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ピアニスト玲子の奇跡  作者: でこぽん
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17.間一髪

  17.間一髪


 イルート族の警備兵が救命士ハリーを捕縛しようとしたまさにそのとき、救急車やジープのカーラジオから緊急放送が始まった。

 だが、緊急放送にもかかわらず、静かなピアノの調べがしばらく鳴り響いている。

 やがて、玲子の声が聞こえてきた。まるで歌のような話し方だった。



「スラノバ国国民の皆さん。私は白井玲子、『東島(あずまじま)の勇者』です。

 皆さんにお(しら)せとお願いがあります。

 今朝、ドクター近藤が毒蛇に咬まれました。あと四時間以内に血清を注射する必要があります。そうしないと間に合いません。」


 それからしばらく、玲子は声を発しない。玲子のピアノの音だけが、静かな音色をたてている。

 その後、再び玲子が話し始めた。


「現在、血清を運ぶ救急車は、ルート9を通行中です。

 イルート族のみなさん、救急車を攻撃しないでください。救急車は、イルート族の村には迷惑をかけません。

 お願いです。救急車を無事に通過させてください。そうしないと、ドクター近藤は助かりません。」


 玲子の声とピアノの調べは、みんなの心に沁みわたった。

 玲子はさらに、うったえ続けた。

 

「それから、ルート9のナイガル橋近くに住んでおられる方へ、お願いがあります。

 現在ナイガル橋は、王国軍が橋の修理をしています。

 しかし、橋の修理を、あと三時間で終わらせる必要があります。そうしないと救急車が橋を渡れず、ドクター近藤に血清を届けることができません。」


 玲子の声は悲しみに満ちていた。ピアノの音が悲しく響いていた。


「ナイガル橋の近くに住んでおられる方、橋の修理を手伝ってください。

 材木を運ぶだけでも、石を取り除くだけでもかまいません。それだけでも、十分な助けになります。

 お願いします。ドクター近藤の命を助けてください。」


 その後、玲子のピアノの音が激しくなりだした。それと共に、まるで国民にうったえるかのように、玲子が力強く話し始めた。


「ドクター近藤は、スラノバ国国民の守り神です。彼は多くの国民に愛を与えました。誰でも平等に治療してくれました。

 ドクター近藤のおかげで、どれほどの国民が救われたことでしょう。

 今、ドクター近藤を失ったら、国民を平等に治療してくれる医者がいなくなります。多くの人が不幸になります。平和への道が遠くなります。

 スラノバ国の平和を願う人たちへ、どうかドクター近藤を助けるために、ご協力ください。

 お願いします。」



 その後、ピアノの音のみが少し続き、やがて緊急放送が終了した。


 カーラジオから流れる緊急放送を聞いたイルート族の警備兵は、誰もが驚いた。

「こいつの言ったことは嘘じゃなかった。しかも、患者はドクター近藤だ」


 警備隊長のザイラは、携帯電話を救命士ハリーに返した。

「すまなかった。許してくれ。私がナイガル橋まで先導する」


「隊長、司令官への報告と確認はよろしいのでしょうか?」

 すかさずザイラの部下が尋ねた。


「不要だ。これは人間として当然の行動だ。しかも緊急事態だ」

 そう言い捨てて、ザイラは急ぎジープに乗り込み、救急車を先導した。


 警備隊長のザイラは、いかに国民がドクター近藤から愛情を受けているかを知っていた。

(今度は我々が、ドクター近藤を救う番だ。今、彼を救わなければ、我々は神の教えに背くことになる)

 ザイラは、強い決意をもった。


 ザイラは、司令官へ報告しても、許可がもらえないと予想していた。仮に許可がもらえたとしても、時間がかかる。それでは意味をなさない。今は時間との闘いだった。一秒でも急ぐ必要があった。だから、あえて部下に報告させずに行動した。

