11.平和の歌
11.平和の歌
問題の日曜日がきた。
中立地区の人たちは、戦闘に備えて避難していた。だが、避難していない人たちもいる。病院の患者と医師、看護師たち、そして、玲子を中心とした女性たちである。彼女らは、中立地区での戦闘を阻止しようと準備していた。
今日は薄い雲がかかっており、日差しはそんなに強くない。
(これならば多くの人が集まってくれるはず)
そう思いながら玲子は、あわただしく早朝から動いていた。
ホテルの支配人サムに、ロビーにあるグランドピアノの借用を申し入れたところ、サムはあっさりと承諾した。
「戦闘が始まれば、ピアノは間違いなく壊されます。玲子さんが戦闘を止める運動をするのでしたら、玲子さんにピアノを貸した方が有意義です」
サムは、中立地区で行われる戦闘に憤りを感じていた。いや、サムだけでない。中立地区に住む人たち全員が、王国軍と革命軍との戦闘に怒りを表していた。
自分たちの住居が、自分たちが苦労して蓄えた資産が、あっという間に破壊される。しかも、住居が破壊されると、そこで過ごした思い出も奪われてしまう。まさに理不尽な仕打ちである。
サムはそんな理不尽さに抗うように、玲子にピアノを貸し与えただけでなく、クレーン車の手配もした。
玲子は、ホテルから借用したピアノを、ムハマドたちにクレーン車で病院の屋上に設置してもらった。
病院の屋上からは三百六十度見渡せる。言い換えれば、どこからも狙撃可能な場所だった。
不思議と恐怖は無かった。先日のサラとの儀式のおかげかもしれない。あのときと比べると、何も怖くない。
病院の周囲には、アマル王妃が集めた千人ほどの女性がいる。
「玲子、これだけしか集まりませんでした。私の力不足です」
王妃は、集めた人数が少ないことを詫びた。
「そんなことありません。千人も集めていただき、感謝します」
それに国営テレビのカメラマンも、王妃が手配してくれた。それとは別に玲子は、カメラマンを派遣してもらうよう、ウィーン新聞社のヨーゼフに頼んだ。ヨーゼフは『玲子の頼みならば』と、カメラマンだけでなく、ジャーナリストも派遣した。
屋上の様子は、生中継でテレビに放送される。病院の周囲にも、テレビカメラとテレビが多数設置されている。
そのとき、北西の方角から、サラがイルート族の女性千五百人を引き連れてやってきた。
参加者の中には、腰が曲がった老婆や小さな子供もいる。おそらくサラは、可能な限り呼びかけたのだろう。そして呼びかけられた人たちも、平和を願っていた。だからこそ参加した老婆は、腰が曲がって不自由な体にもめげずに、遠くからやって来た。おそらく自分のためではなく、自分の子供や孫のために参加を決めたのだろう。
玲子は、はるばる駆けつけてきた参加者を見て、思わず感動した。心が熱くなり、涙が流れそうだった。
やがてサラが、主だったメンバーを連れて屋上に現れた。
「玲子、遅れてすまない」
サラは遅れたことを詫びると、身近な仲間を紹介した。
「こっちが第二夫人のマレー、彼女が第三夫人のイリアだ。司令官の女房は全員ここに集まった」
「マレーさん、イリアさん、参加していただき、ありがとうございます」
玲子は、マレーやイリアに挨拶した。
マレーやイリアも、「協力を惜しまない」と言ってくれた。おそらくサラの影響だろう。サラは玲子に約束したとおり、協力を惜しまなかった。
「サラ、こちらはアマル王妃、それにモナ王女です」
玲子が紹介すると、
「サラ。久しぶりね」
アマル王妃が懐かしそうに声をかけた。
「そうだな、子供の頃以来だ」
「お二人は知り合いなのですか?」
玲子が尋ねると、
「サラとは同じ村に生まれたの。昔は一緒に遊んだりして、とても仲が良かったわ」
と、アマル王妃が答えると、サラが続けて、
