くまの国の「合い言葉」
はじめましての方も、いつも読んでくださる方もありがとうございます。
本作は、くまの国を舞台にした “やさしいお話のふりをした小さな寓話” です。
もしよければ、深く考えずにページをめくってみてください。
最初は甘いケーキの香りのように、
最後は胸の奥にそっと残る余韻のように、
そんな物語になれたら嬉しいです。
では、どうぞ。
くまの国の入口に、ひとつの木の札がありました。
だれが置いたのかは、だれも知りません。
木の札には、やさしい文字でこう書かれていました。
「きのうより、あしたのほうが、すこしだけしあわせであること」
くまの国でただひとつの“合い言葉”として、大切にされました。
毎日くまたちは、
きのうより少し大きいケーキを焼き、
きのうより少し高い塔を積み、
きのうより少し元気に「おはよう」と言いました。
そんな“すこしずつ”を積み重ねるたびに、
くまの国はほんのり光り、
風まで甘くなるようでした。
くまたちは思いました。
「しあわせって、こうやって育てるんだね」
◇
◇
◇
ある朝のことです。
大きな大きなケーキの前で、
いちばん小さなくまが、小さくつぶやきました。
「ぼく、もうじゅうぶんしあわせだ。
これ以上の“すこし”が、どうしても見つからないや」
ほんとうに小さな声でした。
けれどその瞬間、国の光がかすかに弱くなりました。
甘い香りも、ほのかに薄れました。
くまたちは、不安そうに顔を見合わせました。
「どうして光が弱くなるの?」
「だれかが“すこし”をさぼったんじゃない?」
小さなくまは震えながら言いました。
「“すこし”“すこし”って、
みんなはどこまで続けるの?
ぼくは、もうしあわせなんだよ?」
その言葉は風に乗って国じゅうに広がりました。
そして――空に、かすかなひびが入りました。
くまたちはようやく気づきました。
いつの間にか、みんなが
“もっとすこし”“もっとすこし”という気持ちに
支配されていたことを。
きのうより高く……
きのうより大きく……
きのうより……
くまの国は生きていて、
その“すこし”こそが国の栄養だったのです。
だから小さなくまが「もうじゅうぶん」と言ったとき、
国はひとかけら栄養を失い、
やがて耐えきれなくなりました。
塔は静かに砂のようにほどけ、
ケーキの香りは消え、
光は森へしずかに溶けていきました。
あとに残ったのは、
入口にあった木の札が一枚、草の上に落ちているだけでした。
「きのうより、あしたのほうが、すこしだけしあわせであること」
風がその札を押し、
どこかの知らない国へ運んでいきました。
まるでまたどこかで、
“合い言葉”として掲げられるのを待つように――。
読んでくださり、ありがとうございました。
くまの国で大切にしていた“合い言葉”は、
どこか遠い世界の話でもあり、
どこか身近な場所でもあるのかもしれません。
しあわせは「もっともっと」と追いかけるものなのか、
それとも気づくものなのか。
この物語が、ふと立ち止まるきっかけになれば嬉しいです。
また次のお話でお会いできますように。




