第一話 帰らない夫を待つ女のRPG(4・終)
初めてみる景色、初めて会う人々、初めて食べる料理。王都への旅は、初めてに満ちていた。もしかしたら、ルイスは見たことがあったものかもしれない。でも二人で見たなら、彼はきっと初めてのように楽しんだろう。大変だけれども、楽しい旅だ。ルイスと二人なら、もっと楽しかっただろうにと、レイアは思った。
王都で、辛い現実を突きつけられる。そのことへの不安は常にあった。だが、積んだ荷物が崩れないよう押さえるのに必死で、あまり深く考えずに済んだ。夜は移動の疲れで、泥のように眠った。
途中の町でも取引をしていたので、結局王都に着いたのは二ヶ月後だった。検問を越えて白く荘厳な王都の門をくぐると、両脇に明るい色の建物が立ち並ぶ大通りを、豪華な馬車が何台も行き交っている。店の中でも外でもたくさんの人が楽し気に会話や買い物をしていて、街全体がなんとも華やかだ。口をぽかんと開けて圧倒されているレイアに、旅商人の妻が笑う。
「ほらほら、そんなに口を開けたまんまじゃ、おのぼりさんなのが丸わかりよ。宿に行くから、荷物を持って」
「あ、は…はい」
旅商人夫婦は、王都に滞在する一週間の間、レイアを同じ宿に泊めることにしてくれた。道中「魔竜の討伐隊に入った夫を探しに行く」と話したところ、ひどく同情してくれたのだ。
「私たちは商人ギルドに行ってくるわ。あなたは好きにしていいけど、暗くなる前に戻るのよ。それから、討伐隊への問い合わせは王都警備隊の屯所が応じてるらしいから。…でも、無理しないで」
そう言って、屯所の地図をレイアの手に握らせる。
「ありがとうございます…本当に」
地図を胸に押し当てて感謝を伝えると、夫婦は少し心配そうな笑みを浮かべて宿を出て行った。
レイアはひとりになると、まず湯浴みをした。王都の女性はみな綺麗なので、少しは身なりを整えないと恥ずかしくて外も歩けない。…それに、勇者となった夫に会えることなどないとわかっていても、レイアはその微かな希望を捨てきれなかった。その時のために、少しでも綺麗な自分でいたかった。
念入りに肌を磨いて、髪をとかす。道中で着ずにとっておいた服を着て、ペンダントをつける。せめてこれくらいはと、口紅を薄く塗る。何とか支度が終わると、ホッとしたのかお腹が空いてきた。
レイアは一階の食事処に降り、空いた席に座った。店員を呼ぼうとして、はたと手を止める。
(店員さんに、勇者のことを聞いてみる…?)
そうすればいい。そのために来たのだから。…でも、いきなり勇者と王女様の結婚の話が出てきたら? 自分は平静でいられるだろうか?
迷っているうちに、店員が注文を取りに来た。慌てて注文すると、店員はすぐ踵を返そうとする。
「あっ、ちょっと待っ…」
「はい?」
振り返った店員に口を開きかけて、閉じる。
「…ごめんなさい、果実水をひとつ」
レイアは臆病な自分に呆れて、はあ、と肩を落とした。
***
食事を終えて、これからどうしようかと考える。…できるなら、遠くからでも姿を見たい。無事でいる姿をみたら、それで満足できないだろうか。王女様との話を人から聴くより、ましな気がする。
そう思い、皿を下げに来た店員に今度こそ声をかけた。
「あの、ちょっとお聞きしたいんですが…」
「はい?」
「遠くからでいいので、勇者様を拝見できる機会ってないでしょうか?」
「まあ、あなたも勇者様のファンですか?」
「え、あ…はい…」
「でしたら、騎士団の公開訓練を見に行くといいですよ! 勇者様は二週間に一度、訓練に参加されているんです。次回は一週間後ですけど、訓練場に朝から並んで見学券を買わないといけないから、頑張ってくださいね!」
店員は言い慣れたセリフを満面の笑みで言って、仕事に戻って行った。
