第一話 帰らない夫を待つ女のRPG(2)
扉が閉まり、ルイスの姿が見えなくなった。
それからどうやって家まで帰ったか、よく覚えていない。気がつくと、レイアは家の玄関で、外に立つ隊長ー ゲイルを見上げていた。彼の話をぼうっと聞いていたところ、どうやら自分は領主様から祝い金を賜ったらしい。手に小さな革袋を握らされたが、力が入らずぼとりと落としてしまった。
「あ…」
「……」
緩慢な動きで革袋を拾おうとするレイアを制止し、ゲイルが拾って再度レイアの両手に握らせる。レイアはそれを黙って見ていたが、彼が踵を返して馬に乗ると、ハッと我に返った。
「あ、あのっ…夫のこと、何かわかったら教えてくれませんか」
「…わかった」
そう言って帰っていくゲイルを見送った後。レイアはとぼとぼと家に入り、独り食卓の椅子に座った。家を出たのは朝だったので、今はまだ昼下がりのはずだ。なのに空が曇っているせいで、家の中が薄暗い。だからといって、灯りをつける気力はなかった。レイアは虚ろな目を窓の外に向ける。
「…王都って…どのくらい遠いんだったかしら…」
そう呟くと、耳の奥でルイスの声が蘇った。四年前…初めて会った時に聴いた、その声が。
―『俺は王都から来たんだ。王都からここまで、馬車で一ヶ月はかかるよ』―
「一ヶ月か…往復で二ヶ月半…くらいかな…」
口にしたら、涙がぽろりと零れた。
(きっと戻ってくる。あの時だって、あの人は言ったとおり、すぐに戻ってきたんだから)
そう思っているのに、涙はぽろぽろ落ちてきて、止まらない。夫が勇者なんて、魔竜と戦わなきゃいけないなんて、そんなこと信じられない。人違いに決まってる。そうじゃなきゃ…
「…大丈夫、きっと、帰ってくる…」
顔を覆って泣きながら、そう自分に言い聞かせた。
泣くだけ泣いて、泣き疲れてベッドに潜り込んで、眠るだけ眠った。どれだけ寝たかはわからない。でもそうして目が覚めたときには、眠る前には感じなかった空腹を感じていた。のろのろと身を起こし、台所でパンをかじる。なんだか寒い気がして、ミルクを温めて飲んだ。ほうっと一つため息をついて、顔を上げる。窓の外をみると、青空に雲が浮かんでいた。しばらくそれを眺めていると、レイアの頭はだんだんはっきりしてきた。
(…とにかく…ルイスが帰ってきた時のために、いつもどおりにして待っていよう)
『その恰好してるレイア見ると、帰ってきたなって感じする』
そう言ってくれたあの時の、嬉しそうな彼の顔が、またみられるように。
***
夫の帰りを待つためにも、まずは畑だ。畑を耕さなければならない。
本当なら休暇の最終日にルイスに耕してもらい、レイアは種をまく予定だった。だが、ルイスが帰るまで耕さないでいたら、種まきの時期を逃してしまう。今回は自分でしなくては。
(結婚する前は数年ひとりでしていたんだから、大丈夫よ)
そう思って納屋から鍬を持ち出す。しかし自分で耕すのは四年ぶりで、思った以上にうまくできなかった。鍬を振り上げる度に身体がよろけ、ルイスに頼っていた四年の間にすっかり筋力が落ちたことを思い知る。汗だくになりながら二日かけて耕し、一日かけて種をまいた。そして次の日は、疲労で一日ベッドから動けなかった。
畑は、野生動物に荒らされないよう柵で囲ってある。しかし昨年、鹿に一部壊されてしまって、これもルイスが修繕してくれる予定だったのだ。さすがにこれを独りで直すのは辛い。
(近所の男の人に頼むこともできるけど…どうしようか…)
レイアは壊れた柵に手を添えて考える。
―やめよう。ルイスが二ヶ月半後に帰ってきたらしてもらえばいい。その頃はまだ実がなっていないから、鹿も荒らしにはきてないはず。
(帰ってくるんだから、大丈夫)
信じよう。そう思って、うん、と独り頷いた。
そうして畑の世話をしながら四か月。
―夫はまだ、帰ってこない。
四か月の間に、城下町には『うちの領地から勇者が出たらしい』との噂が広まっていた。だが、それがルイスだとは知られていないようだった。夫の情報を求めて城下町に出てくることが多くなったレイアは、俯き加減に人々の話を聴いていた。
ため息をつきながら家に帰ると、畑の前、壊れた柵のあたりにゲイルが立っていた。彼は時々、巡回だと言ってレイアの様子を見にきている。気持ちはありがたいが、ルイスのことがわかるのではと期待して、何もないと落胆してしまうので、少し辛い。レイアは少し離れた場所からぺこりとお辞儀をした。