 たとえ司令官が『救急車を攻撃せよ』と命じても、ザイラは救急車を守り抜く覚悟だった。それが人間としての正しい生き方だと、彼は確信していた。

 ザイラは、『警備隊長』の前に一人の人間だった。良識を持った人間だった。


「救急車が通る。道をあけよ!」

 ザイラは拡声器を使い、ルート9のいたるところで、前方を歩く人や車に道をあけるよう指示した。


 ルート9は道幅が狭い。しかも車道と歩道との区別が無い道だ。そのため、救急車だけだとスピードが出せない。

 だが、ザイラの先導により、歩行者は迅速に道端へ移動し、救急車の進行を助けた。その結果、ハリー救命士が乗った救急車は、猛スピードでイルート族の村を通過することができた。



   *****



 話は緊急放送が始まる少し前に(さかのぼ)る。

 ヒアム司令官の邸宅では、モナ王女が、まさに、イルート族の人質になろうとしていた。

 ヒアム司令官の指示により、モナ王女とテーラーに対し、多くの銃口が向けられた。

 交渉は決裂した。

 モナ王女は悟った。だが、モナ王女は諦めたくなかった。最後の最後まで、あがき続けたかった。


 そんな状況の中でも、奇跡が起こる可能性があった。

 突然、一人の男が大広間に現れた。そして、ヒアム司令官に進言した。

「ヒアム司令官、お待ちください」


 現れたのは、ヒアム司令官の長男、グレン副司令官だった。彼は、隣の部屋で、モナ王女とヒアム司令官との話を聞いていた。


「司令官、王国軍が橋の修理をしているのは、ドクター近藤を助けるためです。

 ドクター近藤のおかげで、イルート族の生け贄の子供が助かりました。そして、ドクター近藤のおかげで、今後の儀式で子供たちの生け贄が無くなりました。今やドクター近藤は、この国の英雄です。それに彼は、多くの革命軍兵士やイルート族人民を無償で治療し、救ってくれました。」

 グレン副司令官は、大広間にいる革命軍兵士全員にうったえるように話を続けた。彼は、ドクター近藤がスラノバ国国民のために尽くしてきたことを十分に知っていた。

 彼はさらに説明した。

「今、ドクター近藤を助けなかったら、我々は人民から支持を得ることができません。ましてや、ドクター近藤救命の妨害をしたことを皆が知れば、全てのイルート族のものは、革命軍から離れていくでしょう」


 グレン副指令官の話を聞き、周りにいた多くの革命軍兵士たちは、賛同の表情だった。特に若い兵士たちは、『自分たちが言いたいことを、グレン副司令官が代わりに言ってくれた』と、感じていた。


 グレン副指令官は、さらに話し続けた。

「司令官が武力のみの力で王国軍を破り、力による二、三年の支配を望んでいるのなら、それでも良いでしょう。しかし、国民と共に末長く平和をもたらす政治を考えているのならば、直ちにドクター近藤を助けるべきです。人民の平等を掲げている革命軍ならば、ドクター近藤を助けねばなりません」

 そして、大広間の壁に飾ってある革命軍の旗を指さすと、

「あの革命軍の旗のもとに集まる者は、ドクター近藤を救う為に、今すぐにでも行動する必要があります。それが人民を幸せにするための行動です。人間の良心に基づく行動です」


 グレン副司令官の声は、大広間に力強く響き渡った。多くの革命軍兵士の心に沁み渡った。


 ヒアム司令官は、グレン副司令官の説得に、大いに心を動かされた。

(グレンの奴、いつの間にこんなに成長したのだ)

 ヒアム司令官は、自分と正反対の意見を述べたグレン副司令官に対し、逆に頼もしさを感じた。それは不思議な感情だった。

(もうワシは、司令官を退いても良いのかもしれない。後は、グレンがやってくれるだろう…)

