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ピアニスト玲子の奇跡  作者: でこぽん
16/20

15.王女の勇気

  15.王女の勇気


 モナ王女は、先日の近藤とアフマド国王の面会以降、近藤に興味を持ったようだ。

 時間があれば治療室に行き、近藤と話をしている。ときにはモナ王女が近藤の布団カバーやシーツを取り換えたりもする。近藤と話をするにつれ、モナ王女は近藤を高く尊敬するようになった。


 かたや近藤は、モナ王女の素顔をようやく見ることができた。

 驚いたことに、モナ王女はマリアにそっくりな顔立ちをしている。違うのは髪型だけである。マリアはロングヘアーだが、モナ王女は左右の髪を三つ編みにしている。

 それ以外の違いは、ほんのわずかだが、首から下げたペンダントだった。マリアのペンダントと左右逆向きになっている。おそらく、マリアの持っているペンダントと、対のものに違いない。

『ペンダントを二つ合わせるとハート形になる』と、玲子が前に話してくれたことを、近藤は思い出した。


 王宮医療チームの手厚い看護のおかげで、近藤の傷は順調に回復した。そして、今日は近藤の退院の日だった。

 この日もモナ王女は、ドクター近藤に会いに来た。今日がドクター近藤とゆっくり話ができる最後の日であることを、モナ王女は知っていた。


「ドクター近藤、どうすれば国民から愛される国王になれるでしょうか?」

 モナ王女が、真剣な眼差(まなざ)しで近藤に尋ねた。


 モナ王女の国王即位式は12日後にとり行われる。あとわずかしかなかった。そのため、モナ王女は、立派な国王となるにあたっての心得を、近藤から教えてもらおうとしていた。おそらく、近藤がスラノバ国で最も人気があるためだろう。


「国民から愛されるためには、まず、モナ王女が国民を愛することが大切です。そして愛するためには、思いやりや誠意、それに勇気が必要です」


「思いやり、誠意、勇気…」

 思わずモナ王女はつぶやいた。

「思いやりや誠意はわかりますが、なぜ勇気が必要なのでしょうか?」


「勇気がないと、今までできなかったことに、挑戦できないためです」

 近藤は、長年続いているスラノバ国の内戦を、モナ王女に終わらせてほしいと思っている。そのためには、モナ王女に勇気が必要だと感じていた。


「モナ王女、あなたはこの国の内戦を終了させる希望の星です」


「内戦を終了させる…」

 モナ王女はつぶやいた。

(はたしてそんなことが、非力な自分にできるのかしら?)

 モナ王女は、自分の実力を過大評価されていると思った。


 スラノバ国の内戦は二十年続いている。モナ王女が生まれてから今までは、戦争が当たり前の光景だった。その戦争を終了させることなど自分にできる訳がないと、最初から諦めていた。


「モナ王女、古い慣習にとらわれずに、自分が正しいと信じた道を進むためには、勇気が必要です」


「でも、私は、それほど強くはありません」

 それはモナ王女の素直な気持ちだった。


「強さと勇気とは違います。強くても勇気がない人はいます。逆に白井玲子のように、強くなくても勇気がある人はいます」

 近藤は、思わず玲子を引き合いにだした。確かに、内戦を停戦に導いたときの玲子の行動は、まさに勇気の(かたまり)だった。


(私の妹サマルが最も信頼する女性、『東島(あずまじま)の勇者』玲子)

 モナ王女は、玲子の勇気を回想した。

 あのとき、東島の勇者は、病院の屋上でピアノを演奏してした。三百六十度、どこからでも狙撃可能な場所にいたが、落ち着いていた。確かに玲子は、勇気があった。


「モナ王女、あなたが国王になったあと、何度も危険や恐怖と遭遇するでしょう。そのとき、どんな目にあっても、正しいと信じた道を、勇気を持って進んでほしいのです」

 これは、近藤の素直な気持ちだった。


 今までのスラノバ国の国王は、温厚なだけが取柄で、変革の意識が皆無だった。今回、アフマド国王が生贄の廃止を宣言したのは、スラノバ国において、きわめてまれな変革だった。

 その近藤の気持ちを、モナ王女は理解した。


「わかりました。勇気を持つよう努力します」

 モナ王女は胸に手を当て、近藤の教えを心に刻んだ。


 だが、理解することと実行することは、明らかに違う。モナ王女は、自分でも勇気をもって行動できるかどうか不安だった。

(まずは、行動しよう。ほんの少しで構わない。行動することで、少しずつ自信をつけよう)

