いろいろ考えちゃうけど
スイーツの得意な料理人に、パイの作り方を教えてもらった。そして、何度も何度も失敗してはやり直した。
教えてもらったのは、晩餐会で出すパイだけじゃない。料理も引き続き教えてもらっている。
わたしにはあまり時間がない。
調印式が終わってしばらくすると、離縁される。その時点で、皇宮での居場所を失くしてしまう。すぐにでも住む場所や仕事が必要になる。
せめてその両方が見つかるまで、皇宮のどこかにでも置いてくれればいいんだけど。
そうだわ。これだけ広いんですもの。わたし一人が寝っ転がれる場所くらい、あるかもしれない。
っていうよりかは、街で仕事が見つかるまでの間ここの厨房で雇ってくれないかしら。
お願いしてみよう。いくら不愛想な替え玉皇太子でも、その程度の頼みならきいてくれるかもしれない。
というよりかは、本物の皇太子っていったいどこにいるのかしら?
雇用のことなら、本物に直接談判した方がいいわよね。
ダメダメ。
そんなことをかんがえるのは、もう少し後にしなきゃ。
いまは、晩餐会に備えて調理に専念するのよ。
わたしの生まれ育った国の外交官たちがやって来る。その為、母国の料理も数品出すことになっている。
料理人たちにレシピを提供し、実際に作ってみせた。教える必要などない。彼らはプロである。作るところを一度見てもらうだけで、ほとんどすべてを理解してしまった。
毎朝、替え玉皇太子にパイを食べてもらった。
わたしの部屋のテラスから椅子をもう一脚持ってきて、ベルティーナにも食べてもらった。
彼女が加わることで、替え玉皇太子のごつい顔に表情が出てくる。おのずと言葉も増える。
晩餐会までの間、朝食後のティータイムを三人で楽しむことが出来た。
いまさらだけど、そのときになってはじめて皇太子の名がブルーノ・カッペリーニであること、ベルティーナは公爵令嬢であることを知った。
ベルティーナのヴァレンティ公爵家は、代々侍女長を務めているらしい。
それ以外にも、このポリーニ帝国のことや皇宮での派閥争いやゴシップなどをきいた。
まぁ教えてもらったところで、間もなくここから去るであろうわたしにはあまり有益な情報にはならないんだけど。
それでも、そもそもの計画である「替え玉皇太子とベルティーナにいっしょにすごしてもらう」、という点においては充分満足している。
ほんと、二人とも楽しそう。
替え玉皇太子とベルティーナのしあわせそうな様子を見ていると、ちょっとうらやましくなってしまう。
なぜかわからないけれど、胸の辺りがチクチクする気もする。
そのなんとも言えない感覚に、苛立ちを覚えてしまう。
ダメね。気分を落ち着けなくっちゃ。
そう自分に言いきかせた。
そんなこんなで、いよいよ調印式と晩餐会の日がやってきた。
わたしのパイは、完璧に仕上がったと思う。
替え玉皇太子は、調印式に出ているらしい。
替え玉とはいえ、ほんと大変なのね。
だけど、替え玉が必要ってどういうことなのかしら?
それは、もう何十回もかんがえている疑問である。
替え玉が必要な場合、たいていは命や財産などを狙われているというのが多いと思うのだけれど……。
近衛隊の副隊長のダミアーノが、ここ数百年はそんなとんでもないことは起こっていないと言っていた。
だとすれば、本物の皇太子は人の前に出ることが出来ないとか?
外見に何かあるの?
それだったら腑に落ちる。
なるほど。それよね、それ。
だったら、なんて気の毒なのかしら。
ここを去るまでに、一度だけでも本物の皇太子に会ってみたい。そして、西洋梨のパイを食べてもらうの。
ほんのすこしだけでも、しあわせな気分を味わってもらいたいから。そうすることで、抱えている悩みとかコンプレックスを少しでも緩和出来たらいい。
厨房で西洋梨のパイを作り、あとは焼くだけの状態。一応、わたしも晩餐会に出席することになっている。だから、焼くのはスイーツ作りが得意な料理人に任せることにした。
パイ以外でも母国の料理を出すことになっている。だから、それらの作る手伝いをして厨房から慌ただしく部屋に戻ってきた。
それからがよりいっそう慌ただしい。
「妃殿下、髪はいかがなさいますか?」
ベルティーナはさすがである。
彼女は、顔や腕のいたるところに小麦粉とか調味料をつけ、ニンニクとかのにおいプンプンさせているわたしをお風呂に入れて全身を洗い、拭いて身支度を整えてくれているのである。
「付け毛はいらないわ。来ているのは双子のお兄様たちと宰相たちだし、いまさら長い髪に見せかけたって笑われるだけだから」
じつは、髪の毛だってそうなのよね。
お姉様は、光り輝く金髪。腰まである髪は、やわらかくってサラッサラ。
くすみきって金色か茶色かビミョーな色合いで、しかも短髪剛毛のわたしの髪とはまーったく違う。
よくもまあ、身代わりにさせたものよね。
もう何百回目かに感心してしまう。
「でも、殿下に恥をかかせてしまうかしら?わたしの身内や宰相はどうでもいいけど、こちらの皇族の方々や閣僚たちに非礼にならないかしらね」
「かならずしも長い髪でなければならないというわけではありません。それに、正直なところ皇族の方々でも非礼な方はいらっしゃいます」
ベルティーナのささやき声で、脳裏に一番に浮かんだのは第一皇子とその婚約者である。
まぁあの強烈なカップルに比べれば、わたしのくすみまくった金色の短髪剛毛なんてお茶目なものよね。
ということにしておきましょう。
そして、そう時間をかけずに準備が整った。