 ヒアム司令官は、息子の堂々とした姿を見て、自分の引退を考えた。


 しかし、そこへさらに、もう一人が現れた。

「ヒアム司令官、みすみす勝利を捨てることはありません」

 現れたのはバラカト軍師だった。

「司令官、今、目の前に勝利があるのです。王女を人質にし、丸腰の王国軍を橋の上で全滅させれば、ほんの一時間で勝利が手に入るのです。我々が一兵も傷つかず、勝利できるのです。この機会を逃すことはありません」

 バラカトは、ヒアム司令官に王国軍の攻撃を勧めた。


 バラカトの意見は、戦争中の軍隊として当然行うべきことだった。これは、ヒアム司令官が当初考えていたことと同じだ。冷酷だが、確実に勝利する戦術だった。


 そのとき、大広間に設置してあるテレビから緊急放送が始まった。

 大広間のテレビは、国営放送を受信していた。

 緊急放送では、『東島の勇者』玲子が、スラノバ国国民とイルート族の人たちに切実な依頼をしていた。

 ヒアム司令官をはじめとして、ここにいる全ての革命軍兵士が、思わずその放送を見た。


 緊急放送では、玲子が懸命にイルート族の人たちに救急車の安全とナイガル橋修理への協力をうったえていた。ドクター近藤の命を救うことが、国民を幸せにすることにつながると説明していた。

 広間にいる革命軍兵士の多くは、玲子の言葉に心を動かされた。若い兵士のほとんどは、今すぐにでもナイガル橋の修理に行きたいと感じた。


 緊急放送が終わった後、グレンがバラカトに尋ねた。

「今の緊急放送で、多くのイルート族の人民も、ナイガル橋の修理に加わるでしょう。そのときバラカト軍師は、橋の修理をしている王国軍とイルート族の人民とを、どうやって区別し、射撃するつもりでしょうか?」


 橋の修理をしている人たちを、見分ける手段などありはしない。みんな丸腰で、泥まみれで働いている。区別などできるわけがなかった。

 広間にいた革命軍兵士の何人かは、レアル村での出来事を思い出した。あのときは、王国軍兵士と村民との区別ができずに、多くの村民を撃ってしまった。今回も同じ惨劇を繰り返す可能性が十分あった。


「簡単なことです」

 パラカトの声は冷静だ。彼は続けて、

「一人残らず殺せばいい」

 と、静かに答えた。

「後で『橋の手伝いに来たイルート族の人民を王国軍が射殺した。我々はその仕返しに王国軍を撃った』と宣伝すれば良いだけです」


 説明しているバラカト軍師の顔は、冷酷そのものだった。かつて彼が持っていた慈愛の心は、どこにも見えなかった。

 周りにいた革命軍の兵士たちは、バラカトの残忍さに恐怖した。あきれ返っているものもいた。彼らは、バラカトが『氷の血の軍師』と呼ばれている理由を、改めて認識した。


 その後、バラカトは、人質のモナ王女の手を力いっぱい引っ張った。

「あっ」

 モナ王女がよろめき、そのはずみでバッグの中に入っていた紙が数枚、床に散らばった。


 バラカトは、モナ王女が落とした紙を拾った。

 診療の受付名簿だった。昨夜、モナ王女が記念に印刷したものである。

 診療場所に『トンガル村』と記載されていた。

 パラカトは、その診療名簿をじっと見つめていた。


「モナ王女、ドクター近藤はトンガル村で診療したのか?」

 意外な質問だった。モナ王女にはバラカトが尋ねた理由が分からない。


「そうだ。トンガル村の子供を毒蛇から守ろうとして、代わりに咬まれた」

 モナ王女はバラカトを睨みつけた。

 いつもは穏やかな表情のモナ王女だが、このときばかりは、パラカトに向けて、怒りの表情をあらわにした。話し方も荒々しい。


 だが、パラカトは、モナ王女の顔を見ていない。診療の受付名簿を食い入るように見つめていた。

 実は、バラカトの出身地はトンガル村だった。

 診療の受付名簿には、バラカトの見馴れた名前が書かれていた。『エスターナ』パラカトの母の名前だった。まさしく母の筆跡だった。

 病名に『左目白内障』と書かれていた。

(母は昔から左の目を患っていた)