「それが今では戦争し合う敵どうし。皮肉なものだな」
と、ため息交じりでつぶやいた。
この国ではサラたちのように、友達が敵どうしとなった女性が沢山いることを、玲子は知った。
(この内戦は、どちらが勝っても不幸な人をつくる。やめさせなきゃ)
玲子はしみじみ感じた。
玲子はピアノの前に座り、鍵盤に指をそろえてピアノを演奏した。
優しいピアノの調べが中立地区に響き渡る。さらに生中継のテレビを通じて、屋上の様子がスラノバ国全体に放送された。もちろんテレビには、アマル王妃や革命軍司令官の妻であるサラやマレー、イリアの顔も映し出された。
すると、信じられないことが起こった。
王妃アマルや革命軍司令官の妻たちが屋上にいることを知り、今まで参加に尻込みしていた人たちが、続々と集まりだしたではないか。やはり、多くの人たちは平和を望んでいた。
やがて、三十分後には病院の周囲が、一万人を超える女性や子供や老人で埋め尽くされた。兵士でない男性も大勢集まっている。さらには、病院の入院患者や通院患者も多数参加した。患者たちは、周りの人たちから支えられていた。
中立地区の南側にある王国軍の司令部では、テレビを通してアマル王妃やモナ王女が病院の屋上にいることを知り、動揺した。
兵士たちが駐留している場所にもテレビが設置されていた。そして、王国軍の兵士の間では、
「俺のおばあちゃんが来ている」と、叫ぶものや、
「僕の恋人が参加している」と、いうもの、
「私の女房も加わっているぞ」と、驚くものが続出した。
さらには、入院中の兵士が包帯姿で参加している姿も確認され、
「あいつは、この前まで俺たちの部隊にいた」と、叫ぶ者が多数いた。
人間誰しも、肉親や恋人、さらには友人が参加している場所に、銃を向けることはできない。
王国軍の兵士は、誰一人として病院に向けて銃を構えることができなかった。
王国軍の現場を指揮するケント大佐は、当初、アマル王妃やモナ王女を屋上から連れ出そうと計画を練った。
二人が屋上からいなくなれば戦闘が開始できる。だが、屋上には、サイルやムハマドの姿が見えた。それだけでなく、アマル王妃の護衛やモナ王女の護衛もいる。もちろん司令官夫人たちの護衛も屋上にいる。サイルやムハマドは、玲子やマリアを護衛しているようだ。
「あのつわものたちを相手にするには、王国軍兵士を百人ほど屋上へ向かわせる必要がある。だが、それは現実的ではない」
と、アマル王妃たちを連れ出す計画を諦めた。
一方、革命軍側では、国営テレビを見ていたヒアム司令官が病院に集まる参加者の多さに驚いた。さらに、サラやマレー、イリアが、多くのイルート族の女性を率いて参加していることに衝撃を受けた。
バラカトは、主催者の玲子を狙撃するよう、中立地区の北側に布陣している部隊に指示した。
しかし、司令官の第一夫人から第三夫人までが屋上で玲子の周りにいる。もし狙撃が外れて司令官夫人に弾丸が命中したら、それだけで狙撃兵は死刑になる。仮に玲子に弾丸が命中したとしても、玲子の体を貫通して司令官夫人に当たることも十分考えられた。だから、革命軍の狙撃兵は、玲子を狙撃することができなかった。
革命軍兵士の間でも、家族や恋人、入院中の仲間が病院の周りにいると口々にうったえるものが多数いた。
革命軍兵士も、肉親や恋人、友人を大切に思う気持ちは、王国軍兵士と同じだ。彼らは、家族や恋人、友達を傷つけたくなかったし、失いたくなかった。
そのため、革命軍の兵士たちも、誰一人として病院へ銃を向けることができなかった。
王国軍兵士も革命軍兵士も、彼らは『兵士』の前に一人の人間だった。温かい血が通っていた。家族や恋人や友人の安全を願っていた。
戦争は人を狂わせる。
戦争は、家族や恋人や友人の安全を願う善良な兵士たちを、冷酷な殺人マシンへと変貌させる。それが戦争の恐ろしさだ。