(一週間後か…。それまでに、心の準備ができるといいけれど)
ふう、と息をついて椅子に背をもたせると、ポケットの中で屯所への地図がカサリと音を立てた。…そうだ。せっかく調べてくれたのだから、先にそこへ行こう。勇者だって討伐隊の一員なのだから、話を聞けるかもしれない。そう思って席を立つ。
だが、屯所に着いた途端、レイアはその選択を後悔した。
受付に声をかけ、討伐隊に探す人がいると話したところまでは良かった。ところが、受付が担当者を呼んで彼を待っている時に、それが目に飛び込んできたのだ。
「あ…」
それは、壁にかかった一枚の絵画。
美しく波打つ飴色の髪のお姫様と、凛々しい金髪緑眼の騎士。
彼らが仲睦まじげに寄り添う、夢のように美しい光景。
「あの、絵は…」
「ああ、勇者様と王女様の御成婚記念の肖像画ですよ。素晴らしいでしょう?」
素晴らしかった。でも見たくなかった。
だけど、ここで出会ってしまったのも、きっと運命だったのだ。
神様が、現実を受け止めろと投げてよこした、運命なのだ。
レイアは逃げ出したくなる気持ちを必死で抑え、反らしてしまった顔を元に戻す。自分に止めを刺すために、騎士の顔を目に焼き付けようとした。―ところが。
「…え?」
レイアは、思わず小さな声をあげた。―この騎士、全く夫に似ていない。
「この人が…勇者?」
「そう。聖女様の予言通り、金髪、緑眼のルイス様です」
「勇者様は…このようなお顔なんですか?」
凛々しい表情。だが、どこか幼さの残る丸顔だ。夫はどちらかと言えば、細面で優しい顔つきだった。レイアは思わず首を傾げる。
「この絵って…よく描けてます?」
「勇者様と王女様のお披露目代りに配られたものですからね。魔術具を使って精密に描かれたと聞いていますよ」
…まさか…
「勇者様は…おいくつですか」
レイアは震える声で問いかける。受付の隊員はニコリと笑った。
「十九歳だそうです。王女様は十七歳なので、お似合いですよね」
違う。
あの人は私より三つ年上で、今はもう三十三歳のはずだ。
どうしたって、十九歳には間違えられない。ということは…
――勇者は、私のルイスじゃない!
レイアの全身は熱くなり、胸がどくどくいいはじめた。衝撃と動揺と歓喜で、手が震える。
どういうこと? やっぱり人違いだったの?
それならなぜ、帰ってこなかったの?
でも、ああ、ルイスは、私の夫は、王女様と結婚なんて…していなかった!
「ほ、他の勇者は? 今どこにいますか?」
「は? 他の勇者? あなた、大丈夫ですか」
「あ、いえ、でも、あの」
興奮を抑えきれず言い募ると、受付の隊員は頭のおかしい女を見る目でレイアを見た。そう見られても仕方ない。でも、どう説明していいのかわからない。レイアが必死に言葉を探していると、奥の扉から分厚い名簿を持った担当者がやってきた。受付の隊員はレイアを横目で見ながら、こそこそと彼に耳打ちする。しかし担当者は無表情のまま、「こちらでお話をお聞きします」と言って、レイアを別室に連れて行った。
机と椅子二脚しかない小さな部屋で、担当者と向かい合って座る。彼は記録用紙に記載しながら、淡々とレイアに質問した。
「お探しの方とのご関係は?」
「妻です」
「では、旦那様はどこから王都へ来られましたか?」
「カルテヒア領です」
髪の色、目の色、名前。逸る心で、聞かれるままに答えた。勇者と同じそれらにも、担当者は顔色を変えなかった。
「歳は?」
「家を出たのが四年前で、二十九でした。今は三十三になるはずです」
「…なるほど」
担当者は記録を終えると、脇に置いた名簿を見ることなく顔を上げた。そして、穏やかに微笑んでレイアを見つめる。
「…あなたの旦那様は、療養院にいらっしゃいますよ」
「―――!!」