 バラカトは、トンガル村での昔のことを思い返した。



 当時バラカトは十四歳だった。

 バラカトの母エスターナは、白内障のため、左目の視力が衰えてきた。

 村から最も近い医院の先生に診てもらったところ、「ここでは治せない。大きな病院で手術が必要だ」と告げられた。

 そこでバラカトは、医院の先生に白内障の手術費を尋ねた。母の目を治したい。それがパラカトの願いだった。

 すると医院の先生は、手術費用を調査し、あくまでも『一般的な手術費の目安』として、バラカトに教えた。

 その費用は、パラカトの予想額をはるかに超えていた。


 その日からバラカトは、母の手術費用を稼ぐために、朝から夜まで働いた。学校にも行かずに、いくつもの仕事を掛け持ちした。子供なので当然、給料は安い。だから彼は、危険な仕事も数多くやった。

 そして半年後に、ようやく母の手術費用を貯めることができた。

 バラカトは母と一緒に山を下り、大きな町の病院に行った。だが、病院の医師は、手術費用だけでなく、診察費や入院費も必要だと告げた。所持金のおよそ二倍の費用だった。

 とても払える金額ではなかった。

 しかも、あと半年働き費用を稼いだとしても、その間に母の眼は完全に失明し、手術は意味をなさなくなると、医師から告げられた。


 バラカトは「半年後に残りのお金を必ず払うので、今すぐ手術してほしい」と、医師に頼んだ。(ひざまず)き、何度も頭を下げ、床に額をこすり付け、懸命に頼んだ。

 だが、医師は「金が無いなら手術はできない」と、事務的な口調で告げた。

 結局、パラカトの母は、手術を受けることができなかった。


「バラカト、私はこのままでいいよ。私はバラカトさえ幸せになれば、それでいい。それが私の願いだよ」

 トンガル村への帰り道で、母はそう言ってほほ()んだ。


 このときからバラカトは、スラノバ国の社会を憎んだ。貧乏人が必死に努力しても決して報われない王国の政治を憎んだ。国民のためにも王国は壊すべきだと、彼は考えた。

 彼が革命軍に入ったのは、革命軍が人民の平等を掲げていたからだった。それは彼の信念と一致していた。



 バラカトは診療の受付名簿を見ながら、

(あんな山奥の村に、ドクター近藤は行った。貧しい村で誰もお金を払えないのに、治療した。村の子供を守るため、毒蛇に咬まれた)

「あああああああ、あああああああ」

 バラカトは両手で頭を抑え、狂乱したように大声を出した。そして頭をかきむしった。

 バラカトが今行おうとしていることは、まさに母への裏切り行為だった。村の仲間から恨まれる振る舞いだった。人間として良心のかけらなど全く無い行動だった。


 バラカトが激しく取り乱したため、ヒアム司令官が心配した。

「バラカト、どうしたのだ?」



   *****



 ナイガル橋では、王国軍兵士が橋の修理をしていた。

 橋が分断され、しかも、至るところに穴があった。そのため車では通れない。

 しかし、幸いなことに、橋げたは無事だった。

 大急ぎで作業をし、分断されている部分を繋ぐ作業をし、穴の四分の一は塞ぐことができた。だが、あと二時間半しかない。このままでは間に合わない。


「みんな、ピッチを上げろ。急ぐのだ」

 ケント大佐は、自らも作業しながら、みんなに大声で指示した。


 王国軍のみんなが、懸命に橋の上で汗まみれになりながら作業していると…、

 突然、北東の方角から砂煙と共に革命軍が、ジープやトラックで大勢押し寄せて来た。

 予想もしない革命軍の出現に、ケント大佐を始めとして王国軍のみんなは恐怖で真っ青になった。

(こちらは武器がない。隠れる場所もない。格好の標的にされる。今、襲撃されたら全滅だ)

