9 愛の怒り
「なぜこんなことを・・・・・。なぜ私が死ぬ前に、あなたが死ぬのよ」
ユウトは、腹に刺さった槍のような木の枝に滴る自らの血液を見ながら、チエに虚ろな目を上げた。
「俺は、君のための存在だから…・・」
そのあと、ユウトは目をつぶった。
「こんな無駄なことを。私も死ぬのに・・・・こんな苦しみしかないこの世界は、もうたくさん。もう嫌なのに・・・・。もうたくさんよ」
チエは、ユウトの腹に刺さった木の枝を抜こうとした。自分の喉に突き刺すため・・・・。しかし、ユウトの手は木の枝を握ったまま、チエの行為を許さなかった。チエは、瀕死のユウトを力づくで押し切ることはできなかった。
「私にどうしろと言うの…・」
ユウトは再びチエの目を見つめた。無言のユウトの顔は、発熱のために汗が出ていた。
「のどが渇く・・・」
「待ってて、確か・・」
チエは、カバンの中から水筒を取り出し、水を含ませたハンカチをユウトの口に当てた。
「今は飲ませられないの。血が止まるまで…このハンカチで我慢して…」
ユウトはチエの差し出すハンカチの湿り気を感じながら、思念を辺りに巡らせた。
衆羅たちが再び迫ってくる。あれほど警告したのに。衆羅たちはチエを再び取り囲もうとしている。
「やっぱり私、逃げられないのね」
その声に、ユウトはチエの手をつかんだ。うっすら開けたユウトの目がチエの目を見つめる。
「あなたが私の傍にいるって言いたいの? でも、私、この人たちの声から、この人たちの圧力から逃げられない…ああ、やめて、この人たちの声…やめさせて・・・・」
衆羅たちが唱え続ける呪いの言葉は、今ではユウトにもはっきり聞こえていた。
「俺たちは、ずっとこの女を見ていたぞ」
「この女は、俺たちの前で肌を晒した」
「この女は、一糸も身に着けずに、踊っていたぞ」
「この女は、生まれた時から男たちを手玉に取っていた」
「そうだ、そうだ、この女は複数の男たちに言い寄らせ、手玉に取っていた」
「俺は知っているぞ。この女は幼い時も父親を死なせたから、男を精神的にも殺すやつなんだ」
「この女は母親も死なせたんだ。そんな女だから、男たちを誑かす悪魔の女」
「この女は母親を身代わりにして助けられているんだぜ」
「そうだ、この女はあのユウトとかいう男に囲われているんだ。きっとあの男を誑かしているんだ」
「衆羅たち、い い かげんにしろ」
ユウトが絞り出すような声をだした。その時、チエの目の前に、衆羅たちの奥に控えていたアサトの姿が見えた。アサトの気配は、ユウトも感じていた。同時に、ユウトは思念波でアサトを金縛りにした。
「アサト、手を引け・・・・」
「ほほう、黒木先輩、いまのあんたに何ができるのかね」
「アサト、その名を口にするな・・・・衆羅たちを従わせているとは…、すでに眷属にしているのか」
「眷属? まさか! 彼らは叡智様の眷属だ。まあ、私はその方の依り代ゆえに彼らを従わせているには違いないがね」
「平さんから、手を引け」
「そうはいかぬよ」
「俺は天に誓いを立てた身だ。意味が分かるか…。いずれ蒼翼・四翼・六翼となっていく。お前と叡智ばかりではないぞ。お前たちをすべて一掃する力を得ることになる。だが、もし今ここで手を引けば、お前が依り代となって叡智召喚の機会を持つことを、見逃してやる。しかし、そうでなければ召喚は確実に失敗する」
「ほほう、強がりだな。はったりにすぎないね」
「つよがり? はったり? そうか。そう思うのか。俺がストールをニ枚も有していることをお前は知らないのか?」
「そういうこと・・・ まさか、衆羅たちの一群が粉砕された事件が12年前にあった。その女の周りで・・…まさかお前がそれを…時間をさかのぼったのか…」
「そう、天の前では時間の流れは流れではない。すべてが見通せる。すべてが予定されている。その筋を俺はたどって往来ができる…
「つまり・・・・」
「愚か者の後輩よ、錦糸高校中退となったのは、やはり論理的な思考ができないからなのか」
「つ、つまり、いつの時代の俺たちに介入できるというのか」
「やっとわかったかね。だが、ただで手を引けとは言わない・・・・。お前は叡智の依代・・・。叡智召喚のために彼女を狙っていたのだろう。ここで、彼女から手を引けば、別の手段での叡智召喚をしても邪魔はしない」
「…分かった。手を引こう」
チエの目の前から、アサトは消え、続けて衆羅たちも消え去った。音もなく、何かのきっかけもなく突然だった。
ユウトは再び目を開けてチエを見つめた。
「あんたを脅かす悪口も告げ口も、呪いの言葉も、全て消し去ったぜ。だから・・・・」
ユウトはそうチエに語ったのだが、チエはユウトの予想しない態度をとった。
「だから、私が元気になるとでも思っているの?」
「元気な姿を見たい…・」
「勝手なことを言うのね。私には無理なことなのに…」
「なぜ無理だと思う?」
「なぜ私にできると思うの? もうたくさんなの! もう苦しみたくないの!…だから、ほっといて…」
「そうか・・・・」
ユウトは考え込んだ。
「私にかける言葉なんて、もうないでしょ。そうよ、私なんか・・・・」
「ああ、なぜわかってくれないんだ。なぜ、俺の願いを聞き入れてくれないのか」
「私は、あなたの願いを聞き入れられない…」
チエは横を向いて、もうたくさんだという表情をした。そのチエを見つめながらユウトはふと微笑んだ。
「でも、俺の看病をしてくれているんだね」
「え? それは・・・・・あなたが死にそうだったから。あなたに死なれることはたぶん…困るから…・」
「そうか・・・・。あんたにとって、あんたの自殺するわけと同じように、俺の存在もそこそこ大きいわけだ…。つまり、俺が傍にいるからあんたは死ぬことができない。それでいいんだ。だから俺は命を懸けることができる。いつまでも、あんたのために」
「その言い方、ずるい。あなたは誰なの? もしかして先輩・・・・」
「蒼翼だ…・」
「なぜ、またごまかすの? やっぱりずるい!」
ユウトは応えずにそのまま眠りに落ちてしまった。