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第一話 帰らない夫を待つ女のRPG (1)

 レイアはその日、いつもより遅く目を覚ました。隣では、夫のルイスがまだ寝息を立てている。彼女はゆっくり身を起こすと、ほのかに微笑んでその寝顔を見つめた。触れるか触れないかの優しさで彼の金髪を撫でると、静かにベッドから足を下ろす。

(さて、今日は何を着ようかな)

 町の兵士である夫は昨日、一ヶ月にわたる訓練任務から戻ったばかりだ。昨日はとっておきの服を着て彼を迎え、彼の好物ばかりを夕食に並べた。今日は彼が前に褒めてくれたワンピースを着るか、普段着の方を着るか…。

(今日は一日のんびりしたいって言ってたし、普段着でいいかな)

 そう思って綿のブラウスを着、クリーム色のワンピースをかぶってコルセットをつけた。黒髪を念入りにといてくるりと後ろでまとめ、簪をさす。


 かまどに鍋をのせてスープを作っていると、後ろからあくびとともに夫の声が聴こえた。

「ふぁ…おはよう」

「あら、おはよ。もっと寝てても良かったのに」

「いや、腹減ったから…朝めし食べたらまた寝るかな。…レイア、ちょっとくるっとこっち向いて」

「ん?」

 レイアが鍋をかき混ぜる手を止め、くるりと回ってルイスの正面を向く。上半身裸のままの彼は、その緑の目で妻を上から下までゆっくりと眺め、腰に手を当ててうんうんと満足そうに頷いた。

「昨日の服も良かったけど、その格好してるレイア見ると、帰ってきたなって感じする」

「ふふ、何それ」

 レイアは軽く笑って鍋の方を向きなおし、スープをかき混ぜる。彼女の口角はもちろん、機嫌よく上がっている。

(…良かった、こっちの普段着にして)

 夫の嬉しそうな顔が朝から見られた。

 今日最初の選択は、間違いなかった。


 ***


「…聖女様?」

 ルイスの好きなコーンスープとパンを食卓に並べたレイアは、彼の言葉に小首を傾げた。

「そう。訓練の時に聞いたんだけどさ、王都の大神殿に、百年ぶりに聖女様が現れたらしい」

「どこかのおばあちゃんから昔の聖女様の話は聞いたことある気がするけど…何がすごいんだったかしら、聖女様って」

 レイアは椅子に座りながら正面に座る夫に尋ねる。聞かれたルイスは、早速パンに手を伸ばしながら答えた。

「国に大きな危機が訪れる前に現れて、国を救うための神託をするらしい。食べていいか?」

「はいどうぞ。危機って…大変じゃないの。何が起こるの?」

「さあ。そいつも王都の監査役人に聞いたらしいから。うん、このパン美味いな」

「そうでしょ? 城下町で買ってきたのよ」

 口角を上げて応えてから、レイアは少し視線を落とした。

(監査役人…王都の)

 レイアの夫ルイスは、もともと王都の人間だった。三年に一度、徴税監査のために訪れる役人。その護衛として彼はこの領地を訪れ、休暇に城下町を散策していたところ、たまたま買い物に出てきていたレイアに一目惚れしたのだ。彼はレイアに声をかけ半ば強引にデートし、その日のうちに結婚を申し込んだ。目を白黒させて『王都の兵士さんなんでしょ? 私はついていけないわ』と言うレイアに、彼は『王都の兵士を辞めてこっちに住む』と宣言した。それができるならいい、でも長くは待てないという彼女に、ルイスはすぐに戻ると約束した。そしてその言葉どおり、役人を王都に送り届けた足で除隊して取って返し、レイアの家に転がり込んだのである。

「……」

(聞いてみようかしら。…でも朝からこんな話…やめた方がいいかしら)

