五話:魔都の放課後
この作品はフィクションです。登場する人物・地名・団体は架空のものです。
「失礼しました。」
職員室を出る際、丁寧に一礼して紗霧はそう言った。
教育者への畏敬の念が薄れつつある昨今において何とも殊勝な姿勢に隣に立つ勢羽は心の中で感心した。
社交下手な勢羽でも教育者に対して相応の態度は見せる。
だがそれは必要最低限の挨拶や申し訳程度の目礼程度で紗霧ほどに洗練された大人への対応とは雲泥の差だ。
少々、時代錯誤な程礼節を大切にしているのは知っていたが改めて見ると高校生らしからぬその対応に少なからず畏敬の念を抱かずにはいられない。
「…私の顔に何か付いてる?」
勢羽の視線に気づいた紗霧が訝しげにそう言った。
いつの間にか紗霧を注視してしまっていたことに気づいた勢羽はさてどの様に返すべきかと思う。
一瞬、からかいたいと思うイタズラ心が表出しかけたが天の邪鬼な自分の心理が子どもじみているなと思い正直に答えることにした。
「いや、妹尾の対応が大人顔負けだなと思ってな。感心してた。」
「…こんなの普通よ。生徒会役員として当然のスキルよ。」
頬を少し赤らめて何でもないというような声音で紗霧言った。
照れ隠しで言っていることが容易に推察できる態度だな、と大人びて見えて意外と年相応の少女のような紗霧の反応に勢羽は若干、表情を緩めた。
「ということはあの会長も生徒会では相応に真面目なのか?」
「…あの人は…いいのよ。」
その一言に紗霧の気苦労は用意に想像できた。
放課後。
勢羽は紗霧の手伝いをしていた。
生徒会役員選挙も近いこの時期は生徒会と職員室間での行き来が多くなる。
資料や書類といった選挙に必要な物を運ぶのに人手がいるのだという理由から勢羽は紗霧を手伝っていた。
普段の勢羽ならば手伝う義理などないと思っただろうが、昼休みの一件のせいで紗霧の機嫌が今までにないほど悪くなったことから罪悪感もあってか手伝いを買って出たのだ。
最初はブツブツと小言を言っていた紗霧も時間を経る毎に機嫌を直していった。
機嫌の悪いままそれを長期化させていたら勢羽の精神衛生的にも悪い。
女性の機嫌を直すのは果断でなければならないということを勢羽は経験から知っていた。
一瞬、キツい眼差しを向ける妹の姿が脳裏を過ぎり、勢羽は薄く苦笑いを浮かべた。
「須恵君、今日は手伝ってくれてありがとう。」
紗霧の声に意識を現実に返す。
その声に先程までの不機嫌さは一切無くなっていた。
「いや、昼はずいぶん酷いことをしたからな。少しでも力になれたなら良かった。」
「あれは…もう忘れたわ。」
頬を薄く赤らめて紗霧は小さく言った。
「そうか…なら俺も忘れよう。」
勢羽の言葉に紗霧は何も返さなかったがそれこそ自分を赦した精一杯の意思表示なのだと理解した。
紗霧は異性に対しては意外に不器用なのだと勢羽は思う。
正しくは『勢羽』に対してなのだがその事実を勢羽が自力で察することはないだろう。
人の感情・思考の機微に敏感な勢羽だったが自分に対する他人の好意にはとことん鈍い。
他人が自分に対して良いイメージを持つはずがないという彼なりの客観的分析からの判断だ。
実際、勢羽は他人の好意を得ようと行動したことはない。
彼の行動原理は正しい道理や倫理といった社会的理性が前提にある。
そこに勢羽の主観的感情が全くないわけではないが彼自身は少なくとも当たり前のことをしているだけだと思っている。
故に須恵勢羽という人間は病的なまでに人の好意に疎い(鈍感、朴念仁とも言う)性質なのである。
「須恵君、この後…何か用事ある?手伝ってくれたお礼をさせてほしいのだけれど。」
「いや、別にお礼はいらない。手伝い自体俺が買って出たことだし道理に合わない。」
昼の件も合わせて貸し借りはプラスマイナス0でありお礼を貰うには道理が合わない。
道理を足し引きで考えることは間違ってはいないがそこに人の感情・思考が加わることで掛け算割り算の概念も加わることを勢羽はあまり理解していない。
故に紗霧の提案が好意によるものであることも理解できていない。
