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2 黄土の衣

 ユウトの記憶の中で、チエの姿が反芻される。


 あの校門での別れの日の姿。

 分かたれた日の寂しそうな声。

 首を振って下を向くしぐさ。

 絞り出すような声。震える声。

 涙をたたえた目。

 我慢できずに流されていた涙。

 腕の中へ走りこんできた姿。

 ひとときのみに許された抱擁。


 ユウトにとって、それだけで十分だった。あとは、彼女に尽くし続けるのみ。それがユウトの望みだった。

「俺は(たいら)さんを守るためにすべてを捨てる」

 ユウトはトウヤに向かってそうつぶやいた。トウヤはやはり言い出したなという思いとともに、冷たくユウトに指摘した。

「どうやって。こんなに遠くにいるのに。この距離をどうするのかね。君はそんな能力もないのに・・・」

「俺は、祖父から秘伝を伝えられています。それを今使うべきじゃないかと・・・」

「それはなに? まさか、剣のほかに力をさらに得ようとするのか・・・・」

 トウヤはユウトを不安とともに見つめる。ユウトは祖父から覚えさせられた霊剣の口伝を口ずさんだ。このことはユウトの思いつめた目から予測できていたことだった。

「理曰闇と淵の水の面を聖霊動ずるところに、光を生じ一気発動し闇に勝て万物を生ず。刀を直に立るは渾沌未分の形光有て万象を生ず。故に是を刀生れと云う」

 ユウトの言葉一つ一つが次第に閃きを伴いはじめる。

「先ず己が情欲に勝て敵を恐れず勝敗を思はず。心中の空刀と真刀と一致になりて千変万化の業を成す。再び刀を直に執るは万物一源の光に帰する形に表す」

 語り続ける言葉の一つ一つによってきらりきらりと蒼く輝くユウトのオーラに、ユウト自身は気づいていない。トウヤは目の前の少年の隠された力の閃きに瞬きをした。

「その秘伝は、人間が握る物理学より上の力を使うことを意味するぞ。いわば、天の騎士たる者の持つ道具だ…。それを使うことは・・・・天に愛されているる人間という資格を捨てることだ。それが、ついにはたいらさんをも悲しませることにもなることをわかっているか」

たいらさんに悟られなければいいんだ。俺が決して彼女に近づいていることを知られなければ、彼女を悲しませることもないです」

「いや、いつかは君がこの世で人間の資格を失ったことを、彼女が知ることになるぞ」

「俺が彼女を遠くから見守っていると知らせ続けます。そうすれば少なくとも悲しまないはず…」

「わかった。ただ、そのためにはあんたがこれからずっと練達の旅を過ごさねばならないんだぜ。つまり…最初の練達の旅は、あんたが始める時を定めることになる。それを一度始めてしまったら、戒律とともに生きることを学ぶことになる。完成までは再びたいらさんの許へ戻れない。その間、あんたはたいらさんに手を出すことが許されない。彼女を助けることもできない。それは、戒律を忍耐をもって体に刻み付ける訓練だからだ。そのあとに…最終的には、目にすることになる、チエをめぐる天使とサタンとその戦いを・・・・。それはたいらさんを守るために、人間の資格を失った者としての戦い、天使と同格の…彼女からの愛を決して受けてはならない永遠の練達への道だ・・・・その覚悟は持てるのかね。」

「俺は、自分をチエのために捧げ続ける・・。それしか俺に望みはないんです」


 急に、ユウトの目の前を蒼い羽の膜が覆う。いや、それは未だ見ぬ蒼い翼。今までユウトを覆っていた膜が取り去られ、目の前が新月の星空のように光砂の散らされた空間が広がっていた。


 ユウトの横にいたトウヤに似た青い翼の天使が、大きな翼をたたんでユウトに話しかけている。

「今、目の前に見えているのは、我々神の使いが、堕天使たちを追い立てつつ戦っている世界だ。彼らは現実の愛、現実の世界から目をそらさせる空ろ話を行う者たちだ。あんたは、そいつらといずれ戦うことになるだろう。今、平チエはそいつらに囲まれ危うい状態にある。今から徐々に、あんたはその彼女を幼い時から今の彼女を、そして未来の彼女の一生を守り続けるための力をつけていくことになる・・・・」