 しばし黙ってフォークを持つ手を止めている妻に、ルイスは声をかけた。

「レイア、どうかしたのか?」

「…ねえルイス。王都に引っ越す?」

「んん?」

 唐突な彼女の言葉に、ルイスもスプーンを持つ手を止めた。レイアはできるだけ自然にみえるよう、食事を再開しながら続ける。

「だって、あなたは父さんの看病があって町から出られない私のために、こんな田舎に住んでくれたでしょ。あなたが王都に戻りたいなら、今度は私がついていこうと思って」

 母を幼い頃に病で亡くしたレイアは、家事をして、農家の父を手伝い、妹の面倒をみて生きてきた。妹が独り立ちして他の町へ行ったところで、今度は父が病に倒れた。レイアは小さな畑を耕し、商店で働いて父の薬を買い、看病する毎日だった。ルイスはそんなレイアの事情を知った上で彼女と結婚し、この家に住んで、父の看病を一緒にしたのだ。そうして三年が過ぎ、父は穏やかに息を引き取った。そうしてあげられたのは、暖かい日、足の悪い父を背負って外へ連れ出してくれたルイスのおかげだったとレイアは思っている。そんな生活の中で、レイアは彼を深く愛するようになった。四年近くたっても子どもはできないけれど、その分移動はしやすい。だから、ルイスが故郷に帰りたいと望むなら―… そう思ったのだが。彼は少し肩をすくめて苦笑した。

「別に王都に戻りたいとは思わない。君がいつか王都に住んでみたいっていうならそれもいいけど、もう少しここにいた方がいいだろ? 親父さんが死んでまだ一年も経ってないんだし」

「でも…」

 レイアは目の前の夫を見つめる。知っているのだ。実は彼の剣の腕がとてもいいことを。こんな片田舎の町の兵士なんかもったいないって、同僚や上官に思われてることだって。彼だって本当は、自分の才に相応しい場所にいたいんじゃないかって…

 そんなレイアの思いを知ってか、ルイスは穏やかな笑みを浮かべて妻を見つめた。

「まあ、いつかそうしたくなったらちゃんと言うよ。だからとりあえずこの話は終わり。朝めし食べたらもう少し寝て、昼から親父さんの墓参りでもいこう。な?」

「…うん」


 …この話題はまだ少し、早かったかな。でも彼の思いを聞けて良かった。


 レイアも愛おしく夫を見つめて微笑み、そして二人は再びパンを食べ始めた。


 ***


  次の日。三日間のルイスの休暇も二日目だ。夫婦は朝食を終えて、市へ買い物へ行く準備をしていた。

「さて、行くか」

「うん。暑いから帽子かぶっていこうかな。あなたもいる?」

 そう言って帽子掛けに手を伸ばした時だった。ルイスが急にその手を掴んで引き、自分の後ろにレイアを隠した。

「…誰か来る。馬だ」

「え?」

 庇うように向けられた背中の後ろで、レイアは戸惑って身を固くする。耳を澄ますと、確かに遠くからドッドッと動物の足音が聴こえてきていた。ルイスは扉の傍に置いていた予備の剣を取って構えた。家のすぐ外で急停止した馬の鳴き声が聞こえ、ザッザッという足音が扉の前まで近づいてくる。

「俺の傍から離れるなよ」

「うん」

 緊張が高まり、意識が扉に集中する。足音が止まり、ドンドンドンと扉が壊れそうな勢いで叩かれた。

「ルイス、居るか? 開けるぞ!」

 太い声と共に開けられた扉。現れた人物に、ルイスの緊張が一気に緩んだ。

「なんだ、隊長だったんですか」

 夫の背中からレイアが顔をのぞかせると、ガタイのいい赤毛の兵士が立っていた。ルイスの上官…なのだろうか。初めて会ったその顔は厳しく、黙って夫婦を見下ろしている。

「…何かあったんですか?」

 ルイスが剣を納めながら尋ねると、隊長は重々しく口を開いた。

「城に行くぞ。領主様がお前をお呼びだ」

「は⁈」

「え?」

 二人は驚愕の声をあげた。領主様? 領主様って言った? 瞬間、レイアの身にぶわっと恐怖が拡がる。

「ルイス、あなた何したの⁈」

「何もしてない!」

 慌てて振り向いた彼の手を、隊長がむんずと掴んで引っ張った。問答無用というようにずんずん外に引きずっていく。ルイスはついていきつつも、掴まれていない手でレイアの手を握った。

