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6 寂静と熱情

 すっかり秋の夜の寂静の中に沈みこんだチエの心の片隅に、何か引っかかるものが生まれていた。すでに何も考えられないチエだったが、その引っ掛かりは静かな心の水面を波立たせ始めた。ふと開けたチエの目に、映ったものは暗闇に薄く広がる黄土の煙。深く見通しの利かない暗闇の奥にチエの親指ほどの誰かが座っていた。

「もう一度、思い出して」

 その声は、幼いころの聞き覚えのある声、そしてユウトの声。

「勇気を出しなさい。わたしが、あなたの行くところどこでも、貴女とともにいる」

先輩せんぱい・・・・」

「俺はあんたの先輩じゃない・・・蒼翼だ」

 その途端、神殿の奥の巨像から、何かがチエの心を突き刺そうとする物が放たれた。同時にチエをかばう黄土のストールが広がった。先ほどの小人が、大きく腕を広げ、ストールを投網のように広げたのだった。

「単なる雷か… いや金剛杵(こんごうしょ)。 煩悩を打ち砕く法具というが、希望と願いを奪うに過ぎないものだ。いずれにしても無茶なことを、そして無駄なことを・」

 ユウトは、チエに拾い上げられながら、まだ目に見えない巨大な気配に向かって怒鳴った。すると、神殿の奥の巨像が低い声を発した。

「お前は誰だ 俺のしょを受けて変化がないとは・・・。黄土のストールを身に着けているゆえか?」

「俺か? 俺は彼女の守護者だ。金剛杵(こんごうしょ)は無力だ。そして・・・お前、平さんを狙ったな。平さんは天よりすべて受け入れられた身だ。それをあえてお前のいう涅槃へ連れて行くというのか。下がれ、サタン」

 神殿の入り口から、太い声とともに黄土の濃い煙が立ち上った。

「お前は何者か?」

 チエたちを絶対に逃がすまいと動いた黄土をまとった得体の知れぬ者。いや、巨大な黄金の立像がそのまま神殿から外へ進み出てきていた。立像は、その足元に広げられた黄土の衣を手にした小さなユウトと、彼を抱えたチエに怒鳴った。

「末法の世、すなわち俺が対処のために立ち上がる時は明らかに来ているはずなのに、それが遅れている。まさか、黄土の力を使うものが俺を邪魔しているとは…」

「末法だと? あんたが立ち上がる時だと? 叡智(ニヒルニャーナバーンク)よ、平さんから離れろよ」

「俺の名前を知っているのか。つまり、お前か、われらが衆羅を退け、奪った黄土の力を使うのは」

「それ以上、俺の名前をかたるな」

「ほほう、名前をな・・・・。その名において、お前はその女を守り切るとでもいうのか」

「俺が俺の名において守るということではない。俺の名など何の価値もない。俺は天の御名によって彼女を守る。そしてそれが実現されると予言されてもいる」

「ほほ、それでは語ってみよ。小さな者よ」

「では、ここにおいて、この言葉によって今こそ成就される・・・・わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにいる」

 暗闇の中で、その言葉が辺りを照らした。それが引き起こした一瞬のきらめきは、立像を物言わぬ小さな偶像に収斂させ、周囲の大猪たちは小さなウリンコとなって転がっていた。同時に、座り込んでいたチエの体が元のサイズに戻った。ただ、一旦繊維のシュリンク処理によって小さく縮み切った服やら一切合切は、元に戻る速度が速すぎて間に合わずにずたずたに崩れていた。

 チエは周辺に放り出してあったカバンを探していた。今は、少し離れたところに放り出されているカバンの中に仕舞い込んだ衣類で、今まで身につけたものをすべて交換するしかない。チエは、カバンの中のものをすべて足元に広げ、走り回りながら帰宅の準備を進めていった。


「平さん、準備は整ったのか?」

 静寂の中にやっと聞き取れるユウトの声。今までどこにいたのだろうか。

「きこえないのか?」

 チエは一生懸命に探したのだが、なかなか見つけることができない。先ほどまで、暗闇の中に沈み込んでいた親指ほどの大きさの小人。それが今はどこにも見えなかった。

「聞こえないのか?」

 チエが耳をそばだてると、ようやくカバンのポケットにその声の主を見出した。親指どころか、爪の先の半分ほどに、さらに小さくなっている。まさか、着替えの入っていたカバン近くにずっといたのだろうか。

「準備はできたかな」

「え? あなたそこにずっといたの?」

「あ、うん、カバンのポケットに座り込んでいたんだ。さあ、尾根道へ行こう」

「あ、あんた、私は今あなたに質問しているんだけれど」

「ああ、そちらに行っても谷あいの川筋に出るだけだよ」

「あんた、今までそこにいたの?」

「あ、ああ」

「そこで何をしていたの?」

「え? 特段何をすることもなくて…。 」

「え、あんた、そこにいたの? なんで言わないのよ」

「い、いや、声をかけづらくて…」

「あんた、何を見たの? 何を見てたの?」

「痛い、痛い」

 再び、小さな悲鳴が聞こえた。チエが小さなユウトを摘まみ上げて怒鳴っている。

「もう一度聞くわね。あんた、カバンに座りながら、私を見ていたのね?」

「い、いや、声をかけづらかったから…」

 静寂の中にやっと聞き取れるユウトの声。それにもかかわらず、チエはちょっとした怒りに震えている。

「声を掛けずに、ずっと見ていたのね・・・ いつから?」

「あ、あの、安全のためにずっと前から見て・・・た。監視していた…・」

 チエは突然悲鳴に近い声を上げた。

「もう、私、お嫁に行けない。」

 摘まみ上げられたユウトも、チエもしばらく動くことができなかった。

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