学術公国の研修ダンジョン深層化騒動
学術公国。旧名称をアークス・オブ・アカデミア、またはアーカイヴス、またはライブラ。小国ながら魔術師に錬金術士、のみならず冒険者から武芸者の卵から免許皆伝の猛者まで集う学徒の都と知られている。近隣には大陸随一の大図書館を抱える司法国とが存在していることもあり、学びを求めるものはこぞって集まってくる。
かつて70年ほど前には近辺の多数の国との戦乱があり、諸王国戦争、または諸王国内乱とも呼ばれる大きな戦いもあったが、現在は友好条約も結ばれ平和な時代を迎えようとしている。
調べた書物に記述揺れがあるのは当時の編纂した国や勢力による主観的な記載が多いからというから、混乱の度合いがどれだけったかは想像するのも難しい。
さて、そんな学術公国であるが、政治的には議会制が採用されている。
主に三つの派閥から三人の議長を選出し、その三人の合議の元で政治的な指針を決定。
多数の武術指南所、学科指南学校をとりまとめ、学園の運営も手掛ける学術閥。
錬金術師同盟、および関連の学校施設を束ねる錬金術師閥。
最後に、商業関連の学校と商業運営を担っている商業閥。
彼等によってこの国の舵取りは決まっている。
「さて、今回の議題が禁忌の書についてなのだが」
学術閥議長、イアン・モンゴメリーが長い髭を揺らし議題を口にする。
魔術師にして高位冒険者も務めたイアンは、老齢の人種の長い髪も髭も真っ白で、ともすれば宗教関係者にも見える。出身は帝国で、かつては貴族に連なる家柄であったというが、縁戚の不祥事から学術公国に移り住んだ経緯があるという。年齢は既に80歳とも90歳とも。
「3年前から輸入時の物品検査を徹底したことで発見できたのが2冊、他は違法性が考えられる書籍が1冊、事件後に模倣されたものが数十はあったが」
商業閥議長、ドルトレン・カルチノフが重たそうな身体を揺らして深く息を吐く。
砂漠の国の出身で旅商人から商業組合の長にまで一代で上り詰めた人種で固太りの男は、丸く大きな鼻の据え付けられた褐色の顔を油で光らせ、ターバンを頭に巻いている。現在、商会は息子に任せ、商業取引の監査を担う交易監査役を兼任。
「素材流通についても意見書をもらったけど、一旦は落ち着いたか、この国を避けたか、どちらかだろうね」
錬金術師閥議長、ロベルト・ユージュアリーが苦笑いを浮かべる。
三人の中では一番年若い人種で、年齢は30代、金髪を撫でつけ銀縁眼鏡をかけた容貌は、何処にでもいる事務方の人間の様にしか見えない。ただし、この若さで錬金術師閥議長に選出されるほどの人脈を備え、周囲からこの男以外に務まるものはいないという強い後押しで就任した若き秀英である。
まぁ、この議長職、錬金術師界隈では「研究時間が減らされる貧乏くじ」と揶揄される役職でもあるのだが。
ともかく、そんな三人を悩ませているが、国境を接する隣国で起きた過去の事件についてだった。
邪神招来事件。一部でそう呼ばれているトラブル。
およそ3年ほど前の司法国で、邪神、または異神と呼ばれる乖離した次元から降臨し、司法国内で市街地が破壊されるという事件が起きた。当時は法規警邏官、司法国が誇る法規警邏組織に所属する捜査官によって対処が成され、被害はそこで食い止められた。
しかし、事件の収束と共に、邪神の顕現に繋がった書物は何処から持ち込まれたのか、それが新たな問題になった。
そもそも司法国の中央図書館から持ち出されたのではないかと言われたが、書籍の管理体制や蔵書の保管状況を洗ってもその線が薄いことは既に確認済み、ならばと続いて考えられたのが、この学術公国である。人の出入りも多く、持ち込まれる書籍の類だって数の多さなら司法国よりも遙かに多い。
そして書籍を対象に入港時の監査を徹底したところ、実際に邪神関連と思しき禁忌の書が発見された。
しかし、それも三年を通して2冊と、おそらくそれと知らずに通常の流通に乗っていたものだ。
「三年前に使用された書物が残っていないのが痛かったですが、どこかで複製、製造されている可能性は今のところ低いと見ていいでしょうな。古美術商の知人にも当たってみましたが、そういった出物を専門に探しているバイヤーなんかも、騒ぎに巻き込まれたくないってんで、手出しを控えるようになったようですし」
重たそうな腹を揺らしながらドルトレンが笑う。
安心するように促す口調に残りの二人も薄く笑みを浮かべ、一旦この議題も棚上げでよいという結論に至った。
「それより、喫緊の問題はやはり、あれです」
イアンの言葉に残る二人も顔を見合わせる。
「あぁ、あの?」
「あれだね」
議題は処理しても処理してもなかなかに尽きない。
ならば、優先度の高いものをまず処理するしかない。
「次の議題は、研修用のダンジョンの一つが、深層化の兆候があることについてです」
寝ても覚めても問題だらけ。