担当者が明言したことに、レイアは目を見開いて絶句する。しばらくして、ぶわりと涙が溢れてきた。ああ、ルイスは生きている。生きている。これは確かに現実なのだ。でも療養院にいるということは、それは…
レイアは両手で顔を覆って、その事実を受け止めた。
「夫は…病気か怪我をしているんですね」
***
屯所の担当者は、療養院の院長への紹介状を書いてくれた。レイアは屯所を出たその足ですぐに療養院へ向かった。大神殿の隣にある療養院は、王都の最も奥にある。屯所で勧められたとおり、乗合馬車に飛び乗って先を急ぐ。―会いたい。会いたい。一刻も早く。病気だか怪我だかわからないが、どんな状態なのか少しでも早く知りたかった。
馬車を降り、療養院に駆け込んで受付に紹介状を見せると、すぐに院長室に通された。院長は神官なのか、シュレインのような白く長い服を着ている。
「よくここまでいらっしゃいましたね」
彼は暖かい声色で、そうレイアを歓迎してくれた。早くルイスに会いたいと、逸っていた気持ちまでもが落ち着くような声だった。そんな院長から聞いた『勇者』の真実に、レイアは開いた口が塞がらなかった。
聖女の予言した勇者の特徴は、『金髪、緑の目、ルイスという名の兵士』のみ。
その特徴にあてはまる者が、王国のなかに五人いた。
聖女は、誰が魔竜を倒す勇者になるかわからないと言った。
そこで、全ての勇者候補が魔竜討伐に出ることになったのだ。
五人の勇者候補のうち、五十代の『ルイス』は皆を庇って命を落とした。
四十代の『ルイス』は、魔竜の炎に焼かれて死んだ。
三十代の『ルイス』は、逃げ出そうとして崖から落ちた。
結局、五人の中で一番若い十代の『ルイス』が、決戦の途中でオーラを覚醒させ、魔竜を倒して勇者となった。
レイアの夫のルイスは、決戦に向かう途中で負傷して動けなくなった。その後、魔竜を倒して下山する勇者一行に助けられ、王都に帰還できたのだという。しかし…
「治療が遅くなったことで、彼は左目と右足を失いました」
「!」
「それでも会いますか?」
「もちろんです、会います」
「では、まずは遠くから様子をみてください」
院長とレイアは、白い柱が並ぶ廊下をゆっくりと歩いていく。中庭らしき緑が見えてきたところで、院長はその足を止めた。レイアは柱の陰に隠れるように促され、そこから院長が指で示した中庭の奥に目をこらす。そこには、ベンチに座ってぼうっとしている一人の男性がいた。身体の傍には、松葉杖が立てかけられている。
「彼があなたの夫のルイスですよ」
「え…」
レイアは驚いてその男性を見つめる。いつもレイアが整えていた美しい金髪は、見る影もなく、真っ白になっていた。左の額から頬には目を縦に切り裂く大きな傷があり、左瞼は閉じたままだ。右脚は太腿の真ん中あたりから無く、余ったズボンのすそが結ばれていた。頬はこけ、無精ひげが生え、四年前とは大きく人相が変わっている。それらは全て、彼の経験した戦いの過酷さを示していた。絶句するレイアの隣で、院長が静かに続ける。
「彼は魔竜討伐に参加した功で、一生をこの療養院で過ごすことが許されています。あなたが今の彼を受け止められないなら、このまま会わずに帰った方が良いでしょう。誰もあなたを責めません。私も彼に、何も言いません」
だがレイアは、降ろした両手をギュッと握って言った。
「…会いたいです。四年も待ったんです。どうするかは、二人で話して決めたいと思います」
「…では、会うかどうか、彼に聞いてきましょう」
院長が中庭にゆっくり歩いていくのを、レイアは柱の陰で見守る。
…生きていて、他の女の人を選んだわけじゃないのなら、会わないなんて選択肢、私にはない。だけど、もしルイスが会うのを拒んだら? 帰れないなんて手紙を出すくらいだ、何か理由があったのだろう。彼のためにも帰るべき? それとも、会う気になるまでここで待つ?
