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王都

 王太子殿下のご行幸、その事前準備というか、警備担当者のロケハンに付き合う。

 なぜそんな話になったのか、父が何を思って提案したのか、マイペースな中年男の頭を理解しようもない。

 ただ、唯一想像がつくのは、


「気楽に引き受けたんだろうな」


 というものだ。思わず愚痴となって声が漏れてしまう。

 待ち合わせ場所とした大きな辻に向かうと六頭立ての立派な馬車が停まっていた。

 待ちゆく人は多いものの、足を止めている姿はなく、フォルカー卿はまだ到着していないらしい。そう思ってどちらから現れるか、姿を探してきょろきょろ見回していると不意に馬車の扉が開き、声高にやり取りする人たちが大勢姿を現した。

 その先頭には、フォルカー卿がいた。

 ドロテアはフォルカー卿が大身の貴族子弟であることを思い出した。ひとりでフラフラと歩いてくるはずもないし、それがかなうなら案内役も不要だろう。

 こちらへ歩み寄りながら話すフォルカー卿の声が聞こえてきた。


「見よ、こちらのレディを。

 彼女は身元確かなうえに、市井の事情にも通じておられる」


「しかし、まだ若い娘ではありませんか」


「娘であろうと、そなたたちの挙げた条件には適っておろうが。

 身元確かで、市井の事情に詳しく、共に歩いても違和のない年頃ではないか」


「ではございますが、まさか妙齢の女、いえ、ご令嬢とは思いませなんだ」


「妙齢の男女だからこそ、周囲に溶け込むのであろうが。

 むくつけき男たちが連れ立っているより警戒心を持たれまい」


 どうやら、フォルカー卿のお付きの家来はドロテアに不満があるらしい。

 近衛騎士であると同時に貴族の若様であるフォルカー卿は同行する者も選び抜かれるものかもしれない。そして家来たちが提示した条件の境界線上にドロテアがいるのだ。

 フォルカー卿はドロテアの年齢を知っているはずだが、家来たちには告げていないのか、妙齢の娘、と見做(みな)されていた。


『もしかして、家来を退散させる口実に、わたしの老け顔が必要だった?』


 ドロテアがフォルカー卿から声をかけられた際、「王家のため」などと大げさなことを言われ、宮殿で依頼されるという大げさな舞台装置もあり、家を出る時は悲壮な覚悟でいたけれど。

 お気楽な若様の密行を手助けするだけだったか、と苛立ちを覚えるより先に肩からちからが抜けた。


 ○


 ドロテアの予想は見事に当たった。

 フォルカー卿は家来を追い返してふたりきりになると、


「実は王太子殿下のご希望を聞いてあるんです。

 王太子殿下は今度のご行幸で市井の文化に触れたいと仰せでした。

 私もみずから出向く前に家中のものに下調べをさせまして。

 このように候補を挙げてみたのですがいかがでしょうか」


 家中のご家来が下調べをしたのなら、フォルカー卿もご家来と一緒に下見にいくべきではないか。ドロテアはそのように内心でツッコミを入れながら、同時に家来が一緒では楽しくないのだろうな、とも考えた。

 問題なのは、ドロテアと一緒に向かったところで楽しくなるかは甚だ疑問が残るところか。

 フォルカー卿の差し出した紙片に挙げられた店や劇場などを目で追ってから、


「どちらも若者に人気の場所のようですね。

 わたしも噂に聞くばかりでなんともいえないのですけれど。

 そもそもフォルカー卿のお供をわたしが務めて良いのでしょうか?」


「そこは保証しますよ。大船に乗った気持ちで付いてきてください」


 そう言うと、目的地までの道が頭に入っていたか、先に立って歩き始めた。

 ドロテアが案内されてしまうのでは、いよいよなんのために供をしているのか分からなくなってくる。

 フォルカー卿は家来から解放され、自由に街を歩けることがよほど嬉しいと見え、上機嫌で王都中を歩き回った。連れ回される格好になったドロテアも、楽しめなかったと言えば嘘になる。

 有名な劇場の特等席で観劇をし、近衛騎士の権力を使って予約したか、1年以上先まで席を取れないと有名な店で食事を終えれば、細工物の老舗に連れて行かれた。

 そこまでの道中、一切の手抜かりや遅滞はなく、ドロテアはフォルカー卿ご家来衆の優秀さを思い知るばかり。


「これなんてどうです?