議長の間は研究など無理だろうなと、ロベルトは天を仰いだ。
■ ■ ■
ダンジョン。システム化された異界、構造に理論性を備えた異界。諸説あるが、一定のルールの元で一定の場所が拡張されたり冗長化されたところを指し示してダンジョンと呼ぶ。冒険者が喜々として荒す不思議空間という認識が一番簡単だろう。
ダンジョン化した遺跡、洞窟や森、地下空間は、ダンジョンの構造規模に応じて集積された魔力が異界化を促し、罠、魔物、はたまた古代技術の結晶のような何か、金銀財宝などが現れる。
特に、ダンジョンが深ければ深いほど、魔力による構築規模が大きければ大きいほど、生み出される魔物も、アイテムも、罠でさえ高位化し、やがては、神代の時代に存在した物品さえ再臨すると理論上は言われている。
そんなダンジョンだが、極々一部の職業や加護を持つ人間であれば干渉や管理することが出来る。
いわゆるダンジョンマスター職や、迷宮神の神官などである。
ダンジョンマスター職は、ダンジョン核と呼ばれるものを支配下におけば、実力や能力の及ぶ範囲で内部を改変や管理することさえ可能であり、迷宮神の神官であれば、魔力の集積妨害や迷宮そのもの深層化の抑止などが可能である。
そういった管理されたダンジョンが、学術公国内にある研修用ダンジョンと言われる場所だ。
「ダンジョンマスター職だったゼブル爺さんが心筋梗塞で入院して仮死状態になったタイミングで管理権が放棄扱いとなり制御が外れ、抑止対応に動いた迷宮神の加護持ちであるところのアンジェリーナ神官が抑えに回った段階でダンジョンの本能的な吸気行動、魔力の集積が行われていて、ダンジョンが深層化の兆候が確認された、と」
そこまでの説明でロベルトは眉根を寄せる。
「きな臭いね」
「誰かの意志が介在していると?」
「誰か、とはまだ言わないけど、何かの存在か関わっている可能性はある」
「きっかけ、ですな」
頭を悩ませる三人に、新たな報告が届いたのすぐだった。
「会議中に失礼します。学園長から報告があったのですが、学生が本格的に深層化したダンジョンに巻き込まれたそうです」
議会事務員は淡々と言葉を続ける。
「目的は不明ですが教師が後を追ってます。現場は封鎖済とのこと」
「近隣の衛兵隊へも出動指示。混乱、魅了などの状態異常影響の可能性がないかの確認と対処用の薬品も念の為に準備、魔術師による結界で一時的にダンジョンへの魔力流入を完全に遮断して」
「了解しました。あと、突入したメンバーの中に、イアン議長の曾孫様もいらっしゃるそうですが」
「シンシアちゃんがか!?」
椅子を蹴って立ち上がるイアンに対し、そっと事務員は扉前から避ける。
「えぇ、未確定情報ですが、侵入したパーティは六人、ダンジョン深層化当日に研修を行っていた班とのことですが」
「行方不明者の探索に潜ったのか!? 馬鹿者め!」
走り出すイアンを見送った二人も急いで立ち上がった。
騒ぎは既に広まろうとしていた。
■ ■ ■
斥候職ゴロウ・キクチは極東移民である。母方を極東移民による傭兵集団『スサ』、父方を帝国に居を構える移民村の村長とし、極東移民としては珍しい純血として生を得た。長男であるイクオは次代の村長として学術公国で農業を主として学び、次男であるゴロウは、母の勧めもあり冒険者としての訓練を積んでいた。
特に斥候職は専門性も高く、得手とする人間も少ないということで彼が担っていた。
極東移民伝統の斥候職、そうニンジャとして。
ニンジャは大陸の文化との融合を果たした結果、ブシドーとはまったく別の発展を遂げた。分派の細分化や独自流派の勃興などを各地域で繰り返し、生国である龍墜における忍者、忍とは別系統と言っても過言ではない。
その中で、ゴロウの所属する流派は、対人戦術、戦地内偵、投擲や登攀などを得意とするところから、暗部菊池流と呼ばれている。
暗部菊池流としてはまだ皆伝に至っていないゴロウであるが、ダンジョン内に一人取り残されてもなんとか生き残れる程度には熟達していた。
話は遡ること半日前。
研修用ダンジョンで連携や接敵直後の振る舞いを洗い直しをしていた
前衛守護職、大楯と短槍を使うゴーダ・フラッシャー。巨漢で全身鎧。
前衛斥候職、鉈と小槌、初級魔術や投剣を使うゴロウ・キクチ。小柄で黒一色の全身軽装。
前衛遊撃職、長剣と小盾を使うシンシア・モンゴメリー。金髪シニョンにの金属部分鎧。
中衛射撃職、弓矢と小剣装備のマキン・アンジャッシュ。長身痩躯で銀髪を斬り揃えた男性エルフ。
中衛回復職、メイスと僧兵服のバダ・キーン。ハーフドワーフで剃髪しているが髭は山盛り。
後衛魔術職、ロッド装備のヨギーシャ・ハルワタート。褐色肌に編み上げ黒髪、魔術的な民族衣装。
この六人で戦っていたのだが、突如としてダンジョンの雰囲気が変わった。
