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異世界転生ギタリスト、即逮捕

異世界の森で目覚める

 


──静寂の中に、“重さ”があった。


土の匂い。湿った風。遠くで獣の声がかすかに響く。

ケンはゆっくりとまぶたを開けた。


「……森?」


目に映ったのは、見たことのない木々。

枝は天へとねじれ、葉は光を吸うように黒ずんでいる。

空は妙に赤みがかっていて、なんと、太陽が二つある。

一つは白く、もう一つは薄い青色。重なり合うように空に浮かんでいた。


「夢……じゃねぇよな」


ケンは体を起こす。

背中に草と落ち葉の湿り気。だが、驚くべきはそこじゃなかった。


――ギターが、ある。


自分の胸に、ぴたりと抱かれるようにして、それはあった。

黒く塗装されたボディ、鋭角に尖ったヘッド、紅のラインが走るネック。

そう、《Doombringer》。彼の愛機であり、魂だったギター。


「……マジかよ。お前まで来てんのか」


手に取った瞬間、指が自然にポジションを探る。

ホコリひとつない。傷も、血も、焼け焦げも――ない。


ガサッ、と背後の茂みが揺れた。

ケンは振り向く。

……何かがいる。獣か、それとも。


「鳥? いや、獣の声か……けどなんだこの反響」


音が、空気に“跳ね返ってる”ような奇妙な感覚。

まるで、空気そのものがスピーカーみたいに音を拡散している。


しばらくあてもなく歩いた末に、朽ちた倒木を見つけた。

座って、深呼吸。そして……自然とギターを構えていた。


「試してみるか」


――軽く、リフを弾く。

低音のズンズンといううねりが、指から空へと走る。


ところが。


「……おいおい」


音が、太い。

ただのアンプなしの生音とは思えない。

空気が音を“太らせて”いる。いや――増幅している?


ケンは目を細めてつぶやいた。


「……何だこの音の伸び。空気が音を吸わねぇ……いや、増やしてる?」


さらにもう一発、リフを刻む。

風が揺れ、木の葉がざわめく。

それだけで、森全体がわずかに“応えて”いるように感じた。


ギターと、自分の音と、世界が一体になったような錯覚。


――と、その時。


「……!」


遠くで馬のような蹄の音が聞こえた。


ケンはギターを抱え直し、音のする方に身を伏せた。


異世界? 魔法? 夢?


どうでもいい。

だが一つだけ確かなのは、


音がある限り、俺はまだ――死んでねぇ。


そう、心に刻んだ。




王国兵との遭遇、そして逮捕

 


ズン――

ズン、ズンッ……!


空気を裂くような音が、森の奥から近づいてくる。

蹄だ。馬……いや、それだけじゃない。足音が混じっている。複数の。


ケンは音のする方に顔を向けた。ギターを軽く抱きしめながら、立ち上がる。


「……マジか。誰か来るのか?」


気配は、どこか殺気立っていた。

演者の勘が、戦の気配を嗅ぎ取る。


やがて、木々の間から現れたのは――鎧をまとった兵士たち。

銀青の板金に、紋章の刻まれたマント。腰には剣、そして背には……弓か?


『侵入者発見!』『構えろ!』


「うお、何だ……英語じゃねぇな。つーか、通じてねぇか」


ケンは手を挙げて無害を示そうとするが、その仕草に兵士たちはさらにざわついた。


『その手にあるのは……!』

『魔道器か!?』

『金属の細工に、血の紋様……この輝き、ただの武器ではない!』


「いや、これはギターで――って通じてねぇよな!? おい待て、早い、話せや!」


ガキィィン!


次の瞬間、兵士の一人が足元に鉄球のような装置を投げ込んだ。

地面で転がると、唐突に紫の光陣が展開。空気が低く唸った。


「……今の音、何だ?」


目には見えない“衝撃波”のような何かが、全身を包む。

視界がぐらついたかと思えば、耳鳴りのような振動が響く。


『音感知魔法陣、起動確認! 不明魔導波、検知!』


「なっ……何言ってんだ、おい、触んなよ!」


兵士たちがケンに一斉に飛びかかる。

ギターを――《Doombringer》を、奪おうとした。


「やめろッ!! それは、俺の魂だ!! 手を触れんじゃねぇ!!」


が、叫びも虚しく。


《Doombringer》は強引に引き剥がされ、兵士の手に渡った。

まるで親を奪われたかのような喪失感が、ケンの胸を締めつける。


「……ッ!」


膝をついたケンの背中に、固い鉄の輪が打ち込まれた。

両手を縛られ、首にも鎖。無理やり馬車へと押し込まれる。


『拘束完了。魔具保持者、王都へ搬送する』


「おい……俺はただ、音を出してただけだろ……!」


そう言いかけて、ケンは自嘲するように笑う。


「クソ……“爆音”で捕まるとか、どんなロックだよ……」


その馬車が動き出したとき、

ケンの耳にはまだ、《Doombringer》が最後に鳴らしたリフの余韻が残っていた。


響いていたのは、奪われた“自分の声”だった。


王国の留置牢にぶち込まれる

 