「道理なんて関係ないわ!私の勝手。私がしたいからするの。このままじゃ私の気が済まないし…。」
紗霧の必死な言葉に勢羽は少々面食らった。
紗霧が声を荒げることは珍しいことではない。
だが、それがいつものような憤りから来るものではなく別の感情であることは勢羽も何となく理解できた。
断る方がこの場合無粋であろう。
「それならお言葉に甘えようか。」
そう言ったと同時に紗霧は花の様な満面の笑みを浮かべたが、すぐに慌ててその表情を引き締めた。
自分が締まりのない間抜けた顔をしてるとでも思ったのだろう。
だがその笑顔とそれを恥じらう仕草は全ての男性を虜にするほどに魅力的だった。
勢羽は自分の感情が一瞬、高揚するのを感じた。
だが、その高揚はすぐに普段の冷静さに戻る。
愛らしいとも綺麗だとも思う。
だが、それらは勢羽の感情をそれ以上高ぶらせることはなかった。
勢羽は自分の感情の不感さに嫌悪を抱きながらもその性質にある種の諦念を抱いてもいた。
そう思って自分の馬鹿さ加減に気づいた。
変えることのできないことで悩むなど無駄だ。
沈みかけた思考を現実に戻し、隣で楽しそうに微笑む少女を見やる。
自分如きが人を笑わせられたのならそれで十分だと勢羽は思った。
『この都市は世の全ての歪みを体現し、また理想を具現化した異物だ。さながら人間のような矛盾を孕んだ理外の怪物と言えるだろう。』
ある歴史家のその言葉はこの都市の本質を表すうえで今日、最も使用される定型句と言える。
極東日本国・東北州最大の都市・仙臺。
古くから東北州の中枢都市であった仙臺。
東北州最大と言えば聞こえは良いが近代開発が始まって以降、その役割は東都大都市圏に対する資源・労働力の供給であり、他の東北州各都市と大差のないものだった。
産業基盤の脆弱性故に国家への依存が強く、政治・経済は国家の政策に左右された。
しかし、1世紀前からその規模・勢力を大きく拡大させ、日本の五大都市に数えられるまでになっていた。
辺境であった仙臺がここまで拡大したのには理由がある。
それを説明するには124年前に起こった第二次東洋戦争について語らねばならない。
第二次東洋戦争は人類史上初めて魔法による軍事戦闘が行われた戦争である。
これ以前、魔法という存在は架空の事象であると思われていた。
人類史においては古代からその存在は知られていたが神話からの引用や戦争を華やかに見せる創作であると決めつけられていた。
近代に入っても魔法とは科学の亜種的な事象であるとしか理解されなかった。
しかし、第二次東洋戦争において日本軍は魔法使い(ソーサラー)を戦場に投入し、圧倒的大勝をおさめた。
後にこの魔法は世界中に急速に広まり、軍事においてはその国の軍の強さを計る重要なファクターとなっている。
極東の島国である日本が今日、国際社会で高い地位にあるのは魔法という革新的技術を有し、それを高度に運用する知識をも兼ね備えているからに他ならない。
何故辺境と言われた日本に魔法という技術が存在したかは今日でも明確な答えは出ていない。
だが、魔法が日本のある一族により占有されていたという事実は広く知られていた。
『條家』
その一族の総称がそう呼ばれるのは苗字に『條』の字を含んでいるからである。
日本の歴史が記され始めた頃から條家は実質的にこの国を支配していたと言われている。
今日、国の政治体制は国会と枢密院の二元体制がとられている。
国会は言わずもがな国民より選ばれた議員で構成されているが、枢密院は條家またはその縁者達で構成されており実質的に條家の諮問機関であった。
一応両者の立場は同格ということになってはいるが魔法技術を占有する條家の発言権は強く、必然的に枢密院が政治の主導権を握る場合が多い。
つまる所、條家とは日本を実質的に支配する一族であり、魔法を有した武装組織とも言える。
その條家が本拠とするのが仙臺である。
第二次東洋戦争以前の條家の本拠は極東日本国首都・東都であったが講和条約の締結と魔法という革新技術による新たな国際秩序が形成されると條家は一族の本拠を仙臺に移した。