 誰もがそう思った。恐怖で頭が真っ白になった。手足が凍りつくようだった。


「作業の手を休めるな。続けるのだ」

 ケント大佐は、大声で命令するとともに、作業をしている兵士たちの前に躍り出て、革命軍に向かい両手を広げた。

「俺たちは武器を持っていない。橋の修理をしているだけだ!」

 大声で叫んだ。

 ケント大佐は、兵士たちの弾除けになるつもりだった。彼は死を覚悟した。自分の命を犠牲にしてでも、工事を続けたかった。



 すると、信じられないことが起こった。

 なんと、トラックから降りてきた革命軍兵士たちが、橋の修理を始めたではないか。

 よく見ると、革命軍も丸腰だった。橋の修理用の工具しか持っていない。革命軍は、橋の北側を中心に橋の修理を始めた。

 やがて、革命軍のジープからモナ王女が下りてきた。モナ王女の隣には、護衛のテーラーと革命軍のグレン副司令官がいる。


 グレン副司令官が拡声器を使った。

「王国軍のみなさん、橋の北側は革命軍が修理します。王国軍は南側をお願いします」

 グレン副司令官の説明に対し、王国軍の兵士たちから歓声が起こった。


「ありがとう」

 ケント大佐を始めとして王国軍兵士たちは、革命軍の協力が嬉しかった。王国軍だけでは、時間内での修理が間に合わないと、誰もが思っていた。誰もが諦めかけていた。

 だが、革命軍が手伝ってくれる。敵であるはずの革命軍が協力してくれる。

(これで修理が間に合うかもしれない)

 王国軍のみんなの心に希望の火が(とも)った。みんなは元気を取り戻した。



 やがて、玲子の緊急放送を聞いた近隣の人たちが、次々と橋の修理にやって来た。協力者は、どんどん増えた。

 橋の上では王国軍兵士、革命軍兵士、王国側の国民、イルート族の人民、みんなが力を合わせて作業している。目を疑うような光景だった。

 特に王国軍と革命軍とは、この前までは戦っていた敵同士である。お互い憎しみ合っていた。それが協力し合うとは、いったい誰が予想できただろうか。


 まさに奇跡だった。ドクター近藤が、今までスラノバ国国民のために尽くしてきた努力の結果が、今、形となって表れていた。



 モナ王女は、グレン副司令官と共に、橋のたもとにいた。


「結局、『東島の勇者』玲子のおかげです。みんなが協力したのは、彼女の力です。私がやった行為は、意味がなかった…」

 モナ王女は、自分が無力であることを痛感した。


「そんなことはありません。意味はありました」

 すかさずグレン副司令官が、モナ王女を励ました。

「ひとつは、モナ王女が正直な人であることを、私や革命軍のみんなが分かった。これは非常に大切なことです」


 グレン副司令官は、モナ王女の目を真剣に見つめた。グレン副司令官の長い髪が風になびいた。一瞬、涼風が吹いたような気がした。

「私は、やがて父の後を継ぎ、革命軍司令官になります。間もなく女王になるあなたが信頼できる人だと分かったことは、この国の未来に大きく影響します。内戦を終了させることができると確信できました」


 モナ王女は、グレン副司令官の言葉に驚いた。信じがたい内容だった。

「内戦を終了させる…」

 モナ王女がつぶやいた。


 モナ王女は、近藤が以前に言ったことを思い出した。

『モナ王女、あなたはこの国の内戦を終了させる希望の星です』

(ドクター近藤、この国は間もなく戦争が無くなります)