重い鉄の扉がきぃ、と音を立てて閉じる。

その響きが、地下の空間に反響していた。


「……ここが、控えめに言って地獄ってやつか」


王都の地下、いくつもの層に分かれた牢獄の一角。

ケンは、鉄格子に囲まれた独房の中に押し込まれていた。


背後で、兵士がなにかを呟く。


『危険魔道具《音撃具・黒弦の咆哮》、封印区画へ搬送』


「《Doombringer》……!」


ケンが振り返る前に、ギターは視界の外へと消えていた。

まるで、“もう二度と戻らない”かのような、絶望的な気配だけを残して。


牢の中は、ほとんど何もない。

石のベッド、ボロ布一枚、水瓶と腐ったパン――

そして、壁一面に刻まれた、薄く淡く光る魔法陣。


音を拒絶するように、低い振動を発していた。


「……“音封じ”か。徹底してんな」


ケンは壁に手を当ててみる。

感触は冷たく、ただの石だったが、内部から何かが“鳴らない”ように抑え込まれているのがわかる。


何を弾いても、ここじゃ“音”にならねぇ――そう直感した。


パンを手に取る。

カビが生え、水気を吸って重くなったそれを、ケンはしばらく見つめた後、無言で壁に投げた。


バスッという鈍い音だけが響く。


「……ったく。飯もバンドメンバーもねぇとはな」


笑いも出なかった。

今のケンにあるのは、飢えと空腹、そして――沈黙だけ。


音のない世界は、

彼にとって“死後”と変わらなかった。


そうして数時間、もしくは数十時間が経った頃。


遠くの壁越しに、かすかに“何か”が聞こえた。

鈍く打ち鳴らされる音。甲高い金属の軋み。そして、誰かの悲鳴。


「……拷問部屋、か」


ここがどういう場所なのか、言葉はわからなくても察せられる。


逃げ道は、ない。

音も、ない。

ギターも、ない。


ケンは天井を見上げ、ぽつりと呟いた。


「音を奪われた人生に、何の意味がある――」


しばし沈黙が支配した。


だが、次の瞬間――

彼の中に、小さな火種が灯る。


音がないなら、取り戻すしかない。

奪われたギターも、奪われた“自分”も。


「……黙って朽ちるなんて、俺の流儀じゃねぇ」


その言葉が、牢獄の空気にわずかに震えをもたらした気がした。

誰にも届かない、沈黙への反抗。


爆音はまだ、死んでいない。



音を奪われた男の沈黙

 


時間の流れがわからない。

陽も射さない。風もない。時計の針の音すらしない。


ケンは、ただ座っていた。

壁にもたれ、膝を抱え、沈黙の中に溶けていた。


口を開かず、言葉を出さず。

食事のパンには手をつけず、水も最小限だけ飲む。


三日間――彼はほとんど、動かなかった。


いや、動けなかったのだ。


「……音が、ねぇ」


天井を見上げて、乾いた唇を開く。


声は出た。喉も生きている。

だが、音としての“手応え”がない。


ここでは音が死ぬ。

空気が音を伝えず、壁が吸い、足音すら反響しない。


それが“音封じの魔法陣”の力――

ギターがなくても、ケンの“存在”までも否定するような空間だった。


「……」


壁に指を伸ばす。

爪で擦り、C→E→Gと音階を刻もうとする――が、


キィィィィ……


摩擦音すら、何かに飲まれるように掻き消える。


「チッ……」


苛立ちとともに手を引っ込める。

指先に、少しだけ血が滲んでいた。


静寂。沈黙。死のような時間。


その中で、ケンの脳裏に浮かんできたのは――

ツアー中のワゴンの中、バンド仲間の笑い声。

地下スタジオで朝まで合わせたセッション。

ライブ前、手が震えるほどの緊張と、会場が爆音で揺れた一瞬。


そして――

あのラストライブ。

ステージに立ったまま、落雷とスモークマシンの爆発に巻き込まれ、

最後の音とともに“死んだ”あの日。


「……ああ、俺……死んだんだったな」


ふっと、笑う。

その声すらも、まるで他人のもののように聞こえなかった。


音が出せないこの場所は、まさしく地獄。

だが――


「……ってことはよ」


ケンは、ゆっくりと拳を握りしめた。

皮膚に爪が食い込むほど、強く。


「まだ“死んでねぇ”ってことだ」


それは、ケンにとって唯一の希望だった。


音を失ってなお、“音を求めてる”自分がいる。

絶望の中で、それでも耳を澄ませている自分がいる。


「音が出せねぇなら、ここが地獄だ……。

なら、俺はまだ死んじゃいねぇ。俺の音、ここじゃ終わらねぇ」


独房の壁に、かすかな決意の声が刻まれる。


「音を奪われた人生なんて、意味がねぇんだよ」


そう呟いた瞬間、どこかで何かが“揺れた”気がした。

音にはならない波動――しかし確かに、空気が震えた。


まるで、何かが応えたかのように。


ケンの目が、ゆっくりと開いた。

獣のように鋭く、火花のように光っていた。


音がある場所へ、戻る。それだけだ。



――そして、音はまだ、眠っている。

魔具――それはこの世界で、

“魔力を媒介し、形にする道具”。


杖、剣、指輪、楽器。

その姿は様々であれど、すべては魔を操るための“媒体”にすぎない。


だが――


《Doombringer》は違った。


それは“ただの魔具”ではない。

“音を鳴らすだけの武器”でもない。

ましてや“芸”や“儀式”のための道具でもなかった。


音魔法――それは、人の感情と共鳴し、現実を変える力。


怒り、悲しみ、憤り、歓喜、絶望。

それらが、音となり、波となり、世界を震わせる。


ケンのギターは、まだ目を覚ましていない。

その“全て”を、まだ誰も知らない。


この世界の誰ひとりとして――


――ケン自身すらも、まだ知らない。


 


そして今、牢獄の奥深くで、

封印の布の下、静かに眠る《Doombringer》の“弦”が、微かに震えた。


まるで、遠いどこかで鳴らされた“心の音”に応えるように――


 


音の目覚めは、すぐそこにある。

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