何も言わずに待つ人に、私がしていたこと
昔からミーハー気質で、
それは大人になった今でも変わらない。
流行りに乗りたいけど乗りたく無いふりをする。
裏では人一倍ノリノリで楽しんでいる。
サブカルを覗いてはみるけれど、
メジャーの方が響く。
私はずっと、そんな感じ。
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小学生当時、叔母からピアノを勧められた私は瞬間でその気になり、ピアノに触れる前から品の良い“お嬢さん”にでもなった気分だった。
何十年も前のことだが、
自ら「習ってみたい」と言葉にした時の母と叔母の、
少々の驚きと嬉しさが混ざった顔を今でも思い出せる。
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月に何度か叔母と一緒のピアノ教室へ通い、
順調にピアノの楽しさを知り、練習にのめり込んだ私は、
合唱祭の伴奏に立候補するようなピアノ少女になるー-予定だった。
現実は甘く無く、始めてすぐに練習嫌いが発覚。
小学4年生の頃には、手の施しようがなくお手上げ状態。
レッスン当日の1時間前に、付け焼き刃にもならない指の体操をしてから、
申し訳なさそうな顔で教室へ登場する私に対し、
先生は決して一度も怒らなかった。
怒られた方がどんなに楽か。
先生の優しさから落胆を感じ、余計に辛かった。
驚くことに、そんな状態で中学3年生まで続けていたのだから、先生には心から申し訳なく思っている。
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ピアノ教室は、程よいを通り越した寂れた街中にあり、
そこへは毎回、母が車で送迎してくれていた。
レッスンが終わった後、近くのサティで待ち合わせることが、私たちの決まり事だった。
教室からお店までの石畳の道を歩く。
側には半分枯れているような街路樹や雑草が生えているが、レッスンから解放されたからか気分はそこそこ良い。
母は1階の食料品のコーナーで時間を潰し、
私が来るのを待っている。
入口近くにいてくれて、すぐに見つけられるように。
入口にはいつも「〇〇セール」の垂れ幕がかけられていた。
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一緒に買い物を済ませて、マックかレストランに寄る。
レストランとは――
ガラスケースの中に“そこまで揃えてもらわなくても…”と気を遣いたくなるほどの食品サンプルが並ぶ、
和洋中なんでもどうぞの“あの”レストランである。
私は豚骨ラーメンか、かた焼きそばを頼んだ。
午後3時頃の何ご飯か分からない、
おやつにしては…な代物を平らげて、夕食も全力だったのだから、その当時からフードファイターの素質があったのだ。
豚骨ラーメンは紅生姜とキクラゲが添えられている。
段々と紅が溶けだし、白濁したスープがピンク色になる。
かた焼きそばの麺はお菓子のように細くパリパリだった。
キャベツ、豚肉、細切りのなるとの餡で段々とふにゃふにゃになる。
母はいつも何を頼んでいたのか、少しも思い出せなかった。
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母は私のピアノへの姿勢を知っているからか、
レッスンの様子を聞いてこない。
「練習しなさい」とも言わず、ただひたすらに私を待っていた。
私は母に先生と同じ気持ちを抱きながら、
ピンク色のスープとふにゃふにゃの麺を啜る。
覚えているのは、母が楽しそうだったこと。