プロローグ 「音を置いて死んだ男」
爆音が鳴った。
フロアが揺れ、地鳴りのような歓声が会場を包み込む。
ステージの上、ケンはギターを握っていた。
黒いレスポールに近いボディ、しかし形はどこか歪んでいて、彼が独自に改造した特注品。
そのヘッドには、血のように赤いペイントでバンド名が刻まれている。
《Vomit Spiral》
都内の地下でくすぶっていたデスメタルバンド。
30を超えても売れず、それでも音にだけは、嘘をつかなかった。
ケンは叫ぶ。
「――地獄、見せてやんよッ!!」
ドラムが打ち鳴らされ、ベースが地を這い、
そしてケンがギターを振り下ろす。
リフが放たれ、空気が歪む。
その瞬間――天井の照明が落ちた。
――バチィィィンッ!!!
異様な音と共に、スモークマシンが暴走。
会場に白煙が立ち込める。
次の瞬間、何かがケンの背中を貫いた。
雷のような衝撃。
ギターが悲鳴を上げ、アンプが火花を吹いた。
視界が――ブラックアウトする。
「……ちっ、こんなとこで……」
「まだ、まだだ。もっと、音を……」
指はまだフレットをなぞっていた。
足はまだペダルに乗っていた。
彼は、最後の瞬間まで音を求めていた。
「もっと爆音を……ッ」
そして、闇が全てを飲み込んだ。
……風の音が、する。
ケンは、重いまぶたをゆっくりと持ち上げた。
視界に映ったのは――空。
紫がかった雲、二つある太陽、知らない空。
「……あ?」
背中には草の感触。
耳に残るのは、アンプのノイズじゃない。鳥のような鳴き声。
呼吸をひとつ、ふたつ。
生きている。なぜか。
だが、ここは――どこだ?
ケンは身を起こす。
手に――ギターがあった。
あのライブで握っていた、《Doombringer》が、傷一つなくそこに。
「……ライブの演出が極まって……るわけねーよな」
空気が違う。
呼吸すると、肺の奥に“重低音”が響くような感覚。
空が、反響している。
どこにもスピーカーはないのに、“音”の気配が漂っていた。
そして――
地面が、微かに震えた。
どこか遠くから、太鼓のような音。
――否、蹄だ。
馬車か? それとも……。
ケンはギターを構えた。
無意識に、自然に。
背筋が、音を求めていた。
異世界。
空の色が違うこの場所で、
音だけは、裏切らず、傍にあった。
それが、爆音ギタリスト・ケンが異世界で目覚めた、最初の瞬間だった。