 モナ王女はそう考えた。

「ところで、明後日、ドクター近藤の医療現場を見学しても良いでしょうか? できればお手伝いがしたいのですが…」

 突然のモナ王女の申し出だった。


「どうして明後日なのですか?」


「明後日だけが、私が自由に動ける日です。即位式が済めば、私には自由に動ける機会が無くなります。だから、明後日にドクター近藤の医療現場で、お手伝いをさせてください。そうすることで、国民の暮らしぶりを目で見て、肌で感じたいのです」

 そして続けて、

「頭で理解するだけでは、だめなのです。それは、本当の理解とは言えません。体をつかって、目や体で理解したいのです」

 モナ王女は、近藤の医療現場を体験したかった。ドクター近藤が国民とふれあうところを(じか)に見て、国民から愛される秘訣を学びたかった。


 近藤は、そんなモナ王女の真剣なまなざしを嬉しく感じた。そして手帳を確認した。

「明後日は、トンガル村に出張診療に行きます。交通の便が悪く、山のふもとまで車で二時間、そこから三時間も歩かねばなりません。それで良ければ構いませんが…」


「はい。明後日は、ぜひお手伝いさせて下さい」

 モナ王女は即答した。満面の笑みを見せた。


「そうですか。それでは包帯の巻き方を今から教えます」


「今から? …ですか?」

 モナ王女は戸惑った。今日は今から予定がある。予定外の行動はできないと自分自身で決めつけていた。


「包帯が巻けなければ、一緒に行ってもお手伝いができませんよ。二十分もかかりません。今から練習しましょう」


 確かにそうだ。練習しなければ手伝うことなどできる訳がない。手伝えないのなら、一緒に行っても意味がない。邪魔になるだけだ。つい先ほど『まずは、行動しよう』と決めたのを、モナ王女は思い出した。


「わかりました。今から巻き方を教えてください」

 モナ王女は、近藤に教えを乞うた。


 さっそく近藤が包帯を取り出し、巻き方を説明した。次は実技である。モナ王女の包帯の巻き方は、最初はぎこちなかった。だが、そのうちに慣れてきた。何度も練習すると、あっという間に二十分が経過した。


「明後日までに、包帯の巻き方を体で覚えて下さい。決して頭で覚えようとはしないでください。朝五時に迎えに来ます」

 そう言い残して、近藤は退院した。


 それからモナ王女は、側近のサーニアを相手に、包帯の巻き方を練習した。何度も何度も練習した。

 サーニアは、最初はモナ王女のきつい包帯の巻き方を我慢していた。だが、その我慢が表情に現れていた。


「サーニア。私は包帯の巻き方を練習しているのよ。悪いところは『悪い』と言ってほしい。そうでないと練習にならないわ」

 モナ王女がそう叱ると、サーニアは改まって、

「それでは、一言」と言った後に、

「この包帯の巻き方は、きつすぎます。これでは患者の血が通わなくなります」


 サーニアの指摘に、モナ王女が今度は緩く包帯を巻くと、

「今度は緩すぎます。これではすぐに包帯がずれてしまいます」

 と、サーニアは腕を振り、包帯がずれるのをモナ王女に見せた。


 モナ王女が何度か試みると、ようやく正しく包帯を巻くことができるようになった。


「サーニア、ありがとう。これで私も、ドクター近藤の役に立つことができるわ」

 モナ王女が嬉しそうに言うと、

「今度は足に包帯を巻く練習をしましょう。患者はいつも腕の負傷だけではありませんよ」

 サーニアが、落ち着き払った声で催促した。


 確かにサーニアの言うとおりだ。腕の負傷者だけでは無い。足の負傷者もいる。患者はいろんなところを負傷している。いろんな箇所で包帯を巻くことがある。そのときに備えて練習をしなければ、実践では意味が無い。


 モナ王女は、自分の甘さに気づいた。そして、それから数時間、サーニアを相手に、足首や太もも、首などに包帯を巻く練習を続けた。

 最初は、たかが包帯を巻くための練習だと思っていた。だが、こんなに時間がかかることを、モナ王女は初めて知った。


(ドクター近藤は、頭では無く体で覚えるようにと教えてくれたわ。だから何度も練習しなければ)

 モナ王女は、次の日も空き時間を見つけては練習を繰り返した。練習相手はサーニアだけでなく、護衛のテーラーにも頼んだ。

 サーニアとテーラーとでは、筋肉のつき方がまるで違う。すると包帯の巻き方も違ってくる。


(体で覚えるとはこういうことなのね)