何故條家が東都からわざわざ辺境の仙臺に本拠を移したのかその理由は定かではない。
首都の代替都市としての役割から辺境に移された、東都の他勢力との確執、防衛における地理的優位性といった様々な説が挙げられるが1世紀経ってもそれは仮説の域を出ない。
挙げ句の果てには霊脈の収束地点であるからだとか古代に封じた魔物の監視のためだというオカルト的な仮説も出てくる程に謎は混沌と化していた。
しかし、これにより辺境都市の一つであった仙臺は大きく発展した。
條家の膝元ということから魔法技術の主要施設・機関が数多く作られ、それに伴う仙臺への人口移動・集中も進んだ。
ソーサラーの育成の本拠としてまた、魔法技術の発信の地としてその地位は現在に至り、他の都市とは一線を画する。
1世紀を経て、仙臺は首都・東都、商都・大坂、工都・名護屋に次ぐ大都市となった。
仙臺のその特異な成り立ちと條家という絶対的な支配者の存在、魔法という圧倒的な力を有することから畏怖を以てこう言われた。
魔都仙臺、と。
学校を出た勢羽と紗霧は街の中心街に来ていた。
平日の夕方という時間帯から学校帰りの学生が多く見られる。
この都市は教育機関を多く有し、特に魔法技術校は国内でもその量・質共にトップクラスである。
勢羽と紗霧が通う桐生崎は純粋な進学校であり、魔法技術を学ぶ者が多数を占める仙臺においては特異と言える。
桐生崎は国政を取り仕切る官僚や地方官吏を志す者が多く、卒業後は東都の大学に進学する者がほとんどである。
共学化以前の女子校時代はそれ程多くはないが女性官僚や政治家を多数輩出しており、女子校の名門という地位にあったことがその性格を今も引き継ぐ要因であった。
勢羽や紗霧は異質なこの街においては普通の学生と言えた。
「須恵君、あなたはどこに行きたい?」
横を歩く紗霧の問いに勢羽は少し悩む素振りを見せる。
「どこにと言ってもな。普段あまり繁華街には来ないから何があるのかもサッパリだ。」
勢羽の投げやりな答えに紗霧は少し頬を膨らませる。
これがデートならば明らかに失言である。
いや、男女が二人で繁華街に来ている時点でデートと言っても過言ではない。
しかし、勢羽は紗霧と二人きりというこの状況においてもそれを意識していない。
割り切っていると言えばそうなのだが、それより何より勢羽の生来の性質が原因であろう。
「あまり無関心なのはどうかと思うわよ。まぁ、あなたらしいと言えばらしいけど。」
呆れと諦めが入り混じったような声音で紗霧は言った。
「すまないな。わざわざ誘ってもらったのに。」
勢羽は自分が気がきかないことは承知している。
人の気持ちが分からないというわけではないが、人に対して無頓着なところがあるのは自覚していた。
だからか、勢羽は無自覚に気遣いができた。
ある意味一番性質の悪い男である。
「いいわよ。私が無理強いしたようなものだしね。ところで須恵君は甘い物は苦手だった?」
少し頬を赤らめながら紗霧は聞いた。
「いや、どちらかと言えば大好きだ。」
勢羽のその真剣な声音に紗霧は少々面食らう。
「…甘い物好きなんだ。意外ね。」
「よく言われるよ。妹とはいつもそれで口論になる。」
そのことを思い出したのか辟易したように勢羽はため息をついた。
「食べ過ぎで太るから?」
「いや、『兄さんのキャラじゃありません』と、よく分からないことを言われる。」
「…妹さんって少し変わってるわね。」
紗霧の微妙に引き釣らせたその表情は何かに耐えているようにも見えた。
紗霧は勢羽が甘味に舌鼓を打つ勢羽を思い浮かべていた。
(くっ…。)
込み上げる何かを必死で堪えながら、勢羽の妹の言うことに心の中で激しく同意する。
勢羽は紗霧のその様子に首を傾げる。
勢羽は自分が甘味好きだということがおかしなことだとは思っていない。
理論的に考えても甘味が好きなのは人の本能のようなものであるのだから自分が甘味好きなのはごく自然なことだ。
勢羽の考えは尤もであるが、彼には著しく客観性が欠如していた。
