第二章
16/42

十五

 ビィ──!!


 とんでもなく耳障りな音が響きわたり、春明しゅんめいは思わず目をつぶった。


 どさりと、重い音がした。


 目をあけて最初に視界に飛びこんできたのは、地に伏している洪の姿だった。そしてその傍らでは、


「あー痛かった……」


 首に手を当てながら子怜がぼやいていた。奎厦はと見れば、その手には矢をつがえたままの弓があった。洪が倒れたのは矢に貫かれたからではない。ということは、


「やあ春明、どうもありがとう」


 歩みよってきた子怜がにこりと笑う。


「いえ……」


 春明は安堵の息を吐いた。何かを考える暇もなく、たまたま手に触れた笛を吹き鳴らした。けたたましい音にその場にいた皆の注意が一瞬それ、その隙をついて子怜が洪を地に沈めたらしい。


「お手柄でしたね、春明どの」


 おだやかな声に顔をあげると、やや強張った表情の阮之がそこにいた。


「ですが、このようなことはもう二度としてはいけませんよ。うまくいったから良いようなものの、あの音に驚いて奎厦どのが手を離していたら、どこに矢が飛んでいったかわかりませんからね」

「あ……」


 十分あり得た可能性に青くなった春明だったが、「なに」と子怜は首をふる。


「その時はその時さ」


 阮之は苦笑し、春明の手から笛を取り上げると二、三度吹き鳴らした。先ほどの耳に突き刺さる音とはちがう澄んだ音に、その場の張りつめた空気がゆるむ。阮之は笛を懐にしまい、ふと眉をひそめた。


「ご城主、お怪我をなさっていますね」 


 短刀がかすったのだろう。子怜の襟まわりにべったりと赤黒い染みがついていた。


「かすり傷だよ」


 子怜は無造作に首をぬぐい、ぼんやりと突っ立っている兵たちに声をかけた。


「えーと、そこのきみ」


 血まみれの指をつきつけられた兵はぎょっと目を見開く。


「と、きみ。あと隣のきみも。そこに倒れている彼を部屋まで運んでやって。のこりは解散」


 子怜は、ぱん、と手を打った。その音に兵たちは夢から覚めたように飛び上がり、のろのろと歩きだした。


「……おい」


 洪を抱えて連れて行こうとした兵たちを、奎厦が呼び止めた。


「待て、そいつは牢に……」

「いいんだよ」


 子怜が奎厦の言葉をさえぎる。


「兵舎でいい。彼は罪を犯したわけじゃない。疲れて、気が動転していただけだ。しばらく静かなところで落ちつかせてあげよう。阮之どの、お願いしていいかな」


 阮之は何か言いたげに子怜と奎厦の顔を見比べたが、結局無言で頭をさげ、子怜の指示に従った。


「どういうつもりだ」


 人があらかたいなくなったところで、奎厦は押し殺した声をしぼりだした。


「あんた、わかっているのか。これはただの脱走騒ぎじゃない。反逆だぞ」

「なに言っているのさ」


 子怜は血で汚れた手を袖でぬぐいながら面倒くさそうに応じる。


「訓練だよ」

「え……」


 はらはらしながら二人を見守っていた春明は驚きの声をもらし、奎厦は何事かを察したように眉をあげた。


「……あんた、まさか」


 訓練。そういうことにしろ、と子怜は暗に命じたのだ。


 未遂に終わったとはいえ、洪は脱走を試みた。あろうことか城主を人質にとって。本来なら即刻斬首に処されるところだが、それを子怜は訓練の一言で片付けようとしている。


「賊が押し入ったことを想定しての訓練だ。賊役の彼の演技は、なかなか堂に入っていたねえ」

「ふざけるな!」


 奎厦の怒声に、まだ近くにいた兵がびくりとしてこちらをうかがったが、子怜はなんでもないと手をふって追いはらう。


「なぜそうやって奴に甘い顔をする。もとはと言えば今回の騒ぎも、あんたがあの男を牢につないでおかなかったのが原因だろう。一度ならまだしも二度も見逃してみろ。城の規律はめちゃくちゃになる」

「だから彼を処断しろと?」

「当然だ」

「きみはまた……」


 子怜はしげしげと奎厦の顔を見つめ、いっそ感心したような口ぶりで言った。


「ずいぶんと短絡的な考え方をするんだねえ」

「なんだと」

「きみの言うとおり軍律に照らして彼を処断したら、どうなると思う。今度は城中の兵が暴動を起こすよ」

「そんなわけ……」

「ある」


 子怜は断言した。


「あのときのいやあな空気、きみも気づいていただろう。弓兵だって、きみの指示を待たずに弓をおろした。彼らも罰するかい? まあ、ぼくとしては彼らの罪を問うより、きみに文句を言っておきたいね。危うくきみに殺されかけた」

「……あの場ではああするしかなかった。それに、おれは的を外すようなへまはしない」

「たいした自信だ。だけど、仮にきみがうまいことあの兵を倒したとして、それでどうなる。きみは一人を殺すかわりに、百人の敵を作ったことだろう。目の前で仲間を殺されて、いまの状態の彼らがどんな反応をするか、想像もできないほどきみは馬鹿じゃないと思っていたけど──」


 嫌味たっぷりに子怜は言葉をつづける。


「ぼくの見込み違いだったかなあ」


 奎厦は両の拳を握りしめた。このいまいましい上官の細首を締め上げる欲求と必死で戦っているように。


 だからさ、と子怜はうってかわって気楽な調子で言った。


「悪いことは言わないから、ここはひとつ訓練てことで手を打とうよ。そのほうがお互い楽だろう」

「そういう問題では……」


 奎厦が反論しかけたところで、子怜が突如「あ」と素っ頓狂な声をあげた。


「いいこと思いついた」


 そう言って奎厦を見あげた顔は、一城の主というより、とびきりの悪戯を思いついた子どものようだった。



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