 モナ王女は、近藤が教えてくれた意味が、だんだんわかってきた。



 二日後、モナ王女は護衛のテーラー只一人を連れて、朝早く病院の車に乗った。

 いつも乗る高級車ではなく、ボロボロの車だった。しかも、デコボコの山道を走るため、車体が大きく揺れた。

 これだけでも、モナ王女にとっては十分なカルチャーショックだった。


「今日の仕事は、受付と包帯巻きをお願いします。その際、患者さんの年齢や性別、顔の表情を見て、元気づけるように話しかけながら作業をしてください」


 近藤の説明に護衛のテーラーが驚いた。

 テーラーは、モナ王女が見学のために行くと思っていた。まさか看護師見習いのような作業をするとは、思ってもいなかった。


 抗議しようとするテーラーの表情を見て、モナ王女がテーラーを制した。そして首を左右に振り、抗議をしないようにと、無言で指示した。

 そして、モナ王女が近藤に尋ねた。

「包帯を巻きながら話しかけるのですか?」


「はい。包帯を巻くだけでなく、愛情も一緒に巻いてあげてください。そうすれば患者さんは明るくなります」


 実際に、患者が明るいと治癒力が高まり、回復が早くなる。患者を明るくさせることも、大切な医療活動である。近藤は、常々そう考えていた。


 

 二時間後、車は山のふもとに着いた。

 ここからは三時間歩くことになる。モナ王女は荷物を持っていないが、近藤たちは多くの医療器具を(かつ)いでいる。かなりつらそうだ。


(こんな山奥まで医療活動に行くのは、患者への愛情がないとできないことだわ。私も見習おう)


 言葉で愛情を語るのは簡単だが、それを行動で示すのは難しい。自分を犠牲にしてでも相手を思いやる気持ちが必要なことを、モナ王女は少しずつ体験で学び始めた。

 細い山道を延々と登り、切り立った崖の小道を慎重に歩き、ときには岩場をよじ登ったり、渓流を渡ったりした。大粒の汗をかきながら歩き続けると、ようやくトンガル村に着いた。



 トンガル村では、既に大勢の患者が待っていた。

 事前に近藤たちが村へ連絡していたため、近隣の村からも多くの患者が何時間もかけてやって来たようだ。


(こんなにも多くの患者が、山奥で医療を必要としている)

 モナ王女は、このことを初めて知った。そして、スラノバ国の医療支援の遅れを感じた。


 医療場所は、村の集会場を使用した。

 その集会場は、粗末なつくりの建物だった。いや、集会場だけが粗末なつくりでは無く、全ての民家もそうだった。

 屋根はあるが天井が無く、蒸し暑かった。壁も、所々(ところどころ)がひび割れていた。もちろん室内の装飾品は何もない。ただ、古めかしい発電機がひとつ置かれていた。そしてその横には、村で唯一の照明とテレビが置かれていた。


 夜になれば、この集会場以外は真っ暗になるだろう。

 村のほとんどの家は、壁紙すら貼られておらず、まさに雨風を凌ぐためだけの家だった。

 モナ王女は、このような建物に生まれて初めて入った。そして不潔さを感じた。無理もない。モナ王女は、めったに王宮の外には出ない。ましてや貧民層の家など、訪れたことが無かった。


 だが、近藤たちは休む間もなく、そこに医療器具を広げた。

 モナ王女は近藤の手ほどきを受け、受付を開始した。村の者は、受付の少女がモナ王女だとは誰も気づかない。

 モナ王女は、気持ちを切り替えた。近藤の教えにしたがい、一人一人に話しかけ、患者を励ました。受付数は、瞬く間に三十人を超えた。


 受付の最中、近藤から呼ばれ、患者の包帯を巻いた。

 ある患者は傷口がどす黒く化膿していた。また、ある患者は傷口から真っ赤な血が噴き出していた。さらに、患者によって腕の大きさや足の太さが違っていた。包帯を少しでもきつく巻くと患部が締め付けられるため、患者が痛がる。かといってゆるく巻くと、包帯がずれてしまい意味をなさない。

 サーニアとテーラーとで多くの包帯を巻く箇所を練習したが、実際はそれ以上に複雑だった。


 モナ王女は最初、看護士の仕事を華麗な作業だと思っていた。しかし、トンガル村で認識を改めた。看護士の仕事は大変な作業だった。身も心もクタクタになる過酷な作業だと体で感じた。

