もう一つの恋
篤志と柑乃のすれ違いが深まる中、清原透馬は篤志の様子に違和感を覚え、心配していた。ある夕暮れ時、透馬は斎藤診療所の前で、仕事を終えて戻る篤志の帰りを待っていた。
「おい、篤志。最近、どこか浮かない顔をしているな。香月屋の娘さんと、何かあったのか?」
篤志は言葉を返さず、黙って薬を調合する手を止めなかった。その無言の背中を見つめながら、透馬は静かにため息をついた。
(あいつは本当に不器用だ……)
その帰り道、透馬は偶然、早苗と出会った。彼女は篤志のことを案じ、診療所の前までそっと様子を見に来ていたのだ。
「早苗さん、篤志のことを心配しているのか?」
透馬の問いに、早苗は少し頬を染めながら答えた。
「……はい。最近、篤志さんが元気をなくしているようで……」
「俺も同じ気持ちだ。あいつは感情を内に溜め込む癖があるからな。心配になるのも当然だろう。」
その言葉に、早苗は透馬の優しさを改めて感じ、彼への印象が少しずつ変わっていくのを覚えた。
「俺は蘭学を学んでいる。西洋医学は体の仕組みを細かく分析し、理論で解き明かすところが好きで、のめり込んだ。だが、人の心に寄り添うことだけは理屈では測れない。篤志が不器用に悩む姿を見ると、どうしても放っておけなくなるんだ。」
透馬は少し寂しそうに微笑み、早苗はその言葉を静かに聞いた。
(透馬先生も、篤志のことを真剣に考えているんだ……)
これまで篤志の幼馴染としてしか見ていなかった透馬が、医師としての頼もしさを感じさせる姿は、早苗の心に新しい感情を芽生えさせていた。
透馬は続けた。
「早苗さんは、いつも篤志のことを優しく見守ってくれているんだな。ありがとう。」
その言葉に早苗は目を伏せ、心の奥で揺れる想いを押し込めた。叶わぬ恋を抱きながらも、自分を大切にしてくれる透馬に、静かな安らぎを感じ始めていた。
透馬もまた、早苗の健気で優しい姿に、知らず知らず惹かれていく自分を感じていた。
篤志と柑乃のすれ違いが、透馬と早苗の間に新たな言葉を生み出した。まだ恋と呼べるほどの熱ではないが、互いの存在をこれまでとは違う意味で意識し始める、新しい物語の芽がゆっくりと息づき始めていた。