 モナ王女は両手を合わせて、静かに目を閉じた。いつの間にか、頬に涙が流れてきた。


 グレン副司令官は、さらに話し続けた。

「もう一つは、バラカト軍師の氷の心を、モナ王女の温かい心が融かしてくれたことです」


 その言葉を聞き、モナ王女は三十分前の出来事を思い返した。



 ヒアム司令官の邸宅でトンガル村の診療受付名簿を見て、バラカトは激しく取り乱した後、ヒアム司令官に願い出た。

「司令官、私の命はどうなっても構いません。先ほどの発言は撤回します。どうか、ドクター近藤を助けてください。ナイガル橋の修理に協力してください」


「バラカト、急にどうしたのだ?」

 さっきまで誰よりも攻撃を主張していたパラカトである。あまりの変わり様に、ヒアム司令官をはじめとし、皆が驚いた。


「ドクター近藤は…、私の故郷の村の人たちを…、私の母を…、診察してくれました。なんの報酬も何の見返りも期待せず…、治療してくれました」

 バラカトの目には、いつの間にか涙が流れていた。

「今、ここで私がドクター近藤を助けなかったら、私は二度と村へは帰れません。母に合わせる顔がありません。昔の仲間にも顔向けできません」

 バラカトは息を切らしてうったえた。


 ヒアム司令官は、バラカトの真剣なまなざしを見て、革命軍に入隊した頃の純粋なバラカトを思い出した。

(あの頃のバラカトも、こんな真剣なまなざしをしていた。あのときワシの前で『正義の味方になりたい。弱い者を助けたい』と、言っていたな…)

 ヒアム司令官は、いつの間にか微笑(ほほえ)んでいた。

「よし、わかった」

 司令官は、バラカトの心情を理解した。そして、グレン副司令官に今後の対応を一任した。


 その後、バラカトは診療所の受付名簿をモナ王女に返し、

「ここに書いてある『エスターナ』は、私の母だ」と告げた。


「あの左の頬に大きな黒子(ほくろ)があるお婆さんですか?」

 すかさずモナ王女が尋ねた。


 先ほどの怒りの口調と違い、モナ王女は普段の優しい口調に戻っていた。


「母を…どうして知っているのだ?」

 モナ王女が母を知っていることに、バラカトは驚いた。


「実は、私もトンガル村へ行き、受付と治療を手伝いました。エスターナさんは、とても楽しそうに息子さんの自慢話をしていましたよ。『私の息子は優秀だから、いつかこの国の人民を幸せにする発明をするだろう』と言っていました。その息子さんがパラカトさんなのですね」

 そして、モナ王女はさらに、

「バラカトさん、十二歳のときに廃品を集めて発電機とテレビを自分で作成し、村へ寄付されましたよね? エスターナさんは、それを嬉しそうに私に話してくれました」


 モナ王女がそう言ったとき、バラカトは昔を思い出した。

(昔は発明が好きだった。発明で人々を幸せにすることを夢見ていた。私が村へ発電機とテレビを寄付したとき、村の人たちは皆、喜んでくれた。

 だが、…今の私には…、人々を幸せにしている実感が…無い。敵兵を殺している実感のみだ。しかも、戦闘の勝利も空しい…。レアル村での戦闘のとき…、多くの村人が犠牲となった…。私は、村人を助けるよりも王国軍への攻撃を優先した…。)


 バラカトは、昔のレアル村での忌まわしい出来事を思い出した。

 そして、モナ王女の前で跪き、泣き崩れた。二十代の大人が、十四歳の少女の前で、声を枯らして涙を流した。

 モナ王女は、そんなバラカトの肩を優しく抱き、慰めた。モナ王女の眼差しは、慈愛に満ちていた。



 話をナイガル橋のたもとに戻す。


「バラカト軍師は、もうイルート族の若者を戦争に駆り立てることはしない。これは全てモナ王女、あなたのおかげです」


 モナ王女の勇気により、多くの革命軍兵士が救われたことを、グレンは知っていた。

 いや、救われたのは革命軍兵士だけではない。その家族、さらには敵対する王国軍の兵士やその家族、戦場で生活する人たち、彼ら全てが救われたと言って良い。

 僅か十四歳の少女が、ありったけの勇気をふり絞り、命懸けで行動した。その結果、多くの人が救われた。

 バラカトは、革命軍の中で大きな影響力を持っていた。『氷の血の軍師』として、王国軍や近隣諸国に恐れられていた。そのバラカトが戦闘から退くことは、内戦の終了に大きく近づいたことを意味していた。