だが、今、王国軍兵士も革命軍兵士も、人間の心を取り戻そうとしていた。彼らは、決して冷酷な殺人マシンではなかった。友達や家族を思う温かい心を持っていた。人間としての優しい心を持っていた。
そして誰もが、中立地区にある病院を破壊することが、どんな悪影響をもたらすかを知っていた。誰もが、病院を破壊したくないと感じていた。
中立地区の病院の屋上では、続々と集まって来る参加者の多さに玲子が驚いた。
(みんな病院を守ろうとしている。愛する人を守ろうとしている)
玲子は感激した。
早速、玲子は、集まった女性たちに手をつなぐよう、うったえた。
「皆さん、今から人間の鎖をつくります。両脇の人と手をつないでください」
玲子の大きな声が響き渡った。
しかし、女性たちはなかなか手をつながない。参加者には男もおり、この国では見知らぬ男女が手をつなぐことはありえない。この国の慣習が邪魔していた。
この様子を知ったアマル王妃が、マイクに向かって叫んだ。
「王妃アマルが命ずる。みんな手を繋ぐのだ」
すかさずサラがマイクを奪い、
「わたしゃサラだよ。みんな手をつなぐんだ。早くしな」と、大声で命じた。
続けて第二夫人のマレーや第三夫人のイリアも、口々にマイクに向かって手をつなぐよう命じた。
王妃や司令官夫人たちの命令は強力だ。
参加者は、最初は恐る恐る、しかし、そのうちに積極的に手をつなぎだし、やがて一万人の人間の鎖ができた。病院は、幾重にも連なった人間の鎖で守られた。
屋上でも玲子を囲むように、サラや王妃アマルたちが手を繋ぎ、人間の鎖をつくった。
マリアの右手はアマル王妃が手をつなぎ、左手はモナ王女が手をつないでいる。
(お母様。お姉様)
マリアは心の中で叫んだ。
こんな機会でしか手を握ることができない自分が悲しかった。涙を流したかった。だが、今は自分の感傷を表すときでない。マリアは、じっと我慢した。
マリアの存在が多くの人に知られると、みんなが不幸になる。マリアはそれを知っている。だからマリアは、涙すら流すことができない。
マリアの悲しみを、玲子はまだ知らない。
玲子は、軽やかにピアノを奏でながら、みんなに語った。
「皆さんの隣の人の手から、温かさが伝わっていますか? 王国軍も革命軍も、同じ人間です。みんな優しい温かい心を持っています。隣の人の温かい心を感じとってください」
参加者は、それぞれ手を上にかざし、隣の人の手の温かさを確かめ合っていた。
さらに、玲子は、静かにピアノを奏でながら、
「家族が亡くなれば、全ての親族が悲しみます…。恋人が亡くなれば、誰もが苦しみます…。友達を失ったら、みんな涙が止まりません…」
と、静かに語った。
参加者は皆、玲子の言葉に共感していた。参加者の中には、過去の出来事を思い出し、涙ぐむものもいた。
そして玲子はピアノを力強く演奏し、
「大切な人を失わないためにも、私たちで病院を守りましょう」
玲子が声を高々にうったえると、
「おうー」と、サラが叫んだ。
王妃も叫んだ。みんなが叫んだ。
とても大きな掛け声だった。その声は王国軍にも革命軍にも響き渡った。
王国軍も革命軍も、その声の響きに驚いた。
玲子は一息おいて、
「今から、私が作った『平和の歌』を歌います。歌詞はありません。私のピアノにあわせて口ずさんで下さい」
そう言うと玲子は、ピアノを奏でながら口ずさんだ。
「ルルルルー ルルルルー ルルルルー ルルルルー」
わずか四小節の単純な曲だった。即興的につくった歌詞が無いスキャットだった。
しかし、懐かしい情景を思い起こし、心に染み入る曲だった。
ある者にとっては、子供の頃の家族の温かさを思い起こす曲だった。また、別のある者にとっては、幼い子供たちの笑顔を思い起こす曲だった。さらに別のある者にとっては、友達と昔遊んだときの情景を思い出す曲だった。
