替え玉皇太子が現れた
いえ、ちょっと待って……。
昨夜は、正直緊張していたので替え玉皇太子のことをあまりよく見ていなかった。
彼の主寝室は、当然わたしの続きの間よりもはるかに広い。
昨夜、わたしたちは部屋の端と端に立っていた。しかも、彼自身は婚儀にもその後のパーティーにも出席していなかった。
主寝室で会ったのが、わたしたちの初対面だった。
その初対面で、「替え玉だから愛せない」と発言された。
あまりの突然のことに、告げられた直後に目を伏せてしまった。
つまり、彼のことをほとんど見ていない。
彼って、あんなに大きかったかしら?
たしかに、いまも距離はある。だけど、昨夜のように主寝室の端と端よりかは近い。
替え玉皇太子ったら、まるで小山だわ。
眉間に皺が寄ってしまう。
背が高いだけじゃない。全体的にがっしりしている。白いシャツにスラックスという後ろ姿だけど、筋肉質なことがよくわかる。
小柄すぎるわたしからすれば、彼はまるで山脈だわ。
いろんな意味でショックを受けてしまった。だって、こんなに大きい人って見たことがないんですもの。
子ども向けの冒険小説に出てくる巨人族ね。
いったい、どうやったらあんなに大きくなれるのかしら?
食べ物?それともおまじない?
なんてかんがえていると、不意に替え玉皇太子が右手を上げた。すると、どこからともなく二羽の小鳥が飛んできて、そのでっかくて分厚い手に着地したじゃない。
小鳥たちはきっと番ね。彼の手の平の上で楽し気に囀っている。お喋りタイムというわけかしら。
そのとき、替え玉皇太子の横顔が垣間見えた。
右半面だけど、髭におおわれている。体同様、ごつい顔だということがわかる。
巨人族じゃないわね。獣人ね。
心の中で訂正しておく。
でも、楽しそう。髭だらけの顔に笑みが浮かんでいる。それが、なんとなく感じられる。鋭そうな目には、柔和な光がたたえられている。そんなふうにうかがえる。
もしかして、わたしったら小説の読みすぎ?
替え玉皇太子を、そんな設定にしたいわけ?
ちょうど陽光があたり、彼も小鳥たちもキラキラ輝いている。
よりいっそうファンタジックな雰囲気を醸し出す。
その瞬間、彼がこちらを振り返った。
その急な動きに、小鳥たちが驚いたらしい。彼の手の平の上から飛び去ってしまった。
彼の雰囲気が急変した。
彼は、わたしを見つめたまま固まってしまっている。
何か言わなきゃ。
なぜかそう思った。だけど、実際のところは言葉が出てこない。
見てはいけないものを見てしまったのかもしれない。替え玉皇太子は、先程のシーンをわたしに見られたくなかったに違いない。
つい先程まで小鳥がのっていたと同じ彼の右手は、いまは思いっきり握りしめられている。右手だけじゃない。左手も同様である。
顔中髭だらけの下の口は、いまは笑みではなくへの字を描いているのかもしれない。
すくなくとも、眼光だけは鋭くて冷たい。その眼光が、わたしの瞳を突き刺す。
わたしも固まったまま彼を見つめるている。
いまさら「小鳥との戯れのシーンは見ていません」とか、「ほんわかしていて癒されました」とか、言えるわけがない。
って、彼は唐突に踵を返した。そして、開け放たれている主寝室のガラス扉へと歩きはじめた。
その大きい背中が消えたとき、なぜか胸が痛んだ。
替え玉皇太子だから、彼のことなんてどうでもいいはずなのに……。それなのに胸が、というよりかは心がチクチクした。
自分でもその理由はわからない。
気配を感じたので横を向いた。先程、彼の手の平の上にのっていた小鳥たちに違いない。
バルコニーの手すりの上に並んで止まっていて、つぶらな瞳でわたしを見ている。
「替え玉なんですもの。わたしには関係ない人ですもの。気にしなくてもいいわよね?」
小鳥たちにそう尋ねてみた。
しかし、彼らは小さな頭を右に左に倒しただけだった。