或いは自分自身が至極普通であると思っているのだろう。
それは自身を客観的に見れていないというよりは自分が人にどう見られていようが気にしないという考えからであろう。
彼には客観性というよりは自意識という概念が著しく欠如しているというのが正解と言えるだろう。
紗霧のオススメだというカフェテリアで勢羽達はケーキを食べ終え、コーヒーを飲んでいた。
紗霧のオススメということもあって勢羽も満足したようにいつもより幾分表情を和らげていた。
「須恵君って表情が読めないようで分かり易いよね。」
紗霧は得意気にそう言うと頬杖をついて微笑む。
「それは何か矛盾してないか?」
結局のところ分かり易いのか難いのかハッキリしない。
「初めて会った頃は分からなかったけどね。今は貴方が何を考えているか何となくだけど分かるわ。」
悪戯っぽい笑みを浮かべて紗霧は言った。
自分が分かり易いというのは勢羽としては複雑な心境だ。
自分はあまり感情の起伏を表に出さないという自覚はある。
だから分かり難いと言われるのは分かるが分かり易いとは少し複雑な心境だ。
紗霧は普段から何かと口うるさいが意外に洞察力があり、些細な機敏に鋭い。
いや、口うるさいのはその洞察力故なのか。
「妹尾は俺のことをあまり快く思っていないと思っていたがそうでもないのかな?」
勢羽としてはあまり意識したつもりはないのだが端から聞いたならなんともこそばゆい言葉だ。
そのせいか紗霧の頬は一瞬の内に真っ赤に染まった。
「べ、別に須恵君のこと嫌ってなんかないから。ただ、あなたの無神経さにイライラしてるだけ。」
それを嫌っているというんじゃないのか、とは口には出さない。
それを言うと口喧嘩になるのは目に見えている。
それにその口調に悪意はない。
どちらかと言えば照れているというのが正解であろう。
「俺は妹尾のこと結構好きだけどな。」
そう言って勢羽はゆっくりとコーヒーをすする…と、同時にバタンと向かいの席から何かが倒れる音がした。
その音に驚き、危うくコーヒーを零すところで何とか耐えた。
向かい側を見ると紗霧が頭からテーブルに倒れ込んだ態勢で微動だにせずに固まっていた。
「体調でも悪いのか?」
「…大丈夫。少し血圧が上がっただけだから。」
ゆっくりだがしっかりした口調だ。
だが、急に倒れたのならやはり体調が気になるところだ。
「急激な血圧の上昇は大事になりやすい。どれ、少し見せてみろ。」
勢羽は多少医学の心得があり、顔色や血圧を見れば体調の良し悪しが分かる。
「大丈夫だって言ってるの!」
紗霧の大きな声に伸ばしかけた手は虚空を掻く。
いつも紗霧にはうるさくお叱りを受けているがここまで必死な声を聞いたのは初めてだ。
「すまない。何か気に障ることをしてしまったようだ。」
その言葉に紗霧は顔を伏せたまま首を振る。
「須恵君は何も悪くない!ただ、私今凄く変んな顔してるからそれを見せたくないだけ。少しすれば落ち着くから。」
それは勢羽に対する憤り故ではない。
年頃の少女が抱く羞恥心というものだった。
その事実に勢羽はホッとする。
また不用意に女性を傷つけたのではないかと思ったからだ。
どうして紗霧が顔を伏せる必要があったかについては考えが及ばないがそれは聞くだけ野暮というものだろう。
勢羽は紗霧を傷つけてはいなかったが別の感情を大いに高まらせていた。
紗霧の様子に暫くは安静が必要だと考えた勢羽はカフェに備え付けてあるテレビに目を向ける。
時間を潰すのに最も手近なそれの存在意義は1世紀以上前から変わらない。
目の前に突っ伏した紗霧に声がかけられない以上は妥当な選択だろう。
画面を見れば丁度夕方のニュースが映し出されていた。
内容はさして真新しいものは無かった。
枢密院と国会のパワーバランスの賛否論、国際情勢、魔法関連産業の好調などいつもとさして変わらない内容が流されていた。
魔法が当たり前になった今日ではどんなニュースも魔法が直接的にも間接的にも関わっており、魔法が如何に世界に影響を及ぼしているかが伺い知れる。