異変に気付いた瞬間、戦っていたダンジョンの通路、洞窟そっくりの場所で断層が『ズレた』ように感じたのは、やはり斥候職のゴロウだった。咄嗟に近くにいたシンシアをゴーダの方に突き飛ばし、しゃがんでいたマキンに体当たりする。
驚いた二人を他所に、ずん、とダンジョンが突如として震える。
まるで通路自体が蠢くよう、ゴロウの立っている場所が沈下していき、徐々にパーティメンバーとの間が離れていく。
「ゴロウ! 手を!」
「増援頼むべ! なんとかあがっから!」
慌ててロッドを突き出しこっちを助けようとするヨギーシャに首を振り、砂塵と共に別階層へ移動していく床を踏みしめる。まるで奈落まで落ちるのではないかという落下時間を経て、現象はついに落ち着いた。
さながら魔物の体内を移動しているようにすら感じた。視界は砂煙と魔力の渦のような現象で定かでなかったが、おそらく場所がかき回されている。
この時点でゴロウはこれがダンジョンの深層化であると思い当たっていた。まさか研修用のダンジョンで遭遇するとは思っていなかったが、探検や冒険をしようものならこういった不測の事態は起こりうるものと無理矢理納得する。
斥候職の自分がはぐれる形だったからまだマシだろう。ゴーダやシンシアなら一人でもある程度対応できるだろうが、後衛、そして中衛職だと遭遇戦になった時に危険だった。
魔力探知、風向き確認、臭い、気配。
慣れた様子で周りを探り、自身が放り出されたのが中層くらいだと予想する。今まで体感した研修ダンジョンの様相と然程の違いはないし、魔力の密度も同程度だ。
戦闘は最小限でとんずらしよう。
方針を決めて早々に動き出す。時間は敵だ。増援を頼んだが、他のメンツが抜け出して戻ってくるまでの時間を考えれば、なるべく早く自分が上がっておかないとヤバい。
覆面を固定する面頬の位置を直し深呼吸。
元々の浅層なら魔物としてのオーク、コボルト、洞窟狼、コンポジットビートルくらいだが。
この中層、のみならずパーティのメンツはどうなっているのやら。
他を心配しながらもゴロウは駆け出した。
■ ■ ■
パーティリーダーであるシンシアは、真っ青な顔をしたまま走る。
失態、と呼べるほどの行動もあの時点では出来なかった。異変に気付いた瞬間にパーティの位置を測ったゴロウに、突き飛ばされたシンシアを受け止めて背後に庇ったゴーダ、彼を助けようとロッドを伸ばしたヨギーシャ。突き飛ばされた衝撃もあったとはいえ、動けなかったあの時のことを思い出すたびに自己嫌悪してしまう。
学園における第二学年第五班であるシンシア達のパーティは、やっと中位を抜けようとしているくらいであり、未だに経験不足、実力不足であるところは否めない。元々、駆け出しの冒険者でもあるゴロウとゴーダが核となり、そのおかげで立ち回りが安定してきた。
ただ、斥候であるゴロウも、前衛で盾役であるゴーダも指示出しが出来る役割ではない。その為に全体の統括として自分がリーダーを務めているが、それもチームの中で単体だと役割が機能し辛いメンバーが私だから。
そうシンシアは自省する。ただ、悩むのは後だ。
前にいたコボルトの集まりを蹴散らし、続いて現れたオークの側頭を剣の腹で打ち払う。
よろけた瞬間に膝裏を蹴って横腹を切り裂いた。
立ち止まる時間はない。ゴロウを一人にしたままなど出来ない。
獅子奮迅の突破を図るシンシアの後ろに、他の四人は必至で足を急がせた。
「最速で、動こうとしたら、そりゃ、オレが足、引っ張るよなぁ」
「だ、大丈夫かゴーダ。た、盾くらいなら持つぞ」
「さすがに、武器、預けるわけにゃいかん、だろうさ」
息の乱れるゴーダと、走った時の音で寄ってくる他の魔物を弓矢で牽制するマキン。
猪突猛進気味になっているシンシアであるが、接敵するタイミングには冷静に戻るのか後ろ四人との距離を確認はしている。全身鎧に大楯という重装備の為、全力疾走に近い状態が続くゴーダが遅れ始めている中、もう一人、遅れそうなのがロッドに魔術装束という恰好のヨギーシャだが、そちらは自己強化をかけているらしく遅れずに追随してくる。
のみならず、バダと連携してロッドによる打擲でゴブリンを牽制までしていた。
「こりゃ、お荷物に、なっちまってるな」
「い、いいから。や、役割の違いだ。気にするな」
大陸共通語を喋ろうとするとどうしても吃音気味になってしまうマキンにフォローされつつも、シンシアを追うゴーダ。この時ばかりは重装がうらめしい。
そして、ダンジョンから飛び出すと同時、騒ぎを感知して駆け付けていた教師陣と鉢合わせした。
「マリーダ先生!」
「シンシア達か!」
担任であるマリーダ・アドリヒターの顔を見つけてシンシアが駆け寄る。現在はスーツ姿であるが、肌に刻まれた魔術刻印が明滅し、何かの魔術を発動しているのが見てとれた。
「ゴロウがいないな。分断か?」
「はい。突然ダンジョンが動き出して」