・・・・・・・・・・・・


「さあて、今日の三者面談では何の話があるのかね」

 鍋田浜高校を見上げながら、しばらく幻を見ていたのだろうか。ふと横を見ると、ユウトの横に付き添ってきたトウヤが控えていた。

 坂を上り切ると、海風に吹かれる広々とした校庭の奥に、二階建ての小さな校舎が見える。

「この学校で教えられることは、もうないんですが・・・・」

 鍋田浜高校の校長は、トウヤたちにそうコメントした。

「そうですか・・」

「ということで、試験さえ受けてくれれば。というより登校不要の通信コースでも十分ではないかと思いますよ」

 ユウトの横に控えていたトウヤは、ユウトを見つめてこう提案した。

「それなら、毎日登校する必要がないということなら、あんたは時々この下田の家に来るだけでいい。残りの日は、下田から新木場のわが家へ来なさい。そこから予備校にいくといい」

 こうして、ユウトは新木場の志門別邸から予備校へ通うこととなった。


 ・・・・・・・・・・・・・ 


 ユウトは、通信コースの一学期末試験を早々と終え、過去を振り返るように鍋田浜高校の校舎を見上げた。すると、明るい日差しに照らされる校門に立つ影。それはトウヤだった。

「最初の仕事だ。一緒に行ってやる」

 トウヤの背中から日差しに光る蒼い羽が伸びあがる。とたんに、周りの風景が晩秋の森の風景に変わった。巨木の枝に降り立った二人の真上には新月の星空、眼下の地平には山影も街の明かりも何も見えない。まるで悪夢を見るようなその光景の奥に、富士の樹海に惑う幼いチエが見えた。

「ここで見ていてやる。あの幼い女児が(たいら)さんの幼い時の姿だ。見れば状況が分かる」

 チエの靴はもう泥だらけだった。擦り傷、ひっかき傷、まとわりつく湿気と落ち葉、そしてさむさ。それらをひっくるめたひもじさがチエの体から生気をそぎ取っていく。チエの周りに黄土の羽衣の修羅たちが群れを成していた。

 ユウトはチエの上に浮かびながらチエに語り掛けた。

「勇気を出しなさい。あなたの神が、あなたの行くところどこでも、貴女とともにいる」

 その声に衆羅たちが一斉にユウトをにらみつけた。

「一人の人間が枯れることで寂静の悟りを得んとするを邪魔する者よ。幸せとは枯れた寂静にあると悟ることなれば、生きる気力にどんな意味があるというのか。下がれ」

 ユウトはその偽善の言葉に、体の奥底から怒りがわいてくるのを感じた。

 ユウトは蒼い煙を巻き上げながら答えた。

「寂静を良しとする態度は、根拠なくいたずらに人を死に至らしめること、殺しではないか。私がチエに伝えることこそ、現実に基づいた喜びなれば、いま、現実の喜びから目をそらさせるものは去れ」

「何を言うか、寂静を邪魔するものよ」

 それを聞いたユウトは、霊剣の言葉によって生じさせた空剣を構えた。

「下がれ、サタン。さもなくば力づくで退かせるぞ」

 黄土の影を持つ衆羅たちの振り抜く杖を、ユウトの空剣が粉砕する。それとともに、空剣が起こす息吹はチエにまとわりつく黄土の影を引きはがす。ユウトは同時に彼らの黄土の衣を引きはがし、抵抗する衆羅たちを吹き飛ばした。そのあとには、惑いながらも休むことなく一人で進み続けるチエの姿が残された。

「あなたの神があなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神が、その御使いをあなたの行く所どこにでも、あなたとともにさせる」

 ユウトはその言葉を疑似声音のように幼いチエの頭の中に響かせ続けた。


 ・・・・・・・・・・・


「ユウト、次の仕事だ」

 気づくと、ユウトは元の場所にいた。ただ、目の前にはゼッツーが待っており、ユウトの肩には黄土の衣がマントのように舞っている。

「ユウト、あんたは奴らから黄土のストールをむしり取ったのか?」

「これがなければ、彼らは動く能力を失うと思いましたんで」

「まあ良い、それはあんたのものだ。使い方を考えながらもちいなさい」

「はい」

「さあ、今度は、現在のたいらさんのところへ行って来い。今、彼女にはあんたを必要にしているんだ。ただし、これからのあんたは騎士の戒律の下に動かなければならない」

「もう、人間ではない力を得てしまったからですか」


「そうだ。もうあんたはたいらさんがどこにいるかをすぐに知ることができる。しかし、たいらさんを支えることができても、彼女に知られてはならない。今後あんたはたいらさんに知られてはならないんだ」

「あんたはたいらさんの手の届かないところにいることになっている。あなたは彼女に知られてはならない」

「あんたはたいらさんチエが一生懸命に忘れようとしている元カレである。あなたは彼女に知られてはならない」

「あんたはたいらさんの傍にいることができる。しかし彼女に知られてはならない」

「あんたはたいらさんを助けなければならない。しかし彼女に知られてはならない」

 いくつもの戒律がユウトに課されていった。それは、チエの守護騎士になるための約束だった。

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