 やがて、修理が終わったとの歓声が、橋の方から沸きあがった。

 ケント大佐が橋のたもとまで駆け寄り、モナ王女に修理完了の報告をした。

 それをうけてモナ王女が、

「国民の皆さんの協力で、約束の四時間以内に橋の修理が完了しました。皆さん、ありがとうございます」


 モナ王女は、あえて『王国軍』や『革命軍』とは言わず、『国民』といった。まさにこの成果は、国民の協力によるものだった。民族の違いや、過去の軋轢(あつれき)を乗り越えて、国民が協力した結果の『たわもの』だった。


 大きな拍手が鳴り響いた。


「橋の修理を手伝ってくださった皆さん、ありがとう」

 モナ王女とグレン副司令官が、声を合わせて、もう一度みんなにお礼を述べた。

 橋の上では、みんなが喜んでいた。みんなが達成感を噛みしめていた。姿は泥まみれだが、全ての人の目が輝いていた。希望に満ちた目をしていた。


 すると、突然、誰かが、

「むこうから救急車が来るぞ!」

 と叫び、北側にあるイルート族の村の方を指さした。


 北側を眺めると、革命軍のジープに先導された救急車が、峠を越えてやって来るのが見えた。

 橋のたもとでは、革命軍と王国軍、修理を手伝ってくれたすべての人たちが、道の両側に並び、救急車とジープを歓迎した。



「ハリー、まもなくナイガル橋だ。俺たちの先導はここまでだ。必ず血清を間に合わせろよ」

 警備隊長のザイラはそう言うと、ジープを橋の手前の路肩に停めた。


「ザイラ警備隊長、ありがとう」


 ハリー救命士が運転する救急車は、ナイガル橋を渡った。

 ナイガル橋から南は、王国軍のジープが救急車を先導した。


 救急車が通り過ぎた後、橋のたもとでは、王国軍、革命軍、王国の人民やイルート族人民が、握手をしあっていた。これも信じられない光景だった。民族の違い、立場の違いを乗り越えて、全員が同じ目的のために協力し、その達成感を共有していた。

 この光景を目撃した人は誰でも、内戦の終了が近いことを感じていた。

 モナ王女は、グレン副司令官と再会を約束して別れると、直ちに王宮へ向かった。



   *****



 ちょうどそのとき、王宮ではドクター近藤の治療室を、玲子とマリアとで掃除していた。

 モナ王女が無事で、しかも救急車がナイガル橋を通った知らせは、玲子とマリアにも伝わっていた。


 マリアはアマル王妃に頼み、物置にしまってあるピアノをこの部屋に運ぶ許可をもらった。


「マリア、どうしてピアノをここに持ってくるの?」

 玲子が尋ねた。


「私にもわからない。でも、なんとなく…。ピアノがあれば、近藤さんが助かるような気がして…」


 マリアの説明は、自分の意志ではなく、まるで、目に見えない誰かから示唆されたかのようだった。マリア自身も、うまく説明ができなかった。だが、ピアノがここにあれば、ドクター近藤を助けることができる。それは、マリアの勘だった。

(誰が何と言おうとも、ピアノをここに置く)