「どうやらダンジョンが突発的に深層化したようでな。今、迷宮神の加護で抑えてもらっている」
「早く探索にいかないと、中層以下にゴロウが!」
「一旦落ち着け。落ち着くんだ。すぐにでもこちらで対応する。今、このダンジョン内で脱出に成功していないのはゴロウだけだ。すぐに助けにいく」
「………はい」
消沈した様子のシンシアであったが、その肩にヨギーシャが気遣わしげに手を置く。
無言で腕組みするバダも、その場に座り込み、場合によってはすぐにでも戻れるようこの場から動く気はないようだった。
■ ■ ■
山刀が一閃。無骨な拵えの鉈は、それでも極東技法で拵えられた一品である。故郷から携えて来た一品は過たず悪しきホビット族の首を断ち切った。ごろりと転がった首は、まるで獣のような叫びを漏らして動かなくなる。そのまま遺体は消え、魔石だけが遺された。
金色の眼をした亜人達。それは悪神の加護に蝕まれた凋落者達。
身体の能力が増強される代わりに、理性も、知性も失う。そしてダンジョンの魔物達とまったく同じに魔力の溜まり場に生まれ、魔力となった消えていく残滓のような存在。滅多なことでは元々の生態系に戻れぬ彼等は、魔物として狩られる他はない。
逆を言えば、悪神の影響下にないならゴブリンもオークも魔人も悪魔も等しく亜人として扱われる。
人種以外を蔑視する聖王国以外は、何処だってそうやって生きてきたのだから。
血というにはあまりに黒い体液を刀身から振り払ったゴロウは、残心のまま納刀。
なんとか二つばかり階層をを越えて上の方に階を上がってこれたが、ダンジョンの変化に騒ぎ始めた魔物が何か所かで暴れていた。
意識さえ逸らせれば隠形でなんとでもなるが、狭い通路で別の種族同士が喧嘩しているような状況では擦り抜けも困難だった。結果として、単独で魔物の首を断ち切り、道を切り開くはめになった。
非常用の水筒に軽く口をつけ、喉を潤す。最低限の装備はあるが、それとて半日ももたぬ程度の量だ。腰に据え付けたポーチのうち、幾つかは既に空になっている。
体力的にはまだ余裕があるが、あと何階層登れるか。
加えて、ダンジョンの環境が激変したことで、魔力によって魔物が再構築される再発生地点がずれている。魔力の溜まっている量や場所も歪んでいるので、下手したら上層にとんでもないものが生成されかねない。
急がないと。
そこまで考えて洞窟内を遡ろうとしていたゴロウは、無骨な壁面に妙な違和感を感じた。
なだらかであるはずの岩肌に、罅を埋めたように凹凸があると。
「深層化した時の余波か………?」
その時、はっとなったゴロウは腰のポーチを開き、指先程の爆薬を取り出す。
おそらく、階層を増やす際に再構築された場所なら、まだ強度が、魔力による物質の結合が不完全なはず。魔力に依存する構造物の多くが、魔力の密度、経過時間、そして構築に利用された魔力そのものの総量によって硬度や構造の強度が変わる。
凹んだ場所に発破を詰めて導火線に着火し、急いでその場を離れた。
破砕音と共に岩壁が砕ける。
慌てて駆け寄ると、岩壁の奥には狭く長い道が続いていた。
「おそらく深層化前の通路だ。魔力の気配も薄い。いけるぞ」
しゅるりと、まるで紐か何かのように奥の道に潜り込んだゴロウは、ほとんど這うような恰好でするすると暗闇に消えていった。
■ ■ ■
深層化中の研修ダンジョン前では騒ぎは深刻化していた。
教師陣及び生徒の一団と、公国衛兵隊および教師という対比が生まれていた。
「救助隊を出せないというのはどういったことですか!?」
叫び声を上げるマリーダ教諭の言葉に、衛兵隊を左右に引き連れた男性教諭、学園教頭のベネット・アイヒマンは撫でつけた髪に櫛を通し、つまらなそうに首を振る。
「残存者1名、深層化は現在も進行中。そんな場所へ教師を下ろすことは認められません。新たに分断されるようなことになれば、二重遭難が発生しかねませんよ」
「その為に迷宮神の使徒であるシスター・アンジェリーナに助力を得て潜ります!」
「繰り返しますが許可できません。生徒も第二学年と聞いています。相応の実力があれば戻ってくるでしょう」
「それは責任の放棄です! 生徒を守るのが教師の役割でしょう!」
「貴方もわからない人ですね。1人を助ける為に10人を殺すような指示、現時点では出せません」
「もう結構です! それなら私は一人で潜ります!」
「あの、お二人とも、ちょっといいですか?」
「なんですこんな時に!」
声をかけた衛兵隊の部隊長の言葉にも噛みつこうとするマリーダだったが、それに対して隊長さんが
「今のやりとり聞いてた生徒さんと思しき面々が、ダンジョン探索用に用意されていた物資担いで降りてっちゃいましたよ? あ、不意をつかれた教師が突き飛ばされてますね」
「気付いてたら止めてください!?」