(今まで私は、世間の表面しか見ていなかった。ドクター近藤は、それに気づかせてくれた)


 王宮にいるだけでは決して学べないことを、モナ王女は学んだ。それはモナ王女にとって、なにものにも勝る価値があった。

 モナ王女は患者に話しかけながら、患者を励ましながら、包帯を巻いた。また、受付をこなした。

 休憩する時間は全く無かった。昼食の時間も二十分だけだった。気がつくと午後三時、あっという間に時間が経っていた。


 王宮の迎えの者が村までやってきた。ここで、モナ王女の作業が終了となった。

 だが、近藤たちは、今日は村に泊まり、明日も医療活動をする。


「ドクター近藤、ありがとうございました。今日のこの仕事を、私は一生忘れません」


「こちらこそありがとう」

 近藤は、モナ王女が休み時間無しに懸命に働いてくれたことに感謝した。


「お願いがあります。今日の受付名簿をコピーしても良いでしょうか? 記念として残したいのです」


 通常は、病院関係者以外に患者の受付名簿を渡すことは無い。だが、モナ王女の頼みを、近藤は快く了解した。

(モナ王女は、記念として残したいだけだ)

 近藤は、モナ王女の気持ちを大切にした。


 早速、モナ王女は受付名簿を携帯カメラで撮った。モナ王女は、受付名簿を王室で印刷して一生の記念として保管するつもりだった。



 今日の仕事は、モナ王女にとって充実したものだった。受付と包帯巻きをしただけだった。だが、それだけでもモナ王女は、自分の知識の幅がひと回り大きくなったと感じた。


 近藤たちと別れ、山のふもとまで三時間歩くと、王宮の車が駐車していた。それに乗り、夜八時に王宮に到着した。


 その夜、モナ王女は疲れ果て、泥のように眠った。

 こんなに直ちに深い眠りについたのは、生まれて初めてだった。それほどモナ王女は疲れていたのだろう。



 翌朝七時に、モナ王女はマリアからの電話で起こされた。

「サマルどうしたの?」

 『サマル』とはマリアのスラノバ国での名前である。モナ王女は、まだ眠そうな表情だった。


「お姉様、緊急のお知らせと、お願いがあります!」

 電話の向こうから焦った声が聞こえる。

「近藤さんが今朝、毒蛇に咬まれました。村の子供を毒蛇から守ろうとして、代わりに咬まれたとのことです。血清が必要ですが、病院では血清をちょうど昨日切らしたそうです。トンガル村にいる医療スタッフも、同様に昨日切らしたとのことです。王宮に血清はありませんか? 毒蛇の種類はスラノバマダラ蛇です。病院の人の話では、あと五時間以内に血清を注射しないと危ないそうです」


 マリアの説明に、モナ王女は驚いた。直ちに目が覚めた。急いで王宮の医者を呼び、血清を調べさせた。

 しかし、血清は王宮にも無い。この蛇は数が少なく、トンガル村近辺にしか生息しないため、在庫が無いとの説明だった。


 急いでマリアに電話し、王宮にも在庫が無いことを話すと、マリアに代わって玲子が電話に出た。


「モナ王女、先ほど病院の人から連絡がありました。隣国のA国に血清があったので、大至急運んでもらうように手配したそうです。

 しかし、隣国のA国からトンガル村まで十二時間かかると言われました。A国もスラノバ国も飛行場がありません。このままだと近藤君は助からない…」

 玲子は悲痛な声だった。


「玲子さん、A国の車は、どの道を通ると言っていましたか?」


「ルート2を通るそうです」


 モナ王女は、受話器をそのまま耳にあてながら、部屋にあるスラノバ国の地図を見た。

 A国からトンガル村への道は、確かにルート2を通ると、山のふもとまで車で九時間、村まで歩いて三時間、合計十二時間かかる。

 しかし、その道は、かなり迂回した道だった。迂回するには、それなりの理由がある。モナ王女は、その理由も知っていた。


「玲子さん、急いで病院へ連絡し、ルート2ではなく、ルート9で王宮に来るように指示してください。そうすれば五時間で王宮まで来ることができます。ドクター近藤はその時までに王宮に運んでおきます。おそらく、病院スタッフの人は、ルート9で行けない理由を、あれこれ言うと思います。でも、『モナ王女が全て解決する』といって説き伏せてください。それしかドクター近藤を助ける方法がありません。今すぐ連絡してください」


