初夜を迎えるはずだったのに替え玉宣言って……
「おれは替え玉なんだ。だから、きみを愛することはない。もちろん、公の場では夫婦のふりをしなければならないし、体裁上は仲がいいように見せかける。どうせ、きみもここには嫌々やって来たんだろう?一応部屋は同じだけど、きみは続きの間を使うんだ。この主寝室には入ってこないでくれ。そういうわけだから、当然きみに指一本触れるつもりもない。話をする気もない。まあ、条約が成立して調印が終るまでの辛抱だ。それまで、適当に好きなことをやってくれればいい。話は以上だ。さっさと向こうの部屋に行ってくれ」
初夜、のはずだった。
女性にとっては、婚儀とおなじくらい大切な夜のはずだった。
というよりかは、婚儀は省略された。なぜかはわからないけれど。一応、司祭の前で頭を垂れたけれども、わたし一人でだった。
右側にはだれも立っていなかった。
つまり、夫になるはずの相手がいなかったのである。
一人で頭を垂れるのは、懺悔のようなものである。司祭も祝福をあたえているのか、それとも赦しをあたえているのかわからなかったかもしれない。
そして、いま向こうの方に立っている夫は、司祭の前で頭を垂れないままここにいる。
なるほど。皇太子の替え玉だから、神とわたしに誓う必要はなかったわけね。
それはともかく、先程の言葉が嫁いだはずの夫の最初の言葉だった。
追い払われるようにして続き部屋に入った途端、彼は扉を音高く閉じた。
その大きな音に驚き、思わず振り返って扉を見つめてしまった。
閉ざされた扉……。
それは、この記念すべき日の夜に楔を打つ存在。そして、精神的にも物理的にも越えることの出来ない大きな壁。
ショック冷めやらぬ状態のまま、とりあえず天蓋付きの寝台に近づいてそこに腰かけた。
告げられた言葉の重大さが、じわじわと頭と心にしみこんでゆく。
ショックはやわらぐことはない。それどころか告げられた言葉の意味を理解すると、不安と悲しみが襲ってくる。
どうしましょう……。
灯りの一つもついていない。大きなガラス扉から射し込む月の光が、室内をぼーっと照らし出している。
わたしは、これからどうなるの?どうしたらいいの?
心細さと情けなさで涙が浮かび、それが目尻に溜まる。そして、両頬に流れ落ちて……。
なーんて、思うものですかっ!
「よしっ!」
ガッツポーズをとっていた。
思わず、声に出してしまっていた。
慌てて口を閉じ、主寝室に声が届かなかったかと視線を向けた。同時に耳をすませる。
大丈夫。気配は感じられない。
ホッと胸をなでおろした。
それから、寝台の上に背中から思いっきりダイブした。
ちょっと、これってばとんでもない幸運じゃない?
自然と笑みが浮かんでしまう。
美しくってお淑やかで従順でやさしくって思いやりがあって、この大陸一のレディとうたわれているお姉様の身代わりに嫁いできたけれど、なんとなんと夫は替え玉だなんて。
『替え玉だから愛せない』
ですって?
替え玉皇太子のあの真面目くさった顔ったらもうっ!演技だってバレバレだったわ。
可笑しくって可笑しくって、笑いをこらえるのに大変だった。
あらま、靴を履いたままだわ。そう気がついて足を振って靴を脱ぎ捨てた。
それから、寝台の上でゴロゴロ反転してみた。
自分が使っていた寝台より、ずっとずっと大きい。だから、いくらでも転がることが出来る。
侍女長に「落ち着きがない」だの「寝る時くらいおとなしく出来ないのか」だの、散々嫌味を言われたっけ。だけど、もうそんな嫌味を言われることもない。
ほんと、お姉様の身代わりになってよかったわ。
お父様や双子のお兄様たちやお姉様は、やんちゃでわがままで傲慢なわたしをもてあましていた。だから、この身代わりはわたしを追い払ういい口実だったのに違いない。
これはきっと、神様が与えてくれたチャンスだわ。
どうせなんですもの。好き勝手させてもらうべきよね。
思いっきり自由を謳歌するのよ。
明日から楽しみだわ。
瞼を閉じると、あっという間に眠りに落ちてしまった。