薬の姿
柑乃が旅立ってから、もう四日が経っていた。
朝、診療所の戸を開けるたび、篤志はふと外の道を見やる。
濡れた土の匂いと、まだ乾ききらない草の青い香りが、どこか遠い山道の彼女を思わせた。
町は、豪雨の爪痕をまだ至る所に残していた。
濁流で削られた川岸、崩れかけた土手、瓦の一部が欠けた家々。
患者は絶えず訪れ、熱を出した子供や、風邪をこじらせた老人、傷の癒えぬ職人たちが順番を待っていた。
篤志は、黙々と診察を続けた。
しかし、薬草の備えが乏しいため、必要な処方をすべて出すことができない。
湯気の立たない薬壺を見つめながら、ため息が漏れる。
(……柑乃さん、無事だろうか)
診察の合間に、彼は何度も心の中でその名を呼んだ。
離れていても、柑乃の安否を思う気持ちが、心の大半を占めていた。
そんな折、ふと診療所の戸口から懐かしい声がした。
「篤志、相変わらず忙しそうだな」
振り向けば、透馬が立っていた。
以前よりも精悍な顔つきで、眼差しには自信と熱が宿っている。
「透馬……」
再会の握手は力強く、しかし短かった。
茶をすすりながら、近況を交わす。
篤志は、薬草が手に入らず、この先の診療が思うようにできない不安を吐露した。
透馬は静かに頷き、少し身を乗り出す。
「実はな、今、ある人物の情報を集めている。『加島源作』という薬学者だ」
「加島源作……?」
「蘭学と日本の知恵を融合させた天才だ。彼は、薬草から“薬効成分だけを抽出する”研究をしているらしい」
篤志は目を見開いた。
「薬効成分だけを……?」
「ああ。薬草を乾燥させて煎じる代わりに、必要な成分だけを取り出し、より精度の高い薬にする。もしこれが完成すれば、薬草が乏しい時でも、必要な薬を作ることができるんだ」
透馬の声は熱を帯びていた。
「俺は、それが遠山壮馬の進む『製薬』の道にも通じると思っている。薬草不足に悩む今だからこそ、こうした方法が人々を救う可能性がある」
篤志は黙ってその言葉を噛みしめた。
成分を抽出し、効能を最大限に引き出す――その技術は確かに魅力的だ。
だが彼の脳裏には、薬草を手ずから刻み、土と水と火に寄り添いながら、患者のために一包一包を仕立てる柑乃の姿が浮かんだ。
(薬は……効能だけじゃない)
患者の体質や心に寄り添い、手間を惜しまず作られるからこそ、人はその薬を信じる。
それは、柑乃が日々積み重ねてきた営みだった。
透馬は最後にこう言った。
「新しい道を試す価値はある。でも、古くから続く方法も捨てる必要はない。お前の隣にいる薬師は、それを一番わかっているはずだ」
篤志はゆっくりと頷いた。
窓の外には、夏の終わりを告げるような雲が流れている。
遠く離れた山道のどこかで、柑乃もまた空を見上げているだろうか――そう思うと、胸の奥で、小さく温かい灯が揺れた。