 ドロテア嬢にお似合いだと思うのですけど」


 細工物を手にしてにこやかに話すフォルカー卿は無邪気なものだが、任務の話が果たしてどこまで本当のことやら、ドロテアには頭の痛いことだった。


「本当に、なんでこんなところにいるのか。

 場違いなことはわかります。

 夢ならばそろそろ覚めてもらわなければ、調子が狂ってしまって……」


 今日のために両親から新たに一張羅をしつらえてもらい、どうにか見窄らしさは抑え込めたと思うものの。一家の食費数年分に相当する細工物を手にして語りかけてくる近衛騎士との感覚のズレにドロテアは困惑しきりだった。


「ならば、次の場所へ向かいましょうか」


 そのように切り出した近衛騎士は誰かに宛てて贈り物とする気か、細工物を包ませて先を店を出ようとする。

 さすがに大身の貴族。品の代金を支払いもせず、店側も当然の様子で恭しくしたがって、庶民は立ち止まって眺めるだけでも敷居の高い店も出入り自由か。


「次はどちらへ向かうのですか?」


 ドロテアがいささか疲れをにじませた口調で訊くと、フォルカー卿は紙片へ目を落とし、


「次は、いや、ここはさすがに、まずいかな」


 苦笑するように言葉を濁したところへ、ドロテアが説明を求める。

 すると、美味い酒を出すと有名な盛り場の名前が飛び出してきた。

 それは確かにまずい。精神年齢は良い齢だったとしても、ドロテアの身体はまだ13歳なのだ。アルコールは早いし、フォルカー卿の立場的にもいかがなものか。万が一、ドロテアと連れだってそのような場所にいたと知れたら。


 かりにこれが本当に任務だとしても、13歳の娘を連れ歩いて盛り場へ出向いたとバレれば醜聞だろう。フォルカー卿の出世に響くことになる。

 ドロテアはフォルカー卿が貴族家の世子であるか、それとも次男三男といった部屋住みであるかは知らないが、いずれ王位を継ぐだろう王太子殿下と直接やり取りできる現在の地位はかなりのエリートだと思っている。そこから転落することは、宮廷で生きていかねばならない特権階級にとって死と同義。

 貴顕のくさぐさを面白おかしく語る物の本を参考にするなら、そのように推測される。

 フォルカー卿も自身の立場にようやく思い至ったか、残念そうに、


「ああ、これで一応のところは回りきりましたけど。

 もうちょっとどこかで過ごしていけませんかね」


 ドロテアへ提案する近衛騎士の瞳は、ブラックオパールのように不思議な輝きを浮かべながら、


 どうか断らないでください


 と、拝まんばかりにゆらゆら揺れて見えた。

 細工の名店を出た通りで立ち止まるふたり。

 ドロテアは迷った。

 わずかに沈黙が漂う、そんな時。


 不穏な空気をともなった声が投げかけられた。


「あんた、騎士さまだよなあ。

 それも、そんなキラキラした店から出てくるってことは、カネを持ってるんだろ?

 カネを持ってる騎士さまといえば、宮廷勤めの近衛騎士のはずだ。

 いいよなあ、貴族の家に生まれたら毎日楽しいことばっかりだろう。

 しょうもない身分に生まれちまった俺たちにも、すこしばかりおすそ分けしてくれよ。

 昼間っから女連れで遊び回ってるんだから、それぐれえの余裕はあるよなあ?」


 強請りたかりの類らしいゴロツキの集団は、すでに酒に酔っていた。

 クリームファンデのおかげで老け顔をカバーしているとは言え、ドロテアのように地味な顔の町娘と、貴公子然としたフォルカー卿を邪推するとは。

 女連れで遊び回ると表現するのだから、ドロテアを相手と見做しているらしいが、泥酔と評してよいほど酒が入っている。


 ドロテアへ手を伸ばそうとしたゴロツキを遮るように、フォルカー卿が立ちふさがった。


「なんだね、君たちは。

 レディの前でそのような下手な冗談を口にして。

 まさか、本当に強請りたかりを働こうというのではないのだろう?」


 フォルカーの問いに、彼らは一瞬黙りこくった。

 ドロテアは彼らが明らかに酔っていること、そこまで酔っていればバカなことを言い出すロクデナシが王都に数多巣食っていることを知っていた。

 けれど、市井に慣れぬ近衛騎士には、彼らのように暴力の匂いを漂わせる男も、道化の一種と見えたのかもしれない。


 落ち着き払った貴族の若君に、彼らはあしらわれようとしている。

 酔いの回った頭の彼らも、遅ればせながら気づいたか、声をかけてきた頭分が周囲に向かって顎でしゃくって、フォルカー卿へ手下を差し向ける。

 その次の瞬間には、一団のひとりが無言のままフォルカー卿へと殴りかかった。


 彼らの動きは酒に酔っていながら以外にも俊敏だった。

 ふらりと近寄って無駄のない最小限の動き。

 フォルカー卿に迫った拳はただの町娘の目には捉えられないほど素早く、拳が空をきって通り過ぎ、逆にゴロツキがバタリと地に伏せることは理解を超えた世界の出来事だ。


 フォルカー卿は涼し気な顔で、


「君たち、動きといい、魔力の通り具合といい、魔法兵団の所属だろう?