曲のイメージは、聴く者によって違っていた。だが、玲子のピアノの調べは、全ての人に『大切な人を守る』気持ちを呼び起こした。
その曲は何回も繰り返された。
マリアが口ずさんだ。アマル王妃やモナ王女も口ずさんだ。
「ルルルルー ルルルルー ルルルルー ルルルルー」
サラをはじめとした司令官夫人たちも、口ずさんだ。
やがて、玲子のピアノの調べにあわせて、一万人の人たちが、平和の歌を口ずさんだ。
「ルルルルー ルルルルー ルルルルー ルルルルー」
静かな曲のはずだった。だが、一万人が同時に歌うと、それなりに響き渡る。歌声は低い音だが、王国軍や革命軍に響き渡った。
兵士たちは、その歌が大切な人を守る歌であることを、心で理解した。言葉ではなかった。歌の響きであり、伝わってくる気持ちだった。
それから玲子のピアノの演奏は、少しずつ力強くなった。
それに合わせ、玲子やマリアの歌声も大きくなっていく。
「ララララー ララララー ララララー ララララー」
サラや王妃たちの声も大きくなった。
いつの間にか、一万人の歌声も大きくなっていった。
歌声が、中立地区に力強く響き渡っている。
不思議なことに、歌だけでなく玲子が演奏するピアノの伴奏も、中立地区に響いている。
歌声とピアノの伴奏は、王国軍や革命軍にも力強く届いた。
兵士たちは、こんなに力強く響く国民の歌声を、今まで聞いたことが無かった。
力強さの源は、『平和への思い』だ。
この歌声には、みんなの平和への思いが込められていた。
思いが込められた歌声は、力強く響き渡る。
歌声は、兵士たちの心の扉をノックした。多くの兵士たちが、懐かしい情景を思い起こした。家族や恋人、それに友達との、楽しかった日々を思い出した。
玲子は、さらにピアノの演奏を強めた。そして、みんなに叫んだ。
「もっと強く!」
「アアアアー アアアアー アアアアー アアアアー」
マリアが大きな声で、力強く歌いだした。サラや王妃たちも力強く歌いだした。
みんなの歌声は、さらに大きくなった。
玲子のピアノを奏でる力が、さらに激しさを増す。
「愛する人のために!」
玲子はピアノを奏でながら、髪を振りかざして激しく叫んだ。
「アアアアー アアアアー アアアアー アアアアー」
みんなの歌声が迫力を増した。
玲子は汗まみれになりながら、激しく鍵盤を打ち鳴らしている。
「平和のために!」
玲子はピアノの鍵盤を激しく打ち鳴らしながら立ち上がり、大声で訴えた。
「アアアアー アアアアー アアアアー アアアアー」
みんなの歌声は最高潮に達した。参加者は全員汗まみれで歌っている。
今まで、これほど多くの国民が一斉に大声で歌ったことはない。ましてや、心を一つにして行動したこともない。おそらく、スラノバ国で初めての出来事だろう。
みんなは、平和を願いながら大声で歌っていた。いや、大声で歌いながら真剣に平和を願っていた。
みんなの歌声は、中立地区はもちろんのこと、王国軍や革命軍に大きく響き渡った。
歌声が、兵士たちの心を激しく揺さぶった。
もともと革命軍兵士たちは、パラカトの意思とは異なり、中立地区での戦闘に消極的だった。
やはりレアル村での戦闘が影響していた。
レアル村では相手を殺さなければ自分たちが殺されてしまう状況だった。
だが、今度は間違いなく違う。戦いを起こしてはいけない場所で、あえて戦いを起こそうとしている。そして、今度の戦いで最も被害を受けるのは、中立地区の住民であり、貧しく医療費も払えない国民だ。そんなことは、誰もがわかっていた。
だから、革命軍兵士たちの心に、みんなの歌声が痛いほど伝わってきた。
(俺たちは一体何をしているのか?