「隊長! 事情くらい教えてください。妻が怖がってるではないですか」

 すると隊長は振り向き、レイアの顔を見下ろして告げた。

「処罰される訳じゃない。その心配はいらない」

「…そうですか。…ほら、レイア、処罰じゃないんだ。大丈夫だから家で待っててくれ」

 ルイスの声色に油断はなかったが、安心させるように口角を上げ、励ますように妻へ声をかける。だがそれでも、レイアの不安は収まらなかった。なぜかわからないが、ここで夫を独りで行かせてしまったら、何か悪いことが起こるような… もう二度と彼に会えなくなるような、そんな予感がして仕方がなかった。黙ってルイスの言う通りここで待つか、それとも―  そう思って隊長の顔をうかがうように見上げたが、彼の鋭い視線を受けて身がすくむ。しかしレイアは一瞬考えた後、ルイスの手をぎゅっと握って声を上げた。

「わ、私も行きます!」

「レイア?」

 驚いて見てくる夫を振り返って言い募る。

「処罰じゃなくても、領主様の呼び出しなんて普通じゃないわ。今までそんなこと一度もなかったのに、おかしいでしょ? 私も一緒に事情を聞きたいです。お願いします、隊長さん」

 必死に懇願してくるレイアを、隊長は黙って見下ろした。通常なら、妻とはいえ一平民が呼ばれもしないのに領主の前へ顔は出せない。却下するのが当然だ。だが彼はふっと複雑な表情をした後、「わかった」と言って踵を返し、自分の馬に乗って手綱を握った。願ったこととはいえ、叱責もなく許可されたことに呆然としていたルイスとレイアは、彼の「早くしろ!」という喝に慌てて動き出し、ルイスの馬に乗って隊長の後を追ったのだった。


 ***


 この領地の主は、穏やかで寛容な老人だった。白く長い髭が少々の威厳を醸し出していても、本来の優しい気質がその姿からにじみ出てしまっているほどの。それ故か、レイアも特に咎められることなく夫の謁見に同席を許された。それでも領主の前に出るからにはと、ルイスは町の兵士の古い鎧ではなく城の兵士のよく磨かれた鎧を着せられ、レイアも城の女官から少し上等の服を着せられて謁見することになった。


 城の広間に入ると、最奥の最上段に領主が座っており、その両側には護衛の騎士が立っていた。自分たちを先導してきた隊長が、カツッと踵を鳴らして参上を告げる。


「カルテヒア兵士団第三部隊隊長ゲイル・ラザード、ご命令に従い副兵士長ルイスを連れてまいりました」

「うむ、ご苦労」

 領主は、緊張でガチガチになって床に跪く夫婦をみて、穏やかに声をかける。

「そなたがルイスとやらか。よく来てくれた。隣のそなたは細君であると聞いた。突然夫君を呼び出してすまなかったな、驚いたであろう」

「御前を拝し、誠に光栄でございます」

「も、もったいないことでございます」

 顔を上げるよう言われて二人が恐る恐る従うと、領主の顔は穏やかながら、少し困ったような表情をしていた。

「ルイス。今日ここに来てもらったのは、決してそなたに何か咎があるということではない。むしろ逆でな。そなたに祝いを述べ、頼みたい議があってのことなのだ」

「は…祝い…頼み事でございますか」

 全く心当たりのないルイスは、戸惑いを隠せない。そんな彼に、領主はひとつ小さく息をついて事情を話し始めた。

「そなた、王都の大神殿に、百年ぶりに聖女様が降臨されたことは存じておるか?」

「は、はい。噂程度には」

「聖女様は国の危機に際して降臨され、国を救うための御神託をされる。百年前は、他国の侵略を予言され、それを防ぐための戦略を授けてくださった。そのおかげで現在の我が国の平和がある。聖女様の御神託は、この国のために何よりも優先せねばならぬものなのだ」