 いまならばお遊びで笑って済ましてやろうではないか。

 早く原隊に戻って行儀よく酔いを覚ましたまえ」


 そう指摘すると男たちは、ザワリ、と一度どよめいた。

 彼らの中で最も度胸のある頭目が、


「貴族の若様もなかなかどうして、やるじゃねえか。

 お察しの通り、オレたちゃ魔法兵団所属だったぜ、つい先日までだがな」


「なに、おまえたちは退役したというのか。ならば大人しくせよ。

 そのような無法を民に働くのならば、しかるべき法でさばかれねばならん」


「バカをいうんじゃねえよ。

 魔法兵団で腕利きを集めた俺たちを、つまらねえ罪でクビにしたあげく。

 お縄にしようなんて警吏にできるこっちゃねえぜ。

 あんたもフザケたことを言ってねえで、俺たちにお手当を恵んでくれなくっちゃ!」


 頭目は言いながら懐から短杖を取り出して、詠唱もなしに魔法を放った。

 炎を拳ほどの大きさにすぼめて放つ、火球の術だ。

 火球は、目にも留まらぬ速さでフォルカー卿に迫り、


 ぽすん


 と、フォルカー卿がかざした手に触れて、かき消えてしまった。


「なるほど。自分を腕利きと大口を叩くほどはある。

 だがな。近衛騎士たるもの、王家の藩屏(はんぺい)たるべき技量を備えねばならん。

 そなた程度のものが、私をどうこうできるとは思わんことだ」


 ドロテアは、酔漢たちがフォルカー卿を包むように取り囲み、一斉に飛びかかる姿を見た。次の瞬間には人影が入り乱れ、短いうめき声が続いて、バタバタと男たちが倒れ伏していった。


 乱闘が始まってすぐ。ドロテアは恐ろしくなって、目を背けてしまった。

 しかし、音が静まったところで視線を戻せば、砂埃の舞う中心に、フォルカー卿は健在だった。

 服はわずかに乱れていたが、傷を負った様子もない。


 そこでドロテアは見た。

 幾人もの男が短杖を抜いて、フォルカー卿へと魔法を放ち続けている光景を。

 フォルカー卿はそれを、平気な顔で見切り、両手で触れて打ち消し、火球の角度を変えて打ち返していた。


 苛立った頭目が舌打ちをして、


「くそっ。こんな化けもんを相手にしてもしょうがねえ。

 てめえら、引き上げるぞ」


 その声を待っていたか、男たちは魔法兵団時代に培った規律そのままに、倒れた仲間を担いでその場を去ろうとした。


 フォルカー卿が、ドロテアに振り向いて言った。


「やれやれ、市井もなかなか油断なりませんね。

 王都の治安がこれほど悪いとは」


 軽い調子の声は引き上げるゴロツキの一団にも聞こえたか、殿(しんがり)を務める若者が苛立って、


「調子に乗ってんじゃねえぞ!」


 怒鳴りながら、やけっぱちで小石を投げつけた。

 その石はへろへろと飛び、予想外の結果を引き起こした。

 ついさっきまで、凄まじい速度の火球を捌き切ったフォルカー卿が無防備に、避けもせず、慌てたドロテアが、


「あぶない」


 と声をあげても、戸惑うように身をすくめるばかりで。

 飛来した小石を、まともに顔面で受け止めてしまったのであった。


 その瞬間。

 一帯の雰囲気が、町娘に過ぎないドロテアにも察せられるほど、一変した。

 辻という辻の陰から、屈強な男たちが飛び出してきて、フォルカー卿に駆け寄った。

 彼らは口々に、


「殿下」


 という言葉を漏らしながら、血相を変えて集まってくる。

 その男たちの中から、殺気立った数名が投石を行った若者へ剣で斬りつけた。若者は糸の切れた傀儡のように、くたりと倒れ、赤い池を作る。


「ひぇっ」


 往来で巻き起こる刃傷に、街の人から悲鳴が上がった。


 さらに、残った魔法兵団くずれの酔漢集団も、練度が格段に上回る騎士たちによって制圧、あっさりと捕縛されていった。

 血の臭いが漂う通りで、落ち着き払ったフォルカー卿の声があがる。


「なぜ出てきたのだ。今日はいけないと命じたはずだぞ」


「しかし、殿下が傷を負うようなことになれば我らは……」


「油断したが大事無い。当たりどころが幸いした。

 傷など負っていないよって安心せよ」


 ドロテアから数歩離れただけの間近に立つフォルカー卿は、右目のまぶたを抑えるように触れていた。

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