心の巡り
花火の余韻がまだ空に漂う、小道の静かな夜。夜風は少し涼しく、遠くで祭りの賑わいが微かに聞こえていた。柑乃は、さっきの篤志の言葉を改めて心に反芻していた。
「気づかされた、ですか……」
そっと問いかけると、篤志はゆっくりと頷き、夜空に浮かぶ花火の残像を見上げた。
「そうだ。医者は患者の病を治すのが仕事だ。だが、患者の心を癒すことも、同じくらい大切だと、最近になって思うようになった。」
その言葉には、これまで見せたことのない柔らかさがあった。篤志は続ける。
「君の言葉を聞いて、父の言葉を思い出したんだ。父も昔は、私と同じで薬は効けばいいと考えていたらしい。だがある日、熱の下がらぬ子どもが、香月屋の薬を飲んで、香りが優しいと笑ったそうだ。それを見て、父は変わったんだ。」
柑乃は驚きのまなざしで篤志を見つめた。
「その話は、祖父から聞きました……」
篤志は少し微笑みながら言った。
「そうか。……私はずっと、父の言葉を頭で理解しようと努めていた。でも、君と出会って初めて、心が動いたんだ。」
普段は不器用で言葉少なな篤志の口から、素直に熱を帯びた言葉が溢れたのは、この夜が特別だったからかもしれない。
「君が薬づくりに込める思いを、今、少しだけ理解できた気がする。」
その言葉に、柑乃は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
「ありがとうございます……」
「礼を言うのは私の方だ。君が私に新しい“視点”をくれたんだ。」
篤志は照れたように視線を逸らす。
二人の間に再び沈黙が流れた。それは決して気まずい沈黙ではなく、互いの心がゆっくりと近づいていく、温かな時間だった。
柑乃は、篤志の横顔をじっと見つめた。不器用で無愛想だけれど、心の奥に強い信念を秘めている人。
(この人は、黄柏の香りに似ている……苦くて深く、忘れられない香りだ)
心の奥底に、篤志への特別な感情が芽生えていることを、柑乃は確かに感じていた。
花火の煙が夜空から薄れていくなか、二人の心はまるで香りが巡るように、ゆっくりと、しかし確実に繋がっていった。