「…」

 レイアはそこまで聞いて、嫌な予感に気分が悪くなってきた。心臓が激しく鼓動し、思わず胸で手を握る。

「そして今回、聖女様は新たな予言と御神託をされた。東の国境にあるダルグ山より、赤の魔竜が現れ多くの国民を焼き殺すと。魔竜を討伐できる勇者は…」

 領主は重々しく、それを告げた。

「金の髪に緑の目をもつ、ルイスという兵士であると」

「…!!」

 ルイスは驚愕に目を見開いた後、思わず身を乗り出した。

「な、何かの間違いでございましょう! 私は…」

「聖女の御神託に選ばれるとは何たる名誉。勇者ルイスよ、そなたを祝福する。どうか我が国のため、我が領民のため、…そしてそなたの妻のためにも、魔竜を討伐して欲しい」

「…!!」

 領主らしい威厳を持った、有無を言わさぬその言説に、ルイスはがくりと頭を垂れた。自分が勇者などと、にわかに信じられるはずがない。剣の腕は多少褒められもするが、隊長には遠く及ばない程度のもの。魔竜を倒しに行ったところで、ダルグ山に辿り着く前に魔獣にやられるのがオチだ。だがたとえ何かの間違いであったとしても、領主、聖女、ひいては王の命に逆らうことはできない。そんなことをしたら、レイアが…。ルイスは妻を振り返る。彼女は真っ青な顔で目を見開き、自分を見つめていた。その唇が震え、恐怖に掠れた声が発せられる。

「ルイス…」

「…ッ レイア、大丈夫だ。きっと何かの間違いに決まってる」

 妻の手を握って抱き寄せ、頭を撫でる。すると、後ろから澄んだ女性の声がした。

「たとえそうであったとしても、まずは王都に向かっていただかなくてはなりませんよ」

 二人が声の方を振り返ると、そこには銀髪の、美しい神官が立っていた。彼女はにこりと微笑んで二人に語りかける。

「初めまして。私はカルテヒア神殿の首席神官、シュレインと申します。この度、勇者様を王都の大神殿にお連れする役目を賜りました。私は守りや癒しの聖術の他、攻撃魔法も習得しております。王都までの道中、しっかりと勇者様をお守りいたしますから、どうか奥様もご安心ください」

 その優しくも芯のある声色に、夫婦の緊張は少し緩んだ。ルイスも先ほどよりは自然な笑顔でレイアを慰める。

「王都に行って聖女様に会えば、きっと人違いだってわかってもらえるさ。王都で土産でも買って、すぐに戻ってくる」

 レイアも目に浮かんだ涙を自ら指で拭い、なんとか笑顔をつくる。

「…うん、そうね。きっとそうよね」

「ならばこのまますぐ王都へ発つように」

「!」

 突然降ってきた領主の言葉で、二人は再び身を固くする。領主はいつの間にか壇上にて立ち上がっており、広間には見慣れない鎧の騎士たちが現れて二人の周りを取り囲んでいた。

「お、お待ちください。旅の支度にも時間が…」

「ならぬ」

 ルイスの声に、シュレインの隣にいた騎士が厳とした声でかぶせてきた。

「王は()く勇者を連れてくるよう仰せだ。カルテヒア伯の命で商人が既に旅の支度を終えている。行くぞ」

 騎士二人が両側からルイスとレイアを引き離し、ルイスを立ち上がらせて連行していく。

「ルイス…ルイス!」

 夫の背中へ必死に伸ばされたレイアの手は、隊長によって妨げられた。ルイスは顔だけを必死にレイアに向け、何とか笑顔を作ってから隊長へと目を向ける。

「隊長! レイアのこと頼みます。家まで送ってやってください」

「わかった」

 頷いた彼に頷き返し、もう一度妻に笑顔をみせてルイスは出口へ向かう正面へと顔を戻した。もう声も上げられず、ただ目を見開くことしかできないレイアの目には、愛する夫の金髪と背中だけが映る。その姿はだんだん小さくなっていき、広間の扉が音を立ててゆっくり閉じられるとともに、消えた。


 そうしてレイアは、夫の帰りを待つ身となった。



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