犯罪関連ニュースも魔法が関わるものが少なくない。
しかし、魔法の普及により、犯罪が凶悪化したかと言えば普及前とあまり変わってはいない。
その理由としては魔法による犯罪が大小問わず、魔法を使用しない犯罪に比べ重い罪に処せられるからだ。
加えて、警察組織以外にも軍組織から派遣される憲兵隊が治安の維持にあたっていることも理由だ。
憲兵隊には戦闘用武装が与えられており、ほとんどが高レベルのソーサラーであるため一般レベルの魔法犯罪者に抗う術はない。
だからこそ魔法が普及した現代の日本国の治安は保たれており、魔法が犯罪の手段に使われようとも人々はそれを深刻な社会問題とは捉えない傾向にある。
そのような理由からか次に流れたニュースは現代社会においてはあまり深刻に捉えられるものではなかった。
だからこそか勢羽は今までのニュース以上にそれに耳を傾けた。
『東北州都・仙臺において発生していた通り魔事件に新たな被害者が出ました。被害者は自営業、杵島宗則さんで全身複数ヶ所の打撲があり、全治3週間の怪我ということです。犯行現場は一番街付近の路地裏で被害者が一人の時に襲われたとのことです。この事件は…。』
ニュースキャスターは通り魔事件の概要を淡々と説明していく。
「また、出たのね。通り魔。」
少し気怠さを滲ませた声がかかる。
見ると、紗霧が突っ伏していたテーブルから顔を上げ、テレビを注視していた。
まだ具合が悪いのだろう、その頬は少し赤みがかって見える。
だが、それ以上に紗霧は今のニュースに興味があるようだった。
「妹尾は通り魔事件に興味があるのか?」
「そうね。この仙臺で通り魔事件が続くのは珍しいし、警察も憲兵も通り魔を捕らえてないとなると興味も湧くわ。」
淡々と喋る紗霧だがどこか落ち着きがないようにも見える。
「通り魔か…。妹尾としては唾棄したい輩だな。」
勢羽は軽口気味の口調で言った。
勢羽は紗霧が自分の言葉に同意するだろうと思っていたが、紗霧が返した言葉は勢羽が予想したものとは違っていた。
「賛同はできないけど全否定もできない、と思う。」
紗霧の言葉に勢羽は目を見張る。
「妹尾がそんなことを言うなんてな。心境の変化でもあったのか?」
そう言って勢羽はお冷やに口をつける。
「正しくないことは分かってる。でもこの事件の被害者ってみんな魔法犯罪で不起訴になった人や裏社会で地位のある人が殆どなのよ。この被害者の杵島という人もたしか龍堂組系杵島会の幹部よ。」
杵島会と言えば仙臺一番街を拠点とする所謂暴力団だ。
杵島は最近龍堂組の傘下に入った新興組織で強引な手段で組織を拡大しており、悪い噂も耳にする。
「妹尾はこの通り魔が悪を挫く義賊だ、と言いたいのか?」
「そこまでは言わないわ…。仮にそうだとしてもこの通り魔の行動は手段として間違ってるし、法によって裁かれるべき行為よ。でも…。」
そこで紗霧は言葉を止める。
それは何か自分でも分からない葛藤に苛まれているように見える。
「…そろそろ出るか。日も暮れてきた。」
そう言って勢羽はカバンを持ち、立ち上がる。
勢羽は紗霧の言葉を促すつもりはなかった。
紗霧が何を言いたいのか勢羽には少なからず予想ができた。
だからこそ勢羽はそれを言わせるわけにはいかなかった。
「う、うん。」
紗霧は慌てて勢羽に続く。
自分が何を言おうとしたのかを勢羽は感づいているのだと紗霧は思った。
そうでなければ勢羽が話を切るのは不自然だ。
分かりにくいがそれが勢羽なりの優しさなのだと紗霧は思った。
先を行く勢羽の背中を見ながら紗霧は胸が温かくなるのを感じた。
同時に先ほど言おうとした言葉が脳裏に過ぎる。
通り魔事件について紗霧は先ほど話したことよりも多くを知っていた。
犯行状況、現場状況、被害者の共通点、そして犯人の動機についても大方の予想はついていた。
だからこそ紗霧は通り魔を完全に否定することが出来なかった。
悪と断じて然るべき者に対して紗霧はどこか親しみのようなものを抱いていた。
それはこのぶっきらぼうな青年に抱く想いに少し似ているような気がした。