「勘違いされても困りますが、ダンジョンに入ってしまえば衛兵隊は干渉できませんよ? そもそも、生徒の保護、および監視はお二人の役目、そちらの女性が言われていた通り、貴方達の果たすべき責任でしょう?」
「有志だけで降ります! 教頭はどうぞご自由に!」
「ま、待ちなさい! そんな無責任なこと許可は出来ないと!」
「知ったことじゃないわ! アンジェ! いくわよ!」
「ちょ! マリー待ちなさいって!?」
タイトスカートから繰り出されたミドルキックで教頭が吹き飛び、スーツの上に背嚢とロッド、ブーツを装備したマリーダ教諭はダンジョンへ飛び込んでいった。その後ろを僧服の裾をからげて別の女性が続いていく。
「あらまぁ。ともかく、現場へのこれ以上の立ち入りを禁止する為に立ち入り禁止線張って。そっちの転がっている教頭先生はどっかに退けておいて」
目の前のやりとりにぼやいた部隊長は、それでも自身の職務を淡々とこなしていく。
イアン議長が到着するのは、これから数十分ほど経ってからとなる。
■ ■ ■
ゴロウは自身の不運に酷く悩んでいた。
上層と呼ばれる研修ダンジョンでも比較的安全なはずの階層まで上がってきた場所で、彼は物陰に身を隠し、隠形の術で気配を限りなく希釈していた。存在感のない状態、俗にそう言われるような状況を意図的に生み出すニンジャの技法だ。
そして目の前には二足歩行、真黒な毛皮に包まれた巨体がゆっくりとした動きで徘徊していた。
破壊獣ジャバウォック。およそ、100階層はあるような高難易度ダンジョンか、霊地や禁足地と呼ばれる立ち入り禁止区域のような濃密な魔力がある場所にしか生息しない高位の魔獣である。歳を経た個体であれば龍種とも互角であるとさえ言われる。
ダンジョンの深層化は解る。魔力の総量や環境によって常に変化を伴うものがダンジョンであり、突発的なトラブルの一つでもあれば発生しておかしくないものだ。むしろ、発生後の年数経過の長い自然のダンジョンの方が安定しているだろう。
だが、魔力の流れが滞り、上層にこんな強力な魔獣が現れるのはおかしい。
真っ赤な瞳、真っ黒な毛皮、頭髪を思わす長い長い頭の周りの毛。
密林にいるというゴリラ、という種族に似ているようで異なる。あんな長い牙で何を噛むのだろうか?
観察している気配に気づいたのか、ぴくりと、頭頂にある二つの耳が動く。何かを探る様に左右へ動くが、気配を探り切れなかったのかその場へ座り込んだ。
強力な魔獣ほど一点特化か、万能型かに別れる場合が多い。ジャバウォックはおそらく戦闘能力に特化しているのだろう。そもそも、身の丈は目算で6m近くある。公国でも一般的なメートル法による換算にも慣れたものだが、ゴロウ的には20尺にはちと足らんか、くらいに思っている。
どちらにしろ巨体だ。単独ではまず勝てない。
感知は然程に得意ではないと思われるが、かといって他の気配が薄い現状では、おそらく傍を擦り抜けるのは難しいだろう。広さや通路の幅が不均等な中層に比べれば、まだ管理の痕跡が見てとれる上層は道幅も高さも学園の講堂と同じくらいに調整されている。
幅は大体3~4mくらいであれば、軽くジャバウォックが腕だの尾を振れば端から端まで届いてしまう。それが本人にも解っているからか、ひどく窮屈そうに身動ぎしていた。
退いて攪乱の準備でもするか。
そう思ったゴロウは、壁面の状態や床の状態を探り、適当な位置に火薬を押し込めないか確認しながら下がっていく。階段まで引いてしまえば、見つかったとしても巨体がつっかえて降りてくることは難しいだろう。
しかし、そこでまたゴロウの不運が炸裂する。
壁からずり落ちた何かが、からんと、金属質な音を立ててしまったのだ。
血の気の退くゴロウと、床に転がった金属製の杯と思わしき道具。
振り向くジャバウォックの姿が、走馬燈のようにスローモーションに見える。
意識より習慣の方が早い。
即座に取り出した煙玉を足元へ叩きつけていた。
「ヴォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!」
渦巻く煙の中に姿を消しつつあったゴロウは身体が硬直しないよう必死で耳を塞ぐ。
ジャバウォックの咆哮が、階層全体を揺らすのではないかという音量で響き渡っていた。
■ ■ ■
捜査隊の編成を拒む教頭の言葉に対し、即座に動き出した五班は、念のために用意されていたダンジョン探索用の背嚢を装備し、口論しているマリーダ教諭を隠れ蓑にダンジョン内へ踵を返していた。普段はゴロウが担う先導役をマキンが代わりに務め、慣れ親しんだはずの、覚えているはずの研修ダンジョンへ潜る。
否、潜ったはずだった。
「魔物が、いない?」
「け、気配も、ない、ないぞ」
シンシアの疑問にマキンが答える。ニンジャとは異なり、レンジャーであるマキンの探査能力は風の流れや地面や壁の痕跡など、環境影響に対しての読み取りに勝る傾向がある。そのマキンが、魔物の様子がないというのだから明らかな異常事態だ。
