苦い余韻
「おい、篤志。薬の調達、うまくいったか?」
斎藤診療所の奥座敷で、兄の和貴がひと息つきながら問いかけた。
医師として穏やかな物腰の彼は、弟とは対照的に、人の表情を読むのが得意だ。
「黄柏、甘草、葛根——すべて揃えてもらった。分量通りに。」
「へえ。香月屋の柑乃さん、ちゃんと対応してくれたか?」
「……丁寧だった。」
篤志はそう言ったが、ほんの一瞬だけ、あの娘の言葉が胸によぎった。
——薬は、心に届けるもの。
香りや色のことを真顔で語る彼女に、最初は戸惑った。
だがその真っ直ぐな眼差しは、妙に印象に残っている。
「おまえが“丁寧”なんて言うとはなあ。」
和貴は笑いながら、箸で湯豆腐をすくった。
「篤志、おまえ、うちから独立するつもりなら、町の人との関係は大事にしないと。
斎藤家の次男として、ちゃんと考えろよ」
「わかってる。」
篤志は短く答えると、箸を手に取った。
味噌汁の湯気の向こうに、香月屋の娘の横顔が、ふと浮かんだ。
* * *
一方、香月屋でも、仕事で遅くなった柑乃に夕飯の膳が運ばれていた。
「旦那様たちはもう召し上がって、私たちだけだからあっさりですみません。茄子の煮びたしと、わかめのお味噌汁にごはん。」
「うん、こういうので十分よ。ありがと。」
ふぅっと湯気を吹きながら、柑乃は箸をつけた。
優しい出汁と醤油の香りが鼻に抜け、気持ちが少しほぐれる。
しのはちらりと彼女を見てから、そっと尋ねる。
「斎藤先生の次男さん、すらっとした涼しげな方でしたね。なんだか余計に冷たそうでしたけど。」
「お兄さんとはだいぶ違いそうな感じだったわね。黄柏、うまく使ってくれたらいいのだけれど。」
そう言いながらも、柑乃の箸は一度止まる。
あの“薬は飲めればいい”という言い方が、喉に少し引っかかっていた。
「薬を出すだけなら、どこでもできる。
でも飲む人のことを思っていないと、効くものも効かない気がして……。」
「柑乃さまは、やっぱり優しいですね。」
「優しいんじゃないの。私が薬をもらう側だったら、香りも、色も、苦味の出方も気になるもの。
——だから、そういう薬をつくりたいの。」
夕暮れの終わりに姿を見せた月明かりが障子越しに薄く差し込んで、黄柏の香りがまだ微かに残る柑乃をやさしく包んでいた。