「…いつもすみません。でも、特に変わりなく暮らしてますし…夫のことがわからなければ、無理にきてくださらなくても」
「…柵はこのままでいいのか。直して帰ることもできるが」
「あ…」
レイアは柵をみやると、しばらく沈黙する。自分の当てが外れていたことを認めるのなら、他人に頼んで直してもらう方がいい。だけど…。 レイアは俯いて、小さく尋ねた。
「…夫は本当に、勇者だったってことなんでしょうか」
人違いだったなら、もう帰ってきていい頃だ。でもそうでないというのなら。彼はもう、王都から魔竜を倒しに旅立ったということなのだろうか。ゲイルは俯いたままのレイアを見下ろした後、遠くを見ながら口を開いた。
「あいつは剣の腕が良かった。自分で思うよりずっと才能があったし、度胸も判断力もあった。勇者に選ばれたとしても、おかしくないと俺は思っている」
「…そうですか…」
レイアはしばらく地面を見つめた後、はあっと大きく息をついて顔を上げた。ゲイルに向き直ってもう一度頭を下げる。
「お言葉に甘えて、柵の修繕をお願いしていいでしょうか」
魔竜を倒して、彼はきっと帰ってくる。疲れてお腹を空かせたあの人に、畑で採れたトウモロコシでスープを作ってあげるのだ。
レイアは自分にそう言い聞かせ、顔を上げた。
ルイスの帰りを待って一年が過ぎた頃、レイアは町中へ働きに出ることにした。ルイスが稼いでいた現金の蓄えがなくなり、領主からの祝い金も底をついてしまったのだ。畑の野菜だけでは食べていけないし、ランプの油など、生活用品を買わなければ暮らしていけなかった。ルイスが帰ってきたときのために、二人分の蓄えもしておきたかった。
幸い、結婚前に働いていた商店でまた働かせてもらえることになって、今日は初出勤日だ。レイアは少し上等な服を着て町の中心部へ向かった。レイアの住む辺りは周りが農地で、道も単に草が生えていないというだけのものだが、中心部―もっといえば城下町に近づくにつれて、石で舗装された道になっていく。その一番賑やかな通りの真ん中に、石造りで四階建ての大きな商店がある。そこがレイアの職場だ。正面ではなく裏に回って勝手口の扉を開けると、中から桃色の髪の女の子が出てきた。彼女は目を丸くしてレイアを見上げる。
「あら、レイアじゃない! また働いてくれるって聞いてたけど、今日からだったのね」
「フローラ様、お久しぶりです。大きくなりましたね」
フローラはこの店の主人の娘だ。活発かつ知的で、品出しをしていたレイアの傍でウロウロしては売れ行きの良い商品を見つけ、勝手に資料にまとめるようなしっかりした子どもだった。
「もう、様はつけないでって言ったでしょ。憶えてないの?」
フローラは腰に手を当てて文句を言う。レイアはふふ、と笑って応えた。
「憶えてますよ。でもフローラが忘れてたら困ると思って。何歳になったのかしら」
「もう十四歳になったのよ!商学院の二年生。あっ!授業に遅れるわ。レイア、またおしゃべりにつきあってね。行ってきます!」
「はい、行ってらっしゃいませ」
手を振って駆けていくフローラを目を細めて見送り、レイアは店の中に入った。店の主人に挨拶をして、仕事を割り当ててもらう。今回は品出しの他に、午前中の店番もすることになった。
(店番だったら…お客さんから色々な噂が聞けるかもしれない)
勇者の、ルイスの消息がわかるかもしれない。頑張ろう。頑張るのよ。
唇をギュッと結んで、店番に立つ。チリンとドアの鐘がなる。入ってきた客に向かって、レイアはにこりと笑みを浮かべた。
―そうして帰りを待ち始めてから三年。夫はまだ、帰ってこない。
レイアは二十九歳になり、季節は冬になった。カルテヒア領は比較的温暖で、冬といっても雪はたまにしか降らない。今日はその雪がちらちらと降る日で、レイアはかじかむ手を擦り合わせて温めながら、神殿への道を歩いていた。
店の客から聞く勇者の噂は、どれも厳しいものばかり。勇者が負けたという話はなかったが、先日聞いた話では、討伐隊が何度も編成されているのに、魔竜を山から出さないようにするのが精一杯だということだった。レイアはそんな噂を聞いてから、仕事が休みの日は神殿に通うようになった。