「そ、そうすると、何らかの要因で、強い、ま、魔物が発生している可能性が、高い」
「だとすると危険よ。この様子だと強い個体が発生したのは中層の始めか、上層のどこか」
「ゴロウと、バッティングする可能性が高い」
「急がないと」
後ろを見たシンシアに残りのメンバーも頷く。
ゴーダはダンジョンを出た時に全身鎧のうち脛当てとブーツを除いだ下半身のものと、肩と腕を覆うフルガンドレッド、そして兜まで外したゴーダ。珍しく刈り上げた焦げ茶色の頭髪と、岩のような顔立ちが露出している。
ヨギーシャは魔術効果を優先した民族衣装を脱ぎ、動きやすさを重視した魔術ローブに胸当てという恰好に着替えてきている。
僧兵服のバダと狩人服のマキンの恰好はシンシア同様そのままだったが。
足早に階下に急ごうとした五班であったが、背後から声がかかり、駆け寄ってきたマリーダが合流する。
「今のダンジョンは危険よ! 戻りなさい!」
「一番危険なのはゴロウです! 彼さえ発見できればすぐにでも退きます!」
「仲間が心配なのは解るつもりよ。私が探しに行くから貴方達は」
「戻りません! 人手が多ければすぐにでも見つかるはずです!」
「………解ったわ。ただし、私と一緒に行動すること。それだけは守って」
「マリーダ先生っ」
「ま、マリーダ先生、あ、ありがとうございます」
「助かるよ先生! さっさとあいつを拾って脱出しよう!」
前衛、中衛が盛り上がる中、緻密な魔術式を口頭で編んでいたヨギーシャがぴくりと反応する。
その様子に気付いたシンシアが振り向くと同時、巨大な咆哮が下の階層から聞こえた。
「見つけた。戦闘反応のあるところに、ゴロウがいる」
ヨギーシャの言葉に、一斉に第五班、そしてマリーダ先生が駆けだした。
■ ■ ■
勝てない。
ジャバウォックを見た瞬間にゴロウが感じ取った実力差はそれだけ大きなものだった。剛腕、金属より硬い毛皮、咆哮一つで人間など吹き飛ばしてしまう肺活量、有視界戦における反応速度と跳びかかる際の跳躍力。どれをとっても一介の冒険者もどきでしかないゴロウに勝てる要素はなかった。
だがしかし、ゴロウはニンジャである。
奇襲強襲闇討ち工作、直接的な戦いを強いる相手をいなすこともまた、その技法に含まれているのだ。
突進してきた相手の鼻先に薬品瓶をぶつけると、粘着性の液体燃料が顔に広がり、ジャバウォックが苛立たし気に再び吠える。
その隙に手元で軽く印を切り、忍術の発動準備を終わらせる。
「火遁、飛車」
虚空から生じた小さな礫が高速でジャバウォックの顔を打ち据える。それこそ小石程度の大きさしかなかったが、額にぶつかった瞬間に幾つもの火花を飛ばし、かんしゃく玉のように続けて炸裂した。
その火花が液体燃料に着火する。
顔の前面が燃え上がるジャバウォック。
それでも大したダメージはなり得ないようだが、視界と嗅覚が封じられ、苛立った様子で顔を掌で覆っている。続けて燃え続ける顔に火薬の包みを叩きつけると、一際おおきな爆発音と共にジャバウォックがたたらを踏んだ。
咆哮が更に大きくなる。
しかして既にゴロウは逃げ出している。遁走のタイミングとしては見事なものであった。
遠ざかる足音も、火薬の爆発音で耳鳴りの続くジャバウォックでは聞き分けられない。苛立たし気に腕を打ち払うも、当たる感触は岩壁のものだけ。
虫か、小動物としか思えないような大きさの相手にいいようにあしらわれた屈辱は、地面を強く打ち付けるジャバウォックの記憶に強い怒りと共に刻まれることとなる。
■ ■ ■
シンシア達が音もなく通路を駆け抜けるゴロウの姿を発見し、慌てて静止したのはそれから十分も経っていない頃だった。仲間達の熱烈な抱擁に苦笑いするゴロウは、緊張をやっと説いたように面頬と覆面を外し深呼吸した。
「あぁ、空気が美味かぁ。そんで、こかっらダンジョン抜けるまでにどんくらい?」
「走れば40分とかからない程度よ。よくここまで戻ってこれたわね」
マリーダ教諭の言葉に難しい顔のゴロウが説明する。
魔物の数が皆無であったこと、代わりに現在の階層、教えられた初めて第3層だったこを知ったのだが、このたった一つ下である第4階層にジャバウォックが発生していること。
多少攪乱して早々に逃げてきたが、あんなもの、簡単に倒せるような相手ではない、と。
「さすがにあの巨体で階段は通れんじゃろし、しばらくは大丈夫べと」
「け、けど、お前、確か壁を割ったと言ってたが、まだ、深層化したダンジョンの構造そのものは、強度的にも、安定化していない、のではないか?」
「………まさかぁ」
マキンの指摘に乾いた声を漏らしたゴロウ。
まるでそれに応えるように、ずしん、ずしんと、何かと何かが強くぶつかるような音が聞こえた。
「逃げるのよ! ダンジョン外まで出ればなんとでも対策はとれるわ!」
「また走るのかよぉ!?」
