第001話
薄暗い部屋のベッドの上で、男が何度も何度も腰を打ちつけてくる。そのたびにコメットの体は押し広げられ、中途半端に硬い肉棒が体の奥まで押し込まれる。そんな単純な動きを、姿勢を変えながらかれこれ三十分以上やっている。
人間がする生殖行為だ。アンドロイドであるコメットには一切必要ないこの行為になぜ身を投じているのか。答えは簡単だ。それがコメットのいまの仕事だからだ。いわゆる風俗店と呼ばれる場所の一つなのだが、この店で人間の相手をするのは主に性玩具として作られたアンドロイド――セクサロイドだ。だからこそできるさまざまなサービス(本番など)があり、この店はそれで商売を続けてきた。
男が荒い息で、本日二度目の質問をくちにした。
「出していい?」
腰の動きがだんだんと速くなる。もうすぐ射精が近いという合図だ。この場合の質問の意味は理解している。中に出して良いのか、ということだ。相手は妊娠の心配のないアンドロイドなのだから、だまってそのまま出せば良いのに、大抵の男はわざわざ尋ねてくる。
コメットはいつもその問いに言葉では答えず、頭の横にだらしなく転がっていた両腕を男の背中に回す。それが、離れないでほしい、という意思表示のひとつだ、と教えられているからだ。コメットの耳元に男の口元がやってくる。より息が荒くなり、彼が絶頂へと向かっていることが分かる。先ほどまでどこか余裕があり優しかった腰の動きも、だんだんと乱暴になってくる。まるで「もの」を扱っているようだ。……それで間違っていないのだが、彼らは人間を実際に相手にするときにもこうするのだろうかと、疑問に思う。
肉棒が体の奥まで押し込まれたところで、ピタッと男の動きが止まる。直後、体の中に何か生暖かい液体を感じた。男はさらに肉棒を押し込むようにして、全身を小刻みに動かす。そのたびに生暖かい液体が、体の中へと入っていく。男の精液だ。
気の利いたセクサロイドだったら、ここで潮の一筋でも拭いてあげるのだろうが、生憎コメットにそんなことはできない。コメットの体は人間をでいう所の女性器に当たるパーツが備わっているだけで、セクサロイドではないからだ。だからコメットは、彼の絶頂に合わせて、下腹部にぐっと力を込めて、収縮させる。そうすることで、男の中にある精液を一滴残らずしぼりとる。これも先輩に教えられたことだ。
本日二度目の絶頂によって小刻みに痙攣していた男も、だんだんと落ち着いてきたようだ。ぐったりとコメットの胸にその重たい体を預け、ゆっくりと、しかし荒いままの息づかいを続ける。大きかった肉棒もその役割を終え、コメットの中で小さくなっていき、やがて下腹部の圧力によって自然に排出された。
「今、ふくから」
彼がけだるそうに体を起こし、ベッドの側にあるティッシュを数枚取る。それをコメットの陰部にそっと押し当てて、愛液と精液が混ざった液体を拭いていく。その手つきは、まるで壊れ物を触るようだ。別にそこまでしなくても、といつも思うのだが、黙ってされるがままにされておく。相手はお客様なのだから、コメット自身が壊れるようなプレイをしてこない限り、断らない方がうまくことが進む。
「本当にきれいな体だよね」
新しいティッシュで太ももに飛び散った飛沫を拭きながら、彼はいう。
「アンドロイドですから」
コメットはぶっきらぼうに答えた。
「でもセクサロイドじゃないんでしょ? 君は」
コメットは体を起こし、先ほどまで抱かれていた男の方を見る。そのことを見破ったのは、彼が初めてだったからだ。
「……どうして」
「セクサロイドだったら、たとえそれが人間の体とは決定的に違う形だとしても、男が気持ちよくなるように作られているはずなんだ。それこそ、不気味なくらいに」
「私はそうじゃないと?」
「悪い言葉しかぱっと出てこないんだけど……不必要に人間に似ているんだよね。君は」
それは、この店で働いているコメットの一番の売り文句だ。「まるで人間を相手にしているように」というキャッチコピーで人間の相手をして、それで多くの人を満足させてきた。普段なら男の言葉にもなにも思わないか、むしろ嬉しくなるはずなのだが、今日は違った。彼の喋り方のせいなのか、それとも彼が向けるどこか同情しているような目つきのせいなのか。コメットには、彼の言葉がとても哀しかった。
「それを分かってて、私を選んだんじゃないんですか?」
「んー、いやまぁ……。そうだったね。失礼した」
彼はベッドから立ち上がり、ティッシュで自分の肉棒を軽くふきあげた。本来ならばあれのお掃除もコメットがやるのだが、今日はお互いにその気はなかった。
大方後片付けが済むと、男は部屋に散らかった服を、下から順番に着ていく。
「お風呂は……良いんですか?」
よく男はプレイをさんざん楽しんだ後、お風呂も一緒に入るように要求してくる。そのままもう一回プレイすることもあるし、体を洗ってあげるだけのこともある。どのみち、汗を掻いた体をさっぱりしてから、店を出て行っても良いはずだ。
「うん、今日はこれから一仕事しなきゃいけないんだ」
そう言えば彼は大きなリュックを持っていた。コメットが「持ちますよ」と声を掛けたが、「重たいから大丈夫」と断られてしまったものだ。てっきりあのまま家に帰るものかとも思ったが、これから必要なものだったとは思わなかった。いや、だとしたらなおのことお風呂に入った方がいいのではないだろうか? 二回のセックスで汗だってたくさん掻いているんだから。
そう考えている間にも、彼は身支度を済ませてしまった。床に散らばる服は、コメットの物だけになってしまった。
「そういえば、君の本当の名前を教えて欲しい」
「名前?」
「君がセクサロイドじゃないとしたら、他に何か名前もあるだろう」
男の質問の意味も理解できる。風俗で働くアンドロイドには、客に名乗る名前と表社会で生きていくためのふたつの名前を持っている。この店のアンドロイドたちもそうだ。……ただし、コメットは違う。
「コメット。それが、コメットの主がつけてくれた、大切な名前」
「そうか……」
彼がコメットの言葉をどう解釈したのかは知らないが、これを聞いた男の顔が少し哀切でゆがんだ。しかしそれも一瞬のことで、すぐに彼は真っ直ぐにコメットの方を真っ直ぐに見据えた。
「ありがとう、コメット。とても楽しかったよ。さようなら」
そう言い切った彼は部屋の扉を開け、薄暗い部屋の扉を開けた。眩しい廊下の光が入ってきたが、それも一瞬の出来事だった。再び扉は閉ざされ、薄暗い部屋のベッドにコメットだけが残された。