俺たちは貧しい人を守るために革命軍に入隊したはずだ。それなのに、俺たちが今やろうとしていることは、貧しい人たちを苦しめる行為ではないか。
あぁ、嫌だ。戦いたくない。人を不幸にする戦いは、もう嫌だ)
多くの兵士が、そう感じていた。
すると、驚くべきことに、歌声を聞きながら涙ぐむ兵士が多数現れたではないか。
やがて、革命軍の兵士たちが、玲子たちの歌を口ずさみだした。信じられない光景となった。
銃口を地面に向け、最初は二、三人の若い兵士が歌いだした。それから十人、二十人と歌う者が少しずつ増え、やがて、ほとんどの兵士が歌いだした。
革命軍兵士たちは、誰から命令されるわけでもなく、自らの意思で歌っている。心の扉を開き、歌っている。
彼らには、この歌に込められたみんなの願いが間違いなく届いている。そして、その願いに全員が共感している。
王国軍の兵士たちも、同じ気持ちだった。
王国軍は国の正式な軍隊であるが、その実体は、国王をはじめとした富裕層を守るための軍隊だった。そのため、正義や平等を唱える平和主義者を拘束したり、民主的な集会を妨害したりもしていた。
今回、玲子が主宰する人間の鎖を妨害しなかった理由は、アマル王妃が玲子に協力していたためである。仮にアマル王妃が玲子のもとにいなかったら、あらゆる手段を講じて玲子を拘束しただろう。
そんなふるまいをする王国軍を、王国軍兵士たち自身が恥じていた。だから、玲子のうったえは、王国軍兵士たちにも共感している。そして、平和の歌に込められた願いは、王国軍兵士たちの誰もが、痛いほどわかっていた。
やがて、王国軍兵士たちも、少しずつではあるが、平和の歌を口ずさみだした。
最初は数人の小さな歌声だったが、その数は少しずつ少しずつ増えてきて、歌声もだんだん大きくなってきた。
信じられないことに、玲子たちの平和の歌は、中立地区を中心に、北の革命軍や南の王国軍も加わり、大合唱となった。
まさに、これは奇跡だった。
さらに、玲子たちの歌声は、中立地区を越えて、他の地区にも響き渡っている。すさまじい響きだ。テレビを見ている他の地区の人たちも歌いだした。
テレビを見ている人たちやラジオを聴いている人たちにも、玲子たちの平和を願う心がしっかり届いた。
そして今、スラノバ国の多くの場所で、平和の歌が歌われている。酒場や食堂、集会場で、テレビやラジオから聞こえる歌声に合わせて、実に多くの人たちが平和の歌を歌っていた。
歌は、人種や年齢に関係なく、歌い手の心が伝わる世界共通の言語だ。
ほんの単純なフレーズの歌だった。だが、今、スラノバ国で歌われているこの歌は、国民の願いが込められていた。平和への願いが込められていた。多くの人が、この歌の意味を理解していた。
やがて、玲子は意を決したように大声で、
「王国軍、革命軍、中立地区から撤退してください!」と、叫んだ。
するとアマル王妃が叫んだ。
「国王アフマドの名の基に王妃アマルが命ずる。王国軍、撤退せよ!」
すかさずサラたちも叫んだ。
「革命軍司令官ヒアムの名の基にサラ、マレー、イリアが命ずる。革命軍、撤退せよ!」
アマル王妃やサラたちの声は、王国軍や革命軍に強い響きとして届いた。
すると、信じられないことが起こった。