「文句言うなゴーダ! 儂なんざ中層からずっとだべ!」
マリーダを先頭に再び全力ダッシュすることになった面々は、ダンジョンの階層を一直線に駆け抜け、ついにはダンジョンから外へ跳び出した。
外では衛兵隊による隔離措置が続けられており、何故か疲れた様子で座り込んでいるシスターらしき人に加え、端っこに転がされたまま気絶している教頭が放置されていた。
そこへ帰還した面々に衛兵隊の兵士などが顔を向けると同時、マリーダ達帰還者が一気に跳び退く。
何事かと兵士が駆け付けるより先に、通路を破砕しながらジャバウォックが跳び出す。
怒りの咆哮を上げる高位魔獣の姿に、気絶していた教頭ですら慌てて跳び起きていた。
しかし。
「飛翔する炎天」
術名だけの短縮詠唱によって放たれた空まで焦がす巨大な火柱によって、一撃のもとにジャバウォックが焼却される。それこそ高位魔獣が備える自身の内包魔力による天然の魔術抵抗すら貫通し、微かな半夏の可能性すら圧し潰して。
魔術を放った場所には、それこそジャバウォックが可愛く見えるほど怒り狂ったイアン議長が立っていた。
■ ■ ■
「深層化の余波だけであんな化け物が出てくるわけなかろう」
事情を聴いた瞬間にイアン議長が放った一声がこれである。
ジャバウォックとの交戦のきっかけになった謎の金属器もちゃっかりゴロウが回収していた為、それを見せたところ、魔力の集積誘発を狙ったと思われる術式が確認された。なんでも擬似的な聖餐の再現によって魔力を集めていたらしい。詳しい原理は魔術師であるヨギーシャですら理解できないような独自のものだった。
経緯上、誰かが意図的に起こしたものということ。
結果だけで言うと、真っ黒な人間が三人。
それも金の杯が出た時点で即座に動いた為に確定であった。
衛兵隊所属の副部隊長、教頭、アンジェリーナ修道女に付き添っていた同じく修道女。
まず、召喚魔術。
天空に描かれた魔術式からずるりと落ちてくる異形の塊。
石膏のような白く滑らかな表皮に四つの手と丸い身体、そしてなまめかしく動く大きな口。
邪神の眷属とも呼ばれるスタチューオブジェクトが4体。その大きさはジャバウォックの半分程であろうか。
そして魔力阻害のアーティファクトの設置と魔術師対策に加えて一部の職種に対しての対抗措置であるところの分断結界でダンジョンの出入り口から正面に広がる待機スペースまでの一円が全て囲い込まれた。分断結界によって以降の外部からの介入、及び一部神官の加護による援護も遮断された。
大きな加護の場合は魔力だけでなく神からの力、いわゆる神性と呼ばれるものを僅かながら使う。
それが遮断されてしまうと、身体に宿った加護と魔力だけで運用しなければならない。
「魔術師対策して物理攻撃に耐性のある召喚獣で攻撃、鉄板じゃのう」
「言っている場合ですか大お爺様! 魔力阻害で身体の外に魔術式が構築出来ませんし! 危ないから下がってください!」
「不勉強だのうシンシアちゃん。そういた時の為にこういった道具があるのじゃよ」
「え?」
袖口から取り出した球体、それに魔力を込めた瞬間下手投げで投擲する。
途端、極大の爆発と共に一体のスタチューオブジェクトが吹き飛んだ。
「惜しい。アーティファクトを庇ったか。虎の子の一発じゃったのじゃが」
「お爺様!? あれは?」
「そら向こうも使うならこっちもアーティファクトくらい使うぞ」
「えぇぇぇぇぇ!?」
「ただ、今ので打ち止めじゃがの。本来は結界なんぞを敷いて安全確保を行う為のものじゃったが、広域魔力阻害が先に発動された所為でその使い方が難しかったからの」
「どうするんです!? 前衛だけで戦うのは厳しいですよ!?」
「異常に気付いて援軍がきても30分は見てないと難しいかのう。詰んだか?」
「もう! それならせめて後ろにいてください! なんとか考えます!」
「いや、あの無鉄砲そうな坊主がもう動いとるようだが」
「えっ!?」
騒ぐ曾孫と曽祖父が見ている間に、スタチューオブジェクトの四本の腕、転がる胴体を避けてゴロウが動き出していた。
牽制に動こうとした副部隊長の槍より速く、続けて矢が鎧に命中する。
貫通こそしなかったが衝撃にたたらを踏む部隊長をよけて、即座に全身の刻印を輝かせたマリーダが槍を振り抜き、力任せに吹き飛ばす。結界の壁に叩きつけられた男が呻く間に神聖術、加護とは別の術式を組もうとしていた修道女の手に、閃光のように妨害用の神聖術が叩きつけられ、即座に術式が破砕される。
祝詞を唱えていたバダによる援護である。
魔力を変換して用いる神性術ならこの場でも利用可能なようだが、位階が近しい神官同士であるなら阻害によって簡単には成立しない。
距離を取って術式を再構築しようとした修道女であったが、身体強化術式を行使しながら駆け寄ってきたヨギーシャのロッド攻撃を受けて副隊長同様に吹き飛ぶ。判断が速い、というより、ゴロウが先んじて動いたことで、物理耐性があろうと術者の近くでは行使できないことを察して一斉に接近したのだ。
