苦味の行方
戸口の引き戸が、がらりと音を立てた。
「おいでか……」
祖父・宗助が目線を上げたその先に立っていたのは、斎藤篤志だった。
朝の光を背に、やや陰の差す表情のまま、彼はきちんと頭を下げた。
「斎藤です。……先週の薬について、ひとつお話を」
奥から出てきた柑乃は手を止め、わずかに眉を上げた。
「効きませんでしたか?」
「いや、効いた。だが——香りが強すぎたと、患者が言っていた」
柑乃はわずかに視線をそらし、薬棚に手をかけた。
「それは……申し訳ありません。でも、あれは“飲めた”んでしょう? それなら——」
「“飲めた”ことと、“心地よく飲めた”ことは、別です」
篤志の言葉には、冷たさよりもどこか硬さがあった。
先週よりも、少し——脆さを帯びていた。
「薬の香りで飲みやすくなることがあると、あなたは言いましたね。……それを確かめに来ました」
「確かめに?」
「子どもに飲ませたところ、最初は顔をしかめたが、次に同じ薬を飲んだ時、香りを嗅いで、笑ったと……母親が言っていた」
柑乃の目が、わずかに見開かれた。
「それって……」
「効き目か、香りへの期待か……私には断定できない。だが」
篤志は一歩、調合場へ近づいた。
「先週のあなたの言葉が、頭に残っていた。それだけは、確かだ」
柑乃の心の奥に、小さな火が灯ったような気がした。
だが、彼女はすぐにその感情を打ち消すように、棚から小さな紙包みを取り出した。
「これは、少しだけ香りを抑えてみた煎じ薬です。量は変えてません。……良ければ、試してみてください」
「ありがとう」
篤志がそれを受け取ろうとした瞬間、ふと何かに気づいたように手を止めた。
「……黄柏、炙ってるんですね」
柑乃は、きっぱりとうなずいた。
「炙ると、香りが立つ。でも焦がすと苦味が出すぎるから、火加減が大事。……“香りの変化”は、黄柏の扱い次第なんです」
「なるほど……先週の香りの違和感、そこかもしれませんね」
「……香りなんて関係ないって、言った人の台詞とは思えない」
柑乃が皮肉交じりに笑うと、篤志は少しだけ目を伏せた。
「先週の私は、あなたの言葉を聞く準備ができていなかった。……すまない」
静かな沈黙が、ふたりの間に流れた。
それは、拒絶ではなく、わずかな接点を模索する沈黙。
「……ありがとう。来てくれて」
柑乃の声に、篤志は小さく頷いた。
そして紙包みを胸元にしまうと、踵を返して、静かに店を後にした。
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その背を見送った後も、柑乃の中にはどこかじんとした熱が残っていた。
香りは届いたのだ。たしかに、あの人に。
明るくなってきた朝日と共に、黄柏の香りが静かに立ちのぼっていた。