 玲子はマリアに電話を代わり、直ちに病院へ連絡した。

 モナ王女はマリアに対して大声で、

「サマル、今すぐ王宮に来て。大至急頼みがあるのよ。サマルが王宮に着いたとき、私はいないけど、側近のサーニアに全て話しておくわ。サーニアに会ってほしい」

 と告げ、電話を切った。



 救急車がルート9で王宮に到着するには、問題が2つあった。

 一つは、ルート9を通るとイルート族の村を通過する。そのため、イルート族の警備兵から攻撃をうける危険があった。

 もう一つは、ルート9の王宮近くを流れる川に橋が架かっているが、その橋は内戦で壊れていた。


(ドクター近藤を必ず助ける)

 モナ王女は自分自身に誓った。

(彼を助けることは、国民を助けることにつながる。今すぐ行動しなければ)

 大急ぎで王国軍大佐のケントを呼び出した。


「ケント大佐、大至急お願いがあります。ドクター近藤を救うための救急車が、ルート9を通ります。だから、ルート9に架かっているナイガル橋を修理してほしいのです。救急車が通れるようにしてもらいたいのです。王国軍を総動員してもかまいません」

 モナ王女はさらに説明を続けた。

「但し条件が二つあります。一つは四時間以内に完了させること。もう一つは武器を持って行かないことです」


 ケント大佐は、モナ王女の出した二つの条件に驚いた。

「橋の修理には一日以上かかります。それを四時間以内で終了させるのは、無理な注文です。さらに、我々は王国軍です。武器は必需品です。王女もご存じのように、ナイガル橋はイルート族の村に隣接しています。兵士たちの安全を保障するためにも、武器は必要です」

 ケント大佐の返答は、道理にかなっている。それは、モナ王女も十分認識していた。


「無茶な注文だとは十分承知しています。しかし、それしかドクター近藤を救う手だてがありません。お願いします。私を助けてください」


 信じられない言葉だった。

 威厳ある王族のモナ王女が…、間もなく国王となるモナ王女が、部下であるケント大佐に『助けてください』と頼んだのだ。

 その言葉だけでもケント大佐には、励みになった。王女を何としても助けようと覚悟した。

 ケント大佐は直ちに部下を連れてナイガル橋の修理に向かった。


 次にモナ王女はサイルを呼び出し、トンガル村にいる近藤を五時間以内に王宮に運ぶよう指示した。

 さらに側近のサーニアに小さな声で秘密の指示を伝えた。側近のサーニアは驚いた顔をしたが、モナ王女の説得により、しぶしぶ承諾した。


 最後は、護衛のテーラーに小さな声で話しをした。

 テーラーはモナ王女の命令に驚いたが、モナ王女の決意を感じ、命令に従った。


 その後、モナ王女は密かにテーラーと共に、王宮を抜け出した。

 モナ王女は、ありったけの勇気を奮い起こして、ヒアム司令官の邸宅に向かった。ヒアム司令官の邸宅は、意外と王宮から近い。緑で覆われたオアシスの中にあり、王宮からは車をとばして一時間の距離だった。



 一時間後、モナ王女とテーラーは、革命軍司令官ヒアムの邸宅の前にいた。


 ヒアム司令官の邸宅は、王宮と比べるとはるかに小さい。だが、この邸宅は、革命軍の本部を兼用している。邸宅は普通の民家の六軒分の広さだった。特別なきらびやかさも無く、どちらかというと、質素なつくりだった。いたるところに窓があり、風通しだけは良さそうだ。


「ヒアム司令官。スラノバ国王女モナと名のる少女が司令官にお話があるといい、玄関に来ております」

 門衛が報告した。


「モナ王女だと? 偽物じゃないのか? それで護衛は何名だ?」

 ヒアム司令官は、本物のモナ王女が来るとは、とても信じられなかった。


「護衛は一名です。見るからに屈強な男です」


「よし。通せ」

 ヒアム司令官は、モナ王女がどんな話をするのか興味をもった。


 やがて、モナ王女とテーラーは、ヒアム司令官がいる大広間に通された。もちろんモナ王女もテーラーも、武器を持っていない。

 大広間は、風通しは良いが、粗末な作りだった。天井には蜘蛛の巣がいくつかあり、装飾品は全くなかった。そして、若い兵士と共に多くの子供たちがいた。ヒアム司令官は戦災孤児を引きとっていた。


