4 追い込む者と解くもの
土手の下の暗闇へ降りていくカズキのセロー。それを見て、チエはやるべきことを無事終えられた安ど感があった。彼らはもうこのまま逃げ切れるだろう、そう思っていた。
その動きが全て突然停止した。すでに、堤防の下に陣取っていた者達がいた。山田アサトたちの数十台の集団だった。
「カズキ、逃げられないぜ」
・・・・・・・
黄土のオーラが辺りを照らす。そう見えたところで、大きな黄土のストールを纏った男が、巻き上がる砂の中から現れた。土蜘蛛の術を駆って超速移動を果たしたユウトの姿だった。
オーラが暗闇に薄れていくとともに、ユウトはある家の二階へのひらりと登った。そこはコウジの家。ユウトは、暗闇にまぎれたままコウジの部屋の窓際に降り立つと、窓も開けずにするりとコウジの部屋に入り込んでいく。彼は部屋の暗闇に沈む天井にへばりついたまま、音も立てずにコウジの帰宅を待った。
ユウトは、この時にはようやくチエの周りの動きを把握していた。ユウトの記憶によれば、この事態を打開できるのはコウジしかいなかった。
「コウジさん、そのまま動かないで」
「誰だ。」
「誰でも良い。そんなことは今問題じゃない」
「この声は聞き覚えがある。お前、ユウトだろう」
「誰でもいいだろう。後ろを振り向くな」
「わかった」
「今からコウジさん、あんたは扇大橋まで一走りする必要がある。そこであんたの舎弟のアサトがあんたをだしおいて、勝手なことをしているぜ」
「アサトが? 何をしようってんだ?」
「グループ内の恋愛を邪魔している」
「恋愛? 邪魔?」
「そうさ」
「なんだよアサトが嫉妬して横取りか?」
「正確にはアサトの妹達が嫉妬しているんだろな」
「妹ってユウキか?」
「嫉妬からやっているんだが、アサトはそれを隠すために訳の分からない難癖の理屈を言っている」
「勝手なやつだ。わかった」
それ以上ユウトの声は聞こえなかった。
・・・・・
「あんた、そこで何やっているんだよ」
「え?」
チエの背後から急に呼びかける女の声。ユウキの声だった。
「逃げられないぜ」
「山田…」
「へえ、あたしの名前を知っているんだ? こんなところであたしの名前を知っている奴がいるなんてねえ・・・・。誰か明かりを持ってきてくれないかな」
まばゆい程の照明が、無遠慮にチエの顔を照らした。チエは、早くも観念してしまった。
「え?。あんた…平チエ・・・。へえ、なんでこんなところにいるんだ?」
ユウキたちは戸惑いながらチエをつかみあげた。
「こっちへ付き合えよ」
ユウキは、チエの腕を引っ張りあげ、アサトたちの集団へ歩き始めた。
「い、痛い、放して・・・」
「そうはいくかよ。じゃあ、ここにいた理由を教えてよ」
チエは、ここでキョウコとカズキに言及してはいけなかった。
「星空を観測していたのよ。ここは周りの明かりが影響しないから、いいポイントなのよ」
「へえ? 観測ねえ、頭のいい人は何やっているんだか、想像できないねえ」
ユウキたちはやっとアサトたちに合流することができた。
「ユウキ、それにお前たち、バイクはどうしたんだよ?」
アサトたちは、ユウキたちが徒歩でやってきたことに驚いていた。
「壊れちまったんだよ。全部…」
ユウキは、バイクが壊れた仔細をアサトに話した。
「それは、罠だったんだな」
アサトはしばらく考え込んだ後、そう結論付けた。
「ユウキ、お前、待ち伏せされていたんだぜ。この女にな」
「え、こいつ、平にか?」
ユウキは、絶句し、しばらく声が出なかった。それを見たアサトは、キョウコとカズキに声をかけた。
「おう、お二人さん、逃げきったと思ったんだろ? おそらく、ユウキたちを罠にはめてから、逃げ出した…というところだろう」
アサトはそう言いながら、双子の妹のユウキを見た。ユウキはためらいながら問いかけた
「アサト、そっちがキョウコたちを捕まえてくれたのかよ」
「そうだよ。たぶんこんなことだろうと思って援護しに来たんだよ。まんまと罠にはまりやがって」
「え、何でそんなことが分かったんだよ?」
ユウキは、アサトの顔を見てきまり悪そうに答えた。
「お前が学校でキョウコとカズキを詰問したんだろ? そして、カズキの同じクラスに平チエ。その女がいるってえことは、そのチエがカズキたちに警告し、彼女が罠を仕組んでいるってことだろうよ」
「え、アサト・・・・。この女が、あたしたちを、あたしたちのバイクを全滅させたの?」
「そうだよ。梅雨の時期らしい罠でな。まだわからないのか」
「え、う、うん…アサトがそう言うなら…分かったよ」
「さて、キョウコとカズキ、そして平チエさん、平さんは久しぶりだね」
アサトはチエを睨んだ。チエはいままでのアサトの指摘が的確なのに驚き、キョウコとカズキを助けるために前に出ることも、身を隠すことも忘れていた。
カズキはアサトに食って掛かっている。
「アサト、あんた、なんで俺たちを襲うんだよ」
「ユウキが言っていたぜ、キョウコとカズキ、お前たちは仲間の秩序を乱したんだろ」
「アサトまで…何を言っているんだ。俺はキョウコちゃんとデートしただけだ」
「誰に断ってそんなことをしているんだ」
「メンバーを好きになることは自由なはずだぜ。リーダーのコウジさんはそんなことを言っているはずがない」
「確かにコウジさんはそうだろうよ。だがな、俺が預かっているこのグループでは、そうじゃない」
「勝手なことを」