 それが自分の使命だと、マリアは感じていた。


 やがて、グランドピアノが運ばれてきて、治療室の隅に設置された。

 このピアノは、アマル王妃が愛用していたものだった。八年前にアマル王妃はピアノを断ち、マリアの思い出と共に物置にしまいこんでいたものだった。



   *****



 今から三時間前、トンガル村から離れた山道で、ムハマドが担架を担いでいる男たちを呼び止めた。

「みんな聞いてくれ。このままでは時間に間に合わない。つまり、ドクター近藤が死ぬ」


「えっ」

 担架を担いだ男たちがどよめいた。


「間に合わない原因は、山道の狭さが担架の広さと不釣り合いなためだ。担架だと四人で運ぶので楽だが、道が狭いため、どうしても歩みが遅くなる」


「じゃあ、どうすれば速くなる?」

 村の男が質問した。


「一人ずつドクター近藤を背負って、駆け足で走るんだ。ドクター近藤をバトンのようにリレーする。それしか速く行く方法は無い」


「今やっている点滴はどうする? 点滴したままでは背負えないぞ」


「点滴は外す。時間に遅れたら、いくら点滴をしても意味がない」


 英断だった。確かに今、一番大切なことは、時間に遅れないことだった。ムハマドは、意を決してドクター近藤の腕に刺さっている点滴を外した。

 点滴を外したことについて、後悔は無い。どんな責任でも負ってみせると、ムハマドは覚悟した。そうしなければドクター近藤を助けることができない。ムハマドは確信した。


 その後、ムハマドは、ドクター近藤を背負う係と、ロープで素早く縛る係をつくった。もちろんムハマドは、背負う係だ。

 一人当たりおよそ四百メートル全力で走り、ドクター近藤を次の走者に渡すことになる。その際、ロープの係の者は、素早くロープを外し、次の走者と近藤をロープで素早く縛るようにする。


 最初はムハマドがドクター近藤を背負って走った。元王国軍の部隊長だけあって、体力には自信がある。

 それでも人ひとり背負って全力で走るのは大変だ。あっという間に息切れがしてくる。

 ムハマドはそれでも四百メートルほど走り、次の走者に変わった。


 次の走者は、四百メートルも全力疾走ができなかった。およそ三百メートルで次の走者と交代した。

 一人一人が近藤を背負って走った。走者が一巡した。二順目は、さらにしんどい。

 みんなは汗まみれだった。


 ムハマドは、近藤を背負って懸命に走り、次の走者に変わった。

 次の走者も、その次の走者も、しんどそうだった。

 無理もない。走者はドクター近藤を背負わないときも、遅れないように走る必要があった。一見楽そうに見えるロープ係は、常に先頭を走る必要があった。みんなは、休む暇がなかった。だが、みんなは、頑張って走ってくれた。


 そのおかげで、担架で運ぶより早くドクター近藤を運ぶことができた。特に斜面や岩場、それに崖の小道では、担架の三倍以上の速さで走り抜けることができた。


 まもなく、タイムリミットの三時間が経とうとしていた。

 みんなは疲労困憊していた。

 ようやく山のふもとへ着いたときは、三時間を二十分過ぎていた。


「サイル、遅れてすまない」

 ムハマドはゼイゼイ肩で息をしながら、サイルに詫びた。


「この遅れは私が運転で取り戻します。心配いりません」

 サイルは、村の男たちに感謝した。


 その後、サイルは、近藤とムハマドを乗せた救急車を王宮へ向かわせた。

 サイルは猛スピードで運転した。

 まるで、ラリーの運転手のような運転技術だった。動体視力と反射神経が優れたサイルならではの運転だった。それでいて、近藤に負担をかけないように、急アクセルや急ブレーキは無い。まるで川を流れる水のように滑らかな走りだった。


 サイルの卓越した運転で、救急車は少しずつ遅れを取り戻した。



 近藤を乗せた救急車が王宮に到着したまさにそのとき、救命士ハリーの乗った救急車も王宮に到着した。どちらともタイムリミットの五時間ちょうどだった。

 すかさず救急車の中で血清を注射した。だが、そのときの近藤の心臓の鼓動は、極めて弱くなっていた。


「急いで治療室へ!」

 サイルは王宮の看護士に命令した。

玲子の機転で何とか間に合いそうですが…


次回は、玲子がさらに奇跡を起こします。

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