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十五話 温かさを知る(3)

 一日一品。昼食の付け合わせ、または午後のお菓子作りを教えてもらう。


 私には妖精の勉強と資料の仕分けや整理、執務室の掃除という仕事が与えられている。もちろんアスラン夫人にも仕事があるわけで。

 無理なく仕事の合間に作るのに、一品がちょうどいいのだ。



 アスラン夫人の教えはとても丁寧で分かりやすく、そして優しかった。どうしても素人の私の手際は悪いというのに、ニコニコと待ってくれた。

 妖精たちが美味しそうな香りの誘惑に負けてつまみ食いするので、お菓子はいつも多めに作るのがお約束。



「まぁ、今回は上手に膨らみましたね。ナディア様、お上手ですよ」

「夫人の教えが上手だからですわ」



 ふわふわのシフォンケーキを見て、顔が緩んでしまう。

 前回はオーブンから出した後、少し凹んでしまったのだ。泡を潰さず、でもしっかりと混ぜることが難しかったけれど、今回は成功して良かった。



「ナディア嬢、大丈夫か?」



 アスラン夫人と片づけをしていると、クロヴィス殿下が厨房を覗きに来た。彼はよく私たちの様子を見にくる。無表情だけれど、声は案ずるように柔らかい。



「はい。今回はきちんと上手に出来上がってますわ」

「そうじゃなくて、火傷とかしていないか?」

「はい。大丈夫です」

「なら良い」



 そうして会話が途切れると、いつも執務室へと戻られていく。

 私はそんなにも危なっかしく見えるのだろうか、と少々不服に思いながら殿下の背中を見送る。



「坊ちゃんは同じ年頃のレディとあまり関わってこなかったものですから、扱いが不器用なのです。大目に見てやってくださいね」

「クロヴィス殿下がとても優しい方だと、きちんと分かっておりますわ」

「えぇ、そうですとも。けれど坊ちゃんは特にナディア様のことが大切で仕方ないので、空回っておいでのようです」

「私が愛し子だからですか?」



 アスラン夫人は少し困ったように、右の頬に手を当てた。



「ナディア様は、クロヴィス殿下が守護者だから慕っておいでで?」

「いいえ。守護者ではなくても私はきっと殿下を尊敬し、お仕えしたいと思っていたはずですわ」

「同じですよ。きっとナディア様が愛し子ではなくても、坊ちゃんはあなたのことを気に入っていたはずだわ。さぁて片付けちゃいましょうか」



 最後は誤魔化すように微笑まれてしまった。

 よく分からないけれど、なんだか見知らぬ森に置いて行かれた気分だ。


 慌てて追いかけるようにアスラン夫人の横に立って、彼女がすすぎ終わった調理器具を布巾で拭いていく。

 ボウルを受け取るとき、アスラン夫人の荒れた手が目に入った。

 パッと見た感じでは綺麗な素肌に見えるが、指先にあかぎれがあるのが見えた。以前からハンドクリームをよく塗り込む様子は見ていたが、あまり改善されていないらしい。



「アスラン夫人、水仕事は私がやります。指が痛いのではありませんか?」

「あら、ありがとう。どうも年を重ねてから荒れやすくなってねぇ」



 手を拭きながら、指先を気にするアスラン夫人を見て私はあることを思いついた。



「クロヴィス殿下、お願い事があるのですが」



 執務室に行っておずおずと声をかけると、彼は願いごとを聞く前から叶える気満々の顔で「良いだろう。なんだ?」と、上機嫌で聞いてきた。



「半日だけお休みをくださいませんか?」

「何故だ?」

「軟膏やクリームを作りたいのです。アスラン夫人のお手が気になりまして」



 普通の塗り薬が効かなくても、私が作った軟膏なら治りそうな傷だった。在庫があれば良かったのだけれど、最後の軟膏は私の頬の傷に使ってしまってひとつもない。

 クロヴィス殿下は頬杖をついて、少し思案してから口を開いた。



「軟膏は緑の館の厨房で作れるものか?」

「はい。道具と材料の持ち込みを許可していただければ」



 パールちゃんは薬草の栄養が大好物らしく、温室や研究棟から離れたがらない。

 けれども予め鱗粉を瓶に分けてもらい、使っても効果は変わらないことは実証済みだ。お願いすれば協力してくれるはずだ。



「良い機会だ。軟膏だけではなく、他に作りたい化粧品があれば一日でも二日でも使っていい」

「宜しいのですか?」

「前に作るのが好きだと言っていただろう。いつも休みなしで出仕してて、自分が使う分も足りなくなるだろうし、好きなだけ在庫を作れば良い」

「ありがとうございます! 軟膏は出来上がったらクロヴィス殿下にも差し上げますね」



 義母に軟膏やクリームを全てあげてから彼女たちは関わってこないが、常に研究棟を監視していることはパールちゃんの話から知っている。

 おそらく在庫を作っている様子があれば、また奪いにいく機会を窺っているに違いない。


 けれども緑の館で作れば、露見することはない。クロヴィス殿下の提案は渡りに船だった。



「アスラン夫人には俺も世話になっている。必要な材料があればメモしておいてくれ。俺が手配しておく」

「何から何までありがとうございます」



 本当にクロヴィス殿下にはお世話になってばかりで、私は何もできていない。それがもどかしい。



「今、申し訳ないとか思っているだろう」

「え?」



 声に出した覚えはないのに見抜かれ、驚いてしまった。表情に出していたつもりはないのに。

 そんな戸惑いすらも見抜いた彼は机に両肘をついて、組んだ手の上に顎を乗せた。そうして立っている私に、物欲しそうな瞳で見上げた。



「あとで君個人に大きい願いごとをするから、それを叶えてくれれば良い」

「それはどのようなことでしょうか?」



 私には財力も後ろ盾もない。愛し子だけれど、守護者であるクロヴィス殿下には及ばない。見当がつかなかった。



「ナディア嬢にしか叶えられない願いだ。早く叶えたい、心からの願いなんだ。本当は今すぐにでも言いたいくらいに」



 あまりにもクロヴィス殿下が真っすぐに私を見つめ、言葉に熱を込めるものだから、変な勘違いをしてしまいそうだ。



「叶えられる日が来ることを待ってます」



 そう返すのが精いっぱいで、私は軟膏やクリームの材料をメモするからと、殿下の視線から逃げるように机に戻った。

 それでもしばらく彼の視線は私に向けられたままで、メモを書き終わってもなかなか渡しに行く勇気が出ず、結局アスラン夫人がお茶を運んでくるまで机と仲良くしていた。



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