城下町の中心にある神殿の中、平民向けの礼拝堂で、夫の無事と帰還を祈る。小一時間祈っていると、寒さで芯から冷えてしまった。そろそろ帰ろうと立ち上がって、礼拝堂の端で見守りをしている神官に、いつものように話しかける。
「あの、首席神官のシュレイン様にお会いしたいのですが、今日もお留守でしょうか」
ルイスが領主に呼び出された日、王都まで連れて行くといって微笑んでいた銀髪の神官。彼女ならルイスのことを知っているだろう。そう思って、神殿に来た日はいつも面会を願い出ている。しかし、神官からはいつも『シュレイン様はご不在です』と言われるだけで、会えたことはなかった。だからレイアは今回もそう言われるのかと思っていた。ところが。
「ああ、確か貴女は、ルイスさんの奥様のレイアさん…でしたか。よく面会を願い出ていましたよね。シュレイン様は先ごろやっと復帰されましたので、お伝えいたしましょう」
「え…⁈ ほ、本当ですか。よろしくお願いします」
「ですが、お忙しい方ですので今日は難しいかもしれませんよ」
「構いません、別の日でもお約束をいただければ」
そう言って頭を下げる。しばらくここで待っているように言われ、礼拝堂から出ていく神官の背中を見つめながら、レイアは先ほどの神官の言葉を反芻していた。
(復帰って言っていたわよね。今までお仕事していなかったということ? 何かあったんだろうか。最近まで王都にいたとか…?)
それなら、ルイスの近況を聞けるかもしれない。期待を胸に抱いて待っていると、礼拝堂の奥の扉が開き、神官に手招きされた。扉を通って奥の部屋に入ると、机の傍に立っていたシュレインが、レイアのところまでゆっくりと歩み寄ってきた。一度しか会っていないので定かではないが、以前より皺が増えて痩せた気がする。
「レイアさん、お会いできて良かった」
「は、はい。面会をお許しくださってありがとうございます」
ぺこりとお辞儀をすると、シュレインは微笑んで、長椅子へレイアを案内した。その時差し出された右手と反対側の左手の袖の動きに、レイアは違和感を覚えた。袖がふわりと大きく揺れたのだ。まるで中に何もないように。
(もしかして…)
固くなったレイアの表情を見て、シュレインは苦笑した。
「そう、王都への道ゆきで魔獣に襲われて、左腕を失ってしまってね。つい最近まで療養していたのです」
「…っ! 夫は、ルイスは無事ですか⁈」
しがみつかんばかりに寄ってきたレイアに、シュレインは軽く目を見開く。レイアはハッと我に返り、姿勢を戻す。
「も、申し訳ありません、失礼を…」
シュレインは恐縮するレイアに微笑んで、右手で彼女の手を握った。
「いいのですよ。大丈夫、その時はルイスさんも無事でした。素晴らしい剣の腕で、大型の魔獣相手に怪我一つされていませんでしたよ。随従の人たちも守ってくださって。私は油断して、背後からの別の魔獣に襲われてしまったのです。それで、応急処置をして王都に急ぎ、ルイスさんを大神殿にお連れしました。その後私はすぐに療養院に入ったので、彼の後のことはわからないのです」
「そうですか…」
過去のこととはいえ、ルイスの無事を初めて人から聞いて、レイアはホッとした。同時に、改めてシュレインに申し訳なく思った。彼女の左腕のことを聞いても、自分はそのことを全く気遣えなかった。
「…申し訳ありません。腕のお怪我のこと…」
「いえいえ、お気になさらず。ご主人のことが第一なのは当然です。…あまり詳しいことを教えてあげられなくて申し訳ありません。勇者と魔竜に関することは、国民の混乱を防ぐために情報が制限されているのです」
「そうですよね…。でも、夫のこと、教えてくださってありがとうございました」
レイアは立ち上がってお辞儀をし、扉へと足を向けた。帰り際、シュレインがレイアに声をかける。
「…今後何かお困りなら、いつでも訪ねてきてくださいね。国のためにお力を貸してくださった、勇者様の御家族なのですから」
その微笑みが、その視線が…どこか憐れみのように見えて、レイアは俯いてお礼を言った。
外はまだ雪だった。その中を、レイアはとぼとぼと歩いた。―王都までの旅でシュレイン様が大怪我をするくらいだ。王都から魔竜に辿り着くまでには、さらにたくさんの危険があるだろう。全く傷を負わないなんて、そんなことはあり得ない。考えないようにして過ごしているけど、きっとルイスだって怪我をすることもあっただろう。情報が制限されているのだから、もしも勇者が死んだところで―