「ヒアム司令官、二年ぶりですね。モナです」


 ヒアム司令官は、二年前にモナ王女に会ったことがある。今、目の前にいるのは間違いなくモナ王女だと確信した。

 だが、ヒアム司令官はモナ王女に椅子を与えようとはしない。立たせたままだ。

 椅子に着席させようとしないヒアム司令官の対応に、テーラーは嫌な顔をした。だが、モナ王女が目配せし、テーラーを大人しくさせた。


「モナ王女、こんな朝早くから何の用だ?」

 ヒアム司令官は、自分だけが椅子に座り、モナ王女に問いただした。


「ヒアム司令官にお願いがあります」


 モナ王女は、ドクター近藤が毒蛇に咬まれたこと、血清を届けるためにルート9を救急車が通るが、攻撃しないでほしいこと、さらには、ルート9に架かっているナイガル橋を王国軍が丸腰で修理しているので攻撃しないでほしいこと、を告げた。


「今やスラノバ国の英雄であるドクター近藤を助けるために、どうか協力をお願いします」

 モナ王女は、誠意をもってヒアム司令官に依頼した。


 だが、ヒアム司令官は、モナ王女の頼みに返答することなく、逆に質問した。

「モナ王女。そなたはここで、我々に殺されるかもしれない。または、人質にとられるかもしれない。などと思わなかったのか?」


 この質問は、モナ王女の気持ちを如実に表していた。モナ王女も、ここで殺されるかもしれないと覚悟はしていた。だが、こればかりは正直に答える訳にはいかない。モナ王女は大きく深呼吸し、

「思ってもいません…。ヒアム司令官を…信じています…」

 と、かろうじて答えた。だが、モナ王女の声は震えている。話し方も、たどたどしい。


「怖くは無いのか? 生きて王宮に帰れないかもしれないのだぞ」


「こ…怖く…ありません」

 モナ王女は恐怖心と戦いながら必死に答えた。だがモナ王女の表情は、不安で満ちている。


 すると、ヒアム司令官は、いきなりモナ王女の衣装であるアバヤを引き上げて、王女の膝から下をあらわにした。


「無礼者!」

 護衛のテーラーが叫んだ。

 しかし、警護兵に銃を突き付けられ、テーラーは身動きができない。


「王女に何をする!」

 銃の脅しに屈せず、テーラーは怒鳴った。


 だが、ヒアム司令官は、テーラーの怒りを無視した。

「モナ王女よ、足が震えているぞ。本当は逃げ出したいのではないか?」


 あらわになった膝から下の素足が、ガクガク震えていた。

 テーラーも、モナ王女の足が震えている姿を見た。

 その瞬間、テーラーは、ヒアム司令官がアバヤを引き上げた理由を知った。辱めのためであれば、テーラーは銃に屈すること無くヒアム司令官にパンチを浴びせただろう。だが、違っていた。ヒアム司令官は、モナ王女の心境を確認したのだ。


 無理もない。モナ王女は、まだ十四歳の少女である。王宮で『蝶よ花よ』と大切に育てられた彼女だが、今は周りに護衛が一人しかいない。残りは全て敵だ。


「こ…これは武者震いです。私には使命があります」

 かろうじてこたえたが、言葉がたどたどしい。誰の目にもおびえていることが明らかだった。


「国王のアフマドから頼まれたのか。あいつは、お前を俺たちに殺させようとしているぞ」


「誰からも頼まれていません。私の意志で来ました」

 モナ王女は、少しずつ落ち着きを取り戻し、勇気を持って話した。


「ほほー。その勇気は認めよう」

 ヒアム司令官がモナ王女のアバヤから手を放した。すると、モナ王女の膝から下がアバヤで覆われ、震える足は見えなくなった。


「しかし、モナ王女、お前は馬鹿だ」

 ヒアム司令官は、あごひげを撫でながら話し出した。

「お前は王国軍が橋の修理をしているとき、俺たちに何もしないでいろと言うのか? やつらは橋の上にいるのだろう? 隠れる場所が無いぞ。しかも丸腰で」

 ヒアム司令官は、ライフル射撃の真似をして、

「格好の標的ではないか。残念だが、その要求は聞けないな」


 ヒアム司令官は静かに笑みを浮かべ、

「良い情報を教えてくれてありがとう」

 と、あごひげを撫で、冷たいまなざしを向けた。


モナ王女の勇気はいかがでしたか?


次回は玲子をはじめ、様々な人が近藤を助けるために動く姿を描きます。

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