なかなかのコンビネーションと言えるが、こういった馬鹿騒ぎを起こしただけあり、主犯格と思しきベネット教頭は、自身は対魔力阻害の術式が刻まれた護符を使って自分だけ魔術式を編んでいる。接近しようとしたゴロウに牽制の雷撃を放ち、軽浮遊の術式で滑るように移動して距離をとる。そして距離をとれば召喚獣による追撃が続けて襲い掛かってくる。
「わ、たしの! 生徒に手を出すなぁ!」
そこへマリーダ教諭が割り込み、真正面からスタチューオブジェクトの薙ぎ払いを素手で叩き落とした。
身体に直接刻印することによって魔術を発動する刺青型の魔術式は、こういった阻害型の魔術の影響を受け辛い。体内の魔術を賦活し、効果範囲を体内や表皮のすぐ外側に限定することで阻害効果を減衰させる。
手足に魔力シールドを展開、強化した膂力で体積差のある相手を叩きのめすという無茶な真似を押し通すマリーダ教諭に、教頭は明らかに舌打ちする。
だが、それでも手が足りない。
残った3体は暴れ回り、マリーダ教諭、衛兵隊の兵士、ゴーダとアリシアといった面々が対応に回っているものの鎮圧には至っていない。修道女に対してはしっかりヨギーシャが追撃して昏倒にまで追い込み、副部隊長はマリーダ教諭の一撃で手足がひしゃげたところを同僚に拘束されている。
金の杯は既にイアン議長が握っているし、目撃者を消そうにも打開策はない。
それこそ、さっきイアン議長が口にしたように詰みとも思える状況。
教頭も執拗に魔術の間断を狙って追撃してくるゴロウの攻撃を魔力シールドによる防御や移動魔術式で回避しているが、逃げることすらおぼつかない状況だ。
場が維持出来ないほどの人的被害をもたらそうとした教頭は、咄嗟に空へ舞い上がった。
軽浮遊と脚力、風の魔術式による合わせ技だが、さしものニンジャも空へは届くまい。
そう侮ったのが悪かった。
空蝉、軽躰術、そしてスタチューオブジェクトの表皮という足場。
まるで空中を駆けるように追尾してきたゴロウに視線を奪われた刹那、横腹に矢が食い込んだ。
致命的な隙を晒した男の首に、分銅の付いた縄が絡まる。
詠唱を許さぬ締め付け。空中でバランスを崩し、魔術式を霧散さえた教頭の鎖骨へ、跳びかかったゴロウの蹴りが刺さる。
塔で言うところの三階ほどの高さからの落下。
叩き落された教頭は、哀れ、地面に両膝から肋骨までを強く打ち付け、悲鳴すら漏らせず黙らされた。
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「なんか、右往左往しとるうちに終わったべなぁ」
「うん」
「バダもすまんな。迷惑かけた」
「………」
「い、いいってさ」
安全確保が済むまでと、救護スペースの隅に集まった4人、ゴロウ、バダ、ヨギーシャ、マキンは体育座りのまま夕日を見ていた。
重い全身鎧で走り回っていたゴーダはベッドの上で大いびき。事情説明含め曽祖父に連れて行かれたシンシアは別行動。残った面々はすることもなく今のような状態である。
結局、主犯格と思しき全員が即日逮捕のうえ連行。傷害罪、殺人未遂、共謀罪、業務上過失致死傷未遂、内乱罪など、軽重問わず複数の罪状に抵触したことで審問の上でかなり重たい罪状を科されることになるだろう。
ダンジョンいじくって何かの悪さをしようとしていたことは確かだが、教頭たちは口を噤んで何も喋ろうとはしないらしい。現在、真実の神に仕える僧侶さんを呼んで審判を科すことを決定しているのでどうあっても内容は白日の下に晒されるだろうが。
なんとも、騒がしい一日であった。
「晩御飯、どうしようか?」
「正直なっんもしたくねぇべ」
「お、オレももう、疲れた」
「………(無言で頷く)」
結局その日は、隔離されたままだった救護スペースの面々にはマリーダ教諭から料理がふるまわれることになる。費用については後日請求することをそれはそれは綺麗な笑顔でマリーダ教諭は口にしていた。その笑顔に潜む憤怒は、常人なら気絶しそうなレベルだった。
なのに「美人で料理が出来るお嫁さんとか素敵だべなぁ」と呟くゴロウは豪胆すぎる。
驚愕の眼で周囲は見ていたが、極東移民で傭兵やってた母親なんかをもつと、度量というものが天元突破するらしい。
その後、緘口令こそ指示されたものの、学園からも騒動に対する見舞金も払われ、第五班はわりかし懐が温まることになるのだが。
「アリシアちゃん、気になる子が出来たら紹介するんじゃぞ?」
「………大お爺様、わたし家を出たくなっちゃったなー」
「パ、パーティーハウスに転がりこむなんてお爺ちゃん許しませんぞ!」
他所でまた新しい火種が出そうであったが、それは知らん。
- 終 -
2022/02/18 誤字修正。ご報告ありがとうございます。