(だめ、考えては)
レイアは思考を停止して首を振る。悪いことを考えると不安が胸をいっぱいにして、動けなくなってしまう。確実なことがわかるまでは、希望を捨てたくない。いくら何でも万が一のことがあれば、妻にくらいは連絡がくるだろう。
重い心と足を動かして家に辿り着くと、扉の前にゲイルが立っていた。雪の降る空を見上げていた彼は、レイアに気がつくとこちらに向き直った。
「…今日も仕事か」
「あ、いいえ…神殿に行っていました。ゲイルさん、何か…?」
「……」
何だかいつもと様子が違う気がして、レイアは怪訝な顔をする。何か悪い知らせでもあるのだろうか。嫌な予感がして胸で手を握る。しかしゲイルはいつもと変わらない無表情で続けた。
「…今年の冬はいつもより寒い。一人の暮らしは大変だろう。冬の間だけでも、うちへ来ないか」
「え?」
突拍子もないことを言われ、レイアは固まってしまった。…どういう意味? 目を丸くしているレイアに、ゲイルは変わらず淡々と話し続ける。
「俺は妻を早くに亡くして、子ども二人を母親がみている。あんたが来てくれたら、助かる。うちは城下にあるから、そこから仕事に行けばいい」
「は…」
助かる? 子どもの世話をしろって…私を後添えにしたいということ? レイアが眉をひそめて警戒を示すと、ゲイルは片手を腰に当て、微かに眉尻を下げた。
「…別に変な意味ではない、今はまだ。ただ、もう三年だ。あんたも待つだけじゃなくて自分のことを考えてもいいと思っただけだ」
「……」
レイアは俯いて沈黙する。ゲイルの表情は、別れ際に見たシュレインの表情と似ていた。帰らない夫を待つしかできない、気の毒な女を見る、憐れみの顔…。
「…お気遣いありがとうございます。でも、まだ諦めたくないので…」
「…そうか。気が変わったら兵舎に連絡を寄越せばいい」
そう言って、ゲイルは去って行った。その背中を見送りもせず、レイアは家に入った。朝から出かけていたので、部屋の中は冷え切っている。暖炉に火をつけ、薪を放り込んでテーブルに向かう。ガタンと大きな音をたてて椅子を引き、ドサッと腰を下ろすと大きなため息とともにテーブルへ突っ伏した。
(…ゲイルさんがあんなことを考えてたなんて…)
この三年間、何かと気にかけて助けてくれたのは感謝している。今まで不埒な行為をされたことなど一切ないし、そんな雰囲気を感じたこともない。なのに、変な意味じゃないといいつつ、『今はまだ』とは何なのか。…確かに独りの冬は辛い。薪を造るのも大変だし、陽が落ちるのが早いから仕事も遅くまでできず、生活も厳しくなる。後添えでなく使用人として置いてくれるなら悪い話じゃない。でも、もしルイスが帰ってきたとき、妻が家に居なかったら悲しいだろう。他の男の人の家に居たら誤解されるだろう。そもそも、なぜそんなことを急に言い出したのだろう。もしかしたらルイスのことを何か知っていて、それで…?
「…お願いだから、無事に帰ってきてよ…早く帰ってきて…」
こんな選択肢、考えたくもない。考えたくないのに…。
目に涙が滲んできて、レイアは声も出さずに泣いた。
―結局、レイアはゲイルの申し出を受けることなく、独りで冬を越した。春になって暖かくなると、レイアの働く店にも、冬の間来られなかった他領の商人が取引に来るようになった。ここ数年店番をしていたおかげで顔なじみも増え、気軽に話ができるようになっていた。先ほど入ってきた旅商人もその一人だ。二階の事務所で主人との交渉をしていたが、終わって一階へ降りてきたので、声をかけてみる。
「お疲れさまでした。よい取引ができましたか?」
「ああ、ここは食料品から旅の道具までいろいろ揃ってるからね、助かるよ」
「それは良かった。今回は王都の隣のサミュエル領から来られたんでしょう? 何か面白い話はありませんか」
「ああ、そうだな。とっておきのがあるよ。ダルグ山に現れた魔竜を、勇者様ご一行が討伐されたって!」
「えっ…」
レイアの胸に、ぱあっと希望の灯がともる。本当に? 無事なのね? ああ良かった、いつ帰ってー
喜びに紅潮したその顔は、商人の発した次の言葉で、一瞬のうちに白くなった。
―その褒美として、勇者様は第二王女様とご結婚なさるんだってさ!―
夫の帰りを待ち続けて、四年目のことだった。