若い兵隊たちが、まず撤退の準備を始めた。彼らは、最初から戦いを望んでいなかった。ただ、上からの命令で、仕方なく馳せ参じたに過ぎない。そんなとき、アマル王妃やサラたちの撤退命令は、彼らを奮い立たせた。撤退するための大義名分となった。
「アマル王妃が撤退せよとおっしゃっている。しかも、それはアフマド国王の意思でもあるようです」
若い王国軍兵士が、上官に撤退理由を述べた。
また、革命軍でも若い兵士たちが、
「司令官夫人の三人が撤退せよと命じられた。しかも、ヒアム司令官の同意を得ているようです」
と、胸を張って上官に撤退理由を告げた。
若い兵士たちは全兵士の約半分だ。彼らの行動に導かれるように、次は下士官や准士官たちが撤退の準備を始めた。やがて、少尉、中尉などの尉官も撤退の準備に加わった。そうなると、もう戦闘はできなくなる。遂に現場を指揮する大佐が撤退を決断した。そして、王国軍も革命軍も、正式に中立地区からの撤退を始めたではないか。
中立地区の北側や南側に配置された革命軍や王国軍のジープやトラックが、次々と撤収しだした。
みんなの歌声は、まだ続いている。
王国軍と革命軍の姿が中立地区から完全に消えたとき、歌声は止み、歓声が沸き起こった。
「やったー! 王国軍も革命軍もいなくなった!」
「これで病院が救われた! 中立地区が救われた!」
国民の結集力が、王国軍や革命軍に勝った。それは紛れもない事実だった。
激しい歓声は、しばらく続いた。
病院の屋上では、汗びっしょりの玲子の肩を抱きながら、サラとアマル王妃が喜びをかみしめていた。
「玲子、ありがとう。あなたのおかげで病院が、中立地区が救われました。みんなの命が救われました」
王妃は感慨に浸っていた。
革命軍司令官夫人のサラやマレー、イリアたちは、玲子のことを『東島の勇者』と呼び、称賛した。
今日は、多くの国民が平和の意志を、王国軍や革命軍に知らせた日となった。
「もう戦争はしたくない」
と、国民が声を高々に宣言した日となった。
しかも、この日初めて、国民の力が王国軍や革命軍に勝利した。
今まで誰もが諦めていた平和への願いが、一部ではあるが現実となった。
みんなの力を結集すれば、不可能も可能になる。そのことを、国民は知った。
今日の出来事を境に、多くの国民が終戦への希望を持つようになった。
中立地区での王国軍と革命軍の撤退は、事実上、スラノバ国での内戦の停止となった。
中立地区以外で戦闘していた王国軍と革命軍の部隊は、テレビやラジオで、この出来事を知った。平和の歌が響き渡る中、王国軍と革命軍が中立地区から撤退する様子は、ニュースで何度も放送された。そして、このときを境に、彼らも戦いを止めたのだった。彼らの心にも、玲子たちの平和の歌が、しっかりと届いていた。
一万人の参加者の平和への思いを、王国軍兵士や革命軍兵士は、痛いほど理解した。
国営テレビ局は、王国軍や革命軍の撤退の様子をテレビ放映するとともに、玲子の勇気を褒めたたえた。また、アマル王妃と革命軍司令官夫人サラたちの協力を、大々的に宣伝した。
さらに、このできごとは、世界中の新聞、テレビ、ラジオで、ニュースとしてとりあげられた。
そして、スラノバ国の停戦の知らせは、世界中が知ることとなった。
一万人が歌う平和の歌は、皆さんの心に届いたでしょうか?
次からは、新たな展開となります。また、過去の情景がしばし映ります。