レイアがそんな心配をしているうちに、院長はルイスのところに辿り着いていた。ルイスは彼の話を、呆然として聴いている。一度俯いて、また顔を上げて、俯いて。それからしばらく動かなかったが、ようやくもう一度院長を見上げて何かを言った。すると、院長が再びゆっくりとこちらへ戻ってきた。
「お会いになるそうですよ」
レイアの胸に、安堵と緊張が同時に満ちた。このまま彼のところに行っていいと言われ、レイアは柱の陰からでる。ベンチのルイスがこちらをみて、ハッと身じろぎをしたのが見えた。
一歩ずつ、一歩ずつ。
明るい太陽の下、芝生の上を踏みしめて、夫のところへ向かう。
目の前まできて、見つめ合う。胸がいっぱいで、目が潤んで、なかなか言葉がでなかった。
「…無事で良かった。会えて嬉しい」
レイアが何とかそう言葉を絞り出すと、ルイスは一瞬泣きそうに顔を歪めて、俯いた。小さく「座って」と言われ、彼の隣に腰を下ろす。レイアはルイスの横顔を見つめていたが、彼は俯いたままだった。長い沈黙の後、ぽつりとルイスが問いかける。
「…手紙…届かなかったか?」
「…届いたわよ? でも…四年も待って、手紙ひとつでは諦められなかったの」
「…そうか…」
俯いたままの彼へ、レイアは尋ねる。
「…どうして、もう帰れないと思ったの?」
すると、彼はパッと顔を上げてレイアを振り返った。
「どうしてって…わかるだろ? 俺はこの先一生、松葉杖がないと歩けない。もう剣は握れない。畑も耕せない。君を守ってもやれないし、助けてもやれない。…君は今まで家族の世話をして、苦労してきたんだ。その上、俺のために苦労することないだろう?」
苦し気に吐露する彼に、目を見開く。
「…私があなたの世話で苦労するのが嫌だから、帰るのをやめたの?」
すると、彼は再びレイアから目を反らした。
「…もともと、俺が強引に進めた結婚だった。君は綺麗だし、気立てもいいし…今からだって、いい男が…みつかるはずだ」
「……」
「こうしてもう一度会えた。俺はそれで十分だ。だから…」
「ふふ…」
突然聞こえた笑い声に、ルイスは驚いて振り返る。すると、レイアが目に涙を浮かべて微笑んでいた。――この四年間、ずっと見たくてたまらなかった妻の笑顔。そうだ。自分はこの笑顔がもう一度見たくて、死に物狂いで生き残った。ルイスの胸に何とも言えない感情がこみ上げ、思わず自分も笑みを浮かべてしまう。
「…何か、おかしかったか?」
「嬉しいの。あなたが何も変わっていないから」
レイアは笑って指で涙を払うと、少しいたずらっぽく夫を見上げた。
「…実はね、隊長さんからうちに来ないかって言われたの。嫁に来てくれたら嬉しいって」
「はあ⁈」
ルイスは思わず片足で立ち上がってバランスを崩した。レイアは慌てて立ち上がる。
「ちょっと、大丈夫⁈」
「ああ、ごめん…ってそれより!」
レイアに支えられて再び座りきる前に、ルイスは彼女の両肩を掴んで迫った。
「隊長には確か、子どもが二人もいただろ⁈ 高齢のお母さんだっていたはずだ。なのにレイアをもらいたいだって⁈ だ…だめだだめだ! レイアにはもっといい男がいるはずだ!」
取り繕いを忘れた彼の様子に、レイアはますます嬉しくなって笑う。
「私、もう三十になるのよ。まだそんなこと言ってもらえるの?」
「当たり前だ。君は誰より綺麗だ。だから…」
「私はその言葉があれば十分」
レイアは愛おしく夫を見つめて、想いを伝える。
「…ルイス。どんな選択をしたって、何かしらの苦労はするのよ。あなたがずっと私を綺麗と言って、大事にしてくれるなら、それでいいの。…それがいいの」
「……」
「私、このまま王都に残るわ。いつか王都に来てもいいと思ってたんだから、今がその時なのよ。ここで二人で暮らしましょう」
「…でも、レイア。俺には最低限の恩給があるだけなんだぞ」
すると彼女は胸を張って言った。
「私が働きに出るわよ。私、あれからまた商店で働いてたの。ここまでだって、旅商人の手伝いをしながら来たのよ。あなたも、松葉杖を使ったって家のことはできるでしょ? そうよ。これからは、あなたが私を家で待っててね」
「………」
あっけにとられて妻を見つめていたルイスは、ふっと微笑んで小首を傾げた。
「…なんだかレイア、たくましくなったな」
「うん、そうね。あなたを待ってる間に、少し強くなったのかも。だから大丈夫。…それじゃだめ?」
少し不安げに問う彼女に、ルイスは微笑を浮かべたまま、小さく首を振った。ベンチに置かれた彼女の手に手を重ね、ゆっくりと口を開く。妻を見つめるその目から、一粒の涙がこぼれる。
「…ただいま、レイア」
「……!」
ああ、やっと聴けた。あなたのその言葉が、ずっと聴きたかったの。
―良かった。待っていて、本当に良かった。
私もやっと、この言葉が言えるのね。
「お帰りなさい」
第一話・終
読んでくださってありがとうございました。
さて、第二話の主人公は誰でしょうか?