クッキー
皇太子は、何らかの理由で妻と離縁したいわけね。あるいは、もともと結婚をしたくないのかもしれない。
その為に替え玉を準備し、替え玉があんな態度をとっているとか。
なるほど……。
いずれにせよ、だれが何と言おうとわたしは離縁される。
だったら、外野の発言や行動に振りまわされることなく自由を満喫すべきよね。
ちょっと待って。
離縁されれば、即その場で居場所を失ってしまう。
王宮には戻れない。なぜなら、お父様やお姉様が許してはくれないだろうから。
皇太子の意図や事情はともかく、お父様やお姉様はわたしの不手際で離縁されたと決めつける。お姉様として嫁いだのだからお姉様の名や評判を貶めたとして、カリーナ王国に入国させてもらえないかもしれない。
でも、ちょっと待って。
もしかしたら、お父様とお姉様は皇太子の評判や何度も離縁していることを知っていて、わざとわたしを身代わりとして嫁がせたのかもしれない。
二人のこと、こっちの方が可能性が高いわ。
だとしたら、卑怯よね。わたしを追放したいのなら、はっきり「王宮から出て行け。追放だ」って言ってくれた方が、どちらにとってもすっきりするでしょうに。
わたしを追放出来て、皇太子のご機嫌もとれる。そんな愚策を思いつくなんて、お父様とお姉様らしいわ。
それはともかく、とりあえずは居場所がなくなってしまう。
その日から糧がなくなる。
仕事を、具体的には料理人として働ける場所を見つけなければならない。
ダメだわ。呑気に自由を満喫している場合じゃなくなってしまった。
いまのうちに準備をしておかなくっちゃ。
皇太子や替え玉どころの騒ぎじゃなくなってしまった。
ティーカップを受け皿の上に置いたタイミングで、ベルティーナが紅茶のおかわりとクッキーを持って来てくれた。
「美味しそうなクッキーね。そっか、料理人の中にはデザート専門の人もいるわよね」
お皿の上に五種類のクッキーが並べられている。
「ハートの形はプレーンね。それから、これはチョコ。こっちはバニラクリームをはさんでいるわね。あ、これはジンジャーね。そして、こっちはスライスしたアーモンド入りね」
パッと見ただけでわかったわ。
今日はラッキーだわ。
料理も大好きだけど、スイーツも大好き。
作るのも大好きだけど、食べるのはもっともっと大好き。
「よくおわかりですね」
ベルティーナはポットから紅茶を注ぎ終わると、驚いたようにわたしをみた。
「じつは、このクッキーは皇宮の料理人が焼いたものではないのです」
「え?じゃぁ、もしかして買ってくれたの?皇族御用達のスイーツのお店があるとか?いただいてもいい?ガマンできないわ」
「どうぞどうぞ、お召し上がりください」
「いっただきまーす」
まずは、一種類ずつ味わってみた。
「なんて素朴でやさしい味なの。こんなに美味しいクッキー、食べたことがないわ」
美味しすぎる。甘さは控えめだけど、卵とバター、チョコやバニラやアーモンドやジンジャー、一つ一つの素材の味が際立っている。
なにより、とってもやさしい。そして、とっても想いがこもっている。
作った人は、食べる人のことをかんがえて作ったに違いない。
たかだかクッキーだけど、全身全霊をもって作っているって感じがする。
「お褒め頂きありがとうございます。作った本人もよろこびます。皇太子妃殿下の為に、早朝に作ったようですから」
「わたしの為に?」
驚いてしまった。
いったいだれが?
「はい。皇太子妃殿下がクッキーやケーキをお好きなことは、有名でございますから」
え?わたし、ここでそんなことを話したっけ?しかも、有名?
あ……。
忘れていたわ。
お姉様よ。一般的な女性の好みとして、スイーツと花が大好きってことになっているんだった。
だけど、ほんとうは違う。
お姉様は、スイーツは太るからという理由でいっさい食べない。花だってそう。花粉で鼻が、ってだじゃれじゃないけど、鼻や目がムズムズしたりかゆくなったりするといっていっさい受け付けない。
彼女の好みの物を信じている王侯貴族の子息たちは、ぜったいにどちらかをプレゼントしてくる。