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音の意味を求めて旅へ

路上の音と、初めての“ありがとう”

丘を渡る風が、草の匂いを運んでいた。

その風の先に、こぢんまりとした村が広がっていた。

――セリエ村。地図にもほとんど載らない、小さな村だった。


ケンは、村の広場にぽつんと腰を下ろす。

疲労と空腹に加え、ここ数日の逃走でまともな睡眠すら取れていない。

けれど、不思議と心はささくれていなかった。


そばでアリアが湯を沸かしている。

「少し休もう」と言ったのは彼女だったが、ケン自身もそれを求めていたのかもしれない。


気づけば、背中の《Doombringer》に手が伸びていた。

いつものように構えるわけでもなく、ただ、無造作に膝に抱え、

弦に触れる――軽く、そっと、風をなでるように。


 


 ポロロロ……


 


音が、吹き抜ける。

荒んだリフではない。鋭さもない。

それは、まるで眠る子に語りかける子守唄のような、静かな旋律だった。


「……なんて音……」

気づけば、数人の村人が集まっていた。

子供たちが音に惹かれるように近づき、年老いた女性が両手を胸元で組む。


「……なんて、懐かしくて優しい音だろうねぇ……」

老婆がぽつりと、誰に言うでもなく呟いた。


ケンは何も言わない。ただ、静かに続きを奏でる。


少し離れた場所で、母親と寄り添っていた少年がいた。

母親はどこか疲れた顔をしていたが――

演奏の終わりには、かすかに笑っていた。


少年が近づき、小さな手で草花を束ねたものを差し出す。


「ありがとう。母さん、笑ったよ」


その言葉に、ケンは弦を弾いていた手を止める。


「……」


ありがとう。

たったそれだけの言葉なのに、胸の奥に何かが詰まった。


怒られることはあった。恐れられることも、嘲笑されることも。

でも、“ありがとう”と正面から向けられたのは……きっと、初めてだった。


ケンは、苦笑するように鼻を鳴らした。


「……変な村だな。花なんか渡して……」


それでも、ギターは静かに震えていた。

まるで音が、ケンの心に共鳴しているかのように。


その夜、ケンは焚き火のそばで、もう一度同じ旋律を弾いた。

それは、“戦うための音”ではなかった。

誰かの心に届くための音――

ケンにとって、それがどれほど新鮮だったか、自分でも驚いていた。


アリアが、遠くからそっと微笑む。

静かな夜が、音を優しく包んでいた。



癒しと共鳴の可能性

陽はやわらかく、村の広場を照らしていた。

ケンは木陰のベンチに座り、ギター《Doombringer》を膝に抱えていた。

その名前に似合わぬ穏やかな時間が、そこには流れている。


目の前では、転んで膝をすりむいた子どもが泣きそうな顔で座っていた。

アリアが薬草を摘みに行っていたこともあり、周囲に大人はいない。

咄嗟に何をしていいか分からず、ケンは小さくため息をついた。


「……ったく。仕方ねぇな」


彼はギターの弦をそっとつまびいた。


 


 ……ポロン……ポロン……


 


音は静かに、風に溶けていく。

いつものような激しいリフではない。

爪弾くアルペジオ。どこか子守唄のようで、やさしい旋律だった。


子どものすすり泣きが、少しずつ弱まる。


「……痛いの、ちょっと減ったかも……」

ぽつりと、子どもが呟いた。


ケンは目を細めた。

その音には、確かに――熱も、殺意もない。

あるのは、ただ“寄り添うような波”だった。


「……へぇ。こんな音も、出るんだな」


彼はギターの表面をそっと撫でる。


その瞬間、頭の奥に何かが響いた。

このギターはただの破壊の道具じゃない。

音の魔法――いや、魔法ですらないのかもしれない。

感情そのものを、音に変えて届けてくれる“共鳴器”なのだ。


そこへ、アリアが薬草を抱えて戻ってきた。

そしてケンと子どもの様子を見て、ふわりと笑う。


「……この音、きっと“魔法”じゃなくて、“気持ち”なのかも」


「気持ち……ね」


ケンは、再びギターを見下ろす。

今はもう自分の一部になりつつあるその黒い楽器に、心の中でそっと語りかけた。


――お前……こんな音も、出せたのかよ。


《Doombringer》が微かに震えた気がした。

それはまるで、肯定するかのように。


そしてその瞬間、ケンの表情に、ほんのわずかな温もりが差した。


“音”はまだ彼に何かを教えようとしている。

破壊だけじゃない、戦いだけでもない――

音の意味を探す旅が、確かに動き出していた。




追跡者の影と対話の可能性

夜風が、草の匂いを運んでくる。

焚き火のぱちぱちと弾ける音が、静けさの中に浮かんでいた。


アリアは、空を見上げていた。

星々が穏やかに瞬くその夜に、ひとつ、空気の流れが変わる。


「……来てるね。王国の追手」

アリアがぽつりと呟いた。


ケンは焚き火のそばに座り、ギター《Doombringer》をそっと抱えている。

その指が、何気なく弦を爪弾いた。


 


 ……ポロ……ン……


 


低く、柔らかく、まるで思考の尾を引くような音。


「逃げなきゃ。でも――」


アリアが振り返る。焚き火に照らされたその瞳には、ただの不安ではなく、確かな意志があった。


「逃げるだけじゃ、きっと何も変わらない。

 でも音なら、誰かに“伝える”ことができるかもしれないよ」


ケンは一拍、間を置いた。

風が、焚き火の火を揺らす。


「伝える……か」


もう一度、弦を鳴らす。

今度は、少しだけ力がこもった音。

でもそれは怒りではなく、自問のような響きだった。


「俺の音が……何のためにあるか」

ケンは静かに呟いた。


言葉では言い切れないものが、胸の奥にある。

あの時の子どもの笑顔、老婆の涙、アリアの言葉。

破壊だけじゃない。怒鳴り声じゃない。

それでも確かに“何か”を、音は届けていた。


「……ちょっと、探してみたくなったな」

ケンは、ギターのネックに指を滑らせた。


アリアが小さく微笑む。


「きっと、それは“音”にしかできないことだよ」


焚き火がもう一度、小さく火の粉を散らした。

追っ手は近い。明日はまた走り出さなきゃいけない。

だが今夜だけは、その火と音に包まれていられる。


静寂の中、ギターがもう一度、やさしく鳴った。

その音が、誰にも届かなくても。

この夜が、ケンの旅の方向を変え始めていた。



音を武器にしてきた彼が、

初めて――“誰かのため”に、その音を鳴らした。


それはまだ、不安定で、かすかな旋律。

だが、確かにそこには想いが宿っていた。


怒りでも、悲しみでもない。

ましてや戦いのためでもない。


彼の音は、今――“生きる”ために鳴り始めている。


人とつながるために。

何かを伝えるために。

失ったものを、もう一度確かめるために。


そして今、音は旅をする。

その意味を探しながら、

誰かの心に届く、その日まで――。


ギターの弦が、静かに震えた。

それは祈りにも似た、音の鼓動だった。



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