「コージさんは無知なだけさ。俺は知っているんだぜ。恋は呪いだ。男が女に恋し、女が男に焦がれる。すなわち恋愛は人の心をむやみに搔き立てる。むやみな騒がしさは在ってはならない悪だ」
「何を難しいことを言っているんだよ。俺たちにはわからねえ。デートも恋愛も俺たちの自由のはずだ」
「自由? それは煩悩のきっかけではないか。悪を行うきっかけにすぎない。悪に悪を重ねる機会を増やすだけ。悩みと苦しみの原因だ」
「アサト、何言っているんだ?」
「男が女に恋して、女が男に焦がれる。そんな恋愛の関係など悩みと苦しみのきっかけじゃないか。だから、キョウコ、カズキ、ここでお前たちを救ってやると言っているんだ」
チエは、アサトの言うように悩みと苦しみから逃げ出したいと思い、何もかも諦めようと思った。アサトのいう「救い」への流れに身を任せようとした時だった。
・・・・・・・・
突然疑似声音がチエの心を満たした。
「待って、平さん」
「あなたは誰?」
「俺は、蒼翼…」
「ああ、あなたね。何の用なの?」
「そう、俺はあんたに何をさせようとするのかな」
「私は、もうやるべきことはやったわ」
「でも、あんたはこのままで済ますのか」
「もう、私、疲れた・・・・。もう、放っておいて!」
「平さん・・・・・」
「なぜ、私が続けなければならないの?」
ユウトは、チエの心の叫びを再び認識した。
「私は、先輩がいたから頑張れたんです。でも、先輩を助けられなかった。それに、もう先輩はいない。だから、・・・」
「なぜ、そんなに自分を責めるのか?」
「私は無力、私は生きる価値なんてない、私は生きていても、死んでいても単なる虫けらなのよ」
「なぜ、そんなに自分をないがしろにするのか?」
「私が、私だからよ」
「そうか、それが君の諦める、全てをあきらめる理由なのか…。しかし、それではだめだ。君は強くなければ」
「なぜそこまで言うの? なぜそこまで言えるの?」
チエは、感情を爆発させた。
「君が誰でもない、君だから…。俺がよく知っている君だから・・・」
ユウトは、静かに落ち着いた声で答えた。
「そこまで言うなら、私を、私の一生を守ってくれるの? 私が先輩を救えなかったことを担ってくれるの?」
ちえは、激高して心の中で大きく叫んだ。それを全て受け止めるように、ユウトは静かに言葉をつづけた。
「ああ・・・・、それなら俺の本望だ」
チエは、その言葉に返す言葉を失った。そして、ふと気が付いたように問いかけた。
「なんでそんな簡単に言えるのよ。そんなこと・・・」
「ああ、そうさ、俺にとっては単純なこと。明快なことさ。なぜなら、俺は、ほれ、・・・いや、あんたのためにいる存在だからな」
「私のためにいる存在? なぜそんなことを…」
「俺はあんたのために生きると誓ったからだ」
「私のために誓った? そんなことって…」
チエは、疑似声音の主が誰であるかを悟った。
「セ、先輩・・・・・。先輩なのね」
チエは思わず後ろを振り返った。その途端、疑似声音は消え、後ろに誰もいなかった。その方向には、遠く千代田線の鉄橋トラストが見えた。そこにユウトがいたように感じられた。同時に再び疑似声音が響く。
「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神 わたしが、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにいる」
・・・・・・・・・
チエはアサトを睨みながら口を出した。思い切っての言葉だった。
「山田君、あなた、よくも私の前でそんなたわごとを言えるわね。あなたの仲間たちが私をとらえて閉じ込めたことを、私が忘れたとでも思っているの?」
アサトはチエを睨んだ。余計なことを言うやつだ、とでも思っている様子だった。
「そんなことは忘れた。今大切なことは、救いだよ」
「大勢で追い込んで、あきらめさせることが救い?」
「そうさ 強制はしていないよ。これはカズキやキョウコに、あきらめるように呼び掛けているんだよ。いわば説法だね」
「何が救いよ! 何が説法よ! あきらめることなんて、生きることをあきらめさせるなんて。そんな救いがあってたまるもんですか。人をあきらめさせるなんてナンセンスです」
「お前、ユウトがいなくなっても、強気だね。だが、いつまでその虚勢を張っていられるかな。カズキ、キョウコお前達も早く諦めろよ。逃げられないぜ」
ユウトは遠く千代田線の鉄橋トラスからハラハラしながらチエとアサトとのやりとりを眺めていた。やっとのことで饒舌なアサトと渡り合っている。だが、チエを心配するとしても、今のユウトは直接手を出せない。少なくともこれ以上、チエに姿を見られてはならなかった。
「平さん、それで十分だね。俺が田岡ミツルを責めた時、俺を厳しく論破したっけなあ。精神的に立ち直れば、正義感が強くだせる…。こういう時、俺は負けそうだ・・・・」
・・・・・・・・・・・・
コウジ達のオートバイの音が響いてきた。チエは相変わらずアサトを睨んでいる。アサトはチエを睨み返しながら、コウジのオートバイが来ることにようやく気づいた。・・・・ユウトは、アサトが何かを考える余裕を与えたくながった。彼は、黄土の力によって時空を歪め、アサトの動きを一瞬止めた。
「アサト、そこまでだ」
響いたのは、コウジの声。アサトは途端に饒舌だった口を閉じた。
「カズキ、キョウコ。お前たちはさっさとここから出て行けよ」
カズキのバイクはようやく包囲陣の外へと出ていった。そして、チエもやっと逃げ出すことができた。