完璧な優しさ
夏の日差しが和らぎ、香月屋に訪れる遠山壮馬の回数が増すにつれて、柑乃の胸の内は複雑な感情で揺れていた。
壮馬は薬師としての彼女の才能を深く尊敬し、その考え方を理解しようと常に努めていた。彼の優しさはどこまでも誠実で、言葉にも行動にも彼女を大切に思う気持ちが滲み出ていた。
ある日の午後、壮馬は柑乃に手渡すように、小さな木箱を差し出した。
「これは、私が長崎から取り寄せた珍しい生薬です。柑乃さんの薬づくりに、何か新しいヒントになればと思って」
箱を開けると、柑乃の知らない薬草が幾つか詰まっていた。どれも深みのある香りを放ち、彼女の心を惹きつけた。
「ありがとうございます……こんなに貴重なものをいただいてしまって」
その感激の中に、彼女は壮馬の完璧な優しさを改めて感じていた。彼の言葉にはいつも、彼女の心を慮る温かさがあった。
しかしその優しさは、同時に柑乃の胸に微かな違和感をもたらしていた。
壮馬との会話はいつも理路整然としていて、まるで決まった台本をなぞるかのように完璧だった。話す内容は深く興味を引くものだが、どこか型にはまった感覚が拭えなかった。
それに対して、あの夏祭りの夜、篤志と交わした不器用で、ぎこちない会話を思い返す。篤志は言葉足らずでぶっきらぼうだが、彼の一言一言には、心の奥底から湧き出る熱い思いが込められていた。
「あの時、『黄柏の香りが、残っていますね』と私が言ったときの、篤志先生の少し照れた表情……あれが忘れられない」
壮馬の完璧な優しさは確かに心地よく安らぎをもたらすが、篤志の不器用な優しさは、どこか心の奥を揺さぶる強い力を持っていた。まるで、調和のとれた漢方薬と、少しバランスは崩れているが効き目の強い薬のように。
柑乃はどちらを選ぶべきなのか、自分の心の答えが見つけられずにいた。
その時、壮馬は静かに言った。
「もしよろしければ、この薬草で、柑乃さん自身の香りを調合していただけませんか?あなただけの特別な香りを」
その言葉に、柑乃の胸は強く締め付けられた。
(私だけの香り……)
果たしてそれは、壮馬のための香りなのか。それとも……自分の揺れる心のために作るものなのか。
柑乃は初めて、自分の心の深いところに潜む揺らぎに気づき始めていた。